ねこま先生の日本昔話研究 「蚕神と馬」編
こんばんは!🐯
日本の昔話を研究して50年!
日本昔話研究家・ねこま先生です。
アナタは、日本昔話は好きかな?
同じ昔話だけど、地方によって、
お話が違うことがあるんだけど、
そういう経験ってあるかな?
大好評をいただいたので、
今夜も、同じ昔話だけど、
地方によって異なる内容を
ご紹介していこうと思います。
このシリーズは、
以下の本を、引用と参考にさせていただいております。
なお、古い本なので、現在では無い・変更された
地名もありますが、ご了承くださいね。
※タイトル表記は、本に従って漢字ですが、
本編が始まって以降は、動物の名前は
漢字で使う時もあるかもしれませんが、
なるべくカタカナ表記にしたいと思います。
『日本昔話大成 第2巻 本格昔話1 (1978)』
角川書店 関敬吾(著)
―― はるか昔の、はるか遠い異国の地・中国。
あるところに、たいへん美しい娘がおりました。
娘の父親は、遠い都に赴任(ふにん)したとか、
戦争に行ったとか、書かれてるものによって違いますが、
ともかく、娘の父親は遠くに行ってしまい、
毎日寂しくてたまりませんでした。
ある時、飼っていた一頭の牡馬(おすうま)に
本気かどうかは定かではありませんが、
こんなことを牡馬にいいました。
「お父さんを連れて来てくれたら、
わたし、あなたのお嫁さんになってあげる。」
それを聞いた牡馬は、
”ヒヒーン”といななきますと、
柵を越えてどこか遠くに駆けて
行ってしまいました・・・
数日して、牡馬が帰って来ました。
背には、父親を乗せて・・・・
遠くの地にいた父親は
飼っている牡馬が、
突然、目の前に現れたので
大変驚きました。
娘になにかあったのではと、
父親は心配して馬の背に揺られて来たので、
無事でよかったと安心しました。
ところが、帰って来てからというもの、
娘に対する馬の態度がおかしい・・・
父親は娘に問いただしました。
父親は激怒します。
「馬の分際で、生意気な!
こともあろうに、わしの娘を!」
父親は、弓矢で馬を射殺(いころ)します。
それだけでは怒りは収まらないで、
馬の皮をはぐと庭に干しました。
ある日、庭に干した馬の皮が、
娘を包むと、天に昇って消えてしまいました・・・
数日後、庭の大木の枝に馬の皮と娘が発見されました。
ひとつになった馬の皮と娘が、
やがて「蚕(かいこ)」になり、
太い糸をはいて繭(まゆ)となり、
繭からは、たくさんの糸がとれました。
そしてこの木を、娘を失った
父親の尽きぬ後悔から、
喪 (Sāng)= ソウ
と同じ音を持つ
桑 (Sāng) = ソウ
と名付けられ・・・
みなさんご存知の
「桑(くわ)の木」となったのです。
これが、「馬頭娘(ばとうじょう)」、
「蚕馬(さんば)」というお話です。
中国の『捜神記(そうじんき)』をはじめ、
文献によって内容に違いはありますが、
中国の多くの文献に載っています。
やがてこのお話が、
「絹(きぬ)」と一緒に、
早くは弥生時代、本格的には、
古墳時代~奈良時代に
中国から日本に渡って来ます。
そして、このお話が、
日本各地に広がって、
その土地、その土地の
土着の信仰などと結びつきます。
特に東北地方バージョンは、
柳田國男によって一躍有名になりました。
「おしらさま」です。
日本昔話大成では、
「蚕神と馬」
と題しまして、
日本各地の
「蚕神と馬」のお話を、
今夜は、アナタにご紹介しようと思います。
ボクの住んでいます、
群馬県では、昔から養蚕が盛んです。
蚕は「おかいこさん」、「おかいこさま」と呼ばれ、
桑の木も大切にされて来ました。
おしらさまは、養蚕の神様です。
東北地方で信仰されています。
一方、わが群馬県にも養蚕の神様がおられます。
絹笠明神(きぬがさみょうじん)と呼ばれ、
群馬県では、「絹笠さま」と呼ばれ信仰されています。
群馬県の他にも、関東地方でも信仰している地域があります。
群馬の「絹笠さま」は、
観音様の姿で右手に桑の木の枝、
左手に稲荷様を抱く姿です。
今夜も、たくさんの派生ヴァージョンを
アナタにご紹介したいと思います。
早速、行ってみましょう!

