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獣たちが語る戦争の記憶 Ⅳ                 「WE WON」           (オレの相棒×終戦81年特別企画)




―― 今から94年前


昭和7年(1932年)



世界各地で小さな導火線に火がつき始め、
やがてそれは大きな導火線に火をつけ、
この時代の誰もが経験したことのない
憎しみと奪い合いと殺戮(さつりく)の
連鎖が何年も続く、
2度目の世界大戦を迎えるなど
まだ誰も考えもつかなかった頃。




―― そう。私がこの物語を書き、
アナタがこの物語を読んでいる
令和8年(2026年)8月14日も、
どこか、この昭和7年(1932年)と同じで
世界各地で小さな導火線に火がついている。
やがて大きな導火線に火がつく
ほんの少し手前の時代を生きているのかもしれない。




物語の幕を開けたい ――



昭和7年(1932年)8月14日。
アメリカ合衆国・ロサンゼルス



Games of the X Olympiad



第10回オリンピック競技大会(1932年ロス五輪)
が行われていた。
よく晴れ渡った空の下、
連日、熱狂の渦に包まれたロス五輪も、
大会最終日を迎えていた。



閉会会場となる、メインスタジアムでは、
この日、10万5000人(11万人とする表記もあり)
もの観客が、最終競技を観戦しようと詰め掛けていた。



Grand Prix des Nations (グランプリ・デ・ナシオン)



このフランス語を日本語で訳すと・・・



大賞典障害飛越競技




馬術種目のなかでも屈指の難易度と美しさを誇り、
「オリンピックの華」と称され、
大会のフィナーレを飾る花形競技である。



「国別(団体)」と「個人」があり、
この勝者こそ、真のオリンピック勝者と称えられるほど、
勝者には敬意が払われた。



物語の冒頭で解説を入れ
流れが悪くなり申し訳ないが、
この競技について
簡単な解説を書いたので、
アナタに目を通していただいてから
物語を続けたいと思う。






大賞典障害飛越競技(Grand Prix des Nations)とは



昭和7年(1932年)当時のオリンピックにおいて、
馬術競技の中でも最も格式高い種目とされていた。
全日程の最終日、閉会式と同じメインスタジアムで開催されるのが恒例で、
「オリンピックの掉尾(とうび)を飾る競技」と呼ばれていた。



指定されたコース上に並んだ障害物(フェンスや壁、水濠など)を、
決められた順番と方向で馬と一緒に飛び越えていく競技。  
基本は『減点方式』。


障害を倒したり、
馬が止まって飛んでくれなかったり(拒止)、
時間をオーバーしたりすると点数が引かれる。  
減点が一番少ない騎手が優勝。
  



コース


  • 全長:約1,050〜1,060メートル

  • 障碍数:19(資料によっては「18障碍」とする記録もある)

  • 最大の高さ:1.6メートル

  • 特徴:柵だけでなく、幅5メートルの水濠なども含まれる難コース



ルール(当時)

  • 障碍を落とす、または拒否すると減点

  • 同じ障碍を3回拒否すると、その時点で失格

  • 減点の少なさで順位を決定

  • 完走できるだけでも快挙とされた



出場資格(当時)


  • 男性かつ、軍人または「紳士」に限定

  • 「紳士」とは、働かずとも生活できる資産を持つ、上流階級の男性のこと

  • 当時のオリンピックには「アマチュアリズム(お金のためでなく、情熱でスポーツをすべき)」という理念が強くあり、馬を所有・維持できる財力を持つ者しか、そもそも出場資格自体を得られなかった。




今と当時(1932年)の違い


※障碍=障害 (当時の資料での表記)

 当時に正確であれば障碍であるが
 現代では常用漢字外であるため、
 本編では、馴染みのある「障害」を用いる。



(さらに詳しく)


予備知識・ルール解説

【知っておきたい当時のルールと過酷さ】



大賞典障害飛越競技は、コース上に並んだフェンスや壁、
幅5メートルもの大きな水濠などの障害物を、
指定された順番通りに馬とともに飛び越えていく競技。



基本は「減点方式」で、障害物の落下や馬の拒絶(ストップ)、
制限時間のオーバーによって減点され、その合計の少なさを競う。
当時は同じ障害を3回拒否するとその時点で失格となる。
(※1回の失敗で失格にならないことが重要。)



