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悩み多き50代。美と健康と生き方と。

髪を切った。
美容院に行ったのは、なんと1年ぶりだった。
こんなに行かなかったことはこれまでになかったかもしれない。
伸び切ってボサボサ&ガシガシになっていたので、肩に届くかどうかという長さまで切ってもらい、その店で一番高いトリートメントをしてもらった。それでようやく髪に潤いとツヤが戻った。
さらにカラーはいつもの白髪染めに加えて、初めてハイライトを入れてみた。それほど目立たないようにアッシュ系のブラウンで全体的に入れた。
これが結構気に入って、自然とウキウキしている。
白髪も目立ちにくくなるし、今度はもう少し強めに入れてもいいかなと、今から次の美容院のことを考えている。

ふと思う。
おしゃれとか美容なんて、いろんな意味で「余裕がないとできないこと」だよなぁと。
私の場合、毎日が「生きること」で精一杯なので、最低限の生活以上に手がまわらない。「手」というより「気」がまわらない。
でも、ちょっと髪をきれいにしただけで、こんなに気持ちが明るくスッキリするなら、やっぱりおしゃれはすべきだと思った。
気づいたらあまり鏡を見ることがなくなっていて、この間、明るい太陽の下で顔を見たら、肌の衰え方にびっくりした。お日様の下では嘘はつけない。
悩んだ末、少し高い化粧品を買ってみた。これからしっかりスキンケアもしていこうと思っている。

どうせなら1月の文学フリマの前に美容院に行っておくべきだったなと思う。写真を見るとかなり汚い。どちらかといえば童顔だったので、若い頃は年齢より若く見られるほうだったが、今は年齢相応ならセーフ、というところ。すっかりおばあさんになってしまった。
記念すべき日だったし、初対面の人にたくさん会うのだから、もう少し気合いを入れていくべきだった、と後悔。
私程度の人間が多少あがいたところで、たいして変わらないだろうと思ってしまうのが、私の良くないところだと思う。
なんだかんだと理由をつけてあがかないのは、それこそ怠惰だ。
これから少しでもあがいていくつもりだ。

今週は月曜・火曜とキイトルーダの点滴で入院だった。
ふと美容院のことを思い出したのは、同部屋の隣の人が看護師さんと古くからの友達のようにタメ口でワイワイやっていたからだ。
美容院に行くと、必ず1人はいる。「やたら美容師さんと仲良くて、大声でしゃべりまくっているお客さん」。それを思い出したのだ。
ああいうお客さんって美容院に行って、美容師さんとお話するのが楽しみなんだろうなと思う。美容院中に大きな声が響いていても、その人は特に何も気にすることなく楽しそうだ。そういうお客さんについている美容師さんもおしゃべり好きなのか、とにかく盛り上がっている。

私は美容院ではできるだけ黙っていたいタイプだ。と言っても愛想がないわけではない。ニコニコしているし、あいさつ程度の会話もする。でも、必要以上にしゃべりたくはないし、美容師さんと仲良くなりたい気持ちもない。
⚫︎しゃべりたい(しゃべってほしい)派
⚫︎放っておいてほしい(しゃべりたくない)派
あなたはどちらですか?と聞けば、二分するのだろうなと思うし、どっちがいい、悪いという話でもない。
そして、私の場合、ライターの職業病なのか、どちらかといえば自分の話をするというより、美容師さんの話を聞いてしまうことが多い。
いろんな業界の「働く人」に興味があるので、ついつい質問してしまうのだ。どういうきっかけで美容師を目指したのか、出身はどこか、今後の目標は、ということから、お店の新人教育の制度や福利厚生、美容師業界の今後まで、まるでインタビューのようだ。

今通っている美容院は、若手を勉強のために海外研修に行かせたり、美容のコンテストに参加させたりと、かなり教育熱心だ。
私の担当は若い女性だが、真面目で技術力も高い。結婚までの腰掛け的に考えているのではなく、真剣にこの仕事に向き合っている。向上心があって努力家。仕事の話はするが、無駄話はせずにテキパキと仕事をしてくれるところが気に入っている。

話が完全に逸れたが、友達みたいに大声でしゃべる美容師さんも、やっぱりお店に不可欠な要員なのだろうなと思う。
どこにでも「しゃべるのが好き」な人っているのだ。
入院していると、フリースペースでおしゃべりをしている患者さんたちもいる。たぶん病院で知り合って、暇な時間を共に過ごしているのだろう。入院中に仲良くなって、退院してからも会うという人もいると聞く。私には信じられない。

でも、昨日、珍しく給湯室で私に話しかけてきた人がいた。同じくらいの年齢か、もう少し上くらい。
私が湯たんぽにお湯を詰めていたら、「それ湯たんぽ?持ってきたん?」と声をかけてきた。
そこから身の上話というか、病気の話が始まった。
手術したら病理検査でもっとガンが進行していることがわかり、抗がん剤治療(TC)をすることになったらしい。が、1回目でアレルギーが出て、TCは受けられなくなり、AP療法になるとのこと。
「うわ!APですか」
とつい言ってしまったら、めちゃくちゃ不安がって、「やっぱりしんどいんやんね?みんな同じ反応しはるねん。看護師さんもやねん。あなたは?APやったの?」と聞いてくる。
私はやってないが、副作用がきついことで有名なので、と話し、その流れで自分の病気の経歴もなんとなく話すことになった。