※今まで何度か、ボクは蚕(カイコ)のお話を書きました。
お読みくださった、何人かの読者さまから、
「カイコの画像が見れなくて、読み飛ばしました」
と、コメントをいただきました。
ちょっとイモ虫みたいで、苦手な方が多いかと思います。😅
そこで今回は、カイコの画像・イラストを一切使用しません。
ですので、最後まで安心してお読みいただければ幸いです。
「カイコってどんな姿?」、というアナタもおられるかと思います。
お手数をおかけしますが、画像検索などで個別にご覧くださいませ。
モスラの白いのだとイメージしていただければ、
すぐにイメージしやすいかなと思います。
(山梨県 西八代郡)
遠い昔のことでございます。
この地を治めている殿様が、
戦争のために国を留守にしていました。
この殿様には、大変美しい
ひとり娘の姫がいました。
姫は、殿様のいない寂しさを
紛(まぎ)らわすために、
立派な牡馬(おすうま)を飼いました。
馬を飼っておく建物を、
厩(うまや)
といいます。
姫は、朝から厩に行きますと、
牡馬を連れて遊びに出かけて、
夕方になると帰って来る日々でした。
ある日、姫は気まぐれに牡馬へ向けて、
こんなことをいいました。
姫
「お前が父上を戦場から連れて来たら、
お前のお嫁さんになってあげる。うふふ。」
この時、牡馬の眼(まなこ)が異様に
興奮していたのを、
姫は気が付きませんでした・・・・
―― その夜のことです。
牡馬が厩を飛び出して、
暗闇の中へと消えて行きました・・・
姫は、牡馬がどこかに行ってしまったと
悲しみながら、3日が過ぎました・・・
あの牡馬が、殿様を背に乗せて帰って来ました。
聞けば戦場で殿様が危機一髪の時に、
この牡馬が飛び出してきて
殿さまを乗せて危うく難を逃れた、
という話を殿様がしました。
姫が喜び、牡馬をなでて褒めました。
殿様も、祝いに牡馬にご馳走をふるまいますが、
牡馬は、一切なにも食べません。
血走った眼で姫を見つめて、
厩で暴れるので、みな困り果てました。
姫はもしかして・・・と、
あの時、気まぐれにいった言葉を思い出しました。
「父上・母上、実は・・・」
と、姫は殿様たちに真実を告げましたが、
「草でもやって、ウソだといっておけ」と、
軽く流されたので、姫は厩に行き草をやりました・・・
姫
「や・・・やめないさい・・・離しなさい・・」
厩から姫が助けを求める声が聞こえたので、
殿様が、あわてて駆け付けますと・・・
牡馬が、姫の着物の裾(すそ)をくわえて、
厩の中に、引き釣りこもうとしていました。
これを見て、殿様は激怒して・・・
”グサッ!”
牡馬を怒りにまかせて、
槍で突き殺してしまいました。
さらに、その皮をはいで、
庭に干しておきました。
ビュウウウウウ~~~!!
7日目になりますと、
突然、嵐になりました。
姫
「きゃああああ~~~~!!」
外に干してあった牡馬の皮が、突如浮くと、
娘を包み込み、空高く舞い上がって、
どこかへと消えてしまいました・・・・
殿様は、姫の行方を捜(さが)しましたが、
見つかりませんでした。
一週間後に、桑の木が多く育っている場所で、
牡馬の皮が発見されましたが、
そこに姫の姿はなく・・・
一匹の小さい虫が、桑の葉を食べているだけでした。
殿様は、それを姫の身代わりだと思って、
持って帰って大切に飼いました。
小さい虫は、やがて白い虫となり、
繭(まゆ)を作り、糸が取れるようになりました。
これが、蚕(カイコ)です。
今も蚕の背には、
馬の脚跡(あしあと)が
ついているといいます。
おしまい。
なお、これと類似したお話で、
静岡県浜松市のお話では、
殿様が宝物を失くしたので
それを探し出して見つけたら、
姫を嫁にやろうと約束をします。
馬は、見事探し出すのですが、
殿様は約束を守りませんでした・・・
後の展開は同じ、
というお話もありました。
(福島県 双葉郡 )
「婆(ばあ)さまが、死んじまった・・・」
大雨の晩でした。
激しい風と雨の音に、
かき消されてしまいそうなくらい
小さな声で娘は泣きながら、
物いわぬ婆さまの前で、絞り出すような声でいいました。
爺さまは旅に出ていて、どこにいるのかわかりません。
娘は困り果てて、仲良しの飼っている馬がいる
厩(うまや)に行くと、馬に相談しました。
白くて立派な体格の牡馬です。
娘
「なあ、ユキ。
どうしたらいいんだろか。
爺さまが帰って来てくれたならなあ・・・
―― そうだ!ユキ!
