職場の人間関係の話
人生の展開についていけない…(笑)
月曜の朝
月曜日の朝。私はいつも以上に重い足取りで起床しました。
ギクシャクしていた土曜日のナツコ先輩とのランチはなんとか乗り越えましたが、私にはまだ問題があります……。
同僚たちの衝撃のお願いです。
「あなたに辞めてほしい。そうしたら、ナツコ先輩はハラスメントに問われる」
回想の同僚たちの言葉が突き刺さります。
週末、ナツコ先輩からの提案で約束したランチでナツコ先輩と私は、
和解という想定を超越した結果になりました。
私は普段は開けない宝石箱から、誕生石のペンダントを取り出しました。
石は、紙にマーカーの先をとん、とつけた時の黒い点くらいのささやかなささやかな大きさでしたが、その石には「成功」や「支配されない」という強い意味がありました。
(…負けると分かっていても、行かなければいけない時がある。…よしっ)
怯える気持ちを奮い立たせて、出社しました。
不本意ながら、今や部署の「火種」となってしまった私とナツコ先輩。
オフィスに着くと、課長や、若い男性社員や事務職員の同僚たちなどが私たちの方を気にしてチラチラと見ているのを感じます。視線が痛いです。
「……9時になったら、朝礼を開始します。今日は少し、大事な話をします」
8時50分、課長が重い口調で朝礼を予告しました。
まだ少し時間があります。多分、朝礼の主人公は私たちです。
本当に本当にすみません…。システムロックといい、今回のことといい、私、消えてしまいたい。うぅ、この10分がいたたまれない……飲み物でも、買ってこようかな……。
ぽん、と肩が優しくたたかれました。
「ふじこさん、おはようございます。週末は本当にありがとうね。」
私に話しかけたナツコ先輩の声は、いつもの冷ややかな声ではなく、鈴を転がすような柔らかいトーンでした。
驚いて振り向くと、そこにいたのは「職場の影の支配者」の鎧を脱ぎ捨てた、穏やかで美しい女性でした。
明るいオレンジベージュ系のリップが彼女の透明感のある肌を引き立て、本来持っていたオシャレで洗練された佇まいが、周囲の空気を変えていました。
「え、あ、おはようございます……」
私が笑顔で返すと、ナツコさんはフフッと優しく微笑み返してくれました。
(別人だ…!)
「いろいろ、ごめんね。土曜日、お伝えそびれちゃって……」
その瞬間、課長が顔を上げました。
職場にどよめきが走ります。
課長やみんなの頭上に「???」が浮かんでいるのが見えます。
課長は頭をかき、机の上で広げていた資料を畳むと、顔の前で手を組んでしばらく考えているようでした…。
ちょっといいかしら
「ふじこさん!どうなっているの?!」
私は事務仲間から3回目の「ちょっといいかしら」を受けました。
「ナツコさん、笑ってたんだけど、一体!?」
(そりゃそーだ……)
私はただ苦笑いするしかありませんでした。
ナツコ先輩が、週末のイベントで自分の夢を見つけたこと。
たまたま出会った私の友人に背中を押され、心の鎧を脱ぎ捨てたこと。
どう説明したらいいのか、自分でもパニックです。
「えっと、ナツコ先輩とランチに行って……」
「なんでランチに行ってるの!」
「どうやったらそうなるの!」
「なにを盛ったらこうなるのっ!!」
(盛るって…私は何もしてないよぅ。何がどうなってんだか、私が聞きたい…)
遠くから近づいてくる足音と共に、男性の声が響きます。
「はいはいはーい!解散解散、戻りなさーい!」
聞き覚えのある声。すっかりご無沙汰になっているベテラン社員さんです。
「席に戻る前にこれ、やっといてくれよ。」
と、ちゃっかり事務員たちに手際よく書類を渡します。
それを眺めながら、私は考えていました。
(みんなが驚くのも無理ないなぁ。私も、彼女を『分かりあえない怖い人』という枠に閉じ込めて見ていたし……)
「おぅ、ちょっとつきあえ。」
ベテラン社員さんはドリンクを飲む仕草をしました。
自販機の前
自販機でいつもの銘柄のコーヒーを買うと、彼は心からおかしそうにクックっと笑いました。
「聞いたぞぅ〜。システムロックしたんだってなぁ」
「あ、あれは……その……」
先日のトラブルの情報は、工場にも届いているようです。
「あいつ(課長のこと)、泡食っておもしろかっただろ」
課長は彼の後輩にあたります。
「おもしろくありません!!」
私はムキになって反論します。
「心臓が止まるかと思いました……復旧できてよかったです」
彼はあごに手を当て、独り言のように呟きます。
「あいつ(課長)、中間管理職で板挟みだからな。予算も部下の育成も全部背負わされて、余裕ないだろうな……。」
ベテラン社員さんは、遠くの空を見るような目で続けました。
「……俺が逃げた分、あいつに全部背負わせちまったからな。申し訳なくて見てられねえんだわ」
ベテラン社員さんは、優しく微笑むと、
「これみてみろよ。」
と、一元管理システムの仕様書を見せてくれました。
「渡してある教育資料にもコピーあるんだがな。興味あったら後で見てみろ」
「リスクアセスメント実施一覧表」のページに付箋があります。
「操作者が誤ってデータを消してしまう」
「操作者がログインパスワードを誤って入力権限を失う」
「操作者が社外のシステムからログインする」
「操作者がマニュアルを他者に奪われ、第三者がログインする」
「操作者のPCがウイルスに侵されている」……
(……これは……!)
