文化人類学者、印パ国境で熊と化す─ビザ、NOC、秘密警察、そして不法滞在
ツイッター(エックスともいう)で旅の難易度をきそうツイートを見て考えた。
「インドの旅は大変」
「何を!?さては兌換券時代の中国には行ったことがないな!」
「いやどう考えたってアフリカは厳しいでしょ!」
「いや共産圏の」etc…。
いや、わかるわかる。
いや兌換券時代の中国は知らないけど、
どこも大変だ。
しかし、わたしのあたまのなかで、どこが一番大変だった?と考えたら
それはわたしにとってはそれじゃなくて、そのときわたしがおかれていた状況そのものだった。
でもそれは「旅」じゃなくて「調査」だった。
なので、調査が未完のうちは、別の切り口からででも公開してみようかとも思っていたのだが、無事完了してしまったので、そのときの雑文をいま出してみようと思った次第である。
だってちゃんと成果がでるかどうかわからない調査の途中のことを面白おかしく書いて、あげくあとで認識が変わってしまったりしたら読むほうだってしんどいだろうと思っていたら、国名も実名で書けなかったもんで。
だいたいわたしのことをご存知の方もいると思う。
でている論文のことも。
過去の論文を読んでいると、ああ~これはここは書き直さなきゃだめだなという書き出しの論文も、ある。
でも、先日あるご縁でうちにいらした海外からのお客さん(博士号持ち)にこれまでのアカハラやなんやのことを話していたら、今からでも海外の雑誌に再投稿してみたらどうか(ただし序論結論は書きなおす)とアドバイスいただくことができ、それができたら過去の傷ついた自分をもう一度自分でだきしめてあげることができるのではないかと思い立ったところでもある。
「あの」論文を書いたころのことを考えたら、あんなに心折られまくる状況のなかで、わたしもよく前を向いたもんだとしかわたしには思えなかった。つまり、あれはあれでいい(自爆はしてはいるものの)。
他人とわたしは比べられない、と、いまのわたしは思うのだ。
だから過去の傷に関しては、これから飛ぶから待っててと世間にはいいたい。だいたいデータはいまだ生きている。
それはともかくわたしにとっての一番ひどい旅。
それはわたしにとってのインド・パキスタンの国境にまたがって住むチベット系イスラム教徒の調査である。
だいたいこの調査を開始する前、わたしは「乾燥地に住むイスラム教徒」に対して今まで自分がたててきた仮説、
「生業と宗教のなりたちには関わりあいがある」
を検証するために、乾燥地ではないイスラム教徒の「イスラム」もまた、調査してみたいものだと思っていた。すぐに思いついたのは東南アジアの調査である(ムスリム人口も多いし)。
しかし東南アジアのイスラム、日本人調査者が多い。
イスラムの調査をしよう、と思ったら、なんでアラブやペルシア、トルコ系ではなく東南アジアに行ってしまったんか、とわたしなどは思うのだが、行き易いのか、日本人調査者が多い。
そのかれらに、わたしの書いたものを批評されるとなると、これまで読んできた文献の量もかなわないだろうし、しんどいなぁと思っていたところでのチベット系ムスリムである。
あまり研究されていないとのことで、二つ返事で行きます、と答えた。
が、これもまた想像を超えたきつさだった!
まあ仏教徒チベット人に関する基礎文献が質量ともにとんでもなく多く(牧畜に関してはそれほどでも?)、どれから読めばとたじろぐ状況だったのはともかく、
行くのがすでに大変である。
インド側チベット、すなわちラダックの調査ビザが発給まで半年から一年かかる、ということがまず一点。
「でもさ~、民家の居候くらい観光ビザでもこっそりできるんじゃないの?亅と助言をくださる方もおられたのだが、行ってみたらそんな生易しいものではなかった。大体チベット系ムスリムはインドとパキスタンの国境に居住地をぶったぎられ、国境の両側が同じ民族なので、かれらへの接触はおそらく両国からの諜報機関からの監視が常時なされている。だって共謀して国境の両側ではたらかれたら、とか、なのかなぁ…。
そして、インドはそもそも申請された研究の題目が「イスラム」だとほぼほぼ「通らない」というくらい、イスラムへの警戒心が強い(しかも現場は印パ国境(滝汗))、
そしてラダックの侵入不可地域で調査をした何人かの日本人研究者が、インドからの永久追放(!)をくらっているという裏情報。
こわい。
インドに二度と入れない人生とか淋しくないか?