お前がもし、爺さまを連れて帰って来たら、
私は、なんでもお前のいうことをきいてあげる。
お嫁さんにしたいなら、なってもいいんだよ。」
それを聞いた途端・・・
ユキは厩を飛び出して、
真っ暗な大雨の中を
どこかへ駆けて行ってしまいました。
娘
「ユキ~~~!どこ行くだ~~~!」
”トン トン”
次の日の夜中のことです・・・
嵐も止んで静かな夜でした。
戸を叩く音がするので、
娘は起きて開けますと・・・
娘
「爺さま~~~!!」
そこには、爺さまとユキがいました。
ユキは、旅に出ている爺さまを見つけ、
連れて帰って来てくれたのです。
婆さまの葬式が、無事に終わりました。
爺さまは、娘といる時のユキの様子がおかしいので、
娘に聞いてみることにしました・・・
爺さま
「なぁ~~に~~~!!
畜生の分際で生意気な!」
畜生(ちくしょう)とは、
もともとは仏教用語です。
人間以外の動物(4足動物)を、
「畜生道」に生きるものとして、
「畜生」と呼びました。
爺さまの怒りは大変なもので、
ユキをすぐに殺しました。
殺しただけでは飽き足らず、
ユキの白い皮をはぐと、
柵(さく)に干(ほ)しました。
娘
「ユキ~~~!!
ごめんなさい、ごめんなさ~~い。」
娘が泣きながら詫(わ)び続けると、
干してあった白い皮がふわりと浮き、
娘を優しく包むと、天に昇って消えてしまいました。
しばらくすると、白い皮だけが、
桑の木に引っかかってるのを
爺さまが見つけましたが、
娘を失った悲しみで、
そのままなにもできずに
何日も何日も経って行きました。
やがて、白い皮には、
ウジがわきました。
やがて、ウジが桑の葉を食べて、
蚕(カイコ)になったと伝えられています。
おしまい。
<原文紹介>
(福島県 双葉郡 )
爺が旅に出た留守に婆が死ぬ。
娘は困って爺を連れて帰ってくれたら
いうことをきくと馬に相談する。
爺はその話を聞いて馬を殺して皮をはぐ。
娘は日柵にはってある皮にあやまる。
すると馬の皮が娘を包んで天にのぼる。
その皮が桑の木に引っかかり蛆がわく。
それが桑の葉を食って蚕になる。
(引用元 関 敬吾(著)『日本昔話大成 第6巻 本格昔話5』 角川書店)
「蚕神と馬」145ページより)
(青森県 下北郡 )
爺さんと婆さんが、
馬を12匹飼って暮らしていました。
その中で、最も優れた馬が、
爺さんと婆さんの娘に恋をします。
娘以外の者からは、えさを食べなくなりました。
この馬と娘は、いつしか夫婦の約束をするまでの
仲になりました・・・
―― しかし、爺さんの怒りを買って、
馬は殺されて、皮をはがされてしまいます。
娘が泣きながら皮に近づくと、
皮はひとりでに宙に浮いて、
娘をそっと包み込むと、
天高く飛んで消えてしまいました。
爺さんと婆さんは、
娘がいなくなってしまって、
大変悲しみ、墓参りを欠かしませんでした。
命日に墓参りに行った時です。
白い虫が2匹、空から降りて来ました。
それが、カイコとなり、
繭(まゆ)を作ったそうです。
おしまい。
(岩手県 二戸郡 )※二戸郡 = にのへぐん
爺さんと婆さん、
そして、きれいな娘が住んでおりました。
娘は、飼っている馬と仲良くなり夫婦になりました。
爺さんは激怒して、馬を山に連れて行き、
桑の木に吊(つ)るすと殺しました。
追いかけてきた娘の目の前で、
爺さんは馬の皮をはぎました。
娘が泣いていると、
馬の皮は自然に動き出し、
娘を包むと、空に舞い上がって
遠くへと消えて行きました。
爺さんと婆さんは、
娘を失った悲しみから、
毎日泣いて過ごしました。
そんなある日の晩。
ふたりは、同じ夢を見ました。
失った娘が出て来る夢です。
夢の中で、娘はこういいました。
夢の中の娘
「3月16日の朝
土間の臼(うす)に
馬の形をした虫がいるので、
絹糸(きぬいと)を出すから