【現代の障害飛越との違い】

●コースの性質

現代の競技(全長500〜600mほど)に比べ、
当時は約1,060mと倍近い長さがあり、
より「馬のパワーと過酷な耐久力」が求められるコース設計
であった。



● コースの難易度・規模


1932年のロス五輪は、
「brutal(過酷)」と言われるほど難易度が高かった。



高さ最大1.60m、水濠幅5m、全長1060m(1050m表記もあり)と長め。
現代の五輪・国際大会は最大高さ1.65m程度まで上がることもあるが、
全体としてより「技術的・精密」で、
コースは短め(500〜600m前後が多い)になり、
組み合わせ障害(ダブル・トリプル)や角度の変化などが重視される。
昔は「勇気とパワー」重視、今は「正確さと馬の慎重さ」も
強く求められる感じである。



●障害物の作り

現代は少し触れただけで落ちる軽量なバーが中心だが、
当時は固定された堅い壁など自然に近いものが多く使われてた。



●出場の規模


世界恐慌の影響や、ヨーロッパからアメリカ西海岸への馬の輸送が
極めて困難だった背景もあり、
当時の出場は僅か4カ国・11名にとどまった。





AIによる当時(1932年ロス五輪)のコース                         (※おおまかなイメージで正確ではない。障害は19、もしくは18あった。)






―― 解説はここまでにして、
物語を次に進めたい。



当時のルールにおける団体戦(国別)は、
団体戦と個人戦が別れているわけではなく、
同国の3名の選手が完走することで団体記録となる。



1名でもケガ、失格などで途中欠場をすると、
その時点で、チームの記録が消滅してしまう
という、
大変、厳しいルールであった。


日本は、吉田重友(騎兵少佐)が、
直前の練習で、愛馬ファレーズ号の
拒止(障害前での拒絶・立ち止まり)にあって、
落馬・負傷したため棄権した。

(※ 吉田重友は、渡米時「大尉」であったが、
  五輪期間中に、『少佐』に昇進している。)



このため、団体の成立要件(3名の完成)を満たせなくなり、
メダル獲得のチャンスを逃すという
痛恨のアクシデントに見舞われているため、
個人戦へ出場する2名に期待が集まっていた。




―― 午後2:30



先ほどまで行われていた陸上競技の興奮と熱気そのままに、
いよいよ競技は始まった。



大会史上最大の難易度を誇るコース。
大荒れの展開になるのを誰もが予想していた。



観客「おおおおおおお~~~!!」




大勢の観客の声援に背中を押されて
最初に競技に望んだのは、
メキシコのボカネグラ大尉であった。



観客「あああああ~~~(落胆の声)」



(場内アナウンス)


「Third Refusal, Eliminated!(3回目の拒止、失格!)」



2個の障害を落とし、
第8障害で拒止(障害前での拒絶・立ち止まり)。
失格となった。



続いて大歓声の中、
2番・地元アメリカのウォフォード中尉が挑んだ。



しかし、4個の障害を落とし、
第8障害においては人馬ともに転倒して・・・




(場内アナウンス)


「Third Refusal, Eliminated!(3回目の拒止、失格!)」



―― 第10障害



このコース最大の難所。
ユーカリの枝を積み重ね、その上に横木を置いた
高さ1.6メートルを誇る、
難攻不落のユーカリの砦(とりで)
は、
越えようとする人馬の気持ちを打ち砕く。



観客「ああああ・・・・」



地元アメリカのウォフォード中尉は、
ユーカリの砦を前に、3度の拒止をして失格。
地元選手の失格に、観客はひどく落胆した。



観客「パチパチパチパチ(拍手)」



スタジアムの一群から拍手が鳴り止まない。


各国の軍人たちが集う観客席の一角で、
日本帝国陸軍の軍人たちも、
他国に負けじと熱い声援を送っていた。


3番は、日本の今村安少佐とソンネボーイ号の登場だ。
日本から応援に来た観客や、地元の日系人コミュニティ
の観客も熱狂的なエールを送る。



―― 今村ならやってくれると大きな期待が寄せられた。




観客「がんばれ~~!!」




4つの障害を落としたが、
今村とソンネボーイ号は突き進む。
やがて、手綱を握る今村に
ソンネボーイ号の緊張が伝わってきた・・・





第10障害”ユーカリの砦”(イメージ)




