価値の話
こんにちは。青鷺です。
最近、美味しいおはぎを食べました。
久しぶりに市の図書館へ行ったところ、
たまたま気になっていたおはぎ屋さんが販売に来ていたんです。これは運命だ…と少し大袈裟なことを思いながら、うきうきとした気分であんこ、きなこ、白ごまを購入。
こぶりなサイズ感で、もち米のほんのりとした甘みが感じられて、どれもとても美味しかったです。おはぎを食べると幸せを感じますよ。
前置きはさておき、今日は少し考えたことを書いてみようかと。
最近、ヨルシカから書簡型小説「二人称」が発売されるとの発表がありました。
私は迷わず購入を決めたのですが、その時にふと、私がアルバムやグッズを欲しいと思うこの心情はどこから来ているものなのか、という疑問が浮かんだのです。
これまでもヨルシカのアルバムやグッズ、LIVEのDVDなど様々なものを購入してきました。
もちろんそれは、ヨルシカの音楽や世界が好きだからなのですが、それだけではないようにも思えるんです。自分の「欲しい」という気持ちに含まれる要素が、ただ純粋な好意だけではないというか…
人間ですから、物欲があるのは当たり前のことだと思います。それは自分へのご褒美になったり、目標になったりと、生きていく何らかの理由になり得るものです。
しかし、私がヨルシカの作品を「欲しい」と思うとき、そこには「ヨルシカの作品だから」という注釈が付きます。どのような作品であってもヨルシカの作品だったら買うという、「購入する」ことに意味を見出している状態だと思うんです。きっとそれが作品自体への興味や期待よりも先行していて、作品を楽しむより先に購入することで満足してしまう。
その場合、もはや私が感じている価値は作品にではなく、ヨルシカという存在にあることになります。さらに言うと、ヨルシカが好きな自分に価値を見出そうとし、ヨルシカを自分を飾る要素としか考えていないのではないかとすら思えてくるのです。
私として生きている以上、何をするにも私の存在が付きまとうのは仕方のないことです。何かを考えているのも感じているのも、すべて私自身ですから。
しかし、世界に溢れるもので自分を気飾ろうとしたところで、その価値はあくまでもそのものにあるのであって、それが自分自身の価値になるわけではないと思います。
だからこそ、私が価値があると思うものに対して、それを受け取るに相応しい人間でありたいと思いますし、作品を受け取った上でそれが自分の一部になっていけばいいなと思うのです。
つまり、結局は欲しいと思ったものを購入することには変わりないのですが、その時の心持ちを変えていきたい、ということです。
自分がどこに価値を見出しているのか、何のために欲しいと思っているのか、そういったことをよく考えた上で、作品と向き合っていきたいと思います。
ヨルシカに限った話ではありませんが、最近ヨルシカの作品を購入するにあたり思うことがあったので、書いてみました。
新しい作品を楽しみにする気持ちは十分にあります。しかし、そこに想いを巡らす前に、「とりあえず欲しい」という気持ちで購入してしまうのが、作り手側の方たちに対してどうにも不誠実だなと感じたのです。
改めて、ヨルシカという大きな括りだけでなく、その中のひとつひとつの作品や言葉を大切にしていきたいと思った話でした。
それでは、また。