それで生活してください。」
そういうと娘は消え、
ふたりとも夢から覚めました。
3月16日の朝になりました。
娘のいった通り、
土間の臼に、馬の形の虫がいました。
爺さんと婆さんは、
娘にいわれた通り
この虫を育てました。
そして、繭から取れた糸を売って、
生活したということです。
この虫を、
蚕(とどこ)
と呼んでいます。
おしまい。
(岩手県 下閉伊郡 )※下閉伊郡(しもへいぐん)
長者の家には、
きれいな娘と栗毛の馬がいました。
ある日、馬が病気になりました。
娘は、馬と大の仲良しだったので、
たいそう悲しみました。
長者は、娘が悲しんでるのを見て、
優秀な馬医(ばい)を呼んで、
馬を診(み)てもらいました。
しかし、馬が良くならなかったので、
この地域で評判の物知りの家に連れて行くと、
「娘に恋をした病気」
だといわれました。
長者は怒って野原に連れて行くと、
馬を殺して、皮をはぎました。
長者と馬の帰りが遅いので、
娘が野原まで探しに来た時、
長者が馬の皮をはぎ終えたところでした。
変わり果てた馬の姿を前にして、
娘は大きな声をあげて泣きました。
すると・・・
どこからか大きな風がふいて、
馬の皮を舞い上げました。
皮は不思議なことに
長者の見ている前で娘を包むと、
空高く飛んで行ってしまいました。
遠くの空に向かって
長者が娘の名前を呼ぶも、
娘が帰ってくることは、ありませんでした。
その晩、長者は不思議な夢を見ました。
昼間に殺して、皮をはいだ
栗毛の馬でした。
馬は、人間の言葉で、
次のようにいいました。
栗毛の馬
「長者よ・・・
よくも私を殺してくれたな!
―― しかし、お前を恨みに思う気持ちはない。
今まで大切に育ててくれたのと、
なにより、私が恋した娘の父親だ。
私と娘は、天高く昇り、
お互いの魂は溶けて、ひとつになった。
娘に会いたくば、
私を殺して皮をはいだ野原に、
桑の木がある。
3月3日になったら、
そこに私の顔と同じ顔をした
小さい虫が、桑の葉を食べている。
それが、私と娘の魂が溶けあった姿だ。
むごい仕打ちをしたと後悔しているなら、
その小さい虫を、桑の葉で育てて欲しい。
きっと恩返しをするであろう・・・」
長者は、栗毛の馬にいわれた通りにしました。
小さい虫はやがて、繭(まゆ)を作り、
そこから美しい生糸が取れ、それはやがて絹糸になりました。
絹糸を売ると、長者の家は、
不思議なほど栄え続けたということです。
この地域の人々は、
この小さな馬に似た虫を、
蚕(とどこ)
と呼んで大切に育てているそうです。
おしまい。
(岩手県 遠野市 )
この地域に住む娘が、
厩(うまや)に行って
飼っている馬と寝ると、
ついに夫婦となりました。
父親がこれを知って激怒します。
馬を桑の木に連れて行き、
止めさせようとする娘を払いのけると、
木に吊るして殺してしまいました。
娘は、変わり果てた夫の首にすがりつきます。
娘
「あなた~~~!あなた~~~!」
このことが、余計に父親を逆上させました。
娘が馬の首にすがりついて泣いているので、
怒りにまかせて、その首を斬り落としてしまいました。
すると・・・
斬り落とされた馬の首は、
すがりつく娘ごと宙に浮くと、
天に昇って消えてしまいました。
これが、おしらさまであるという。
おわり。
(岩手県 遠野市 )②
―― むかし、ある娘が馬に嫁ぎました。
父親が怒って、馬を桑の木につないで殺しました。
娘は小舟に、その馬の皮を張ると、
桑の木で作った櫂(かい)を取って
海に出て、そのまま死んでしまいました。
櫂というのは、今でいう、
ボートをこぐオールのことです。
馬の皮を張った船と
櫂を握ったままの娘の亡き骸(なきがら)が、
海岸に打ち上げられました。
やがて、その亡き骸からは、
白い虫がわきでました。
これが、蚕と呼ばれ、
大切に飼われるようになりました。