(場内アナウンス)


「Third Refusal, Eliminated!(3回目の拒止、失格!)」



期待に反して、今村たちは目前にそびえ立つ
「ユーカリの砦」を越えることが出来なかっただけでなく、
今村は落馬までして失格となった。



今村たちを応援していた歓声はため息へと変わり、
日本の金メダル獲得への夢は、
最後のひとりと一頭に託されたのであった。



観客「おおおおおおお~~~!!」



日本の応援団たちが落胆している間に、
4番手の選手が競技を終えて、
大勢の観客から拍手喝采を浴びていた。



スウェーデンのフォン・ローゼン中尉が、
4個の障害を落としながらも
なんと、初めて全コースを走破したのだ!



減点16でゴール。
現時点で、最も金メダルに近い存在となった。



(場内アナウンス)


「Third Refusal, Eliminated!(3回目の拒止、失格!)」



5番、メキシコのメジャ少佐は、
第 2 障害で 3 回拒止して失格となった。



客「おおおおおおお~~~!!よくやった!」



会場内にひときわ歓声が鳴り響く。
6番、地元アメリカのブラッドフォード大尉
6個の障害を落下させ、24点の減点になるも、
2人目の全コース走破
に名を連(つら)ねた。


7番は、日本の吉田少佐であったが、
練習中に負傷したため棄権。



観客「ああああ~~~」



観客のひときわ落胆する
ため息混じりの声が場内を包む。



(場内アナウンス)


「Third Refusal, Eliminated!(3回目の拒止、失格!)」



金メダルに最も近い男と有力視されていた、
8番、スウェーデンのフランケー中尉も、
第10障害で涙をのんだひとりとなった。



なお、失格者続出のため、
この時点で団体戦(優勝国)が不成立となり、
個人戦の優勝者を争うだけとなる。



続けて9番、メキシコのオルチッツ大尉も
落下や拒止により失格した。



観客

「おおおお~~!!頼むぞー!!」



10番、アメリカ選手団の大本命が登場した。
アメリカの監督も務め、美しい葦毛の牝馬
ショーガールに騎乗して、
チェンバレン少佐が、威風堂々入場してくる。
優勝は彼だと、会場のほとんどが確信していた。



観客「パチパチパチパチ(拍手)」



ひとつ障害をクリアするごとに、
観客席からは、万雷(ばんらい)の拍手と、
惜しみない歓声が送られた。


第 5 障害落下、第 6 と第 13 障害で
水濠(すいごう)に肢を踏み入れ、
12 点の減点でゴールした。


(※水濠 = 水が張られた障害物・水たまり)



残る選手は、日本とスウェーデンの2名のみ。
この時点で、チェンバレン少佐が、
金メダルに最も近い男だと誰もが思っていた。



次は、いよいよ日本最後の選手の入場だ。
審判台上席で、祈るようにその登場を
身を乗り出して観ているひとりの日本人がいた。



「馬術の神様」といわれ
今回、ロス五輪の馬術選手団総監督でもある、



遊佐幸平大 佐だ。



オリンピック史上初の日本人審判員に選出されたので、
この席から、日本の金メダル獲得の悲願を
これから入場してくる選手に託している。






―― 11番目の選手の入場を告げる場内アナウンスが響き渡る



(場内アナウンス)


"Number 11. Lieutenant Nishi, Japan, riding Uranus."
(11番、日本、西 竹一中尉。ウラヌス号騎乗)



観客「パチパチパチパチ(拍手)





西 竹一中尉とウラヌス号




一般的な馬の体高(肩までの高さ)は、
160〜165センチメートル前後と言われている。



ウラヌス号の体高は、なんと181センチメートル。
稀(まれ)に見る巨躯(きょく)に、
場内の観客はどよめいた。

(※巨躯とは、並外れて大きな身体のこと)



フランス生まれのセン馬(去勢された馬)。
フランス北西部・ノルマンディー地方で
重種馬のノルマン種に軽種馬のサラブレッドやアラブ種を
掛け合わせて開発された混血種・中間種の
アングロ=ノルマン種栃栗毛だ。



アングロ=ノルマン種の平均体高は、
155センチメートルから160センチメートル。
180センチメートル台といえば、
ばんえい競馬で知られる
ペルシュロン種などの大型の種類しかいないことから、
ウラヌス号が、かなりの規格外であることがわかる。



