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DEEN『君がいない夏』:戻らない時に捧げる祈り ー「君がいない夏」は単なる別れの曲ではないのかもしれない、という話ー

何を隠そう、私はいわゆる90年代ビーイング系のファンである。

もはやビーイング系では括ることのできないモンスターバンド「B'z」については説明不要であろうが(私は15年来のビーパ会員である)、その他にもWANDS、T-BOLAN、DEEN、ZARD、大黒摩季……

現在でもJ-POPシーンに燦然と輝く楽曲を世に放ったレジェンド揃いだ。


さて話は変わるが、最近私は「失ってしまった時間」を深く後悔している。
「時間」だけは、どうあがいても取り戻すことができない。

時間はこの世で最も薄情であり、そして美しい概念であると、今の私はつくづく実感している。
時間とは命なのだ。
分かっているつもりでいたが、分かっていなかった。それを思うとき、そしてその後悔の念に苛まれるとき、胸が張り裂けんばかりの苦しさでいっぱいになる。

そんなこの頃、改めてDEENの「君がいない夏」を聴いた。
そして、涙があふれてきた。

「もう戻れない(戻らない)時を小さく祈っている」

もしかしたら、この楽曲で描かれている別れは単なる「破局」ではなく、「永遠の別離」つまり死別なのではないか。
そう思わずにはいられないのだ。

改めてこの楽曲を自分なりに、外部情報一切なしで、歌詞の文面のみから考えてみたい。
そしてその推考を、ここに記すことにしよう。



1番

つらい朝はうんざりするね
つまづいても楽しく生きてゆくよ

主人公は、何がつらいのだろうか?
朝が単に苦手なのだろうか。
それはここではわからないが、あまりうまくいっていない日々を過ごしているのだろう。
とはいえ絶望しているわけでもなく、前向きに生きようとしていることはわかる。

繰り出そう
追いかけて はるかな夢を

なるほど、主人公(あるいはまだ歌詞に出てきていない誰か)には何か大きな夢がある。
だから前を向いて、楽しく生きていこうとしているのだ。

どんなに離れていてもわかる

ここではじめて、主人公が遠く離れた誰かを想っていることがわかる。
おそらく主人公と誰かは、お互いに遥かなる夢を抱いているのだろう。
それぞれの夢に向かって、遠く離れた場所で生きている。

忘れかけてた甘い夏の日を
あれからどれくらいの時間がたつの
大好きだったあの笑顔だけは
しばらく近くで重ねあう日々を

「甘い夏の日」「近くで重ねあう日々」
このフレーズから、この二人は恋人同士だったのだろうとわかる。
大好きだった笑顔を、肌を重ねあうほどの距離で見つめていた。
そんなかつての日々を、主人公は夢の途上で思い返している。

Ahh もう戻れない時を
小さく祈っている

冒頭の「つらい朝」とは、君がいない孤独な朝を指していたのだろう。
もしかしたら主人公は、夢に破れつつあるのかもしれない。
「あの頃に戻りたい。でも戻れない。」
そんな悲痛な想いを胸に、思い返す日々になぜか祈りを捧げている


2番

今は遠い優しい君を
打ち寄せてる穏やかな波がさらう

今、主人公は海にいる。
海に佇んで遠く優しい君を想うとは、よほどのことだろう。
そして、空や水面にぼんやり浮かぶ君の笑顔を、寄せては返す波がかき消してしまう。

「どんなに離れていてもわかる」
1番でそう言っていた主人公とは思えないほど、君への想いが募っている。

何もかも 思い出を失くしたせいさ
あの日のように輝く夢も

主人公はやはり夢に破れたのだ。
繰り返す日々の中で、当初の熱い思いは徐々に薄れ、凡々とした人生を送っていたのかもしれない。
お互いの夢を語り合い、肌を重ねたあの日々を、見失った。

2番で描かれる主人公は、1番の頃より多少年齢を重ねたのだろう。
あるいは1番で描かれた前向きな主人公は回想であって、夢に破れた主人公がかつての自分たちを思い返していたのかもしれない。