おしまい。
今夜のお話は、
ここまでです。
ありがとうございました。
―― そろそろ、お時間のようです。
今夜も、アナタと日本の昔話を、
一緒に語れたことをうれしく思います。
また次回も、地方色豊かな日本昔話の世界へ、
アナタをお連れしましょう。
数日後の夜にお迎えに参ります。
―― その時まで、さようなら。ごきげんよう。

巻末コラム: 「おしらさまとは、なんなのか?」🤔
さて、本編をお読みいただいた後の巻末コラムですが、
今回は、「おしらさま」について少し書きたいと思います。
日本昔話大成 第2巻より、「蚕神と馬」と
題された項目から、今回は引用と参考にしていますが、
「おしらさま」と書かれていたのは、
岩手県の二戸郡と遠野市のみでした。
そして、遠野物語などで紹介されている
「おしらさま」の定番であります、
馬の首を斬り落として、娘がそれとともに・・・
という場面は、遠野市のみでした。
地域で見ますと、岩手県の遠野市以外は、
娘と牡馬の悲しいお話の後で、
北は青森から、南は鹿児島県 大島郡まで、
馬の皮が娘を包んで天に昇り、
その後に蚕(カイコ)となる展開は同じでした。
遠野物語の影響が強いのか、
ボクの中では、「おしらさま」というと、
とてもメジャーに感じていましたが・・・
どうも東北と関東の一部限定で、
わが群馬でも絹笠明神といわれて、
女性の姿で稲荷信仰と結びつくなど、
地方によって名前も含め変化するようです。
そこで、あらためておしらさまについて、
『オシラ神に関する二三の臆説』喜田貞吉(著) <青空文庫>
こちらから引用・参考にさせていただきながら、
自分の考えなども絡めて、書いていきたいと思います。
疑問:「おしらさまは、なぜ?おしらさまというのか。」
おしらさまの名前の由来についてですが、
はっきりと学術的にこれだというのは、
ありませんでした。
そこで、よくいわれている
3つの説をご紹介したいと思います。
● ① 「白(しら)」=“清らか・神聖”の意味
東北では「白」は神聖な色。
馬の顔を持つ神体が“白馬の神”と結びつき、
「白様(しらさま)」→「おしらさま」
になったという説。
(白馬は神の乗り物という信仰が東北に強い)
● ② 「知る(しる)」=“神託を告げる存在”
イタコがオシラサマを振って神託を降ろす儀式
「オシラアソバセ」がある。
“知らせる神” → “おしらさま”という語源説。
これに関連してですが、
おしらさまが、東北に広がった原因としまして、
このイタコ文化との結びつきが深いのではないかと、
ボクは思っています。
● ③ 桑の木人形「オシラガミ」からの転訛
おしらさまの神体は桑の木で作られ、
「オシラガミ」「オシラホトケ」とも呼ばれます。
これが転じて(訛って)「おしらさま」になったという説もあります。
細かくは書きませんが、
おしらさまは、東北のあちこちでいろいろな名前で呼ばれています。
岩手や青森では「オシラサマ」、
山形の庄内では「オクナイサマ」や「オコナイさま」、
最上・村山地方では「トドサマ」など。
呼び名や少しずつ違うお話はありますが、
どれも古い家の守り神で、根本は同じようなものだといわれています。

※「女性の神」と表にありますが、「女性と深く関わる神」の方が、
いいのではないかというものもありました。
あと、オクナイさまに関しては起源が他にもあるそうで、
「検地の竿の伝承など」とした方が、より安全な表現かもしれません。
ここからは、喜田貞吉先生が書いておられるのを
基(もと)にして、深く考えてみたいと思います。
「大黒天」という、七福神の神様をご存知かと思います。
ニコニコしていて、打ち出の小槌を持って、
大きな袋を担いで、米俵に乗っています。
「五穀豊穣」、「財福」の神様として親しまれています。
しかし、もとの姿をご存知でしょうか?
