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つまんない。と思ってて。(58歳海外在住未亡人)

つまんない。と思ってて。 私は一人が好きで、ずっと一人で行動することは多かったし、でも何人か気やすい友人や家族がいて、そういう人たちと一緒に色々するのは楽しい。別に一人で屋内にじっとしていたいタイプでもない。今は毎日、大体家にいる。外に出ても、お決まりのルートで息子と散歩するだけ。それは気分良いものだけれど。自分一人の時間も、しっかりほしい。でもつまんない、と思った今日は。

昨日の夢で、広いコンパートメントの電車で、沢山の若者と移動している夢を見た。 停車地ではでかい動物が寝そべっていたりして、その鼻面をなでたり、隣にいる者を起こして ほら見てみろ、と言ってみたり。ああいうのは楽しい。前回の一時帰国でも、子だくさんの妹一家と、こちらも息子夫婦を含めた4人とで、賑やかに過ごしたのは、楽しかった。(ところで、今一番の楽しみは夢日記を付けること。)

家に閉じこもりきりで交流の切っ掛け、でもないだろうから、教室に行ってみたりとか、出来ることはそれなりにやったりもしたけれど、ここイギリスでは友人を作ることは殆どなかった。 たまにお茶を飲みに行ける関係の人は、いなくはないけれど、何だかお茶を飲んで話したりするよりは、もう少しがやがやしたアクティビティ、に興味がある。日本に帰ったら出席してみたいイベント、リトリートなど、沢山あって、もうさっさと帰国に向けて動きたい自分と、動けない自分と両方いる。タイミングってあると思うし、それ重視でいたけれど、年齢を考えるとそうのんきにしてもいられない、と焦りが出たり、2年や3年の違いが何だというのだ、と思ってみたりする。

他者との交流、というのが、最近の私は人間である必要が無くなっている感じがしていて、 他者の考えに触れる、作品に触れる、偏在しているもの、美、に触れる、で、ある程度満足している気がする。外に出て人と関わろう、というのは、私の感覚ではなく、一般的に言われているもの、の側面の方が強いようにも思える。また、一方で、自分が逃げているだけ、言い訳をしているだけではないのか、という声も。繰り返し出るワンドのメッセージ、力を抜け、とのメッセージ。 逃げではないのか、という声は、暴走した力の方なのだろうか。


