二人なら、きっとまた新しい場所へ行ける
どうしようかな……。
言ったほうがいいだろうか。いや、黙っておいたほうが……。
駅から家までの坂道をゆっくりと歩きながら考えていた。
気を抜くと涙が出てきそうになり、ぐっとこらえる。
もう「何かの間違いなのでは?」などという楽観的な考えは浮かばなかった。
直感が、これは現実なのだと私に伝えていた。
2019年7月某日、私はガンの再発を告げられた。
2016年春に子宮体ガンであることがわかり、手術と抗ガン剤治療を受けた。幸いにも早期発見でステージも1aだったため、「根治は可能」だと主治医に言われた。
術後の半年に一度のCT検査でも問題はなく、体は順調に回復していった。丸3年が経ち、私も周りの人たちも「根治した」と確信が持てるようになっていた頃だった。
だから、主治医に「たぶん再発している」と聞かされた時は、にわかには信じられなかった。
数週間後にPET-CT検査を受けることが決まり、肩を落としたまま病院を出た。
PET-CT検査は「ガンかどうか」を判明するためではなく、「ガンが身体にどれくらい広がっているか」を調べるための検査だ。主治医の口ぶりからしても、「よく調べたらガンじゃなかったです」なんて言葉が出ることは期待できそうになかった。再発は確定したも同然だった。
半年前は何もなかったのに、なぜ急にこんなことになったのかはわからない。進行が早いタイプのガンなのだろうかと不安になってくる。
根治したと思っていたのに、なぜ?
こんなに元気なのに、どういうこと?
頭の中はいろんな感情でぐちゃぐちゃだった。
それに、今自分を悩ませているのは、「このことをいつ夫に告げるか」ということだった。
なぜなら8月の夏休みを利用して、二人で北海道キャンプに行くことが決まっていたからだ。
PET-CT検査は、ちょうどキャンプから帰ってくる翌日だ。つまり、私がキャンプから帰ってくるまで夫に黙っていたら、少なくとも夫は1週間のキャンプ旅を楽しい気持ちで過ごすことができる。
もちろん帰りのフェリーか帰宅してから「明日、病院に行く」と告白することになるだろうし、黙っていたことを夫はひどく怒るに違いない。
だけど、黙ってさえいれば、北海道での1週間は何も知らずに過ごすことができるのだ。そのほうが彼にとっては幸せなはずだ。
――言わないほうがいい。
家までの坂道で、私はそんな結論を出した。
だが、その日の夜、会社から帰ってきて、いつものようにニコニコしている夫を見ていると、もしかしたらもうこの人のこの笑顔を見られなくなるのかもしれないという思いがあふれてきて、涙がポロポロとこぼれてしまった。
そうだ、私は嘘が下手な人間だった。
今日は騙せても、北海道から帰るまでずっと黙っておくなんて無理だ。きっとどこかでボロが出てしまうはず。
そう気づいて、正直に話すことにした。
私の話を聞いて、夫も信じられないようだった。3年も何もなかったのに、根治したと思っていたのに、今だって元気に過ごしているのに、再発なんてそんなはずがないと言う。私もそう思いたい。
「とりあえず今は何もないことを祈ろう。PET検査が終わるまではわかんないしね。北海道はガンのことは忘れて楽しく過ごそうね」
私がそう言うと、夫もうなずいた。
いつでも前向きで楽観的な人だ。「そうやな。まだわからんしな」と自分に言い聞かせている。
「ほんとはね、北海道から帰るまで黙っておこうかと思ってん」
そう白状すると、それには顔色を変えた。
「そんなことしたら怒ってたで! やめてや! 絶対そういうのはやめてや!」
強く言われて、やっぱり話してよかったんだと思った。
不安で押しつぶされそうな気持ちが、夫と分け合えたことで、ほんの少しだけ軽くなった気がした。一人じゃない、二人なら頑張れる、とも思えた。
それに、今は悩んだところで何も変わらない。できることは何もないのだから、まずは北海道キャンプを楽しもうと気持ちを切り替えた。
この北海道キャンプは、その年の一大イベントだった。もともと私たちはキャンプが趣味で、1年のうち30日以上は野外で過ごしていた。近場で1泊ということもあったが、富士山の麓、九州、四国一周と、遠方へ出かけて数泊することも多かった。キャンプというより、「キャンプ旅」だ。
