女子学生の「擬態」と、外からは見えにくい困りごと
・・・・・・・・・・大学に入れば
もっと自由になれると思っていた。
決められた制服もない。細かな校則もない。
興味のある授業を選び、自分のペースで過ごせる。
高校までの息苦しさから、ようやく解放されるような気がしていた。
ところが、実際に大学生活が始まると、その「自由」が思った以上に重かった。
履修登録の仕組みが分からない。大学のポータルサイトを開いても、どこを見ればいいのか分からない。
レポートの締め切りは覚えていたはずなのに、気づけば前日の夜になっている。
友人は授業を受け、サークルに参加し、アルバイトまでしている。それなのに自分は、朝起きて大学へ行くだけで精一杯だった。
夜、スマートフォンを握ったまま、検索窓に言葉を打ち込む。
「大学生 発達障害 女子」
「レポート 取りかかれない」
「予定が変わるとパニック」
「人と話すと疲れる」
検索結果を読むうちに、少しだけ安心する。
でも同時に、怖くなって画面を閉じる。
「・・・・もしかして、自分もそうなのだろうか?」
そんな夜を繰り返している学生は、決して少なくないのだと思う。
ただ、最初に伝えておきたい。
大学生活がうまく回らなくなったからといって、すぐに発達障害だと決まるわけではない。
心身の疲れ、うつや不安、睡眠不足、家庭環境、人間関係、経済的な問題など、生活に影響する要因はいくつもある。
それでも、「これまで何とかやれていたのに、大学に入って急に動けなくなった」という経験には、本人の怠けや甘えだけでは説明できない背景がある。
その一つが、周囲に合わせるための「擬態」と、大学という環境とのミスマッチである。
「真面目で、手のかからない子」だった
高校生までの彼女は、周囲から「ちゃんとしている子」に見えていた。
遅刻や欠席は少ない。提出物も期限までに出す。授業中に大きな問題を起こすこともない。先生や親からは、「真面目ですね」「しっかりしていますね」と言われてきた。
友人関係でも、目立ったトラブルはなかった。
誰かが笑えば一緒に笑い、その場に合う言葉を選び、相手が求めていそうな反応を返す。自分の意見よりも、場の雰囲気を優先することが多かった。
外から見れば、うまくやっているように見える。
けれど、その内側では、ずっと緊張が続いていたのかもしれない。
「今は笑った方がいいのかな」
「この返事で変に思われないかな」
「話しすぎたかもしれない」
「嫌われていないかな」
人と話すたびに、頭の中で答え合わせをする。周囲の表情や声のトーンを細かく観察し、「正解らしい振る舞い」を選び続ける。
提出物についても、余裕をもって進められていたとは限らない。
締め切りを忘れないよう何度も確認し、「遅れたら終わりだ」という強い不安で自分を追い込み、期限直前にようやく完成させる。
その姿だけを見れば、「きちんと提出できる学生」である。
しかし実際には、毎回かなりのエネルギーを使っていた。
学校では普通に過ごしているように見えても、家に帰ると動けない。制服のままベッドに倒れ込み、休日は疲れ切って何もできない。
それでも月曜日になれば、また「ちゃんとした自分」をつくって学校へ行く。
このように、自分の困難さや違和感を隠しながら、周囲に合わせて振る舞うことは「カモフラージュ」や「マスキング」、日本語では「社会的擬態」などと表現されることがある。
それは単なる演技ではない。
その場で浮かないため、嫌われないため、怒られないために身につけてきた、生き延びるための方法だったのだと思う。
女子学生の困りごとが見過ごされやすい理由
発達障害と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、「授業中にじっとしていられない」「集団行動から大きく外れる」といった、外から見えやすい行動かもしれない。
しかし、すべての人がそのような特徴を示すわけではない。
特に女子の場合、困りごとが外側に表れにくかったり、「おとなしい性格」「少し天然な子」「真面目すぎる子」と受け止められたりして、支援につながりにくいことが指摘されている。
もちろん、女子だから必ず擬態が得意なわけではない。男子やその他の性別の人にも同じような経験はある。個人差も大きい。
ただ、女の子には幼い頃から、「空気を読む」「協調する」「人間関係を壊さない」といった振る舞いが期待されやすい面がある。
そのため、周囲をよく観察し、他の人の話し方や表情をまねながら、その場に合う振る舞いを身につけることがある。
目を合わせるのが苦手でも、相手の眉間や鼻を見る。雑談が苦手でも、よく使われる返答を覚えておく。
話が終わった後に、自分の発言を何度も振り返る。
こうした努力によって、表面的には人間関係を保てるかもしれない。
しかし、外から「できている」と見えることと、本人が無理なくできていることは、同じではない。
