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ホラー記事「noteの奇妙な記事投稿」

みなさんこんにちは。
墓穴掘男です。

私も note での創作や日記活動を通じて、ありがたいことに多くの方と繋がるようになってきた。その中でも、ここ最近とくに親しくさせてもらっていたフォロワーさんについて、今日はどうしても話しておきたいことがある。

その方──「眼科のシゲヤン先生」。
眼科医であり、note では目の病気の知識や注意喚起、医療リテラシーをわかりやすく発信されていた。

私自身も先生の投稿をいつも楽しみにしていた。難しい医療の話を柔らかい語り口で綴り、なんというか……読むと少し目の前が明るくなるような、そんな文章だった。

だけれども──10月20日の投稿を境に、先生の更新は途絶えてしまった。

しばらくは私も日々の投稿に追われ、少しばかり先生のことを忘れてしまっていた。
そんな矢先だ。
11月15日、ひっそりと投稿されていた一文が、私の背筋をぞわりと冷やした。


「眼科のシゲヤン先生の妻です。夫を探しています。」


奇妙で、重く、どこか切迫した投稿だった。

以下は、その文章からの抜粋だ。


お世話になっております。
私は、この note の作者である「眼科のシゲヤン先生」の妻です。

2025年10月25日、福島県〇〇市にて夫(しげお)が行方不明になりました。

すでに警察へ連絡し捜索していただいておりますが、いまだに手がかりはなく、夫がどこにいるのか全くわかりません。どうしてこんなことになってしまったのか、考えても考えても答えが出ません。

夫の書斎にあったパソコンからこの note の存在を知り、もしかしたら夫が何か書き残しているのでは、あるいは皆さんとの交流の中にヒントがあるのではと思い、こうして投稿させていただきました。

少しのことでも構いません。
「そういえばこんな投稿があった」「こういう様子が気になっていた」など、どんな断片でも嬉しいです。どうか情報の共有をお願いいたします。

■夫の特徴
・中肉中背
・黒縁の眼鏡
・白髪交じりの髪
・目元にほくろ
・紺のセーター
・黒のコート
・顔は宮崎駿に似ているとよく言われます(本人は嫌がっていましたが、私はわりと気に入っていました)

夫がいなくなってから、家の中の空気がまるで抜け殻のように感じられます。
私は強い人間ではありません。
夫がいなければ生活だって、気持ちだって、どうしていいかわからないのです。

「大丈夫だよ」と笑ってくれた夫の声だけを頼りに、私は毎日をやり過ごしています。
だから――どうか、お願いします。

夫を見つけるための手がかりをください。
そして、できれば……
私を助けてください。



……この最後の一文。

「私を助けてください。」

もちろん、夫の不在に怯え、心細くなる気持ちは理解できる。
けれど、読めば読むほど、そこには夫への心配よりも──
“自分のこれから” への恐れのようなものが滲んでいた。

それはただの被害妄想なのかもしれない。
しかし、不思議なことに、文章全体の温度が微妙にズレている気がしてならない。
読んだ瞬間、胸の奥がざわついた。
嫌な汗がじわりと背中に滲むような……そんな違和感だ。

他の SNS でも先生の情報提供を呼びかけているらしい。
あらゆる手がかりを求めて、note にまで駆け込んできた──そう解釈するのが妥当だろう。

……けれど実を言うと、私は以前から「眼科のシゲヤン先生」の投稿に、別の種類の“気になる点”を抱いていた。

ほんの小さな違和感。
見過ごしてしまえばそれまでの、取るに足らないはずのサイン。

だが、その違和感を手繰り寄せていくうちに──
先生の投稿には、ある一定の“メッセージ” が浮かび上がってきたのだ。

ここから先は、先生の過去の投稿に潜む手がかりについて、私なりの考察を述べていく。
もし、あなた自身の目で真相を探りたいのなら、ここに先生のアカウントを貼っておく。

……そして、それでも解読に迷ったときだけでいい。
この先の文章を読んで、私と一緒に考えてみてほしい。

私自身も、正直いま胸がざわついている。
ただの思い過ごしであってほしいと願いながら──それでも、あの「違和感」が頭から離れないのだ。


違和感。


そう呼ぶしかない感情が、じわりと胸の底に広がった。
「眼科のシゲヤン先生」の投稿を読み返しながら、私自身も何度もその正体を探っていたが――どうしても拭えない引っかかりがあったのだ。

それは、奥さんによる行方不明の告知投稿の“ひとつ前”。
最後に先生が自ら残した記事である。

タイトルは、
「ステレオグラムは『視力』ではなく『眼と脳の連携力』のテストである」

内容そのものは実に先生らしかった。
マジカルアイと呼ばれる鮮やかな立体視の画像を用い、視力回復や目の使い方について丁寧に解説する――これまでにも何度か投稿されていたテーマだ。