今回も愛車と共に敦賀からフェリーに乗り込み、20時間以上かけて北海道の苫小牧まで行き、そこから車で道東に向かってキャンプをしながら進んでいく予定だった。
フェリーでの長旅はわくわくしたし、いざ北海道に上陸するとガンのことなど忘れてしまうほど気持ちが高まった。
大阪では猛暑日が続いていたが、道内は涼しくて気持ちがいい。東へ東へと車を走らせ、オンネトー、摩周湖、知床五湖などをまわり、美しい景色や温泉、おいしい食事も堪能した。キツネや鹿にも出会えたし、リス園では小さなかわいいリスたちを手に乗せてエサをやった。
道内のキャンプ場はどこも自然にあふれて居心地がよく、テントを張って焚き火をして寝るだけでも体が元気になっていくようだった。
もしかしたら、この旅でガンなんて消えてなくなるかも……。
そんな淡い希望を抱かせてくれるほどに、雄大な自然は私の心を優しく包み、癒してくれた。
旅の途中、二人ともガンの話はしなかった。今はただこの時間を楽しもうと、それだけに気持ちを向けていた。ずっと笑っていたし、ずっと幸せな時間が流れていた。
ただ、一度だけ、焚き火をしている最中に泣いてしまった日があった。
私が死んだら夫は一人でキャンプをするんだろうか……。
こうして焚き火をしながら、私と二人で過ごした日々を思い出すんだろうか……。
ふとそんな想像をしてしまい、涙が止まらなくなってしまったのだ。
夫は私の涙を見ても何も言わなかった。きっと夫も同じような気持ちだったのだと思う。二人で静かに焚き火を見て泣いた。
そうして、夢のような1週間は終わり、大阪へ戻ると現実が待っていた。
PET-CT検査の結果は、骨盤リンパ節および腹膜播種再発、さらに肺転移という絶望的なものだった。
「再発の場合、根治はありません。延命治療になります」と主治医に言われ、ああ、今度はもう「治る」ことはないんだ、「あとどれくらい生きられるか」の話をしているんだ、と理解した。
それから抗ガン剤治療を受け、辛い副作用と闘う日々が始まった。ただ、9クール目でアレルギー反応が出たため治療は中止。長期間の治療に疲れ切っていた私は、しばらく「何もしないこと」を選んだ。
何もしないと言っても放っておいたわけではない。自由診療や民間療法のようなことで、効果がありそうだと思うことは何でもやってみた。
それがよかったのか、3~4ヶ月に一度の血液検査とCT検査だけは受けていたが、ガンの進行は主治医が驚くほどゆっくりで、私はガンとうまく共存できた。
治療をしないまま2023年9月になっても、私はまだ生きていた。
ただ、この年の春頃から少しずつ体調を崩しており、主治医からも「さすがに限界かも。そろそろ何か治療しないとね」と言われるようになっていた。相変わらず進行はゆっくりだったが、それでも何年も経てばガンはある程度の大きさになる。もう治療なしで生きていくのは難しいかなと私も考え始めていた。
次に治療を受けるなら、2022年に保険適用になった「キイトルーダとレンビマの併用療法」になる。が、この治療が始まれば、強い副作用で普通の生活はできなくなる。その前にやりたいことをやっておこうと思い、もう一度北海道へキャンプに行くことにした。以前のようにハードな旅は無理だが、途中でホテルにも泊まればなんとかなるだろうと思ったのだ。
それに、どうしてももう一度行っておきたいキャンプ場があった。それは朱鞠内湖畔キャンプ場だった。
あの旅では美しい景色をたくさん見たのに、なぜかいつも頭に浮かんでくるのが朱鞠内湖畔キャンプ場から見た風景だったのだ。
計画を立てていると、私が言うより先に夫が「朱鞠内湖へ行こう」と言った。ドキンとする。
「なんでか、あの景色が忘れられへんねん。いつも思い出すねん」
ああ、そうなのか。あなたもそうなのね、と思う。
なぜか二人の中に同じように刻まれた風景。どうしても忘れられない、何度も思い出してしまう景色。
理由はわからない。ただ、もう一度見に行こうと決めた。
そして、実際に再びそのキャンプ場を訪れたのだった。
キャンプ場に着くと、テントを張る場所を探した。
湖から少し離れる森林の中、湖を遠くまで見渡せるような高台、湖畔ギリギリの砂辺……。
いろいろあったが、私たちは迷わず4年前と同じ場所を探した。
