見出し画像

小説『暑い国で生まれた歌』⑥

 月曜日独特の屠殺場に送られてゆくような絶望はなく、普通というものに縁のない人生だが、負の感情なしに職場に向かえるのが何とも不可思議で、日比谷線が六本木に着いてドアが開き、あのフラメンコみたいなBGMが聴こえる時に感じる嫌悪感や殺意はなく、怖しいくらいに冷静でいることに僕自身が百万のなぜを誰かに問い詰めたいような妙な朝だった。
 性格の悪いヒルズレジデンスに「死ね」だの「触るな」だの(だったら、セルフレジを使えばいいのに、理不尽な御仁だ)暴言を吐かれても、「はい。来月自殺しますのでしばしお待ちを」などとニヤニヤと薄笑いを浮かべながら大人の対応をする余裕があり、最近、八時前に来始めた何を訊いても無視して睨みつけて、品物を引っ手繰るように乱暴に受け取るヒルズレジデンス二号にも「金を持っていても心は貧困だねぇ。実に、稚拙で不幸な人だねぇ」と心の中で嘲りながら舌を出す京都人の如き底意地の悪さで抗うこともできた。
 マリアが僕に力を与えてくれているのか?
 それも一因のような気もするが、一条の光も差し込まない地底で、監視に鞭に打たれ、怒鳴り散らされながら、来る日も来る日もひたすらつるはしを振り落としていた人間が或る日突然、五十階の会員制ラウンジに招待された感じと言えば分かりやすいだろうか?
 それぐらい同じ扱いを受けていても、物の見方や感じ方がまるで違うのだ。娘くらい年齢の違うギターの上手い広島弁の小娘を恋愛感情ではなく、純粋に「もう一度ギターが聴きたい」と想っているだけで、世界はこんなにも変ってしまうのだろうか?
 そして、変わってしまった世界にマリアは存在するのだろうか?
 その答えは案外、早くに出た。
 毒矢の刺さっていない心地のよい疲労感が微かに涼気を孕んだ一寸、重たい夜風に吹かれていると、少しは意味のあったであろう一日の終わりに何か褒美を与えたくなってくる。今までなら徒労と不平不満で身も心も静かな破滅願望で黒く塗りつぶされてゆくだけだった。満たされたというよりも無傷で過行くことが特別に感じる。
 すると、奇跡は僕の帰りを待っていたかのように蒲田駅東口広場から近づいてくる。
 涼しげなギターの旋律に乗って奇跡が近づいてくる。
 ナレオの『I miss my Hawaii』!
 こんな曲を演奏するのはマリアしかいないし、こんな楽園を想わせる癒しと善意とあたたかな歓待を感じる音を出せるのはマリアしかいない。
 僕は、放逐された故郷を取り戻した流浪の民のようにその歓喜で大地とマリアに口づけをしたい衝動に理性が小突かれ、酒も飲んでないのに臓腑に火が灯り、足元がふらつきそうになった。
「あら?お兄さん。最近、よう会うねぇ」
 演奏を終えたマリアは一瞬、「あ」という目をしたものの、僕の焦燥や渇望とは裏腹に電車でよく同じ車両になる人のような認識で僕を捉えた。
 それでも僕は奇跡を感じ、涙ぐんだ。
 そう。涙が零れたんだ。
「あれ?どしたん?泣きよるん?ええオッちゃんが泣かんのよ。泣かんの」
「マリア」
 僕はマリアのココナツの匂いの髪に顔をうずめて泣き崩れた。
 誰一人味方がいない世界でずっと生きてきた。それも、寄りかかるものなど何もなく、夢も希望も嗤われないようにひた隠すうちにどこかで失い、救いを求めた酒すら冷たい仕打ちをしてくるこの世界で、マリアは涙を流す僕に情けをかけてくれているのだ。それは軽いとか重いとか嘘とか真実とかなんてどうでもいい。僕が長らく望んでいたものは、きっとこういうことなのだ。説明と解釈に言葉を尽くすなど無意味だ。ずっと、これが欠けていたから不幸だったのだとはっきりとわかる。
つまり、マリアは僕の一部を持って生まれてきた運命の女なのだ。
 きっと、マリアは困った顔をしているだろう。だけど、それを思いやる余裕もないほどに僕は果報に震え、噎び泣いていた。
「んもう。ええ加減にしんちゃいや」
 マリアは僕の額を叩き、白いハンカチを差し出した。
 そのハンカチはココナツの匂い。
 マリアの匂い。
「ええ?もう泣かんのんよ」
 マリアは目力を控えた慈愛溢れる瞳で僕を見詰め、そう言い聞かせ、『涙そうそう』を弾き始めた。
 僕はてっきりマリアをギタリストだとばかり思っていたが、イントロをワンコーラス分弾くと、マリアはハワイ語で歌い始めた。
 マリアの歌声は女性ボーカリスト独特の癖やいやらしさがなく、酒や煙草で声が痛んでいず、透明感があり、沖縄やハワイの澄んだ青い海というよりも、ワイキキビーチに山から吹き下ろされてくる夕凪を想起させる清涼感がある。それでいて、どういう内容を歌っているかはさっぱりわからないのだが、琴線に触れる。理由のない美しさと圧倒的な歌唱と演奏で僕に迫ってくる。
 音楽には国境もジャンルも言語も超越するものであることを知るには、マリアの歌とギターを聴けばいいと思う。これだけの藝術を蒲田という場末で浪費しているような酔狂な娘ではあるが、その存在が尊く、その選曲が僕の涙に対するレスポンスであることが誇らしい。
「アロハエアロハノ♪アロハカハリナリナマウ♪」
 当然、意味は分からないが、魂レヴェルで伝わってくるのが心地よい。
 涙でマリアの美しい顔が滲んでいる。
 だけど、幸福を感じる。
 幸福が見える。

いいなと思ったら応援しよう!