忘れ物が多くても、親が準備を手伝っていた。提出期限を忘れそうになっても、友人や先生の声かけで間に合っていた。
強い不安を使って、自分を動かしていた。
困難がなかったのではない。
見えないところで、本人や周囲が何とか補っていたのである。
大学の「自由」が、突然しんどくなる
高校までの生活には、本人が意識していないだけで、多くの枠組みがあった。
時間割は基本的に決められている。自分の教室と席がある。
担任がいて、提出物が遅れれば声をかけてくれる。
予定変更も、ある程度は学校側からまとめて伝えられる。
ところが大学では、その枠組みが一気に少なくなる。
自分で授業を選び、履修登録をする。
空き時間の過ごし方を決める。
ポータルサイトやメールを定期的に確認する。
複数のレポートや試験の日程を、自分で整理する。
「自由に選んでください」という言葉の後ろには、
「必要な情報を集め、優先順位をつけ、計画し、実行してください」という、いくつもの課題が隠れている。
自由とは、何もしなくてよいという意味ではない。
むしろ、自分で決める力や生活を管理する力が、これまで以上に求められる。
高校まで、決められた枠組みの中で懸命に適応してきた学生にとって、大学の自由は突然広すぎる。
道がないのではない。道が多すぎて、どれを選べばよいのか分からないのである。
そこで初めて、これまで見えにくかった困りごとが表面に出てくることがある。
大学生活で起こりやすい、5つの困りごと
1.やることが多すぎて、何から始めればいいのか分からない
レポート、授業の予習、サークルの連絡、アルバイトのシフト、奨学金の手続き。
大学生活では、種類も締め切りも異なる課題が、同時にやってくる。
一つひとつを見れば、決して不可能なことではない。
しかし、頭の中にすべてが並ぶと、どれも同じくらい緊急に感じられてしまう。
何から手をつけるべきか決められない。決められないまま時間だけが過ぎる。焦りが強くなるほど、ますます動けなくなる。
そして気づけば、スマートフォンを何時間も見ている。
これは必ずしも、「やる気がない」から起こるわけではない。情報を整理し、優先順位をつけ、行動を始める「実行機能」に負荷がかかっている可能性がある。
スマートフォンを見続ける行動も、楽しんでいるというより、苦しさから一時的に離れるための避難になっていることがある。
2.大学からの大切な情報を見落としてしまう
大学の情報は、さまざまな場所に散らばっている。
ポータルサイト、大学のメール、授業ごとの学習システム、学内掲示板、教員からの連絡。重要な情報が、必ずしも分かりやすく整理されているとは限らない。
「自分から定期的に確認する」という行動は、簡単そうに見えて、実は複数の力を必要とする。
確認することを覚えておく。サイトにログインする。大量のお知らせから、自分に必要なものを見つける。内容を理解し、予定に反映する。
このどこか一つでつまずけば、情報は抜け落ちる。
履修登録の期限を逃す。教室変更を知らず、誰もいない部屋に行ってしまう。試験時間を勘違いする。
失敗した本人は、「大学生なのに、こんなこともできない」と自分を責める。
しかし、「情報が届いていること」と「本人が情報を受け取り、行動に移せること」は別の問題である。
3.締め切りは分かっているのに、着手できない
「締め切りまで2週間ある」
そう思っていたはずなのに、次に強く意識したときには、前日の夜になっている。
本人は期限を軽く考えていたわけではない。むしろ、ずっと頭の片隅にレポートがあり、その間ずっと焦っていたのかもしれない。
ただ、「レポートを書く」という課題が大きすぎて、最初の一歩が見えない。
文献を探す。テーマを絞る。資料を読む。構成を考える。文章にする。引用を確認する。
本来は複数の工程に分かれているのに、頭の中では巨大な一つの塊として迫ってくる。その圧迫感から避けているうちに、さらに着手しにくくなる。
前日の深夜、真っ白な画面を見ながら涙が出てくる。
それでも朝までかけて提出できれば、周囲からは「間に合っている」としか見えない。
この「間に合っている」の裏側にある消耗は、なかなか気づかれない。
4.予定が変わると、頭を切り替えられない
講義の休講、突然の補講、電車の遅延、アルバイトのシフト変更。
周囲から見れば小さな変更でも、本人にとっては、その日を乗り切るために組み立てていた見通しが崩れる出来事になる。
予定変更そのものだけでなく、「空いた時間をどう使うか」「次に何をすればよいか」を、もう一度最初から決めなければならない。
「休講ならラッキーじゃん」と言われても、すぐに気持ちを切り替えられない。
何もする気になれず、そのまま帰宅して寝込んでしまうこともある。
本人にも、なぜこれほど疲れるのか分からない。
けれど、それはわがままではない。