いや実際に行くか行かないかとかはおいておいてさ。
…じゃあ調査はパキスタン一択じゃない?
だってイスラム教徒の研究なんだし…。
というかそのころのパキスタンは前年の洪水を経てのインフレまっただなか。
食糧やガソリンの高騰で貧しいひとびとの自殺まででているといわれていて、それならばインドのほうがまだ…とも思われた。
しかしである。
どっちにしても当該の民族がとてもとっつきにくいのである。
とてもとっつきにくいのである。
ウイグル(トルコ系)から調査をはじめ、ペルシア系、アラブ系ときたわたしは、調査はまず現地に話の通じる人をみつける、そして「困っている」、「助けてほしい」ことをきちんと伝えれば、大概なんとかなる(どこかの誰かには託してもらえる)と思っていたというか、そうからだで把握していたというか、
これが、まったく通じないのである。
むかーしむかし、バックパッカー旅行で初めてラサの地を踏んだわたしのチベットに対する印象はウイグルで血のわきたつ思いを味わったたのに比べると
「なんだかつまんないなぁ」
であった。なんだか地味なんだよね。東アジア人としての共通した地味感というか、チベット人=日本人に近い、のである(私見です!)。
それを比較の視点で申し上げれば、なんとも悩ましいことに、わたしには「かれらの考えていることがわかる」のである。つまり、あまり好奇心をそそられない。
相手の「考えていることがわかる」。それって普通じゃないの?とおもうかたは、是非わたしのかわりにここの調査に行っていただきたい。
どう頭をひねってもウイグルが何を考えているのか「わからなーい」ことが調査の原動力だったわたしには、この地味地味した民族がうっとおしくてしょうがなかった(チベット文化に血の沸き立つ皆さますみません!!)。なんかさぁ!
…もっとこう、さあ!(といわれましても…)
とにかくこの人びととなんだかうまくいかないなか、インドの状況もよくないし、パキスタンに望みをかけてみるか、と移動をこころみてみるも、
こっちもでも何やらやりにくい。
まず、まあパキスタンのほうがビザの取得環境がいいといえば、いいのか?イスラム研究と公言してなんも問題ないわけだし…。
過去にわたしが別の民族(ペルシア系)の調査でとったパキスタンの調査ビザは、東京のパキスタン大使館での大使直々のインタビューをうけてとった一年間ビザ(ただし三カ月ごとに一度出国するもの)だったのだが、
ビザ申請がコロナのせいでオンライン化した今、日本の在外公館にはビザ発給の権限がない。
で、いまは「カルチャー」とかいう名の謎ビザがかつての「調査ビザ」らしいんだけど(東京のパキスタン大使館に聞いて確認した…)、わたしの認識、あってますかね。
「カルチャー」ビザで本当にいいんですかね??
この「カルチャー」ビザが、とりあえずインビテーション(パキスタン側の大学などからの発給)の提示によって三カ月のものがとれて、これを延長して、六か月くらいは調査できる…のか?
このインビテーションが、日本の研究者との関係をとりついでというみかえりとして現地の大学の教授のおひとりにだしていただくことができて、なんとか「カルチャー」ビザの発給にまでこぎつけた。
次が、ギルギットのホームデパートメントによる調査活動へのNOCの交付なのであるが、
どうしてこれが必要とわたしにわかったのかって、そりゃあ調査まがいのことをしはじめると、すぐ警察にしょっぴかれて「とってこい」といわれるからです。
どこにも調査マニュアルみたいなものはありません(ないよね!)。
これがさぁ…前はギルギットのホームデパートメントの偉い人の前で、名前と来訪の目的等をかるく説明すれば一日でとれたのにさぁ…
いまは特殊警察だの軍諜報機関だのに許可をもらってそれをおえらかたがサインして初めてでるとかで、「一か月かかるから」とかいわれて鼻からチャイがふっとんででてきた。
貴重な調査期間を一か月もNOCを待つだけのために使わせられるなんて…んなあほな…
で、
なんとか早く出してもらえそうな方法はないのかと聞くと、特殊警察や諜報機関に直々に出向いてお願いをしてまわればサインした書類の送りかえしがぐんと早くなるかもしれない、とのこと。
よし!と意気揚々と先方をめざすも、なんだこりゃ。
看板、なし、周囲の住人、場所を知らず、公務員の人びとに聞いてもその所在さえも知らず、で結局なんの変哲もない民家がそれだったりして、なんなんだこりゃそんな秘密の場所をポッときたばかりの外国人がわかるわけないじゃないかと、こっちは橋をわたって謎路地を延々とすすんで山にぶちあたって帰ってきたりしながら(現地の人びとが全員適当な方向をゆびさすから)、奇跡的に知識のあったバイクタクシーのおっちゃんなどの助けにより(なんでわかったんだろう…)、わたしはとにもかくにもそこにたどりついた。
しかし!!!