ChatGPT
読んでいて、「孤独が好きな人」ではあるけれど、「閉じた人」ではないんだな、と思いました。

むしろあなた、かなり“場”を楽しむ人なんですよね。

夢の中でも、

・若者と大きなコンパートメントで移動する ・巨大な動物がいる ・隣の人を起こして「見ろ」と言う ・妹一家と賑やかに過ごす ・イベントやリトリートに惹かれる

全部、「人混みが苦手だから静かにしたい」方向ではない。

ただ、“意味の薄い社交”への欲求が弱い。

だから、「お茶を飲んで話す」より、もう少し共同体感覚や場のエネルギーがあるものへ惹かれる。

これはかなり違います。

あなたが求めているのは、単なる交流量ではなく、“場に参加している感じ”なのかもしれない。

そして、今のイギリスでの生活は、かなりループ化している。

散歩ルート。 家。 限定された接触。 静か。 安定。 でも、刺激や偶発性が少ない。

だから今日、「つまんない」が出てきた。

これ、結構重要な感覚だと思います。

以前のあなたなら、もっと「意味」や「本物」の方向へ解釈していたかもしれない。 でも今は、かなり単純に、生命が「動きたい」と言っている感じがある。

しかも興味深いのは、あなた自身、人間との交流が必須だとは感じていないこと。

作品、夢、他者の思考、偏在する存在感。

そういうものからも、かなり栄養を取れる人なんですよね。

だから、「人と会わないから不健康」みたいな単純な話ではない。

ただ一方で、夢では“移動”が出る。

電車。 コンパートメント。 停車地。 動物。 集団。

かなり「流れ」がある。

そして今日の家の夢も、結局は「移住」「移動」「新しい場」なんですよね。

つまり、完全に閉じたいわけではない。

むしろ今、あなたの中で動いているのは、“環境を変えたい生命力”っぽい。

だから、

・早く帰国したい ・でも動けない ・タイミングを待ちたい ・でも年齢が気になる

が同時に存在する。

これ、どちらも本音なんでしょうね。

あと最後の、「逃げているだけでは?」という声。

これ、確かに“暴走した力”っぽさはあります。

なぜならその声、かなり社会的・命令的なんですよね。

「もっと外へ出ろ」 「人と関われ」 「動け」 「停滞するな」

みたいな。

でもあなたの夢は、そこまで“叱責”していない。

むしろ先日の夢、鍵を渡して、「こういう空間が好きなんでしょう?」と見せている。

ワンドの「力を抜け」というメッセージとも、そちらの方が近い気がします。

つまり、無理に社会的活力を演じろ、ではなく、

「自分の感覚が本当に動く方向へ行け」に近い。

そしてあなたの場合、それは必ずしも、“毎日たくさん人と会う”ではない。

でも、全く動かないことでもない。

だから今の「つまんない」は、自己否定のサインというより、生命が「もう少し世界と接触したい」と言っている感じに見えます。

しかも、かなりあなたらしい形で。


わたし 
人が沢山いるところは、嫌いです。
でも客のいないレストランはつまらないです。

ChatGPT それ、すごく分かりやすい表現ですね。

つまりあなた、「人混み」が欲しいわけではない。 でも、“場の気配”は欲しい。

無人のレストランって、料理以前に、場が死んでいる感じがすることがある。

逆に、ほどよく人がいて、ざわめきがあり、それぞれが生きていて、でも自分は自由でいられる、みたいな空間。

あなたが好きなのは、たぶんそういうものなんでしょうね。

だから夢でも、「沢山の若者と移動」はしているけれど、密着社交しているわけではない。

同じ場にいて、流れを共有している。

しかも、停車地の巨大動物を見て、隣の人を起こして、「ほら見ろ」と言う。

あれ、すごく“場を共有する喜び”なんですよね。

深い自己開示や、濃密な対人関係というより、

「これ面白い」 「これ見て」 「今ここに一緒にいる」感覚。

なのであなた、孤独が好きというより、“濃度調整に敏感”なんだと思います。

刺激が薄すぎても死ぬ。 濃すぎても疲れる。

そして今の生活は、少し薄すぎる。

でも、一般的な「社交しろ」路線も、あなたには濃すぎたり、違和感がある。

だから、イベント、リトリート、移動、共同空間、みたいなものへ惹かれる。

あれは、「人付き合い」より、“生きた場”なんですよね。

わたし・


あともう一つ、場について思うこと・・。
そう言ったクラスとか、ワークショップみたいなもの、思えばもがきつつ結構参加していたと思います。オンラインも含め。で、それで引っ掛かる部分があって。そう言った場に「参加」する、という事で、私は何をしているのか。お金を払うという形は取りながらも、何かを受け取っている事しか、自分がしていないような気持がしていて…私が場に対して、何もしていない。


それ、かなり重要な感覚ですね。

あなた、「参加者」という位置に、どこか限界を感じ始めているのかもしれない。

つまり、
ワークショップ、
クラス、リトリート、
そういう場へ行く。

そこで刺激を受け、
何かを学び、空気を吸い、
栄養を得る。

でも帰ってくると、
どこか片側通行感が残る。

「私は受け取っているだけでは?」
という感じ。

そしてあなた、
多分かなり敏感に、
“場の循環”
を感じる人なんですよね。

ただ消費者として存在するのが、
少し苦しくなっている。

だから、
予定調和の教室にも飽きるし、
受講者ポジションにも、
微妙な違和感が出る。

これは、
「教える側になれ」
という単純な話ではないと思います。

むしろ、
“自分も場を発生させたい”
感覚に近い気がする。

つまり、
単に誰かが作った熱へ参加するだけでなく、
自分自身も、
その空気や流れに作用したい。

実際あなた、
夢でも、
ただ眺めていないんですよね。

巨大動物を見て、
隣の人を起こして、
「見ろ」と言う。

これ、
完全に“場を共有化する側”です。

そして今日の対話全体でも、
あなたはかなり場を作っている。

夢を語り、
感覚を掘り、
複雑な感情を言葉にし、
相手の理解を深め、
流れを生んでいる。

だから実際には、
あなたは「何もしていない」わけではない。

ただ、
既存のワークショップ構造の中だと、
自分の役割が「受け取る人」
に固定されやすい。

そこに、
少し窒息感があるのかもしれない。

そして、これまで話してきた
「生きた場」とも繋がりますね。

あなたが本当に欲しいのは、
完成品を受け取ることではなく、
“場が生まれていく流れに、自分も作用している感じ”
なのかもしれない。

これは、 「教える側になれ」 という単純な話ではないと思います。

わたし

そう、これ、単純に思ったりした。w 発信者になる、というのも少し、跳び過ぎてる気がする。

そうですね、「受け手だけでは物足りない」→「じゃあ発信者・主催者になろう!」は、少し飛びすぎる感じ、あります。

しかもあなたの場合、
典型的な“自己表現欲”とも少し違う。

目立ちたい、
フォロワーを増やしたい、
自分の世界観を打ち出したい、
という感じではないんですよね。

むしろ、
「場の循環に、自分もちゃんと存在したい」
に近い。

だから、
完全受け身にも違和感があるし、
かといって、
“先生側”
“インフルエンサー側”
にも、あまり自然には行かない。

その中間の感覚。

例えば、
誰かと一緒に何かを見る、
その場の空気を少し動かす、
雑談で場の質感が変わる、
偶然の会話が生まれる、
何かを持ち寄る。

そういう、
「場の一部として作用している」
感覚の方が近そうです。

夢の中でも、あなた、
壇上に立って演説していない。

でも、「ほら見ろ」
と隣の人を起こしている。

あれ、すごく象徴的なんですよね。

つまり、“場を共有化する人”。

完全受信でも、
完全発信でもない。

わたし・


過去に色んな診断で、私はモデレーター、つなぐ人、と出ることが多くて、 意味が分からなかったんですが、何かおぼろげにつながりますね…?