そこまでは、本当に違和感なんてひとかけらもなかった。

だが、問題は“最後の一文”である。

「ぜひ、あなたには(探して)みてもらいたい」


……読んだ瞬間、「え」と声が出た。
あなたも、今この言葉を見て何か引っかからなかっただろうか。

以前からの記事は、どれも落ち着いた医療系の語り口でまとめられていた。
注意喚起、豆知識、ちょっとした生活のヒント。
常に“等距離”で、万人に向けて書かれた文章だった。

ところが、この最後の一文だけは違う。

「あなた」そして
(探して) とわざわざ括弧書きでの強調。

突然、読者の肩を掴んでくるような距離感。
それは、これまでの先生の文章には一度も見られなかったものだ。


当初の私は、
「ステレオグラムを“探す”という意味だろう」
そう軽く受け流した。
ただの表現技法だ、と。

だが――先生が行方不明となった今、もうその一言を無視できなくなってしまった。

改めて読み返すと、その(探して)がどうしても別の意味を帯びてしまうのだ。
まるで我々フォロワーに、
「何かを見つけてほしい」
そう訴えかけているように見えてしまう。

そして気づくと、胸の奥で不安が膨らんでいった。

いったい先生は、何を探して欲しかったのだろう。
何を伝えたかったのだろう。
あの最後の一文に、何が込められていたのだろう。

いま思えば――
あの“違和感”こそが、先生が残した最後のメッセージだったのかもしれない。


サムネイル

もう一つ、どうしても胸に残る違和感があった。
それは――記事に添えられている“サムネイル画像”だ。

note では好きな画像を自由に設定できる。だからこそ、記事の内容とサムネイルの関係性は、その書き手のクセや意図が無意識のうちに表れやすい。

「眼科のシゲヤン先生」の場合、私はずっと気にしていなかった。
なにせ眼科医だ。視力検査でおなじみの ランドルト環(Cの形のアレだ)が出てきても全く不思議ではない。

……はずだった。

けれど、改めて見返してみると、タイトルとまったく噛み合わないサムネイルがいくつもあることに気づいてしまったのだ。

たとえば、この記事。

「白内障手術って怖い?実際の現場の空気をやさしく説明する回」

内容は、患者さんの不安に寄り添い、医師としてどのように声をかけるか――という非常に丁寧で誠実な解説だ。
しかし添えられているサムネイルは、例のランドルト環。

白内障の話と、ランドルト環。
関連性が薄い。
ここまで結び付きが弱いと、逆に目に留まってしまう。

ところが、別の記事を見ると事情が変わる。

「子どものゲーム時間と視力低下——本当に因果関係はあるのか」


こちらのサムネイルは、ゲームを連想させる画像。
記事内容とも自然にリンクしている。

……つまり
“本来は記事内容に合わせた画像を使うタイプの人” なのだ。

だとすれば、あの不自然なサムネイルの使い方は、やはり偶然に見えなくなる。

調べてみると、ランドルト環をサムネイルに使っている記事は全部で 8記事。

そして、先ほど触れた“最後の記事”もまた――
視力検査を受けている女性の写真 が使われていた。

そこに添えられた締めの一文。

「ぜひ、あなたには(探して)みてもらいたい」

……あなたも、ここまで来ると引っかからないだろうか。

最後の記事の本文には、こんな印象的な一節がある。

「私たち眼科医は“視力検査”ばかりが注目されがちだが、本当に診たいのは“両眼が同じ世界を見ているかどうか”である。
あなたの眼は今日も、互いに少し違う景色を持ち寄って、脳の中でひとつの世界を作っている。
ステレオグラムは、その不思議な仕組みをわずか数秒で体験させてくれる、実に面白いツールだ。」

視力検査を象徴する文章。
視力検査のサムネイル。
そして (探して) の強調。


まるで、
“視力検査のサムネイルが使われている 8 つの記事の中から、何かを探せ”
と示しているかのようではないか。

考えすぎだと言われれば、それまでだ。
けれど、行方不明になった直後に“探して”と書き残し、視力検査のサムネイルを選んでいたとなれば――どうしても偶然とは思えなかった。