書類はついてさえいなくて「誰だあんたは、なにしにきた?」と言われる始末…(バイクで直行すれば三十分もかからない距離)。
そんなあほな~!とホ―ムデパートメントにどつきにいくと、
「送ったよ!本当だってば!この記録みろよ!」
とみせられたそこにはしょぼい紙質のノートに手書きで確かにスペシャルメッセンジャー(バイク?)に託したと日にちも含め書いてある。なんでわたしが諜報機関だのを足で探して顔見せ済ませてまたこっちに戻ってきているのにその「スペシャルメッセンジャー」とやらはたどりついてさえいないのか!途中で寝ているのか?
日参あるのみ!また諜報機関諸々に行く!
そしてその書類がやっと諜報機関諸々にやっとこさ「届いた!」となって、
「送り返したよ!」といわれるまで日参をつづけ、再度意気揚々とホ―ムデパートメントにいくと、今度はこっちに届いていない…。もうさ、わたしに書類よこせよ!一時間で送って送り返してやるから!!
そしてそのたびに諜報機関側(最後の書類を保持していた)のほうも
「もうこっちからは書類送り返したし(水曜)、遅くても金曜には絶対ホームデパートメントから許可がでる!」とかいういらん希望を燃え上がらせることを言うのだよ。政府機関の言うことだしそうなんでしょ…とわたしも淡い期待をいだいて行くのだが、まあそんなことはないのである。
で、ホームデパートメントに行くが「届いていない」
いったいぜんたいこの小さな町のどこで書類は寝ているというのか!!!
バイクタクシーで三十分で端から端までいける街やぞ!!!!
で水曜日だったと思う(金曜日は半ドンで土日は休みのお国柄よ…)。
ホームデパートメントに行くのだが、もうお互いにいやになってきているわれわれ、ホームデパートメント側から「ここで一番偉いひとに陳情してこいよもう……」といわれる始末。
望むところである!
偉い人のところへ行くと秘書が「会議中です。午後四時にまた来てね」という。
で四時に行くと「今日はもう帰られましたからまた明日」そんなこったろうと思ったよ…。
で、翌日も朝いちばんに来る、
またしても、いない「偉い人」、
昼、いない、
会議中です、
樹上の鳥など数えながら待つが、来ない
夕方、来ない…
本日も、「また明日」…
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、と流石に門近くでしゃがみこんでいると、
門衛に「今日はもう終わりだ。早く帰れ、時間を無駄にするな」とかなんとかいわれる。
プチンと切れた(やめとけって)。
「んだとぉ無駄にした時間てぇのは今日一日のこの時間のほうじゃ!
無駄にすごした時間を終えて、いまわたしはやっとわたしの時間をすごしてるんじゃ!この仕事しない国の人びとはどっかにすっこんどれ!!!!(やめとけってばー)」
うがー!!!!