恐ろしい容貌で、武装した戦闘の神様でした。
武家では、武神として崇敬(すうけい)された時代もありました。
大黒天のように、神様というのは、
常に同一でなくて、時代とともに変わって行きました。
おしらさまに関しても同様です。
もとは、東北地方においては、
「宅神(たくしん)」と呼ばれる、
家を守る神、家の中を守る神です。
(※宅神は、古典などでは、
「やかつかみ」ともいいます。)
東北には、家の中の神=家霊(かれい)
の信仰がありました。
家霊 = 宅神
とお考えください。
おしらさまも、この宅神の一種です。
(※ =にしましたが、
書いた後にさらに調べましたら、
学術的には、完全なイコールともいえないそうです。
宅神 = 古い神道や陰陽道寄りの「家を守る神様」(祀って祈る)
家霊 = 家に宿る霊的存在(先祖霊・祖霊・家の守り霊)
(祟りや畏れの供養の対象)
正確だけど、難しい感じで書くとこうなりますが・・・
じゃあ、まったく別ものかというと、そうでもありません。
ボクも含め、読んでくださるアナタも
わけがわからないと思いますので、
ボクなりにですが、わかりやすさ重視で改良文を書きました。
(改良文)
東北には、古くから「家の中を守る神様」への信仰がありました。
それを「宅神(たくしん・やかつかみ)」と呼んだり、
「家霊(かれい)」といったりします。
呼び方は違いますが、どちらも
家に宿って家族を守ってくれる存在のことです。
おしらさまも、その「家を守る神様」の仲間のひとつです。
こちらのほうが、よりわかりやすいかなと思います。
学術的な正確さも大切ですが・・・
ボクはまず、読んでくださる方のわかりやすさを、
一番大事に考えたいと思います。)
おしらさまも、時代とともに変わりました。
初期のご神体は、木や竹の棒(30センチくらい)でした。
これに、顔を書かなかったり、簡単な男女の顔を書いたり、
もしくは彫ったりして、頭から布で作った衣を着せたり、
頭からすっぽり布をかぶせるなどの簡単なものでした。
ご神体とは、神様が宿ることで、
その物が、神様になる感じだと思ってください。
おしらさまの初期なら、木や竹の棒だね。
初期は、家の守り神や目の神様。
病を治す神様、一部では狩猟の神様。
そして火の神様と、まだ養蚕や馬の神様でありませんでした。
少し横道にそれますが、もっと北に行った北海道。
こちらでも、「宅神」の信仰があり、東北と同じように、
木や棒の神様に、顔を書いたり、彫ったりしています。
アイヌの人々の中に、
その信仰がありました。
「チセイコロカムイ」と呼ばれ、
おしらさまと似ています。
まだはっきりとしていませんが、
アイヌの起源だというひともいます。
逆に、東北から北海道へと伝わった可能性があるので、
どちらが起源とは、学術的にもはっきりとはしていませんが、
似たような信仰があるという、参考程度にご紹介しました。
そして、時代が流れて行きますと、
冒頭でご紹介しました、
「絹」とともに、『捜神記(そうじんき)』の中にあります、
「馬頭娘(ばとうじょう)」、「蚕馬(さんば)」の
お話が広まって来て、これと結びつきます。
養蚕ブーム、そして、特に東北においては、
「馬」の生産地だけじゃなく、
時代とともに、馬の重要性もまして、
養蚕の神様、農業の神様、馬の神様。
そして、子どもの神様、女の子・女性の神様として、
ご利益の拡張といいますか、信仰が拡大して行きました。
ご神体も変化して行きます。
顔も、馬と娘の顔が書かれたり彫られます。
外見も変わって行きます。
「オセンダク・オセンタク」と呼ばれて、
毎年、上から新しい布を重ねて、
何十枚とふくらませる習慣に変わって行きます。
簡単に、ここまでおしらさまについて
ご紹介しましたが・・・
ここで、お読みのアナタにお願いがあります。
声が出せるアナタは、
その場で・・・
「おしらさま」と10回、
声に出していってみてください。
―― どうぞ!
ご協力ありがとうございます。
何回かいってる内に、
「おしらさま」以外の言葉が、
恐らく出てしまったアナタもいるかと思います。
「おひなさま」
といってしまったアナタいるでしょ?🤣
ただ似ているので、いってしまっただけではない
としたら、どうでしょうか?
だいぶ長いので無理やりな展開ですが、
あと少しなのでお付き合いください。😅
そこで、最後の疑問を書いて終わりにしたいと思います。
ここまで長くて申し訳ないですが、
よろしかったら、あと少しお付き合いください。
疑問: 「おしらさまは、おひなさまなのか?」
まず、こちらをご覧ください。
「イラストAC様」でお借りしました。
イラストAC様と、クリエーター様に感謝して、
ご紹介します。素晴らしいイラストです。

おしらさま人形のイラストです。
さきほどもありましたが、
これに毎年、衣(布)を重ねていきます。
十二単みたいで、おひなさまみたいでしょ?