ウラヌスの名前の由来だが、
ウラヌスの額に星のような模様があることから、
天王星の英語名(およびラテン語名)から付けられたものだ。




天王星の英語名(およびラテン語名)である
「Uranus(ウラヌス)」 は、
ギリシャ神話に登場する天空の神
「ウーラノス(Ouranos)」に由来している。



規格外のウラヌス号に騎乗する男も規格外だ ――



観客「キャー~~~!!バロン・ニシー!」



先ほどからいたるところで現地の女性から、
こういった黄色い声援が飛んでいる。
西竹一は、ロサンゼルスの女性たちにモテ、
ハリウッドの女優たちから熱烈な誘いが
連日止まなかったと伝えられている。



「オレはもてているよ。アバヨ」



西は妻の武子に、ロスからこんなハガキを送っていた。
ロスから妻に送ったハガキは、これ1枚だけであった。



女性ばかりではない、男性からも人気があった。
「ミスター・アメリカ」「ハリウッドのキング」といわれた、
大スター、ダグラス・フェアバンクスと意気投合し大親友となる。
「アメリカの恋人」といわれた、その妻、
大人気女優・メアリー・ピックフォードとも同じであった。
西竹一は、ハリウッドの大物夫婦と深い友情の絆で結ばれていたのだ。



1919年、ダグ夫妻は親交のある
喜劇王 チャールズ・チャップリン、
D・W・グリフィスとともに、
ユナイテッド・アーティスツを設立している。



ダグ夫妻を通して西竹一は、チャップリンをはじめ、
ハリウッド関係者たちとも親交があった。



そういった関係もあって、
ここロサンゼルスは、
西竹一に声援を送る人たちが多いのだ。



男爵(だんしゃく)を意味するバロン(Baron)。
「バロン西」と呼ばれていたが、
これは単なる異名ではない。
西は、正真正銘の男爵(貴族)であった。



大富豪なので、金の使い方も規格外だ。
遊びも豪快、ロスに来てすぐに、
アメリカでも当時珍しかった
ラジオ付きの12気筒のパッカード・コンバーチブル
のスポーツカーを購入した。
その車体を金色に塗って連日パーティーに繰り出した。



身長175センチメートルという、
当時の日本人男性にしては長身であり、
顔立ちもハンサムな伊達男。
そのうえ英語も流暢に話すので
西洋人の女性からモテた。



日本人らしからぬスケールの大きさは、
どこに行っても好まれ、すぐに溶け込んで男女問わず親しまれた。
ロサンゼルスでの彼の人気も自然に高くなっていった。



今日も、乗馬用の長靴(ブーツ)は、
エルメス製のオーダーメイドの特注品。

軍服もヨーロッパの高級店で仕立てた物だ。
エルメスの原点は高級馬具工房である。
ブーツだけでなく、
ムチや鞍(くら)・手綱(たづな)といった、
馬具一式もエルメス製であった。



(※ 当時、日本陸軍は、軍服を自費で仕立てることが認められていた。
  馬具は、イギリス製の特製品なども使っていた。)




馬も規格外だが、
その馬上で操る男も規格外。
スケールの違う人馬一体が、
日本が未だ成し遂げていない
馬術での金メダル獲得に今、挑もうとしていた。



―― こんな大舞台でも、
この人馬はいつものように会話を始めた。






西 竹一

「ウラよ、とうとう来ちまったな。
 お前さん、緊張して震えてるんじゃねえのか?」



ウラヌスが、歩みを止めぬまま言葉を返す。



ウラヌス

「少しだけな。こんなに人間がいるなんて
 思ってもみなかったぜ。

 
 それよりタケ、お前のほうこそどうなんだ?
 こっちに来てから練習は午前中だけ、
 午後はいつもパーティーだったんじゃねえか。」



西は、口元に笑みを浮かべると、
ウラヌス号の首筋をなでながら言った。



西竹一


「バカだなー、
 練習でケガでもしてみろ。
 吉田少佐、入院してるんだぜ。

 
 
 それよりよ、お前さんとの約束。
 ちゃんと果たしたぜ。
 
 
 