と仕事しないスペシャルメッセンジャー、
仕事しない諜報機関、
仕事しない「偉い人」、
仕事しないホームデパートメント諸氏、
なんにもできない、そして今日も「時間を無駄にした」わたし自身をののしりながら、門衛以外誰もいない(丘のうえにある)ホームデパートメントで熊よろしくわーわーと吐きだせるかぎりのストレスを吐きだしていったりきたりと空中にぶつけまくった。警察が何人か集まってきたが、”集まる”暇があれば書類の一枚くらいとっとと届けろよ!!!としかいいようがない(すいません実際にそういいました)。数時間わーわーと日本語でストレスを発散しまくってすっきりした気分(すいません)で丘を駆け下りて、卵スープやら焼肉やら買い込んでホテルに帰った。
ホテルでは気のいいおっちゃんが「今日もNOCでなかったの?大丈夫だよ。俺の身分証明書もさあ、政府がつくってくれたのが本当に遅くてさぁ、それができるまで俺どこにも行けなかったの。政府なんてそんなもんなんだよ」と慰められた。当然次の日も朝一番の突撃である。
しかしその朝はなんだか感じが違った。
どうも前の日にわーわーと警察と門衛の前でストレス発散をしたことが所内で共有されたらしく(暇かよ。だったら書類の一枚くらry)、すぐさま「偉い人」のいる部屋に案内された(いたんか)。
案内されたそこは、ギルギットでもこういう部屋ってあるんだと思わされる「えっ」と思うほどの装飾の部屋で、香まで焚きしめられていた。
繊細な茶器でのチャイもだされてから会ったその「偉い人」は、
「あなたはいろいろと大変な人のようですねぇ」とのこと。知らんがな。で書類はそろっていないのだけど、各所は了承しているようなので、わたしの一存でNOCを出しましょうとのこと。早くしてくれろと思っているわたくし(謙虚に~)。
それから所内の人々の行動の早いこと早いこと、全員が走りながら各所のサインを集めていて
「健康状態に問題はないか」「えっ?ないけど??(虫歯が治療中だったっけ…てかそんなことまで大事かな??)」とか答えながら、
閉所寸前にはどこぞの兄ちゃんが本気ダッシュで六~七往復で「偉い人」オフィスと一般オフィスを往復しまくって書類を通し
5時をちょっとすぎたころ(閉所である)
息せき切った兄ちゃんに「はい」とわたされた。
NOCである。
No Objetion Certifiateである。
その日は金曜日。
その日をのがしたら、また月曜日まで時間つぶしにおいやられるところだった。
わーーーーーーと開放感で坂をかけおりるも、
なんと!そのNOCには!
「一般家庭に泊まっちゃいけません」
との注意が含まれていた(後で諜報機関からワッツアップでこそりと伝えられた)
人類学者にそういうこというかね。
でも地域のDC(dupty comissioner)が許可したらそのときはいいけど、というその注意なのだが、その後もわたしはそれに幾度も翻弄された。
だってさぁスカルドゥSkarduのDCではスルーだったのだけど、シガルShigarのDCなんかがさぁ…。最初現地の人の家に滞在したとき、仲介してくれたひとが届け出をだしてくれるといっていたので「DCにちゃんといっておいてね」(トラブりたくない)といっていたのにもかかわらず実はなんにも届けていなかったことが発覚し、で結局どこにも行けなくなったとか。シガルのAC(Assistant comissioner)とも直接やりあったのだが(よくわからないんだが、市長みたいなもん?)頑として譲られず、で、それは「世帯に泊まってはいかん」というだけの条項にすぎないはずなのに、インビテーションを発給してくれた教授にたのんで間に入ってもらっていたバルティスタン大学の調査助手氏が「あらゆる一般世帯には行ってはいかん」と解釈し(なんで?!)、一切家にいけなくなったり…
それでもなんとかかんとか調査するわたし、
そして最後の関門は、件の「カルチャー」ビザが延長されないことだった(どこまで続く!この試練!!!)。
まあパキスタンのビザ申請サイト、質問メールを送ることもできるのだが、まあまともに質問の答えの帰ってきたためしがない。まったくない。なんの役にも立たない(本当でっせ)。テンプレがはりつけられたものが戻ってくるだけで、問題が解決されたことはただの一度もない。
まあカルチャービザの延長はHPに「七日~十日で発給」と書いてあるので粛々と待つのだが、来ない。
もしかして七日~十日「営業日」のことだったかな、とさらに粛々と待つのだが、やはり来ない。
最初のビザが切れる一か月前に延長申請をしたのだが、
それももしかして切れる直前くらいにするほうが礼儀正しいのかなと悩みながら申請したものだったのだが、
なしのつぶてなのである!