ちょうど、この記事を投稿するのが、
3月2日の夜なので、もう、女性や女の子のいる
ご家庭では、おひなさまを飾っている頃でしょうか。
明日の、3月3日(ひな祭り)に合わせたわけではないのですが、
偶然、重なりましたので、便乗していきたいと思います。😂
そういう説もあるんだなくらいで、気軽に読んでください。
大前提としてですが、ひな祭りの由来というのは、
ちゃんとあるわけです。
古来からある、「流しびな」(身代わりびな)。
人形(ひとかた)と呼ばれる紙や草に、
病気や災いを移して、川に流す厄払い。
そして、平安貴族の子女が、
人形(ひいな)でままごと遊びをしていた
「ひいな遊び」。
江戸時代に入りますと、
このふたつが合体します。
人形を川に流すのではなくて
家に飾ることで、
「身代わり」として子どもを守る
『ひな祭り』の風習が庶民に広まり、
現在まで続いています。
喜田貞吉先生は、こんなふうに考えました。
「おしらさま」の「おしら」は、
昔の言葉で「おひな」だったんじゃないか、と・・・
「ひ」と「し」の音が混ざりやすい東北の訛りで、
「おひなさま」が「おしらさま」になったのかもしれない、
こう、『オシラ神に関する二三の臆説』で書いておられます。
おしらさまも、おひなさまも、
小さな人形に祈りを託す文化から生まれた存在です。
おしらさまは家を守る神さまとして信仰され続けましたが、
おひなさまはだんだん宗教の色が薄れて、
女の子たちの楽しい遊び道具に変わっていった・・・
だから今、ひな祭りに飾られるおひなさまを見ると、
遠い昔の東北の家で、布を重ね着せられて静かに祀られていた
おしらさまの姿が、重なるような気がします。
どちらも、哀れで優しい、亡き娘のような面影を
宿しているのかもしれませんね。😢
でもですね、ただ、いいかたが似てるわけではありません。
本編でご紹介した、岩手県 下閉伊郡のお話には、
3月3日と、はっきり、ひな祭り(桃の節句)の日付がありました。
これは、ただの偶然なのでしょうか?
なにか、相通じるところがあるのかもしれませんね。🤔
喜田貞吉先生も書かれている通りで、
憶測のひとつですが、ご紹介したいと思います。
●<おしらさまの命日>(祭日)
おしらさまの正式な祭日は「命日」 と呼ばれています。
旧暦の1月・3月・9月の16日 の年3回。
(地域や家によって1回だけの場合もありますが、
広く伝わるのは、この3回です。)
この日は神棚からおしらさまを出して、
新しい布(オセンダク)を重ね着せしたり、
神饌(しんせん)と呼ばれる、神様のご馳走を供えます。
少女が背負って遊ばせたり(オシラアソバセ)、
イタコが祭文を唱えたりする大事な日とされています。
特に旧暦3月16日 が、「養蚕シーズンの始まり」に近いので、
蚕の神 として祈る意味が強いといわれています。
養蚕は旧暦3月頃(桑の葉が出始める時期)から本格的に始まります。
この命日が、養蚕の守護を祈るタイミング としてぴったりなんだよね。
●<ひな祭り(桃の節句)と旧暦の関係>
ひなまつりは、もともと旧暦の3月3日(上巳の節句)が桃の節句です。
新暦では、4月上旬くらい にあたる(桃の花が咲く時期)。
明治以降に新暦の3月3日になったけど、
桃が咲かないのは暦が変わったせいです。
「上巳(じょうし)の節句」とは、古代中国に由来してます。
3月最初の巳(み)の日を、上巳と呼びました。
この日は、水辺で身を清め、災いを祓う日といわれ、
日本でも、奈良・平安時代に伝わり”厄除けの日”とされています。
一部の地域(北海道・東北の一部など)では、
今でも旧暦の3月3日(新暦の4月3日頃)で
ひな祭りを祝うところがあるよ。
農作業の忙しさを避けたり、季節感を重視したりするのが理由です。
・<おしらさまとおひなさまの重なるところ>
まずは、家の中で祀られていて、
布をまとった人形状であることだよね。
それに、少しこじつけだけど、
おひなさまといえば、豪華な着物。
ほぼ絹で出来ているので、
おしらさまの絹と共通しているね。
あとは、箇条書きだけど、
いくつか挙げてみるね。
●日付は違うけど、同じ旧暦の3月
おしらさまの命日(3月16日)と、ひなまつり(3月3日)が、
旧暦3月 に両方入ってるので季節的に近い。
旧暦3月は春の訪れ・養蚕スタート・桃の花咲く時期 で、
女性や子どもの守護を祈るタイミングが重なります。
●どちらも”春の再生の儀式”
おしらさま → 春の養蚕の前に祀る
おひなさま → 春の厄を払い、生命の再生を願う
春は、命がよみがえる季節です。
家の神も、人形も、この日に“新しくなります”。
だから、命日と節句に重なりを感じます。
●養蚕と女の子の共通のテーマ
おしらさまは、養蚕の担い手ある女性が、
主に中心となって祀ります。
男性は絶対ダメじゃないですが、
男性が触れてはいけない
とされている地域もあるんだよ。
ひなまつりは、女の子や女性の成長を願い、
厄を払い落とします。
どちらも、子ども(特に女の子)と女性の
健やかな成長と病気や災いから守る神様。
いくつか挙げてみましたが、
どうでしょうか?
