私が血糖値のために筋トレをすすめる本当のワケ。40,50代のための血糖値。
先日、私のインスタグラムで「血糖値のために、ふだん何をしていますか?」とアンケートを取りました(回答1,801票)。
結果は、こう分かれました。

食事のみ(運動はしていない)… 約47%(ほぼ半数)
食事+食後の軽い運動 … 約35%
食事+軽い運動+週2回以上の筋トレ … 約17%(2割弱)
私のインスタグラムのフォロワーの約8割が、35歳~64歳の層なので、
筋トレを取り入れているのは、全体の20%以下という結果。10人いたら2人未満。少ないと感じたのはもちろんですが、むしろびっくりしたのは、食事のみと答えたのが50%近くもいたことです。
その際、私の頭に浮かんだ問いは、
なにが、「血糖値は食事だけで十分」を当たり前にさせているのか?
もちろん食事は、血糖管理でいちばん大きなスイッチです。だから食生活が乱れていた人が食事を整えると、数字はしっかり良くなる。
しかしこれは結果からでた2次情報であり、本当の根本的な理由は時代背景と絡んでいます。
インスリンが発見される100年ほど前まで、血糖値に対抗する手段は食事しかありませんでした。だから「血糖値=食べ方」という感覚は、それこそ骨の髄まで染み込んでいったと考えられます。
しかしいまの糖尿病治療の公式な指針でも、“食事と運動”が並んで「基本」とされていて、運動は“おまけ”ではありません。「運動はプラスα」という思い込みは、医学的にはもう過去のものなんです。
しかし先ほどのアンケートでもそうですが、なぜ運動のほうだけこんなに影が薄いのか。
これについては「伝え方」の問題だと捉えています。
食事は毎日3回、誰にでも訪れる。「これを食べて、これは控えて」とルールにしやすい。でも運動は“どれくらいやればいいか”を一人ひとりに処方しにくく、健診で印がついても、お医者さんは「少し運動を」としか言えません。
しかもレシピ本や食品は“売り物”になりやすい。メディアやダイエット産業が食事のほうへ光を当ててきたことも重なって、運動は効果があるのに、影の薄いまま雑に扱われてきたんです。
つまり「食事だけで十分」は、間違いというより、歴史と、伝わりやすさと、商売の都合が重なってできた“像”だと言えます。

「食事だけで十分」という言葉は、あることをこっそり前提にしていたんです。あなたの足元に「当たり前の活動量」が敷いてある、という前提を。
私はこう考えています。ひと昔前の「食事だけで十分」と、いまの「食事だけで十分」は、もう別ものだと。同じ言葉なのに、その下に敷かれていた土台が、いつのまにか静かに抜け落ちてしまったからです。
ひと昔前までは、運動が「生活に同梱」されていた
ひと昔前まで、私たちは、わざわざ鍛えなくても、日々の暮らしのなかで筋肉に負荷をかけていました。
重い水を運ぶ。布団を担いで干す。雑巾で床を磨く。重い買い物袋を提げて、坂をのぼる。掃除も洗濯も、体を使う手作業でした。
生活そのものが、いわば毎日の“筋トレ”だったんです。しかも、やろうと決めなくても、勝手に。
ところが便利さが、その負荷を一つずつ剥がしていきました。エレベーター、洗濯機、掃除ロボット、ネット通販、そしてスマホ一つで玄関まで届く出前アプリ。食事の宅配は、コロナ前のおよそ2倍の市場になっています。
指先ひとつで済むことが増えるたび、筋肉に力を入れる場面が、暮らしから静かに消えていったんです。
実際、日本人の平均歩数も、この10年ではっきりと減り続けています。でもいちばん深く抜け落ちたのは、歩数よりも、“体に負荷をかける機会”のほうでした。
そもそも私たちの体は、何百万年ものあいだ「動いて、力を使うこと」を前提に組み上がってきました。それが、たった数百年で、急に使わなくてよくなった。体の設計は昔のまま、暮らしだけが先に行ってしまったんです。
ちなみに私自身、デスクワーク中心になった途端、体はみるみる緩みました。抜けていたのは食事管理ではなく、“筋肉を使う時間”のほうだったんです。
いちばん怖いのは、「気づけない」こと
血糖値は、ある日いきなり悪くなるものじゃないですよね。ほんの少しずつ進んで、気づいたら健診で印がついている。
活動量の低下も、まったく同じ動き方をします。時代の変化はゆっくりすぎて、渦中では気づけません。人間の脳は放っておけば「楽なほう」へ流れるようにできています。
こうしてあなたの意志とは関係なく、生活から運動が抜き取られ、その分だけ血糖を受け止める力も削られてきた。食事は何も間違っていないのに、足場のほうが、ゆっくりと下がっていた。それが、いま静かに起きていることなんです。
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