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映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』

公開2日目。TOHOシネマズ日比谷の公開記念舞台挨拶で鑑賞。登壇者は、ダブル主役といえる峯田和伸と若葉竜也を筆頭に、吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗の主要キャスト陣。そして脚本の宮藤官九郎と田口トモロヲ監督まで揃った豪華な顔ぶれだった。これまでも舞台挨拶付きの上映は何度も観てきたが、今回はこれまでになく心を動かされた時間だったので、順番は前後するが、まずは舞台挨拶から記しておく。

「最近、胸が熱くなったことは?」という問いに、登壇者がそれぞれパネルに書いたものを公開して答えるパートがあった。こうした企画の場らしく無難な言葉が並ぶ中で、仲野太賀のそれには " 若葉竜也 " と書かれていた。彼の順番が来て、その理由を語っていくに従い、会場の空気が少しずつ変わっていく。

10代の頃から若葉と共に映画『アイデン&ティティ』に影響を受けてきたこと。当時は彼の家へ通い、銀杏BOYZを聴きながら、映画に登場する曲のギター・コードを教わったこと。今回のオファーを受け、主演が若葉だと知ったときに喜びで胸がいっぱいになったこと。久しぶりに訪ねた若葉の部屋に今も『アイデン&ティティ』のポスターが貼られているのを見て、好きなものを持ち続けている姿に感動したこと。静かに…しかし熱く語る仲野の目から、途中で涙がこぼれた。仲野太賀らしい飄々とした語り口だったからこのギャップは大きく、その場の空気を一瞬で変えた。聞いていた峯田和伸や吉岡里帆だけでなく、会場全体にもこの感情は伝染した。まさか舞台挨拶で泣かされるとは思わなかった。

かつて田口トモロヲが監督し、峯田和伸が「ロックの初期衝動」を体現した『アイデン&ティティ』の遺伝子が、20年以上の時を経て、今目の前にいる若葉や仲野へと受け継がれている。その美しき表現の系譜を突きつけられ、客席の僕たちの感情も揺さぶられた。単に演じるだけではなく、キャストひとり一人の人生と思いが映画に反映され宿っていることがわかり、本編から舞台挨拶までがひとつの感動的な物語になっていた。とても素敵な時間を過ごせた気がする。

僕自身、日本のパンク黎明期といえる「東京ロッカーズ」は、純粋に音楽としてしか触れてこなかった。そのため、映画を必要以上にノン・フィクションとして捉えることなく、最初から物語として観ることができた。舞台挨拶でクドカンが、写真と事実が書かれているだけの原作を物語にすることの苦労を語っていたが、映画が始まってすぐに僕はその世界に引き込まれ、入り込み、それは最後まで続いた。もちろんドキュメンタリー的な側面も重要な要素ではあるが、僕にとっては、知らなかった史実を、今ここで、追いかけながら知っていく楽しみ方が快感で、キャストの熱演により、活字からの想像ではなく、映像のリアルとして自分の中に入り込んでくるそれを心から楽しむことができた。

また、映画で描かれる時代の前後に自分が実際にいたこともあり、スクリーンの世界にそのまま自分を投影できる瞬間がいくつもあった。時代はズレるが、僕自身はライヴを観る側でもあり、演る側でもあった。しかも、出演していたライヴハウスは主に渋谷の屋根裏だったのだから、映し出されるシーンの向こうに、ステージに立つ自分と観る自分がごちゃまぜに呼び起こされ、グッとくる瞬間が何度もあった。

若葉竜也のモモと間宮祥太朗のDEEPは白眉で、それぞれが演じるバンドとミュージシャンのかっこよさを見事に体現していたと思う。ライヴ・シーンにそれは顕著で、監督である田口トモロヲの手腕があったとしても、素直にかっこいいと思える説得力があった。吉岡里帆のサチと仲野太賀の未知ヲはわかりやすく作り込まれたキャラクターで、ある種のキュートさも相まって、誤解を恐れずに言えば、楽しめる存在だった。もちろんこれは褒め言葉だ。峯田和伸のユーイチは、演技に見えない自然さがあり、どの佇まいも無理なく馴染んでいて、まさにハマり役だったと思う。

舞台挨拶で明かされた裏話の中でも、特に印象に残ったのは、芝居なのに、本物のバンド同士のような緊張感が生まれていたという話だ。映画のライヴ・シーンで流れるのはオリジナル音源だが、役者たちは芝居のために実際にスタジオに入り、音を出し、合わせていたらしい。確か峯田和伸の言葉だったと思うが、スタジオに入ると、役者同士の距離が一気に縮まるという。また、撮影時には、たとえば軋轢の演奏シーンをTOKAGE役のメンバーが見学し、そこから影響を受けるなど、まるで本物のバンドが対バン相手を意識し合うような現象が起きていたそうだ。さらに吉岡里帆は、現場で撮りためた写真を後から見返したとき、映画の物語が「自分が十代の頃に実際にやっていたこと」のように感じられたと語っていた。

このふたつの話から、芝居を超えて、キャストそれぞれの青春がそこに立ち上がっていたのだろうことがわかる。制作側がそんな状態だったからこそ、僕が受け取ったものも濃密だったのだと思う。観ているあいだ、僕も映画と一緒に動き、走り、叫び、泣き、笑っていたのだ、きっと。

青春。
口にするのも、文字に書くのも躊躇してしまう気恥ずかしく青臭い単語だが、この映画には迷わず使うことができる。モデルとなったバンドのイメージや流れる曲からして、決して泣かせる映画ではないとは思う。しかし、それでも泣けてしまう。優れた音楽青春映画。


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