こんなにあると、
「完全に無関係」とは、
いえないのではと思います。
お読みのアナタは、どうお感じになられましたか?
もしかすると、
春の節句に飾られるおひなさまの奥に、
まだ誰も気づいていない
“もうひとつの物語”が、
静かに息づいているのかもしれませんね。🐯
さて、だいぶ熱くなってしまったので、
本編並みに、コラムが長くなってしまいました。😅
ちょうどね、先週は体調が悪かったものですから、
書き始めたら、ひな祭り前日に完成しそうなので、
「女性にもっと感謝しなさいよ!」という、
神様からのメッセージからもしれないので、
昔話と関係ないですが、ボクの昔話を通して、
「ひな祭り」にまたまた便乗したいと思います。😂
振り返ってみますと、
失意の底にいる日々の時は、
必ずステキな女性が助けてくれました。
男はダメです。
ボクに、ひどいこといったり
ひどいことしたりね。
ボクは、男が大嫌いです。😂
(※これを読んでくれてる男性のアナタは、
別なので、ご安心ください。😊)
そこへいくと、女性は優しくしてくれたなあ。
社会的には抹殺されたようなボクでも、
ひとりの男として、人間として、
人並みに扱ってくれたのは、
心優しき女性だったもんな。
だからボクは、女性が大好きです!( *´艸`)
ボクは大概、お付き合いしてる女性がいる時は、
仕事もお金もないような時期が多かったものですから、
彼女の誕生日だといってもお金がないので、
詩をいくつか書いてプレゼントしたら、
彼女が喜んでくれて、逆にプレゼントをもらったという、
まあ、ダメ男の典型のようなボクです。😂
その時の彼女は、こういって励ましてくれました。
「ねこま先生にしかできない仕事がきっとあるから・・・
今まで稼げなかった分、倍になって稼げる日が来るよ。
―― だから、ちゃんとじゃなくてもいいから、
とにかく生きて行こうね。生きるのやめちゃだめだよ。」
こんな風に励まされたのを、ふと思い出しました。
まあ、いろいろと失敗して生きているわけですが、
彼女のいった通りになれる日がもし来たら、
少し彼女への恩返しになるのかなと思います。
すべての女性たちに感謝して、
すべての女性たちの健康とご多幸を祈り、
「ひな祭り」をお祝いしたいと思います。
明日は、あいにくどこも雨や雪だそうです。
せっかく、女性のお祝いの日なのに、
お天気は残念ですが・・・
でも、明日が雨でも雪でも関係ありません!
女性のアナタは最高のヒロインですので、
明日一日、たくさん楽しんでくださいね。🌸
おうちでおひなさまを見ながら、甘いお菓子食べて、
ゆっくり自分を甘やかしてあげてくださいね。
あなたが笑顔でいるだけで、世界はちょっと明るくなるんですよ。🤭
ボクは、ひなあられが好きなんですが、
いくつか買ったので、ボリボリ食べてお祝いしたいと思います。😂
「ひな祭り」前夜ということで、
だいぶ、いろいろなものが混じって
長くなったしまいましたが、
巻末コラム、今回はこれにして終わります!
大長編にも関わらず、最後までお読みくださり、ありがとうございました!

―― いかがだったでしょうか?
アナタのお住まいの地方にしかない、
地方色豊かな昔話がありましたら、
ぜひ、記事にして教えてくださいね。
同じ昔話でも、地方が異なると、
その背後にある、地域の特色や文化、風習など、
そういったものの影響を受けて、
お話が変化していくのは、面白い現象ですね。
また機会がありましたら、
違う日本の昔話で
やってみたいなと思います。
それでは、最後までお読みいただき
ありがとうございました。
―― さようなら!🐯

※ この話は、『日本昔話大成 第2巻 本格昔話1(1978)』
角川書店 関 敬吾(著)
141ページから146ページ
「蚕神と馬」より
引用&参考にさせていただきました。感謝します。
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懐かしいやら、マニアックな内容やらですが、
もし、よろしければですが、サポートして頂けたら
大変、嬉しく感激です!
頂いたサポートは、あなた様にまた、楽しんで頂ける
記事を書くことで、お礼をしたいと思います。
よろしくお願いします。