いずれにせよ、全てを失った主人公の苦しみが克明に、爽やかなメロディーにのせて描かれている。

忘れかけた甘い夏の日も
いつかは二人の胸によみがえる
少し大人になれる気がしてた
それぞれ違う人生を選ぶことで

「いつかは二人の胸によみがえる」
私はこのフレーズが分からなかった。
もしお互い今も同じ思いを共有し続けているのならば、あるいはお互いに夢破れたのならば、また共に生きていく道もある。
しかしこの主人公は一貫して、戻れない(戻らない)と言っている。

これは、主人公の願望もしくは思い込みではないか。
いつか恋人も(きっと)この想いがよみがえる(よみがえってほしい)と。
でもそれは叶わぬ願いであることもわかっている。

Ahh もう戻らない時を
小さく祈っている

ここでは「戻れない」ではなく、「戻らない」としている。
もはや「戻りたい」と思うことすらかなわない。

そこまで主人公に思わせる理由は、恋人が既に別の誰かのものになってしまった、あるいは恋人が既に(同じ世界には)いない、ということではないか。

しかし、前者で考えようとすると「どんなに離れていてもわかる」という精神的な強い絆で結ばれていた二人の関係性にいささか矛盾が出る。
時の流れがそうさせてしまったという終わり方を迎えるには、あまりにも互いが強い信頼関係で結ばれているような気がするのだ。

そう考えると、二度と戻らない=死別と考えるほうが私としてはしっくりくる。それ故に主人公は、海辺で思い返す日々を「祈っている」のではないだろうか。
その重いテーマ性を爽やかなメロディーにのせることで、聞き手の解釈の幅を広げているのではないかと思える。


ラスサビ

鮮やかすぎる 君がいない夏
あの声 あの仕草が 広がってく

私には、今この主人公が朝日に輝く海辺にいるように思える。
鮮やかな金色に輝く空と水面を見つめながら、薄れゆく「君」の笑顔を、在りし日々を、祈るように思い返している。
そしてその声や仕草までもが、その輝きとともに燦然と思い出される。

思い出の中で美化された記憶もあるだろう。
私もそうだ。
当時はそんなに楽しくなかった出来事や、辛かった経験さえも、今になって見ればキラキラと輝く出来事の一つだったように感じる。

そして今改めて思うのだ。生きていこうと。
生きていくしかない。帰らざる日々に心を寄せながら、償うことのできない過ちに心を痛めもがきながらも、それでも今日を、明日を、より輝ける日々にするように生きていくしかない。

言葉になんかできなくてもいい
こぼれた日差しに 心がにじんだ

残酷なまでに爽やかに、美しく輝く海辺を前に、ただ主人公は立ち尽している。
言葉をかける「君」はもういない。
ただ二人で生きた思い出を愛しながら、夢を追いかけた日々を背負いながら、慟哭にも諦めにもならない気持ちで立ち尽くしている。

もう涙は出ない。
涙は零れつくしたのだろう。
これからは、ただ今日を、明日を生きる。
主人公の慟哭も希望も、全てを包む日差しの輝きの中で、淡い決意をしているのかもしれない。

Ahh もう戻れない時を
小さく祈っている
Ahh もう戻れない時を
小さく祈っている

ここでの「戻れない」は、そんな苦悩や諦めを超えて、全てを受け入れた上での「戻れない」なのだろう。
「君」は確かに、心の中にいる。
時を戻すことも刻むことも叶わないが、主人公の心には生きている。

深い悲しみの中、一縷の希望を抱いてこれから生きていこうとする主人公の複雑な胸中のように、私には感じられた。




終わりに

DEENは、ボーカルの池森秀一氏の甘く切ない歌声が最大の強みであると私は思っている。
本楽曲は、爽やかなメロディーと若干抽象的な歌詞による世界観が、池森氏の歌声によって一層拡がりを見せる素晴らしい楽曲である。
これまではコナンのタイアップ曲で、いい曲だなぁという程度で聴いていたが、ふと深く拝聴してみると実に素晴らしい深みのある逸曲であった。

私の考えすぎである可能性は高いだろうが。
この楽曲のリアルタイム世代でないことが悔まれる。

DEEN、ライブ行ったことないけど、行ってみようかな。


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