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RETURN OF FAVOR




ある夏の日のことでございます。



炎天下の昼下がり、
庭を散歩していたところ・・・



置いてあるバケツに、
溜まった水面に、
一匹のカメムシが、
おぼれていました。




仰向けになって、
脚をバタバタさせながら、
必死でもがいていました。




最初は、そのまま通り過ぎようと思ったのですが、
必死で、もがく姿に放っておくこともできず、
人差し指をもがく脚に向けると、
わが指につかまり、救出することができました。



地面にそっとおろすと、
「もう落ちるんじゃないよ。」
といって、その場を立ち去りました。




―― その夜のことでございます。




”ピンポーン”と、
玄関のチャイムが鳴ります。



慌てて玄関に駆けつけて、
扉を開けましたところ・・・










夜の暗闇が、まるで晴れるような ――
とても若くて、かわいらしい女性が、
目の前に立っていたのでありました。



こんな夜中に
どうしたんですか?
家をお間違いじゃないですか。



・・・と聞きましたところ、
いえいえ、間違いではありません。




実は・・・




昼間助けていただいた
”カメムシ”です。




と、女性はいいました。
「ええ~~っ!」
っと、驚くとともに、
女性だったのかい?
と聞くと、恥ずかしそうにうなずきました。




まあ、そこではなんだから、
おあがりなさいといって、
茶の間にあげました。



きちんと彼女は
靴をそろえて、
お邪魔しますと、
最近の若いお嬢さんでも
なかなかできない
礼儀作法を心得ていました。



カメムシさんは、
お茶を飲むのかわかりませんが、
「まあどうぞ」とお茶を出して、
とにかく話を聞くことにしました。



話を聞きますと、
もう、あそこで私の命は、
尽きたものと諦めておりました。



でも、あなたが指を差し出して
くれたおかげで、
いのちを救われました。



家に帰って、
父親に話をしたところ、
何か恩返しをしなくちゃ、
お前、いけないよ。



というので、
父親と相談したところ ――



そういえば、あの中年男性は、
50近くにもなるのに、
嫁はおろか、ちゃんとした
仕事も持っていない
かわいそうな男性だと、
虫仲間から聞いたことがある。




―― そうだお前。
あの男性は、かわいい女性が
好きで好きでたまらない
と、
虫仲間のうわさだから、



人間のかわいい女性に変身させるから、
あの、かわいそうな中年男性のところに、
お嫁に行きなさい ――

きっと、泣いて喜ぶはずだよ。



そういう経緯で、
こうして目の前にいるという
ことなのでした。



それにしても、
カメムシの女性が、
こんな人間のかわいい女性に
なれるものなのかと、
感心したのであります。



まあ、とにかく、
生活もできるほどの稼ぎもない、
あるんだか、ないんだか
情けないくらいの仕事もどきなので、



とうてい、貴女を養っていけませんよ。
というと、食事のことは心配しないでください。
外で済ませられますし、
時々、果物や野菜を買ってもらえれば、
それだけで充分ですので。



まさか、50を目前にして、
カメムシの女性を、
お嫁さんに迎えるとは
思いもしませんでした。



でも、やはり女性にとって、
結婚は一生の大事
です。
いくらカメムシの女性とはいえ、
好きなカメムシの男性が
もしかしたら、いるのかもしれません。




そこで、人間の世界には、
「クーリングオフ」
といって、8日間以内なら
返品が可能だという制度
があります。




とりあえず、お互いに
8日間以内で双方が納得したら、
ボクのお嫁さんとして
正式に嫁いでください。
それまでは、仮嫁ということで ――



ボクも、なにしろカメムシの女性を
お嫁さんに、いや付き合うのすら
初めてのことでございます。



狭い家なので、
彼女の部屋を用意することは
できません。



ですので、まだ正式に結婚する
というわけでもないので、
彼女の貞操ていそうけが
わけにもいきません。



布団を並べて敷きますと、
貴女のために、寝ている間は、
トイレ以外では、
互いに自分の布団から
朝まで出ないように、
そう、いいきかせますと、
その日は、とりあえず寝ることにしました。




翌朝から、どこでどう覚えたのか、
朝食を作ってくれたりなど、
人間のお嫁さんと変わらない
かいがいしい献身ぶりでした。



人間の世界のことなど、
まったく知らないので、
いろいろと見て回りたいというので、
自動車の助手席に乗せて、
あちらこちらと、連れて行ったのでした。



なにしろ、人間の世界を見るのは初めてなので、
目にするもの、すべて喜んでくれたので、
なんだか、10年ぶりくらいの
ドライブデートのような気がして、
生きていく気力も最近なくなっていたボクに、
一筋の光明を与えてくれたのでした。












―― こうして一日、一日があっという間に過ぎ、
お嫁さんがいたら、こんなにしあわせな
毎日なんだなあと、また生きていく気力が
心の底から沸いてくるのでありました。




―― しかし、ボクの人生は、
どこかで書きましたが、



「焼きいものにおいしか
  かげない人生であります。」




しあわせのにおいだけかいで、
しあわせそのものには
決してたどり着くことのない人生です。




―― それは7日目の昼に起きました。




「きゃあああ~~~!」




と、昼食の支度を台所でしていた
彼女の大きな悲鳴がしました。
なにごとかと、駆けつけてみると、


古い家のせいなのか、
ゴキブリが出てきて
「こんにちは」と、
彼女に挨拶をしたようだ。



人間に化けているせいなのか、
虫としての本能なのか、
得体の知れぬゴキブリに、
彼女は恐怖を感じてしまったようだ。




ここにきて、急にボクは苦しくなった。
何かがおかしい・・・
部屋中・・・そして家中が・・・





”猛烈にクサイのだ!”