記憶をたどり、「ここちゃう?」と二人ともがうなずける場所を見つけ、そこにテントを張った。
そして、イスを出して座り、湖を眺めた。
ああ、これだ。
何度も何度も思い出していた風景。あの景色がそこにあった。

この風景が見たかったんだな、と思った。
木々を見上げ、静かな風の音を聞いていた。
いつまでもここにいたかった。

その夜、テントなんて寝にくいはずなのに、なぜか私は家よりも熟睡できた。これが自然の癒しのパワーなのだろうか。
朝ごはんのメニューは、二人とも決めていた。
ご飯を炊いて、鮭を焼く。
これは4年前に、ここで食べた朝ごはんと同じだった。
なぜか二人とも4年前と同じことをなぞることにこだわっていた。示し合わせたように。
メスティンでご飯を炊き、スーパーで買ってきた鮭ハラスを焼いた。
素朴な日本の朝ごはんという感じだが、結局こういうのが一番うまいのだ。
ご飯は少し硬かったが、鮭は脂がのっていて塩加減もちょうどいい。最高だった。

お腹いっぱい食べた後、少し湖畔を散歩した。
朝の澄んだ空気。
風はない。
湖の水面が鏡のようになり、周囲の木々や空が映り込む。
天気はあまり良くなかったが、この薄暗さが今の湖の静寂には似合う、と思った。

なぜ二人ともここに来たかったのか。
なぜ4年前と同じ場所にテントを張り、なぜ同じ朝ごはんを食べたのか。
最後まで二人でこの件を言語化することはなかったけれど、「そうしなければならなかったのだ」と思う。
何らかの儀式のように、それは行われたし、行われなければならなかった。
4年前、私はガンの再発を告げられ、帰ればすぐ再検査が待っていた。そんな旅の最終日をここで迎えた。
未来には光を見出せず、不安しかなかった。もう二度とここでキャンプをすることなどできないんだろうなと、ぼんやりとした覚悟もあった。
それでも、そんな状態でも、一瞬不安を忘れるほど、この場所は美しく、優しかった。私たちを癒してくれた。
だから、忘れられなかったのだろう。
何度も思い出したのだろう。
そして、私たちはこの旅であの時間をなぞり、昇華させた。
あの時の不安だった、絶望していた自分たちと決別した。
そう、決別したのだ。
4年経っても生きてるぞ、ほら、こんなに元気だぞと、見せたかったのかもしれない。
誰に、というわけでもないけれど、この森で優しく見守ってくれている“存在”に。
あれからまた2年半という月日が流れた。
ありがたいことに私はまだ生きている。
ただ、この二度目の北海道キャンプを終えた後は、坂道を転がり落ちるように体調は悪化。なんとか年を越すとすぐに治療を開始した。もう選択肢はなかった。骨盤リンパ節および腹膜播種再発ガン、肺転移に加え、左鎖骨上窩リンパ節転移、肝臓転移までしていたからだ。
しかし、治療を受けると、奇跡的な回復を見せ、今ではこの恐ろしい病名とは似つかわしくない生活を送っている。
さすがにキャンプはほとんど行けなくなったが、少し仕事をして、少し人と会って、少し家事をして、なんとか笑って生きている。
我ながら「しぶといな」と思う。
今でも時々、朱鞠内湖での儀式のようなキャンプのことを思い出す。それから、初めて病院で再発を告げられた夜のことも。
あの時、正直に夫に再発のことを告げてよかったと思う。自分一人で抱えていたら、北海道での思い出はもっとくすんだものになっていただろう。
二人で抱えて、二人で泣いて、二人でもう一度訪れて、そして、いろんな想いを昇華させた。絶望を乗り越えた。
この辛かった数年間も、二人で話し、共有し、協力してきた。だから、どんなことにも耐えられた。
まだ私のガンとの共存生活は続いている。時々、未来に光が見えなくなって苦しくなることもある。
だけど、それでも前を向いて歩いていこうと決めている。
二度目に朱鞠内湖へ行った時は、「またいつか来たいね」と話したが、今は少し気持ちが変わっている。なんとなくだが、もう朱鞠内湖へ行くことはないような気がしている。
それは決してネガティブな意味ではない。
あの時、私たちは絶望と決別した。
だから、もっと元気になったら、今度は夫と二人でまだ行ったことのない「新しい場所」へ向かいたいのだ。
そんな気持ちが、今日も私を強くしてくれる。