 世界中の連中に、
 ウラヌス、お前さんを見せてやるって。」



ウラヌスは、歩みを少し遅くして、
首をあげると、視線だけやや後ろに持っていく。



ウラヌス

「ああ、覚えてるさタケ。
 ありがとな。
 
 
 人間から”暴れ馬”だなんて言われ、
 気性の荒いオレを、誰も理解しようとはしなかった。
 

 
 ―― タケ、お前だけがオレをわかってくれた。

 
 
 でもよぉタケ、世界中の連中が集まってるって、
 華やかで眩(まぶ)しいな。」

 


西は、広いスタジアムを見渡しながら言った。



西竹一

「暴れなんとかなんてのはよ、
 そいつを理解してないヤツが
 勝手にレッテル張り付けただけで、
 そいつを理解してやれるヤツさえいれば、
 暴れる必要なんてなくなるんだよ。


 人間だの、動物だのなんて関係ない。
 相手が人でも動物でも、
 相手を心底理解してやれれば
 そんな違いは小さいんだぜ。」



ウラヌス号は、少し瞳を閉じながら歩く



ウラヌス

「オレにはタケ、お前がいてくれてよかったぜ。
 
 
 ―― ホント、ありがとな。」



西の眼光が鋭くなり、
コースを見渡している。



西竹一

「―― それよりよ、歩きながら見えるか、
 あの第10障害、ユーカリのバケモン。
 あそこで多くが止まっちまうらしいぞ。

 
 
 馬にしかわからねえ何か不気味なモノがあるぞ。
 ウラ、充分用心していけよ。」

  


ウラヌス号は、歩きながらうなずく。


西竹一

「優勝したらよ、
 ウラ、お前んとこにも
 美人のメス馬がひっきりなしにくるぜ。」

 


ウラヌス

「セン馬のオレに言うかね。
 タケ、どうせこれが終わったら、
 またパーティーに行くんだろ。
 優勝する、しない関係なく。」



馬上の西竹一は、
特注の帽子をさわりながら言った。



西竹一

「ああ、ダグとメアリーが
 パーティー開いてくれるそうだ。

 
 優勝パーティにしないと
 盛り上がらないだろ?

 
 ウラ、お前さんの力で
 優勝パーティーにしてくれるの信じてるぜ。

 

 ―― さあ!行くぜ!ウラ!」

 



ウラヌス号は、
あきれた表情をすると、
駈け出し競技場を1周する。



―― スタートを告げる旗が今、振り下ろされた。







―― ウラヌス号には、ひとつだけ欠点があった。
障害を飛び越える馬は、
普通、前足を折るのだが、
ウラヌスの場合は、前足を伸ばしたまま飛越する。



たとえば、横木障害(横棒の障害)の場合、
足が引っかかり、横木(横棒)を倒してしまったり、
人馬もろとも転倒してしまう可能性がある。



当然、騎乗する人間としては、
馬を矯正(きょうせい)するのだが、
西の場合は違った ――



西は、このリスクを承知で
ウラヌスの個性として受け入れ、
矯正をすることはしなかった。



人馬とも、並外れた覚悟が求められる飛越であった。
ウラヌスが前足を伸ばしたまま飛越する姿は、
彼がのびのびと個性を発揮して、
一番彼らしくある時なのだ。






―― 競技はすでに始まっている。



第1障害は乱れなく、
歩幅のリズムを崩すことなく飛越した。


観客「パチパチパチパチ(拍手)」



続けて第2障害から第5障害まで、
ウラヌス号は力強い飛越で問題なくクリアした。



バシャッ!!



水しぶきが飛んだ。



第6障害、幅 5 メートルの水濠(すいごう)で
後ろ足を水中に落とすも、
ウラヌスは乱れることなく、そのまま突き進み、
次々と障害を問題なくこなしていく。



1つ障害をウラヌス号が飛越するたびに、
スタジアム中から万雷の拍手が送られた。
巨体のウラヌスには、観ている人々に、
「この馬ならやってくれる!」という
安心感を与えてくれるのだ。




第8障害は、難所「バンケット」だ。



土や木を固めて盛っただけのものもあるが、
今回は、木で四角い枠をつくり、
その中に土を盛った段差のある人工の丘だ。




バンケットは飛び越えるのが目的ではない。
この台に乗って、歩いて(通って)、
また降りるといった
一連の動作が求められる。

簡単に言えば、乗って歩いて降りるだけだが、
決して簡単ではなく、観ている以上に難しいものだ。




観客「パチパチパチパチ(拍手)」



第8障害、バンケットを力強い踏み込みで通過すると、
続けて第9障害もなんなくクリア。



”ダッダッダッダッ・・・”



ウラヌス号は、今駆けている。
いよいよ、目前には、第10障害が見えて来た。



―― ユーカリの砦だ!