まあ、ガンに関しては私はベテランである。
こんなことでベテランになりたくないが、再発から7年。いろんな経験もあるし、それなりに知識もある。
「私もTCの12回目でアレルギーが出て受けられなくなったけど、APは選ばなかった」と言うと、彼女はびっくりしたように「そんなふうに自分で選べるの?お医者さんの言うとおりにしなくていいの?」と聞いてくる。
やっぱりそういう感覚の人が多いんだろうなと思う。病院や医師を信頼することは大事だし、大前提だ。だけど、自分の命は自分で守らなければならない。医者も病院も責任はもってくれないのだから。自分の体のことなんだ、自分の命のことなんだという意識を持つことは忘れてはならない。
私はそう思って、後悔しないように常に自分で選択をしてきた。

彼女にそこまでの深い話をする時間はなかったのだが、もう少し知っていることを教えてあげたいなとは思った。彼女も名残惜しそうで、「今度いつ入院?」とか「どこの部屋?」とかいろいろ聞いてきた。
不安なんだろうなと思う。初めてのことで、何もわからないのにネットには情報があふれているし。何を信じていいのかもわからないのだろう。
また会うことがあれば、もう少し話をしてみたいなと思った。が、ちょうど彼女の病院友達のような人が現れたので、「では、私はこれで」と、そのまま立ち去った。

今年、私は2冊目のエッセイ集『がんの人の幸福論』を書きたいと思っている。
夫が「たくさんのがんの人に希望を与える本になるはずやで。早く出して!」と急かしてくる。
ふんふんと流していたが、あの患者さんと話して、確かにがんの人にとっては私の本が役に立つかもしれないなと感じた。
闘病記とは違う、「がんとの向き合い方」を書いた本にしたいと思っている。西加奈子さんの『くもをさがす』のような、プロにしか書けない「がんをテーマにしたエッセイ」を目指したい。
がんになっても幸福に生きられることを伝えて、同じように病気で悩んでいる人が少しでも希望を持ってくれるようになったらうれしいから。

ただ、最近の私は悩んでいる。
もうこの年齢になると「悩み」なんてものはなくなるのだと思っていたら、とんでもなかった。20代には20代の、50代には50代の悩みがちゃんとあるのだなとわかった。
友達と集まると、自分の病気の話だけでなく、親の介護の話も出る。これが噂に聞いていた「50代」なんだなぁと実感する。

私の悩みは親のこともあるが、やはり自分自身のことが大半を占める。
50代で今さら「自分探し」もないだろうと笑ってしまうが、本当にこれから先、どうやって、何をして生きていけばいいのかわからなくなっているのだ。まるでこれから就活を始める学生みたいな気分だ。(就活やったことがないから知らんけど。笑)

商業ライターとしての自分にどう区切りをつけるべきなのかもわからない。
自分がやりたいと思うような仕事があまりないし、ちまちまとお金を稼いでも体がしんどいだけだし。
「もの書きアーティスト」として生きることにもまだためらいがある。それはたぶん私が常に「お金を稼いでいたい」からなんだと思う。「お金が欲しい」のではない。「稼ぐ」という行為が唯一、自分と社会をつなぎとめてくれるもので、「稼ぐ」ことでしか自分の価値を見出せない人生だったから、価値をはかる基準がなくなるのが怖いのだ。
フリーランスで生きていると、「稼ぎ」=「社会に必要とされている」と思ってしまう。30年近くもそんなふうに脳に刷り込まれてきたから、「稼げない自分」になることが恐ろしいのだ。現実的にごはんが食べられないとか生活ができないという意味ではない。それは夫がいるから大丈夫。そうじゃなくて、自分の存在意義、価値の話だ。
こういうことを悩むこと自体が贅沢というか、奢っているというか、世間の人にとったら鼻につく話だということもわかっている。だから、こんな青臭いことで悩んでいる自分がまたイヤにもなるのだ。

かといって、何でもいいから仕事をして稼げればいいわけでもなく。
病気を背負っているので制限も多いし、やりたいことを思い切りできるわけでもない。
一度は商業ライターとしての自分に見切りをつけて、アーティスト活動をがんばろうと思っていたが、ライターの仕事を減らしていくと、自分の存在がぐらつき始めて、毎日不安がのしかかってくる。本当に20代の学生時代みたいだ。

ま、もうちょっと考えよう。
noteで愚痴ってしまった。(気分を害した方、すみません)
結局、自分で答えを探して出すしかないので、またまとまったら書くと思う。

そういえば、「有料記事を待ってます」と、ある人にコメントをいただいた。
ありがたいし、書けていないことが申し訳ないし、ちゃんとやれることをやろうと、気持ちがピンと引き締まった。
悩むのもいいけど、私は書いていかないと先に進まないのだから。
私の書くものを読みたいと思ってくれている人がいる限り、書いていきたい。それだけは真実だ。

あと、一応「コンテストをがんばる」というのは実行していて、先日も湯布院に行った時の記事をエントリーした。気づいた人もいたと思うが、あれは以前書いた記事をコンテスト用にリライトしたものだ。
今もまたもう1本、コンテスト用に記事を書くことを決めている。
ちょっとずつ、ちょっとずつは動いているのだけどなぁ。

物事はいつももっとシンプルでいいはずなのに、なぜ複雑にしてしまうのだろうな。という今日の反省。

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