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トコヤミのショートショート Ep10: 言伝(ことづて)

「暑い……暑すぎる……」

エアコンが壊れた。よりによってこの酷暑の中で。

修理業者は早くても三日後としか言ってくれず、事務所は蒸し風呂と化していた。氷を浮かべた麦茶をすすりながら、恵がぽつりと言った。

「ねえ、こういうときこそ怖い話じゃない?背筋が凍れば、少しは涼しくなるでしょ」

「それ、根拠あるの?」
萌香が訝しげに答える。

「ないけど、やろうよ」
恵が笑いながら言った。

そこで、それまで黙って扇子を扇いでいたキリサメが、ふっと口角を上げた。

「実は、こんな話があるんですよ」


民俗学者らしい、いつもの落ち着いた声。全員の視線が彼女に集まる。

「方言研究をしている、私の知り合いの話なんですけど」
キリサメは語り始めた。

その知り合いは、消えかけの方言を記録するのが仕事で、去年、山間の小さな集落に長期滞在していたのだという。人口はもう十数人。若者はとうにいなくなり、残っているのは八十代、九十代の老人たちだけの村。

「そこで彼女、一つだけよくわからない言葉を見つけたんです」


村では、誰かが死の間際になると、決まってある言葉を聞かされるのだという。方言というより、もっと古い、村独自の言い回し。

彼女はどうにかしてその言葉を聞き取ろうとしたが、耳で拾うには方言のイントネーションも複雑で、どれだけ耳を澄ませてもまともに聞き取れなかった。

「言葉の意味を、誰にも教えることはできない、ってある老婆は笑ってたそうです。決して口にしていい言葉ではないから。使っていい場面は一つだけ。誰かの死の間際、その人に向かって、家族が耳元でそっと囁くときだけ」

どうしても自分の耳では聞き取れない。そこで彼女は、録音機をこっそり忍ばせることにした。もちろん、村の人には内緒で。


村の集会に通い続け、ある晩、九十二歳になる老人が、静かに息を引き取った。その枕元で、老人の娘が身をかがめ、彼の耳元に口を寄せる。
彼女は、上着のポケットに隠した録音機のボタンを、そっと押した。

「再生したのは、東京に戻ってからのことです。夜、一人暮らしの部屋で、イヤホンをつけてファイルを開いて」

雑音混じりの中に、小さな声が録れていた。方言のイントネーション、聞き取れない単語が三つほど連なる、短いフレーズ。

「彼女、それを何度も繰り返し聞いたそうです。研究のためだったんですけど……数日後、連絡が取れなくなって」

心配した共同研究者が部屋を訪ねると、彼女は布団の中で目を開けたまま、微動だにせず横たわっていた。呼びかけても反応はなく、ただ息だけはしていたという。


「今も意識、戻ってないそうです。パソコンには、あの録音ファイルの再生回数のログだけが残ってて。四十七回、って」
サカモトが、ごくりと喉を鳴らした。

窓の外では、いつの間にか空が黒く低く垂れ込めていた。遠くで、低い雷鳴がゴロゴロと響いている。

「その……言葉って、結局なんだったんですか」
キリサメは、扇子を閉じた。

「気になりますよね、皆さん。その言葉」
部屋の温度が、一段下がった気がした。

では、ここでお伝えしましょう――

その瞬間、窓の外が真っ白に光った。

「ギャアアアアアアア!!!」

ほぼ同時に、耳をつんざくような雷鳴と共に、部屋の照明が消えた。
真っ暗になった室内に、悲鳴が重なる。全員が同時に叫び、椅子が倒れ、誰かがテーブルにぶつかる音。

数秒後、非常灯だけがぼんやりと点いた薄暗い部屋の中で、恵がスマホを取り出し、電力会社の停電情報を確認した。

「……近くに落雷があったみたいです。このエリア一帯、停電中って」

「うそだろ、こんなタイミングかよ」
サカモトが呆れたように言った。

「涼しくは……なりましたね」
萌香が苦笑いを浮かべる。

「体温どころか、寿命が縮んだよ」
俺は肩をすくめながら口にした。

結局、あの言葉の意味を、キリサメが話すことはなかった。

そして誰も、二度とその話の続きを聞きたがらなかった。

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