「鬼コーチ」の目に涙
「夏の甲子園」(第108回全国高等学校野球選手権大会)は、1〜2回戦を終え、いよいよ、「ベスト16」による3回戦へ。佳境を迎えます。
小学生のころ、「野球少年」でした。小学3〜4年生の時、地元の少年野球チームに入っていました。打順は「1番」で、守備位置は「ショート」。公式戦で、プレイボール・ランニングホームランを打ったこともあります(小学校の校庭だったので、フェンスがありませんでした😅)。
チームには、監督のほか、何人かのコーチがいました。チームメートの親がコーチ役を買って出ることが多かったのですが、一人、そうではないコーチがいました。記憶はおぼろげなのですが、確か、赤いデザインのジャンパーが印象的でした。
このコーチ、とても怖く、チームメートからも恐れられていました。「きびしい」のではなく、ひたすら「こわい」😰
「おら、なにやってる!」「くらいつけ!」「根性、見せろ!」。バットを手にノックをしながら、大声で檄を飛ばすのですが、具体的に、技術的なアドバイスはありません。
まだ小学生でしたので、陰で「鬼コーチ」などと呼ぶ子はいませんでしたが、こわくて、近づきがたく、みんな、なんとなく遠巻きにしていました。その後の人生で、「鬼コーチ」という言葉に出合うたび、思い出すのが、そのコーチの姿でした👹
練習場所だった小学校のすぐ裏手にある一軒家が、そのコーチの自宅でした。夏休みのある日、午前中の練習が終わった後、メンバー10人くらいが、コーチの家に招かれました。ちょうど、昼時。出前のラーメンを人数分、注文し、ふるまってくれました。テレビでは、甲子園の熱戦が中継されていました。
「さあ、食え、食え」。うれしそうな表情で、そう勧めます。ふだんの「鬼コーチ」は、どこへ。そんな和やかな雰囲気をぶち壊すように、事件は起きます。いえ、正確には、「起こします」🫣
何を思ったのか、私は、自分のラーメンが真っ赤になるくらい、ラー油をかけていました。
「ラー油」が、どんなものか知らなかったわけではなく、辛いらしい、というくらいの知識はありました。でも、口にしたことはありません。
コーチのジャンパーの赤に刺激されたのか、テレビの甲子園中継で、一方のチームのユニフォームが赤を基調にしていたからなのか。自分でも理由は、よく分かりませんが、気づいたら、まっかっか。辛くて、とても食べられたものではありません🥵
それを見て、コーチも、びっくり
あゝ怒られる😱
そう覚悟したものの、コーチは黙って台所に立ち、インスタントラーメンを手際よく作ってくれました。「こっちを食え」と、ひと言。「ありがとうございます」と、か細い声でお礼を言いながら、それをいただきました。
代わりに、コーチが、その「真っ赤なラーメン」を食べてくれました。が、あまりの辛さに、咳き込み、目から涙を浮かべていました。申し訳ないことをしたと反省しつつ、子どもながらに、コーチの「やさしさ」に触れた気がしました。
いま、振り返って、あのコーチは、どんな思いで、コーチを務めていたのでしょうか。チームに「わが子」がいるわけでもなく、チームから依頼されたというより、自ら、コーチを買って出ていたようでした。
招かれた自宅には、お子さんがいるという雰囲気はなく、ほかに家族が一緒に住んでいるのかさえも、分かりませんでした。
どんな気持ちで、コーチを務め、ノックのバットを握りしめ、子どもたちに檄を飛ばしていたのか。今となっては、もう、その胸の内を知るすべはありません。単純に、野球が、そして、子どもが、好きだったのか。
記憶の糸をたどりながら、いろんなことが思い出されてきました。コーチの自宅に招かれたその日、テレビでは、正午に試合が中断し、サイレントとともに、選手たちが黙祷を捧げる画面が映っていました。「8月15日」だったのです。
その後、小学4年生の途中で、チームを離れました。当時、根っからの「野球少年」だったのに、なぜ、辞めたのか、よく覚えていません。そして、「鬼コーチ」が、その後も檄を飛ばし続けたのか。それも、今となっては闇の中。
高校野球を見るたび、懸命に白球を追っていたころの自分と、ノックをしながら檄を飛ばすコーチの姿が、遠い夏の日の記憶として、思い起こされるのです。
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