でビザはあと一週間で切れるというリーガルな滞在可能日数が風前の灯火のころ、周囲のチベット系の人びとが「え、この人もしかして不法滞在の人?かかわっちゃいけない人?」と遠巻きになりかけてきたころ(もう手に負えない)、周囲のアドバイスでわたしはイスラマバードに戻り、内務省へ突入!(実は勝手知ったる長いつきあい)
でとりあえずビザ質問所(正門の横っちょにあるあそこですわ。鉄格子の壊れてるあそこな)のようなところで聞くと
ああこれね、申請から三十日で出るのよ(遅くね?!!)、来週にはでるから来週を待って!No tension!と明るくいわれる。が、こちとらあと数日でビザの切れる身。ゲストハウスにそんな言い分通じる?泊まれる?とさらに次の日問いただすと、今度は内務省のRブロック五階に通されるが「大丈夫大丈夫不法滞在者になんてならないから、申請後四十日ででるから(延びた!)待ってて」といわれる。不法滞在者じゃないの?!!と聞きなおすと「疑念を持つような人にはカルチャービザを延長申請したというレシート(メールの自動返信の文面)を見せておけばいい。カルチャービザはあつかいが大変なんだからそれでいいの♪」といわれる。
明るいなぁ…。
で、切れる、ビザ(九十日過ぎました!)、入国日とビザを照らし合わせたりしたら「不法滞在者」爆誕なのだが、パキスタンビザってそういうところがわかりにくいつくりなので(知っている人は知っている)、息をひそめてホテル滞在をつづける(ってもイスラマバードで一番安い内務省にも近いあそこなんですけどね)、まあ問いただされたら内務省の語りをくりかえすつもりではいたのだが、ストレスは溜まるこの状況(実は似た状況で一回罰金くらったことがある。原因はわたしではないことは先方も了解済みで支払いはせずに済んだものの…)
内務省からはもうスカルドゥに帰ってもいいよとまでいわれたのだが、なんだか腰の座らない思いで落ち着かない。客観的には不法滞在者だし。で毎日メールを確認しながら三十日が経過するも、ビザは、出ず、四十日が経過するも、ビザは、出ず!!しびれをきらして再度内務省に行くのだが、
イスラマバードではそのころサミット開催中!公共交通機関は全てとまり、内務省は当然機能していないの日が丸四日間続く、五日目!待ちつかれてへろへろになって行くと(すでに不法滞在中)
「あ、ごめんそれ五十日かかるわ」
どんだけ延びるの?!!!!
この不法滞在状態をパキスタンのビザのつくりで(ゲストハウス等で)ごまかす範囲から足がでてしまうようになったら、どうしよう!!まあ説明するしかないんだが、いちいちその釈明をする日々を想像すると胃が痛くなってくる(そういう社会なので。ちなみにこういった事態に日本大使館は一切役にたたない。だってビザ発給の権限に日本政府が介入できたら主権侵害でしょう)。ていうかもうすぐ帰国日もせまってるんですけど!!!このままじゃ帰れなくない?!空港出れなくない!!!?(不法滞在がすでに一か月近く過ぎている)。もしかしてわたしが罰金(パキスタンはそう)払えば済むからってみんな(内務省)平気な顔してるってこと?!!!ひど!!!
と胃の痛い思いがひとつでは済まなくなってくる。
ああビザあああビザといいはじめて二か月がすぎたころ(申請は二か月前で不法滞在一か月目)
わたしは帰るんじゃ~~!と主張をきりかえて、明るく再度「六十日待てばでるよ」といってきた係官に「もう帰るんじゃ、帰らせてくれ~」というと
係官は再びわたしを内務省Rブロック五階の部屋へ送り込んだ。
どうやら、うんざりした顔(うんざりしてるのはこっちじゃ!)の五階の兄ちゃんのいうところによれば。スカルドゥのどこかの誰かが書類を止めたままでいるらしい。
誰だそいつは!と思うが、係官的にはビザは「出る」認識にあるらしいので、心配することじゃないという。まあ不法滞在者あつかいされていないならいいといえばいいのだけど、パキスタンの不法滞在の罰金は日に日に増えていく方式なので、わたしの客観的状況は罰金をたんまり払えば出国できるがもうホテルに泊まれずに野宿しながら内務省の決定を待つしかないのかもしれないという情けない立場に、非常に近い!!