「東京のあいつにはお見通しだったってことだなぁ。」
壁にもたれてコーヒーを飲みながら、ベテラン社員さんは穏やかに言います。現場のDXを進め、半ばで東京に移動になった(元上司)さんは、今、一元管理システムのプロジェクトをされている、と伺ってはいました。
(離れていても、心配してくれたんだね……!(元上司)さん…!!)
私は、遠くから心配してくれる、移動になったかつての上司に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「そのページみんなお前がやらかしそうなことばっかりだろ」
「こ、こんなにやらかしませんよっ」
ククク、と笑い、ベテラン社員さんは飲み終えたコーヒーをゴミ箱へ入れながら、
「ちょっとぐらいの失敗、気にすんじゃーないぞ!!この会社に残れ!
じゃーな」
と言って新工場棟へ去っていきました。
夢を追いかけて
しばらくして、ナツコ先輩は課長に退職を願い出ました。
「若い頃に諦めたデザインの仕事に再度挑戦するためです」
そう言って晴れやかな顔で笑う彼女に、オフィスは騒然としました。
でも、その表情があまりに清々しいため、誰も止めることはできませんでした。
その後の彼女は、天使のように優しく、オフィス中がぼぅっとしてしまいました。洗練された淑女の物腰、少し厳しいけれど的確なアドバイス…仕事のできる女性像そのものでした。
「ナツコさんのチェック、厳しいと思ってたけど……おかげで大きなミスにならずに済んでたんだね」
事務員の一人がポツリと漏らした言葉に、みんなが静かに頷いていました。
引き継ぎが進むにつれ、事務員たちの間には、それまでとは違う沈黙が流れるようになりました。ナツコ先輩が去った後の膨大な仕事量と、彼女が人知れずカバーしていたミスの数々に、ようやく気づき始めたのです。
ナツコ先輩の仕事の正確さが実は自分たちを守っていたことを徐々に理解し、事務員仲間たちの警戒も、少しずつ解けていくのが伝わってきました。
最終出社日。 あんなに彼女を恐れていた事務員仲間たちが、一番大きな花束を用意していました。感謝と、これまでのことを気にしているようです。
彼女の言葉は、いつも正論で、容赦がありませんでした。でも、その鋭い言葉の裏側には、この職場を、そして私たちを守ろうとする必死な責任感が隠れていたのだと、彼女の真価を知りました。
もっと早く、彼女のいいところに気がついていたら、彼女がプライベートで追いつめられている背景を聞けていたら…
たらればはキリがありませんが、もっと違ったかたちになったのかもしれません。きつい物言いばかりに耳を塞いで、その内容にある責任感に気づこうとしていなかったのだと思います。
「ナツコさん、寂しくなります」
「今までありがとうございました!」
花束が彼女に渡され、惜しまれる姿。別れが近づいた時にその人の存在の大きさに気がつくなんて…本来のナツコ先輩は、しっかり者で優しい人だったことに気づくのが遅くて後悔ばかりです。長く、この職場を支えてくれていた方でした。
ナツコ先輩が天職で活躍し、彼女のデザインした可愛いお菓子のパッケージが街に並ぶ日を想像しながら、私は自分自身もこれからの未来に向けて、小さく、確かな一歩を踏み出す勇気を分けてもらった気がしました。