見通しがあることで何とか保っていた安心が、突然失われたのかもしれない。
5.人に合わせ続け、帰宅する頃には何も残っていない
大学では、授業ごとに教室もメンバーも変わる。
隣に誰が座るのか分からない。突然グループワークが始まる。昼休みに誰と過ごすかも、その都度考えなければならない。
相手の表情を読み、会話のテンポを合わせ、明るく振る舞い、変に思われないように注意する。
この細かな調整を一日中続けていれば、帰宅する頃にはエネルギーが残っていない。
玄関で動けなくなる。入浴できない。食事を用意できない。部屋の片づけまで手が回らない。
その結果だけを見れば、「生活がだらしない」と思われるかもしれない。
けれど実際には、大学で「普通に見える自分」を維持するために、生活を支える力まで使い切っているのである。
「できているように見える」を、支援の必要がない理由にしない
こうした学生は、周囲から発見されにくい。
授業を妨害するわけではない。誰かに強く助けを求めることも少ない。成績も、すぐには下がらないかもしれない。
そのため、「真面目な学生」「特に問題のない学生」として扱われる。
しかし、本人の中では少しずつ無理が積み重なっていく。
欠席が増える。レポートを出せなくなる。人からの連絡が怖くなる。ポータルサイトを開くことさえできなくなる。
そして限界を迎えてから、ようやく相談につながる。
支援する側が大切にしたいのは、行動の結果だけではなく、
その行動にどれほどの負担がかかっているのかを見ることである。
授業に出席できている。
課題を提出できている。
友人と話せている。
それだけで、「困っていない」と判断してはいけない。
できているように見えることと、無理なく続けられていることは違うからだ。
診断名より先に、今の困りごとを整理する
大学生活が苦しいとき、「自分は発達障害なのか」という疑問が浮かぶのは自然なことだと思う。
ただ、インターネット上の情報だけで判断することは難しい。
発達障害と似た状態は、強い不安や抑うつ、睡眠不足、トラウマ、身体疾患、環境の変化などによっても起こる。複数の要因が重なっている場合もある。
だからこそ、最初から診断名を決める必要はない。
まずは、
「レポートに取りかかれない」
「大学からの連絡を見落としてしまう」
「予定変更があると、その後何もできなくなる」
「人と過ごした後、動けないほど疲れる」
といった、現在の困りごとを言葉にしてみる。
診断名が分からなくても、困っているという事実は変わらない。
支援は、「自分が何者なのか」を完全に説明できてから受けるものではない。今、生活がうまく回らず苦しいという段階で相談してよいのである。
今日から試せる、小さな工夫
工夫だけですべてが解決するわけではない。それでも、頭の中に抱えている負担を少し外に出すことで、動きやすくなる場合がある。
頭の中だけで管理しない
今抱えていることを、紙やスマートフォンのメモにすべて書き出してみる。
「レポートを書く」といった大きな課題だけではなく、
「先生からのメールを開く」
「教科書を机に置く」
「サークルのLINEに返信する」
という小さなことも書いてよい。
大切なのは、きれいに整理することではない。
頭の中で鳴り続けている情報を、いったん外に置くことである。
優先順位を決められないときは、一人で何とかしようとせず、家族や友人、大学の支援者に紙を見せて、「どれから始めればいいと思う?」と尋ねてみる。
「他人の脳を借りる」のも、立派な対処方法である。
予定と締め切りの置き場所を減らす
情報が手帳、ポータルサイト、メール、LINEに分散しているほど、見落としは起こりやすくなる。
確認した予定や締め切りは、できるだけ一つのカレンダーに集める。通知も、締め切り当日だけではなく、1週間前、3日前、前日など複数設定しておく。
ただし、カレンダーへの入力自体を忘れることもある。
その場合は、「毎日昼休みにポータルサイトを見る」「毎週日曜日に翌週の予定を誰かと確認する」など、確認するタイミングを生活の中に組み込んでみるとよい。
タスクを、少し笑えるくらい小さくする
「レポートを書く」では大きすぎて動けない。
そこで、
「パソコンを机に置く」
「電源を入れる」
「ファイルをつくる」
「学籍番号とタイトルを書く」
「参考文献を一本だけ検索する」
というところまで分解する。
「そんなことでいいの?」と思うくらいでいい。
むしろ、そのくらいがちょうどいい。
最初の一歩は、立派である必要はない。
動き始めるための段差を、できる限り低くすることが大切なのである。
大学の相談窓口を利用してほしい
どうしても一人で整理できないときは、大学の相談窓口を頼ってほしい。
大学によって名称や体制は異なるが、学生相談室、保健管理センター、障害学生支援室、アクセシビリティ支援室、学生支援課などが相談先になる。