するとその若い兄ちゃんの係官は、exit permitとれよ、という。exit permitとはビザの切れた外国人がとる十五日間以内に出国できるという許可証なのだが、オンライン申請で正確に今のわたしの状況を書いたら叩きだされた罰金の額は目を覆う額。
お兄ちゃん係官のいうとおりに粛々と待っていたわたしの状況ってこの罰金なんじゃないか(半泣)、何日も待たせてひどい、とまたうったえにいく(門衛を突破して即Rブロック五階)、
と、
兄ちゃんのいったことは想像をさらに絶していた。
不法滞在開始日を今日の日付で書け!(それってビザ関係の書類に嘘書けってことですかあああぁぁ)俺がとおしてやるから!といわれる。
んなばかなと思いつつも、他に手段はないので、入国日は四か月前(ビザは九十日有効)、不法滞在開始日は今日!!!と書いてexit permit申請を完了させ、内務省に戻ると、五時を過ぎていたので受付ではばまれやむなく翌日、兄ちゃんはどこ?!!
兄ちゃん以外の人が申請をみつけて「この嘘つき!お前は逮捕!」とかなっちゃったらどうしよう!!!と胃がよじれる思いをしていたら、
まわりの係官たちがわらわらと集まってわたしを連れて上に行き(六階)下に行き(五階)、
結局五階のスタッフが部屋に帰ってきたところでパソコンでわたしの申請を呼び出してくれて(オンライン申請の相手方の画面をこっちにみせられるとかいう経験、本当なくない?笑)、即permitを許可してくれて「はい」と紙でだしてくれた。
もう魂が、エクストプラズムで出そうでござるよ……。
ビザ申請で嘘書いて罰金免除されちった……。
昔からパキスタンのビザの延長とかって地域の窓口で泣きをいれたら許可された、とかいう人間臭いシステムだったけど、オンライン化してスマートになっちゃったのかと思いきや、いまだにパキスタンはそういう国なんだなとしみじみと噛みしめた(皆さんもそういう経験されていますかー)。
インド映画の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」で、
主人公のインド人のパワン(サルマン・カーン)が迷子のパキスタン人の少女のためにパスポート、ビザ不帯でパキスタンに密入国し、罰されるも、役人のひとりが「この状況は間違っている」と独断で逃がしてくれる展開になるのだが、その展開がありうるということが、わたしにも大変な実感としてある。杉原千畝は偉人ではなく、パキスタンでは日常というかそのほうがシステムなのだというか、そんな感じがいまも生きていることを感じ、感無量、というか誰だよ六十日も書類止めてるあほんだらはさぁ。

印パ関係と両政府とに同じように翻弄された身としては親近感ありすぎでもう円盤買っちゃいました。
でその嘘書類(なのか?なのか?!!)で無事空港の出国審査を突破し、日本にたどりついてしばらくパキスタンは御免こうむると白い日本のご飯と納豆とわさび漬けをつめこんでいたころ、
延長申請「不可」!!!
というメールが届いた!!!
しかしわたしはもう日本にいる。パキスタン政府の合法的(なのか?!)な措置により。
もう知らん。誰のせいでも追及する気はない(いやわたしのせいかも??)。
そして、そんな状況でも必死こいてかきあつめてきたデータを日記兼フィールドノートから書き起こしていると、マジ自分の「こうなったらいいんだけどなぁ」が全部折られている状況を再体験するわけで、それがとてもつらい。
実際原因不明の腹痛や頭痛に耐えながらそれを今もおこなっている途中である。
そもそもインド側でも同民族の地域を下見をした際にパキスタンの渡航歴を疑われ、ラダックでは秘密警察に尾行された(盗撮もされた)。
パキスタンではNOC発給の際に「インドで何をしてたんだ!」といわれるがえーっとと考えているうちに「美しいタージマハルでも見に行ったのか!!」と先方から答えをいただけてしまい、こちらは開いた口のままうなずいたりもしていた。
だいたいパキスタン人にはインドに対する愛情というか何かがすごくあるような気がわたしはしている。インドに行ったというと「インドはきれいだったか?」「インド人は優しかったか?」などというおずおずとした人びとのいれてくるさぐりを聞くことになり、インドに対する恨みや怒りのようなものはあまり感じない。
しかし、まあ印パ国境のチベット人の人類学的調査に関していえば、
ビザは出にくいし延長もしにくいし(とてもひかえめな表現)、わたしはお勧めはしないかなぁという表現になるのかな、というところなのである。
他にも政府関連以外にもいろいろあったが、政府関連だけでもこれなのである。
日本の政府もいろいろあるけど、しばらくは醤油と味醂と味噌と納豆と白い日本米を堪能して元気を取り戻したいよ、ということで
読んでくださって誠にありがとうございました。
