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でっかい声で言ってやる。「さあ、がんばろうぜ!」

ドライブ用の音楽として、私が作ったセットリストがスマホにある。その中にエレファントカシマシの「俺たちの明日」が入っている。
この間、箱根まで行く時に流していたら、夫がやたらとこの曲にハマってしまい、家でもYouTubeでエレカシのライブ映像を探して、この曲を繰り返し聴いている。

15年以上も前の曲だし、CMにも使われていたから、もちろん初めて聴いたわけではない。
それなのに今になって何度も何度も聴いている。
何か今の彼の魂にヒットするものがあったのかな、と思う。

エレカシは私が高校生の時にデビューして、当時はすごく奇抜な歌が多かった。今のサウンドとはまったく違い、めちゃくちゃパンクだった。
宮本浩次も今よりもっと歌い方が変人ぽくて、今より目がイッちゃっていた。
私はライブに行くくらい、当時はエレカシが好きだったけど、彼らがレコード会社を移籍して、なんとなく作る歌の雰囲気が「まとも」になってしまってから、あまり興味を持てなくなってしまった。こんな流行りそうな曲を作らないでほしいなと思ってしまった。

実際には移籍してからも不遇の時代は続き、3回目の移籍(現在)で、ようやく世間の注目を浴びることとなるのだが。
その売れた一曲目であり、代表作が「俺たちの明日」でもある。
そういう背景を知ってからこの曲の歌詞を聴いていると、なんだかせつなくなってくる。

♪ さあ がんばろうぜ!
♪ おまえは今日もどこかで
♪ 不器用にこの日々と
♪ きっと戦っていることだろう

初期のエレカシファンといっても、この曲は好きだったので、セットリストを作る時に入れた。
無料のAmazon musicからとってきているので、本当に自分が好きなマニアックな音楽がないということもあったが、久しぶりに聴いたら今の私には響いた。
改めて聴いて、いい歌だな、と思った。

ブルース・スプリングスティーンの「ボビー・ジーン」をふと思い出すような歌詞もあり、一気に自分の魂が10代へと帰る。
和訳してみると、こんな感じの歌詞だ。

俺たちは同じ音楽が好きで、同じバンドが好きで、同じ服が好きだった。
俺たちは互いに言い合った。
俺たちが一番ワイルドだと、俺たちみたいにかっこいいやつなんて、見たことがないと。
(中略)
俺たちは雨の中を濡れながら歩いた。
痛みを分かち合った。
決して表には出せないような痛みも。

「俺たちの明日」には、この「ボビー・ジーン」のように、かつて夢を語り合って共に歩いていた友人へのメッセージとエールが込められている。

♪ そういや あの頃は 
♪ 俺たちの時代を築こうなんて話を
♪ 何時間でも語り合って 飽きなかったな
♪ そして そんな時間こそ 本当は俺たちの
♪ ああ 人生そのものだったな

人は若い頃は何でもできるような気がして、夢を語り合って飲み明かす。
でも、年齢を重ねていくと、現実が襲ってくる。
安定した仕事、守るべき家族。
それはそれで、新しい幸せでもあるのだけど、ふとあの頃の無謀だった「俺たち」が心によみがえってくることがあるのだろう。

ブルース・スプリングスティーンは、町を出て行ってしまった親友のボビー・ジーンへこの歌を贈っている。
どこかでこの歌を聴いていてほしい、と。
宮本浩次も、若い頃に夢を語り合った「誰か」にこの歌を贈ったのだろうか。
いろいろあるけど、さあ、明日もがんばろうぜ!と。俺もこうやって、新しい場所でがんばっているから見ていてほしいと願いをこめて。

「がんばれ!」という言葉を嫌がる人が世の中にいると知ったのはいつ頃だったか。
うつ病の人に「がんばれ」と言ってはいけない、ということが世間での定説のようになった頃だと思う。
もう十分にがんばっているのだから、そんな人に「がんばれ」というのは相手を追い詰めることになる、というのだ。
なるほどな、と納得はしたが、その説が常識のようになってから、うつ病でもない人までが「がんばっているのに、がんばってって言わないで」と主張してくるようになり、優しさ至上主義の世の中になってからは、言う側も「もうあの人は十分にがんばっているんだから、がんばれとは言わないほうがいい」と自粛するようになった。

へんなの。
私はそれをなんだか変な風潮だなと思った。
もちろん、心の病を抱えている人が、本当にその言葉で辛くなるのなら控えたいとは思う。
それは当たり前の前提とした上で、「がんばれ」という素敵な言葉が追いやられていくことには抗いたくなった。

言葉って、表面的なものじゃない。
言葉には、人のおもいが乗っている。
誰かが誰かに「がんばれ!」という時、そこには確かなエールがある。
決して、「もっとやれるはずだから、無理をしろ」とか、「まだがんばりきれてないぞ、もっとやれ!」というような、人を追い詰めるおもいは乗っていないと思う。
少なくとも私はそんなふうにこの言葉を使ったことがないし、使われたこともない。

「がんばれ!」には、人の真摯な祈りが込められていると私は思う。
それは、優しさであり、労りでもある。
くじけそうな人を、引っぱり上げたり、押し進めたりする力がある。
泣いている人の肩をたたいたり、うつむいている顔を上げさせたり。
何か自分だけではできないことを少しだけやりやすくしてくれる、そんな魔法の言葉だと思っている。

「言わないで!」と耳をふさぐ人に、わざわざ言うのは違うが、そうでなければたくさんかけてあげてもいい言葉だ。
少なくとも私は「がんばって」と言われたい。
これ以上ないほどがんばっていても、まだ「がんばって」と言ってほしい。
だって、そこには祈りがあるから。
その祈りは、私に力をくれるから。

世の中を斜めに見て、何も信じられずに殻を硬くしていった10代。
傷ついた顔をして、幸せから逃げて酒と仕事に溺れていた20代。
二人で歩くことを選び、未来に楽しいことがあると信じられるようになった30代。
自分は何者にもなれないことを自覚し、じゃあ、世の中に恩返ししていこうと思うようになった40代。
命のありがたみを知り、生きることにまっすぐぶつかっている50代。

ああ、生きているといろんなことがあるなぁ。
ブルーハーツを聴いていたのも、17歳の頃だ。
あれからもう37年も経つ。
誰も言ってくれない孤独な夜も、ヒロトがでっかい声で叫んでくれたっけ。
「がんばれ!」と。
私はあの頃より人にやさしくできるようになったかわからない。
だけど、「がんばれ!」を言われるだけでなく、言える人にもなったと思う。
それくらいの歳は重ねたんだ。

何者にもなれなかったけれど、まだまだやれることはあるはず。
生きている限り、がんばるんだ。

宮本浩次が「さあ、がんばろうぜ!」と歌う。
夫が何度もこの曲を聴く。

♪ さあ がんばろうぜ!
♪ 負けるなよ そうさ おまえが
♪ いつかくれた優しさが 今でも宝物


夫もいろんなことを抱えているから、誰かに「がんばろうぜ」と言われたい、そんな気分なのかもしれない。
真夜中に、宮本浩次の声がリビングに響くのを布団の中でうとうとと聴きながら、そんなことを考えていた。

私も、今日ちょっとだけ辛い誰かに、祈りをこめて言おう。
いろいろあるけど、みんな、がんばろうぜ!!
私もがんばる!

※トップの写真は、ようやく咲いたゲッキツの花。もう咲かないかとあきらめていたから嬉しかった。こいつもがんばったなぁ!

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