見出し画像

無力な自分に打ちひしがれる夜

まだライターとして駆け出しの二十代の頃、旅のガイド雑誌『るるぶ』や『まっぷるマガジン』などを書いていたことがあった。それ以外にフリーペーパーの飲食店記事なども同じ編集プロダクションから依頼を受けていた。

デジタルカメラなどない時代のことだ。やたらと重い一眼レフのフィルムカメラを持って取材に行く。
私はカメラに関しては何の知識もなく、ひたすらオートでシャッターを押すだけだったから、現像されるまで毎回ヒヤヒヤしていた。
撮影込みの案件はできればやりたくなかったが、そんな選り好みができるような立場でもない。取材の時には得意でない撮影をすることも多かった。

だから、カラーで半ページや1ページという、大きめの記事を任される時は嬉しかった。さすがに素人の写真では通用しないため、プロのカメラマンさんが同行してくれるからだ。

その編プロの仕事で同行してくれるカメラマンはTさんという男性だった。私が初めて一緒に仕事をした「プロのカメラマンさん」もその人だ。
年齢は私より1つか2つ上。彼もフリーランスだった。

現場でTさんがストロボを立てたり、レフ板を使ったりして撮影するのを見るのは新鮮だった。プロの撮影って、こうやるのかと感心した。(あと、Tさんに限らずカメラマンさんはコードを巻くのが異常に速い。アシスタント時代に鍛えられているのだろうな)
それに、私は運転ができないので、Tさんの車に同乗させてもらえることもありがたかった。ディレクターがついてくるような余裕のある案件ではなかったので、いつも2人だったのだ。

Tさんは気さくな人で、初めて会った時から「久しぶりに会った同級生」のようだった。
その編プロからの依頼を受けていたのはわずか1、2年だったのだが、仕事で会わなくなってからも2年に一度くらいはTさんと会って食事やお茶をしていた。
とはいえ、一緒に仕事をしたのも、プライベートで会ったのも、どちらも両手で数えられるくらいしかない。
そのうちプライベートでも会わなくなり、やりとりは年賀状だけになった。

しかし、この業界は狭い。
関西のクリエイターをたどれば、たいてい知っている誰かにたどり着く。別の現場で会ったカメラマンさんが、私の友人のライターと仕事をしていたとか、そういうことはいくらでもあった。
だから、何年か経って、求人関連の案件をよくやるようになり、そこで出会ったカメラマンKさんと話していたら、Tさんの古い友達だったとわかった時も、それほど驚きはなかった。
(今はライターの数が増えているし、逆にフリーランスのカメラマンは減っているから、この「業界の狭さ」はなくなってきているかもしれない。私と同世代の関西クリエイターなら、あるあるだと思うんだけどな)

Kさんは私と飲みに行くのが好きなので、私が求人関連の仕事を辞めた後も、「山王ロスやー」と言って、よく飲みに誘ってくれた。
2年くらい前には、KさんとTさんが飲みに行っていて、「山王さんもおいでよ」と2人で誘ってくれたこともあった。
楽しそうにビールで乾杯している2人の写真が送られてきて、見ていると不思議な気持ちになった。2人とも別の現場で知り合ったカメラマンさんなのに、ここがつながっているなんて、やっぱりこの業界は狭いなぁと思ったが、大好きな2人が揃って楽しそうな姿を見るのは心地よかった。
ただ、すごく参加したかったのだが、私は体調が一番悪い頃で断ることしかできなかった。(この2ヶ月後に治療が始まる)
またいつか3人で飲みましょう、と約束して、その日を楽しみにしていた。

ところが、先日、自分の本の宣伝をしようと、久しぶりに開いてみたfacebookで、Tさんが「3月に引退撮影をしました」と投稿しているのを見つけた。先月のことだ。
引退する理由は、「24時間、酸素吸入が必要になったため」とのことだった。
長いお付き合いがあったであろう取引先のご厚意で、酸素吸入しながらの撮影だったそうだ。

愕然とした。

Tさんが数年前からガンを患っていることは知っていた。
それでも治療がうまくいったと聞いていたし、2年前にはKさんと飲みに行くくらい元気になっていたので安心していたのだ。
だから、そんなに悪くなっていたなんて想像もしていなかったので、信じられなくて、何度もその投稿を読み直した。日付も何度も確かめた。

酸素吸入をしながらの最後の撮影。
それを許してくれる取引先やお客様との関係性。
その場の空気。
居合わせた人たちの想い。
さまざまな状況を想像し、涙を止めることができなかった。胸が締め付けられた。

よく私も自分の病気に対して「かける言葉がない」と言われるが、本当にそうだなぁと思った。かける言葉が見つからない。
結局コメントもできず、私的なメッセージを送ることもできず、ふさぎ込むことしかできなかった。無力だ。
まわりの人も私に対してこんな気持ちでいるのかなと思った。

しばらくして、エッセイ集の著者分が家に届いたので、Tさんに贈ることにした。お見舞いの手紙を添えて。
押しつけがましいかな、迷惑かな、本を読む余裕なんてないかなと、贈るかどうか長い時間悩んだが、思い切って郵送した。
クリエイターとして同じ時代を30年生きた。
共に取材をしたあの頃のことも書いてある。
自己満足とわかっていても、どうしてもTさんに読んでほしかった。届けたかった。

しかし、郵送してから1ヶ月、何の連絡もなかった。
読む力がなかったのかもしれないし、やはり迷惑だったかなとうじうじと後悔する日が続く。
いっそのこと謝罪のメールでも送ろうかと考えていたその時、Tさんからメールが届いた。

ドキドキしながら開いてみると、「最近本を読むこともなくなっていたが、あっという間に読み終えた」と書いてある。
それでとりあえずホッとした。

「フリ-で生きていく事のしんどさや同じ時代を過ごしたライター、カメラマンとしていろいろ思うところもあり楽しい読書となりました。よい時間でした。」

そんな言葉も嬉しく、やはり読んでもらってよかったと思った。
だが、その後に続く言葉は辛いものだった。

「本日より緩和ケアの病院に入院しました」

そして、最後は私の身体を気遣う言葉で締めくくられていた。

病状がよくないことは明らかだったが、そんな中で私の本を読み、メールを送ってくれたのだと思うとたまらなかった。

緩和ケアの段階に入った人に対して、私はかける言葉を持たない。
頑張って?
まだ大丈夫だよ?
きっと元気になるよ?
まだあきらめないで?
そんな無責任なこと言えるわけがない。

結局出てきたのは、「お大事に」と「祈っています」だけだった。
なんて無力なんだろう。

それに、私は他の人と違う思いもある。
いつか自分も「その時」が来るのかもしれない、と。その思いが迫ってきて押しつぶされそうになった。
他人事じゃないのだ。

KさんとTさんと3人で飲む約束は、もう実現しないのだろうか。
今、私はKさんと2人で飲む約束すら果たせていない。
なんとか体調を整えて、まずはKさんに会おうと思った。
2人でTさんの話をしたい。
いろいろなことが本当に無理になる前に、少しでも約束を果たしていきたい。

直接は言えないけれど、どうしても思ってしまう。頑張って、と。頑張って生きて、と。
言葉にならない想いが、祈りに変わる。

いいなと思ったら応援しよう!