観客席に静寂が訪れている。
最大の難所が西とウラヌス号を待ち構えていた。




ズズズズ・・・・・




観客「ああああああ~~」




スタジアム中から、ため息にもにた声があふれている。
まるで滑り込むように、ウラヌス号は、
ユーカリの砦直前で滑り込むように自分を止めてしまった・・・



ウラヌス号は少し左にそれて止まったままでいる。



―― ウラヌスもやっぱりダメだったか。
スタジアム中の多くがこう心の中で思っていた。




ウラヌス

「なんなんだ!あのバケモンは!
 ・・・近くに迫れば迫るほど、
 得体の知れない恐怖感が、
 オレの足を止めてしまう・・・


 ―― 無理だ。

 
 あんなバケモン・・・」



”ググッ!!”

 


馬上の西が手綱を引いて反転させる。
手綱を緩(ゆる)めると、
跨(また)いでいる両脚をそっと締める。



―― 行けの合図だ。



ユーカリの砦に背を向け歩きだすウラヌス。
しかし、彼の心は動揺したままだった。




西竹一

「見た目は確かにバケモンだけどよ。
 ウラ、いつものお前さんなら大丈夫だ。
 お前さんらしく飛んでみればイケるぜ。」

 


言い終わると、
西は優しくウラヌス号の首筋をなでた。



客席がざわめいている。
もう一度、彼らが挑戦するからだ。



ウラヌス

「正直、お前にそう言われても、
 飛べる気はしないけどな。


 でも、タケがもう一度飛べというなら、
 やるだけやってみるけど・・・



 ―― 期待はすんなよな。」



西とウラヌス号は、
距離を取ると、
再び、正面のユーカリの砦と対峙(対峙)した。



西は、雲ひとつない晴天の空を見上げている。



西竹一

「日本の空も悪くはないが、
 ロスの空の方が広くて、
 なんとなくオレとウラには合ってるな。



 ―― 信じてるぜ、オレの相棒 」

 



ウラヌス号は、うれしそうな顔をして応えた。



ウラヌス

「信じられても、飛べないもんは飛べないぜ。クスッ」



西が再び両脚で合図を送る




―― 行け!



西竹一

「―― 歴史に名を刻みにいくぜ、ウラ!」



ウラヌス


「―― タケ!しっかりつかまっとけよ!」



 


ダッダッダッダッ!!



 
 

最初の時よりもウラヌスは
力強く駆けて行く。
ユーカリの砦がどんどん近づいてくる。



障害を飛び越えるのに、
騎乗している人間から
馬への明確な指示はない。



お互いにその瞬間を感じ取るのだ。
ユーカリの砦がすぐ目の前に再び現れた時、
ウラヌスは西の合図を感じ取った。




―― 飛べ!








(第10障害を飛ぶ、 西竹一 と ウラヌス号【本物】)                      <パブリックドメイン・ウィキペディアコモンズより>






観客「おおおおおおお~~~!!」





ウラヌスは、前足を伸ばしたまま思い切り飛んだ!
結果、無事成功となり最大の難所を切り抜けた。

スタジアム中からは、万雷の拍手が鳴り止まなかった。



あとは、残りの障害をすべて問題なく飛越してゴール!
観客は総立ちで彼らを迎え、万雷の拍手が沸き起こった。



減点8で、西竹一とウラヌス号は、
見事1位に躍(おど)り出た。




最後12番、スウェーデンのハルベルグ大尉は、
障害を落としたうえに拒止、さらにタイムオーバーで、
減点50点となり、ここで熱い戦いの幕は閉じた。



参加11選手中、完走したのは、
わずか5選手であった。



厳正な審査の末、結果が発表された。





(場内アナウンス)


"Ladies and gentlemen, the result of the Grand Prix des Nations. First place, Japan, Lieutenant Nishi, riding Uranus. Total penalties, eight."