ボクは、意識を失いそうになるのをこらえて、
近場の窓という窓を開けると、
必死で外に脱出した。




”死ぬかと思った!”




九死に一生を得るとは、
良くいったもので、
異臭に気づくのがおそければ、
わが人生の幕は閉じていたのかもしれません。




あまりにも自然で、
すっかり大事なことを忘れていました。





”彼女が、カメムシだったということを!”





ご承知の通り、
カメムシは危険を察すると、
独特の強烈な臭いを発します。




―― カメムシ臭



ヒトは、この香りをそう呼びます。
人間に化けたところで、
この香りも、何倍にも強くなったのか、
確証はないけれど、そう推測するのが自然です。





悲劇、なんという悲劇か ――




せっかく、ボクのところに
お嫁に来てくれたというのに、
悲しいかな、彼女はカメムシだった。




これを悲劇と呼ばずして、
何を悲劇と呼ぼうか ――




嗚呼ああ



しあわせの青い鳥よ。
またしても、お前はボクのもとから去っていくのか ――




しばらく経って、家の中に入ると、
先ほどまでの香りもなくなり、
台所の彼女のところに行くと、
まるで、なにごともなかったかのように、
「遅かったじゃないですか?」
などと、日常の会話をしていました。





―― そうか!
彼女自身は、臭い香りを出しているのが
わからないんだ。



まるで、職場内で、
強烈な香りを放つ
柔軟剤の香りをふりまいている女性に
このことをいうべきか、
いわざるべきか、
それが問題だと ――
悩んだときのような状態におちいりました。




とりあえず死活問題なので、
彼女に伝えなくてはいけませんが、
カメムシといえど女性です。
ストレートに「臭い」などと、
とってもボクにはいえません。




お嫁さんにはいて欲しいけど、
その香りで、わが人生終わることになる。
究極の選択を迫られたわけですが、
約束した8日目は、明日です。
今なら、その制度に救われることができるので、
泣く泣く、その晩に彼女と話をすることにしました。




並べた布団の上に互いに座ると、
ボクの方から、
「大事な話がある」といって、
切り出しました。



貴女は、とっても魅力あるステキな女性だ。
この7日間、もう人生で諦めていた
お嫁さんがボクにもできて、
本当にしあわせでした。
夢のような毎日でありました。



でもね、貴女のしあわせを本当に考えたときに、
やっぱり、カメムシの女性として、
カメムシの男性と恋に落ちて、
やがて結婚して子供を産んで、




―― そして、カメムシとしての一生を
終えることが一番のしあわせだと思ったんだ。



キミは、とっても魅力的でステキな女性だ。
でも、天の理(ことわり)を無視してまで、
キミをお嫁さんに迎えることはできない ――



一生後悔するかもしれないけど、
キミのしあわせを考えたとき、
ボクは涙をのんで、そう決断したんだ。




―― 彼女は一晩中泣きました。




翌朝、彼女は赤くはれた目で、
かいがいしく朝食を作ってくれて、
昼食も彼女が作ってくれました。



彼女が食べられる果物を用意して、
一緒に最後の朝食と昼食を済ませました。
たくさんの会話とともに ――




魅力的なキミだけど、
一度も、キミの純潔を汚す行為はしてないから、
カメムシの女性として、なんら恥ずべきところはないからね。




暑い日中は避けて、
少し涼しくなった時間帯を選び、
彼女にそういって、
庭先でお別れをしました。



そういうと、何度も振り返りながら
最後まで人間の女性のままで
ボクのもとから去って行きました ――




「さようなら~~~!、さようなら~~~!」




彼女が見えなくなるまで、
大声で叫んで、大きく手を振り続けました。
一筋の涙とともに ――




―― やがて彼女が見えなくなると、
反転して家の方を向いて、
庭の中を歩き始めます。




危険を察すると、青りんごのように、
フレッシュな香りを発する
カメムシが世にいるという ――




もし、彼女がそうであったならなあ・・・





ボクは、昨日の夕立で溜まった、
なにも浮いていない
バケツの中の水面を、
悲しそうな顔をして
しばらく見つめると、
やがて、その場を立ち去った ――




あたりはすっかり
夕焼けに染められて、
遠くで、ひぐらしが鳴いていました。








「RETURN OF FAVOR(恩返し)」  E N D






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