「発達障害かどうか分からない」
「診断書を持っていない」
「何を相談すればいいのか、うまく説明できない」
そのような状態でも、まず相談できる窓口はある。
予約の連絡も、完璧な文章でなくてよい。
大学生活がうまくいかず、レポートや予定の管理で困っています。一度相談したいです。
これだけでも十分
相談窓口では、困りごとの整理、医療機関に相談する必要性の検討、学内制度の案内などを受けられることがある。
大学や支援内容によっては、履修や学習計画の相談、定期面談、合理的配慮の申請につながる場合もある。
合理的配慮では、試験時間や受験環境、座席、情報の伝達方法などについて調整が検討されることがある。
ただし、利用できる制度や必要書類、支援の範囲は大学ごとに異なる。
だからこそ、「こんなことは相談しても無駄だ」と自分だけで決めず、まずは尋ねてみてほしい。
相談することは、負けを認めることではない。
自分の努力だけに頼ってきた生活に、使える仕組みを増やすことである。
「ちゃんとできなかった」のではなく、限界までちゃんとしてきた
大学に入って動けなくなったとき、多くの学生は、「自分が弱くなった」と考える。
けれど、そうではないのかもしれない。
高校までは、周囲に合わせ、自分の困りごとを隠し、不安を燃料にして走り続けてきた。その方法が、大学という環境では続かなくなった。
大学で立ち止まったのは、努力が足りなかったからではない。
むしろ、これまで一人で何とかしすぎてきた結果なのかもしれない。
「ちゃんとできていたはずなのに」と思うときは、少しだけ言葉を変えてみてほしい。
「私は、限界までちゃんとしようとしてきたのかもしれない」
・・・・・・・・・・そう考えると!!
必要なのはさらに自分を追い込むことではなく、
負担を減らし、環境を整え、誰かと一緒に考えることだと分かってくる。
今感じている違和感は、あなたの欠点を示す証拠ではない。
これまでのやり方が、今の自分には合わなくなっていることを知らせるサインである。
もう、一人だけで「普通」を演じ続けなくていい。
まずは今日、一番困っていることを一つだけ、メモに書いてみる。
「朝、大学に行けない」
「ポータルサイトを開くのが怖い」
「人と話すと疲れ切ってしまう」
その一行が、誰かに助けを求めるための言葉になる。
そして、自分に合った大学生活をつくり直していく、小さなスタートになるはずだ。
終わりに「困っているように見えない学生」のそばで
私は大学で、学生のメンタルヘルス相談や障害学生支援に携わっています。
相談室を訪れる学生の中には、周囲から「真面目でしっかりしている」「特に問題なく過ごせている」と思われてきた人が少なくありません。
実際、話していても受け答えは丁寧です。
笑顔も見せてくれます。
授業にも何とか出席しています。
それでも、少しずつ話を聞いていくと、その笑顔の奥から、これまで一人で抱えてきた苦しさが見えてきます。
「普通に見えるように、ずっと周りをまねしてきました」
「相談するほどではないと思って、限界まで我慢していました」
「できないことより、できないと知られることの方が怖かったです」
こうした言葉に触れるたび、私たち支援者が見ている「できている姿」は、その学生が必死に守っている最後の一枚なのかもしれないと思わされます。
支援は、診断名を当てることから始まるのではありません。
「何に困っているのか」
「どの場面で動けなくなるのか」
「これまで、どんな工夫で乗り越えてきたのか」
本人と一緒に、一つずつ確かめていくところから始まります。
そして大学側にも、学生の努力だけに頼らない環境づくりが必要です。
分かりやすい情報提供、相談しやすい窓口、見通しを持てる説明、困りごとに応じた合理的配慮。
少し環境が整うだけで、本来の力を発揮できる学生はたくさんいます。
この記事を読んで「自分のことかもしれない」と感じた学生がいたら、今すぐ自分に診断名をつける必要はありません。
ただ、「私は今、少し困っている」と認めることは、自分を甘やかすことではなく、自分を守るための大切な一歩です。
また、教職員や家族、友人など、学生のそばにいる人には、「ちゃんとできているように見えるから大丈夫」と決めつけず、ときどき尋ねてみてほしいと思います。
「最近、無理していない?」
「何か一緒に整理した方がいいことはある?」
その一言が、ずっと助けを求められなかった学生にとって、擬態を少しだけほどくきっかけになるかもしれません。
困ってから支援につながるのではなく、困り切る前に立ち寄れる大学へ。
「普通にできない自分」を責めるのではなく、自分に合った方法を誰かと一緒に探せる大学へ。
そんな場所をつくることも、大学における学生支援の大切な役割なのだと思います。
Ao(キャンパスソーシャルワーカー)