(皆様、大賞典障害飛越競技の結果をお知らせします。
  第1位、日本、西中尉。ウラヌス号騎乗。減点、合計8 )




観客「おおおおおおお~~~!!」




西竹一とウラヌス号が、見事優勝した。
スタジアム中が万雷の拍手と歓声で鳴り止まない。



「バンザイ!」「バンザイ!」と、
スタジアムの一角から絶叫が聞こえたという。



―― そして熱狂の中、表彰式を迎えた。




(場内アナウンス)

"First place, First Lieutenant Baron Takeichi Nishi, JAPAN!"
(第1位、日本! バロン・タケイチ・ニシ中尉!)



馬術は表彰台はなく、馬に騎乗したまま行われる。
西竹一は、ウラヌス号にまたがって、
2位のチェンバレン少佐、3位のローゼン中尉を従えて登場した。



西竹一は金メダルを授与された。
馬上の西竹一を、ウラヌス号が誰よりも誇らしく思い、
西もウラヌス号を誰よりも誇らしく思った。




日本は馬術競技において現在まで、
西竹一以降、金メダルの獲得はない ――



2024年パリ五輪で、初老ジャパンが総合馬術(団体)で
銅メダルを獲得するまで、
日本は実に92年間、
馬術でメダルから遠ざかっていた。



その長い空白を思えば、
1932年に西竹一が手にした金メダルが、
どれほど唯一無二の記録だったかがわかると思う。



夕焼けに染まるロサンゼルスの大空のもと、
風になびいた大日章旗がメインポールに上がった。
観客が総起立するなかで、500人の大バンドが奏でる
「君が代」がメインスタジアムに響き渡った。



西竹一に新聞記者たちが詰め寄った時、
流暢な英語を話す西は、一言だけこういった。



「We WON!」(我々は勝った!)




「We = 私たち」という意味だ。
西が言ったのは、当然のことながら、
自分とウラヌスとのことである。


しかし、日本の記者たちは、
「我々、日本が勝った!日本人が勝った!」と報じた。



五輪は今も昔も、国威高揚の場という側面を持つ。
当時の時代背景を考えると、これ以上ない恰好の
宣伝材料であったのだったのだろう。



しかし海外においては、「We」の指す「私たち」とは
西とウラヌスのことだと正しく伝えられ、
人馬一体の絆に惜しみない称賛が贈られたのだった。



「バロン・ニシ」の名は、瞬(またた)く間に
世界中を駆け巡って、一躍、スーパースターになった。



なかでも、ロサンゼルス市長は
とても西のことを気に入り、
名誉市民の称号を贈った。
さらに、ロス郊外に新しく建設する起工式に招待され、
競馬会長から、終身名誉会長の推薦状と感謝状まで贈られ、
熱烈な歓迎を受けたのであった。



―― 大金を出してウラヌス号を買いたいと、
当然のことながら、あちこちから誘いが来たが、
西はそのすべてを断ったといわれている。



ただし、西はパーティや祝賀会の誘いは断ることなく、
ハリウッド女優を引き連れて、連日パーティーに出席した。






―― 8月14日夜



馬房の灯りもすっかり消えて、
夜空の星が一段と輝きを増す時間になっていた。



―― 西竹一は、まだ馬房に来ない。



ウラヌス

「タケのやつ。
 パーティーを早めに切り上げて、
 ウラに逢いに行くから起きてろよ!
 

 
 ―― なんて出来もしない約束しやがって。
 疲れてさっきまで眠ってしまったが、
 やっぱり、アイツが来ることはないな。

 
 
 今日くらいは、うるさいことを
 言わずにいておいてやるか。


 金ピカのメダルがどうだなんて
 オレにはわからないけどよ、
 お前と優勝出来たのが、
 何よりも・・・何よりもうれしいぜ!タケ!