むしろ、読めば読むほど、
「ここにヒントがある」
そう言われているような気がしてしまうのだ。

では、そのサムネイルが使われた 8 つの記事とはどれなのか。

ここから、その “8つの記事” を順に抜粋していきたい。


投稿された記事

この記事たちを一つずつ眺めているだけなら、気づかない人も多いかもしれない。
だが――勘のいい人なら、この時点でうっすら違和感を覚えるはずだ。

私自身、最初は全部“偶然”に見えた。
書きミス。癖。たまたま。
ほんの誤差のような揺らぎにしか思えなかった。

けれど、記事を縦並びにして比較した瞬間、その小さな違和感が一気に“形”を持ち始めた。
まるで、点と点がつながり、一本の線へと変わっていくあの感覚だ。

その違和感とは――
「指の絵文字」☝️だ。

ランドルト環のサムネイルを使った記事だけ、明らかにこの指の絵文字の扱いが異質だった。

他の記事では絵文字は文末に揃えられている。
控えめに、自然に、文章の端に置かれている。

ところが、ランドルト環のサムネイルの記事だけは違った。

文面の途中に、明らかに“割り込むように”置かれているのだ。
まるで、文章の流れを途中で止めてでも読者の視線を誘導させるかのように。

さらにおかしいのは――
指の向きが記事ごとに異なる。

本来、同じ種類の絵文字を使うなら、同じ方向で統一されるのが普通だ。
しかし彼の指絵文字は、

👆(上)
👉(右)
👈(左)
👇(下)

記事ごとに向きがバラバラだ。

まるで、
「ここを読め」
と、指で示しているかのように。

そこで私は、あくまで仮定として、
指が向いていた方向にある文字を抜き出し、並べてみた。

出てきた文字は、

「を」「お」「げ」「し」「に」「た」「わ」「か」

……当然、このままでは読めない。

ただ、この並び順は“投稿が新しい順”で並べた結果だ。

それなら――
古い順に並べ替えてみたらどうなるのか?

そう思い、時系列で文字を並び替えた。

すると現れたのは、あまりにも“出来すぎている”並びだった。

「か」「わ」「た」「に」「し」「げ」「お」「を」

どう読んでも……

「かわたにしげおを」


「シゲヤン先生」の奥様が書いていた旦那さんの名前。
あの行方不明になった、しげおさんの名前。

偶然ではすまされない一致だった。

記事の中に仕込むには手間がかかりすぎる。
意図しなければ成立しない。
誰かに気づいてほしいという“意志”がなければ、こんな面倒な暗号は残さない。

だが――
ここで一つ、どうしても気になることがある。

なぜ文章は「かわたにしげおを」で終わっているのか。

まったく意味が完成していない。
目的語の「を」で文は切れてしまう。

「かわたにしげおを――?」

その“続きを”どうしても見つけられない。

シゲヤン先生は、本当は何を書きたかったのか。
そして――本当にこの暗号は未完成なのか。

ここから先は、いよいよ核心に触れていくことになる。


真相とは

ここで、一度ゆっくりと話を整理してみたい。

「眼科のシゲヤン先生」──本名・かわたにしげおさんが行方不明になったのは10月25日だ。
そして、先生がnoteに最後に投稿した記事は10月20日。
つまり行方不明の5日前に、あの不可解な一文を残したことになる。

ぜひ、あなたには(探して)みてもらいたい。

読者の私たちに対して、突然「あなた」と距離を詰め、わざわざカギカッコで強調するように置かれた「探して」という言葉。
あれほど説明的で淡々と眼の知識を共有してきた先生が、最後の最後でだけ見せた違和感。
その5日後、先生は忽然と姿を消す。

もしも彼が、失踪を前提に何かを仕込んでいたとしたら──?

そう考えると、ひとつひとつの出来事が、点ではなく線としてつながってくる。
1ヶ月もの間、警察にも見つかっていないという事実。
これは衝動的な家出のような生ぬるいものではない。
計画的で、理由のある「逃亡」に近い。

では、その“理由”とは何なのか。

妻から逃げるため?
身を隠さねばならないほどの事情があった?
そもそも──その「妻」は本当に実在するのだろうか。

ここで、読んでいるあなたにも、少し足を止めて考えてほしい。
「私を助けてください」と訴えているこの“妻”と名乗る存在は、信じていいのか。

シゲヤン先生がなぜnoteのような、顔も知らない人々が交差する場所に、隠しメッセージを投げかける必要があったのか。
その問いの先に、ひとつだけ見えてくる仮説がある。

──この記事は、“ある特定の誰か”に向けて書かれたものなのではないか。

鍵となるのは、先生の最後の記事に登場した「視力検査の女性」のサムネイル記事と「ランドルト環」の8記事。
私は最初、これらをパズルのピースのように読み取り「言葉」を探していた。
だが見方を変えると、二つでひとつのメッセージが完結しているようにも思える。

それが──

かわたにしげおを
ぜひ、あなたには(探して)みてもらいたい。

という意味として読めてしまう点だ。

もちろん、ただ名前を与えられただけでは、所在を探し出すことはできない。
だが、もし先生が「note」という場所へ向けてわざわざ“探して”と書いたのだとしたら……。
そこで読者ができることはひとつしかない。

ハンドルネームでも、投稿でも、キーワードでも、
noteには「検索」がある。

そこに──
「かわたにしげお」
と入力してみたら、何が出てくるのか。

私が話せるのはここまでだ。

ここから先は、あなた自身で検索してみて欲しい。

あなたにまだ、この真実に踏み込む勇気が残っているのなら。

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