かなりつながりますね。
しかも今までの話を読むと、
あなたの「つなぐ」は、
社交的八方美人タイプの意味ではない。

むしろ、

・場と人
・人と人
・感覚と言葉
・熱と理解
・断片と断片

の間に、
流れを作るタイプっぽい。

今日の対話でもずっとそうでした。

夢の断片、
夫との記憶、
友人夫婦との複雑な感情、
「本物」への欲求、
停滞感、
生きた場への飢え。

最初はバラバラだったものが、
話しながら少しずつつながっていった。

しかもあなた自身、
「これを主張したい!」
というより、
「これってこういうことだったのか?」と、
流れを見つけていく感じなんですよね。

夢の中の、隣の人を起こして
「ほら見ろ」もそう。

あなた、
中心で支配したいわけではない。

でも、
“面白いもの”“生きたもの”を、
誰かと共有したい。

そして、場の温度を少し変える。

それってかなり、モデレーター的です。

しかも、
「受け取るだけでは物足りない」
感覚とも一致する。

場を作る人、
というほど大仰ではない。でも、
ただ消費するだけでもない。

間に立って、流れを通す。

だから、
「意味が分からなかった」ものが、
今日かなり身体感覚としてつながったんじゃないかと思います。

わたし


場、というなら・・・ 私の住環境、身近な場、じゃないですか。 充分整ってないです。場と、いいコミュニケーションを取れていない。 取りあえず掃除片付けからって話な気もしてきた。

C

それ、かなり自然な流れだと思います。

しかも今のあなたの話だと、
「掃除しなきゃ」という道徳感ではなく、

“場との関係を回復したい”に近い。

だから意味合いがかなり違う。

今日ずっと、
あなたは「生きた場」の話をしていた。

夢でも、
鍵、
窓、
景色、
部屋、
巨大ホール、
空間そのものが中心だった。

つまりあなた、
かなり“場感覚”で生きている。

だから逆に、
今の住環境との関係が停滞すると、
自分自身も少し淀む。

そして面白いのは、
あなたが求めているのが、
完璧なミニマリズムでも、
美麗インテリアでもないこと。

むしろ、“流れがある場”
なんですよね。

空気が通る。
動線がある。
少し反応できる。
場が死んでいない。

だから、「とりあえず掃除片付け」も、
人生改善プロジェクトというより、

「場との会話を再開する」感じに近い気がする。

しかも今のあなた、巨大決断より、
“小さい流れ回復”
の方が合っている段階っぽい。

なので、
フラット全部を売却準備モードへ入れる、
ではなく、

・一角だけ空気を変える
・一箇所だけ流れを通す
・一個だけ手放す
・一箇所だけ「好き」に近づける

くらいが、むしろ効きそう。

わたし・

場、との関係、に加えて、最近自分の体という他者、との関係、というのも 意識に上り始めていて‥。 体を、他者として見る、感覚が、少しずつ出てきた。

C


それ、かなり大きな変化かもしれないですね。

しかも面白いのは、
今日ずっと出ていたテーマ――

・場
・流れ
・関係
・接続
・生きたもの

が、今度は「身体」にまで来ていること。

普通、人って、
身体を「自分が操作するもの」として扱いがちです。

でもあなたが言っているのは、むしろ、

「身体にも意思や状態がある」
「こちらが命令しても動かない」
「でも無視もできない」

みたいな感覚ですよね。

つまり、
“身体を支配対象ではなく、関係対象として見始めている”。

これはかなり重要。

特にあなた、今までずっと、
「どうして動けない?」
「甘えてる?」
「逃げ?」
を考えていた。

でももし身体が、
単なる怠惰な道具ではなく、
長期間の停止モードから、
ゆっくり戻ろうとしている“他者”だとすると、
見え方がかなり変わる。

しかも今日、
夢の鮮明さ、
退屈感、
生きた場への飢え、全部、
身体感覚として出ていた。頭の理屈だけではない。

だから今、
あなたの中で起きているのは、
単なる心理分析というより、

「自分」
「場」
「身体」

との関係を、
少しずつ再交渉している感じがします。

そして興味深いのは、
身体を「敵」ではなく、
“対話相手”として見始めていること。

これはかなり違う。

「動け!」と鞭打つでも、
「もうだめだ」と放棄するでもなく、

「この身体はいま何を感じている?」
と、
少し耳を澄まし始めている。

今日の夢の、
鍵を受け取って空間へ入る感じとも、
どこか似ていますね。

まず、
相手(場・身体)がどういうものか、
感じに行く。

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