80億人が、80億人のために生きる世界の話。
人は本質的に、誰かの役に立ちたい生き物なのだと思う。 それはあらゆる人間に共通していること。
ただ、それに「気づいているか、いないか」の違いがあるだけではないだろうか。
氷河期を生き残った「思いやり」という武器
人とは、群れを成す生き物だ。 本質的に群れなければ生きられない。すなわち、人と関わらなければ「死」を意味する。
「自分は一人だ」と思い込んでいる人でさえ、社会の中で生きている。 大自然に帰って生活している人でさえ、誰かが作った道具を使い、誰かが繋いできた知恵を借りている。
完全に人と関わらず、自分一人の力だけで完結して生きている人なんて、この世に一人もいない。
直接的にも、間接的にも、僕たちは誰かと関わることでしか生きられない。 それは、ホモサピエンスという種の「宿命」だ。
僕たちの祖先であるホモサピエンスが、過酷な氷河期を生き延びた最大の理由。 それは、個体の知能の高さではなく**「思いやり」**だったという。
個体としては賢くても、協力し合えなかった他の人類は滅びていった。 一方で、一人ひとりは決して万能ではないけれど、団結し、知恵を出し合った僕たちの祖先は生き残った。
だから、思いやりを持って団結することは、僕たちの捨て去ることのできない本質だ。 数千年の時を経ても変わらない、唯一の真理なのだと思う。
「利己」の限界と、言葉にできない苦しみ
老子の『道徳経』を見ても、仏陀の教えを見ても、結局のところ「人間は手を取り合うのが自然である」と説いている。
その自然に反する生き方をすると、どこかで歯車が狂い出す。 どれだけ抗おうとしても、この「本質」から逃れることはできない。
人は、人を幸せにすることでしか、自分も幸せになれない。
これが、実際のところなのだ。
「幸せを掴んだはずなのに、なぜか苦しい」 そんな人を、僕はたくさん見てきた。 何もかも手に入れたはずなのに、なぜか不幸の影が消えない。
もし、自分や大切な家族の身に何かが起きて苦しんでいるのなら、一度自分に問いかけてみてほしい。
「自分は、本気で人のために生きてきただろうか?」 「ホモサピエンスの本質から、乖離した生き方をしていなかっただろうか?」
きっと、心当たりがあるはずだ。 中途半端に知恵がつくと、僕たちはこの「シンプルな自然の摂理」を忘れてしまいがちになる。
100人が、100人のために生きる世界へ
アインシュタインのような飛び抜けた天才は、宇宙の本質を「愛」だと結論づけた。 けれど、中途半端に知識がある人は、自分が「欠けた存在」であることを忘れ、傲慢になってしまう。
僕たちは、一人ひとりが「バカ」でいいのだ。 みんなで助け合って、補い合って、ようやく生き残れる不完全な存在なのだから。
誰かがヒーローになる必要はない。 誰かが天才である必要もない。
ただ、団結の力を甘く見てはいけない。 一人ひとりが協力し合ったときに生まれる力は、想像を絶するほどに大きいのだから。
苫米地英人さんは「100人の村なら、99人が1人のために、1人が99人のために生きるのがいい」と言っていた。
僕は、それを少しだけ書き換えたい。
「100人が、100人のために生きる世界」
そんな世界が、一番いい。 80億人が、80億人のために思いやりを持つ。 そして、その「誰か」の中には、自分自身のことも含めてあげたい。
僕たちは一人では完成しない。 自分も含めた"誰か"のために動くとき、初めて僕たちの命は輝き出すのだから。