 
 ―― 思い出すなあ!
 初めてタケにあった時のことを。」

 


 

ウラヌス号は、
ロスの夜空に輝く星々を眺めながら、
西竹一と初めて逢った日のことを思い出していた。








つづく・・・                                      (※西竹一とウラヌス号【本物】)                            <パブリックドメイン・ウィキペディアコモンズより>




(おことわり)

※ 作中において、第10障害を「ユーカリの砦」と表現していますが、
 これは作者による創作です。
 実際に当時そのように呼ばれていたものではありません。

 
 また、当然のことながら、西竹一とウラヌス号による
 会話も作者による創作です。


 
 本作は史実をもとにした物語として構成していますが、
 物語上の演出・表現を含んでおりますので、
 その点をご了承いただければ幸いです。





こちらが実際の競技映像です。
公式の映像ではなく、著作権的にグレーゾーンなので、
埋め込めませんので、あちらに行ってみてください。
時間は短いですが、動いているウラヌスの映像。
ユーカリの砦の直前で止まる映像などあります。
ぜひ、ご覧になってください!



「実際の競技映像(1932 ロス五輪 西竹一とウラヌス号)」
 (※上の文字をクリックしてください。)







参考書籍&参考サイト様に感謝します。
















バロン西(西 竹一)とウラヌス号物語・PDF




















ねこま通信  2026年8月14日号




こんばんは!
ねこま先生です。


長めの作品となりましたが、
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。



お盆休みを過ごされてるアナタが多いかと思います。
雨が多かったり、台風が来てたり、
大きな地震があった後だったりしてますので、
ボクのところもたくさん雨が降りましたが、
アナタのお住まいのところは大丈夫でしょうか?



さて、現地時間なので、
厳密に言うと違うのかと思いますが、
94年前の今日、
8月14日に、ロス五輪の馬術競技で
バロン西こと西竹一中尉が、
愛馬ウラヌス号とともに、
金メダルを獲得した日です。



ちょうど、今日は整体もお盆休みだったので、
なんとか、この日に公開できるように
頑張ってきましたので、
一日、気合入れて総仕上げをしておりました。
なんとかね、間に合ってよかったです。



ボクが高校生くらいの頃かな、
調べたら、1994年36・37合併号(1994年8月頃発売)の
『週刊少年ジャンプ』でですね、


『風と踊れ!〜時代を疾走ぬけた男・バロン西〜』

              (原作 二橋進吾・作画 樹崎聖)



という漫画がありまして、これが良かったのと、
その前に、1990年8月19日放送の
『知ってるつもり』というTV番組でも
バロン西を取り上げていまして、
この人いいなあ、豪快でカッコイイなと思っていました。



映画『硫黄島からの手紙』でも出て来たので、
ご存知のアナタも多いのかなと思います。



noteを始めてから、
バロン西のことを書いてみたいなと
密かに思っていました。
世界中の誰にも描けない
ねこま先生版バロン西が、
書けたのではないのかなと思います。



次回か、もしかするともう1回くらいで、
終わりにしようと思いますので、
よろしければお付き合いくださると幸いです。



本編が長かったので、
ここまでにしたいと思います。


少し涼しかったのですが、
また暑くなると思いますので、
お身体に気を付けてお過ごしください。



それでは、ねこま通信までお読みくださり、
本当にありがとうございました。



たぶん、この続きをすると思いますが、
また次の作品でお逢いしましょう!



―― お元気で!さようなら!





※ 本作で記念すべき150回目の投稿となりました。



 
  大変長い作品もあったり、
  絶望して暗い気持ちのまま書いたり、
  ちょっぴりいやらしい気持ちで書いたり、
  女性になって書いてみたりなど、
 まあ、いろいろなものを書いて来ました。


 何にもない人生でしたが、
 最後にこうして、自分の中にたまって来たもの。
 誰にも今まで話してきてこなかった悩み、苦しみ・・・
 思いつくままに書いて、それをお逢いしたこともない
 アナタに読んでいただけたり、
 さらには、お金を出してまで読んでいただけたアナタまでいて、
 人生の最後に人の温かさを知れてよかったです。感謝。
 
 
 

 何しろ、日常がアナタのようにないものですから、
 書いてる間だけ、ボクは生きてるなと感じています。
 ひとつひとつが、自分の遺書だと思って書いていますので、
 中には読んでいて暗くなってしまうものもありますが、
 もしよかったら、これからもお読みくださると幸いです。


 
 飽きっぽいので、こんなに続けているとは思いませんでした。
 まだもう少しは書いていると思いますので、
 楽しみにしていてくださるアナタがいるといいなと思います。


 
 あらためて、今までボクの作品を読んでくれたり、
 コメントをくださったすべてのアナタに感謝します。



 
 
 ―― ありがとう!!🐯 





E・N・D








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