ルーシー・リー展 庭園美術館で造形美を究めた陶器に出合う
東京都庭園美術館とルーシー・リーとの出会い
ルーシー・リーがどんな陶芸家なのか知らなくても、展覧会チラシの陶器作品を見ると(今回は3種類作成されているようです)、庭園美術館にとても映える作品に違いないと想像できます。
会場の東京都庭園美術館は1933年に皇族朝香宮家の自邸として建てられました。内装がアールデコ様式の意匠が凝らされた瀟洒な建物。
深みをたたえた青い色彩に凛としたラインに縁どられたリーの作品はいかにもそんな邸宅に似つかわしいです。
約10年ぶりの日本における回顧展は一見の価値があるに違いないと思い、足を運びました。

大広間にメイン作品として展示されています
展覧会ヴィジュアルの作品
ルーシー・リーとは
ルーシー・リー(1902-1995)は20世紀のイギリスを代表する陶芸家です。
ウィーンの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、ウィーン工業美術学校で陶芸を学び、陶芸作家としての地位を築きます。しかし1938年ドイツのオーストリア併合を機に、迫害をおそれてイギリスに亡命します。
イギリスでは陶芸家として一からのスタートとなり、戦争が深刻になるに従い一層創作活動が困難になり、生活のため洋服のボタンを器と同じ素材で作り始めます。事業はうまくいき、やはりナチスの迫害をおそれてドイツからイギリスに亡命したハンス・コパ―がアシスタントとして参加します。戦争終結後、リーとコパーは共同で器の制作に取り組むようになります。
ろくろを使って制作された薄くて、繊細、豊かな色彩を持った優美な作風が、リーの作品の特徴で、次第に国際展への出展が増えていき、イギリス国内だけでなく国際的に高い評価を得ていきます。
日本でも1964年から展覧会で何度か作品が紹介され、特に1984年三宅一生企画・監修の展覧会において日本で広く知られるようになります。
2010年、2015年にも大規模な展覧会が開催され、今回はほぼ10年ぶりの回顧展になります。
展覧会構成
国立工芸館(金沢)に寄託された井内コレクションをはじめ、国内のルーシー・リーの作品を鑑賞できるこの展覧会は、リーの創作の歴史をほぼ年代順に、他の陶芸家との出会いを重ねながらどのように独自の芸術を高めていったのかがわかる展示となっています。
第1章 ウィーンに生まれて
ウィーンにゆかりのある作家 ー ウィーン工房を主宰したヨーゼフ・ホフマン等 ー による作品と、リーの初期、あるいは後期の作品の展示が展示されています。

1926年の《鉢》は薄い生地とフォルムや釉薬へのこだわりがすでに強く表れています。


鉢の底の部分のターコイズ色の線が効いています
第2章 ロンドンでの出会い
リーはナチスの迫害を逃れてイギリスに亡命しますが、ウィーンでの業績はイギリスではほとんど知られておらず、戦時下での創作活動はより困難なことになりました。
ロンドンに暮らし始めたころ、当時イギリスを代表する陶芸家バーナード・リーチと出会います。
リーチは日本の民藝運動を先導した柳宗悦とも交流があり、その陶器は生活の中から生まれる実用性を重視した、素朴でぼってりと厚い生地を特徴としていました。
リーの繊細な作品と対照的であり、当初リーチはリーの作品を酷評、リーはリーチを作風を一時取り入れますが、やはり本来のスタイルに戻り自身の道を究めていきます。

《スリップ釉柳水禽文皿》1924年
スリップとは素地とは異なる色の土の粘土。鋳込み形成や模様を描く際の加飾材等に使われる。

戦時下、陶芸の創作がままならない時クチュール向け洋服等のボタンを制作



右《熔岩釉鉢》制作年不詳
表面に微小の穴ーピンホールーが現れています。
制作の過程で粘土の中の、あるいは施釉中に混入した空気等によって生じやすい。
リーはこうしたアクシデントを欠点ではなく装飾として活かしています。
このセクションの新館ギャラリーでの展示では、リーの創作におけるパートナーだったハンス・コパ―の独創的なデザインが目を引きます。

《花生》1968年
縁がつぼまっています

《コーヒーセット》
第3章 東洋との出会い
バーナード・リーチのほかにも、交流のあった民藝運動の陶芸家、濱田庄司らの作品が展示。リーチと濱田他の作家の間には親和性はあるのですが、リーとの共通点を探すのは難しいとの印象を持ちました。

《掻き落とし文大鉢》1923年頃
第4章 自らのスタイルへー陶芸家ルーシー・リー
1970年代からのリーの作品のみの展示。
永年の研究と鍛錬が作品に結実しています。
深みのある色味と、薄くて繊細なライン。優美で繊細な作品に、荘厳な雰囲気さえ漂っています。

つややかな緑に刷毛を使って口縁にブロンズ釉をまとわせます。
さまざまな技法の追求により作品に一層の深みと動きが加わります。

1970年代後半より作品に鮮やかな色彩が使用されるようになります。
口縁にはブロンズ釉、胴の下部にはターコイズ色の釉薬。
多色使いですが派手にならず


白地に青のライン
単純な配色ですが奥行きのある白、青のラインのにじみ。表情豊かです
展覧会を見て リーの本質とは
リーが亡命したころのイギリスは陶芸イコール芸術という考え方がまだ確立されていない時代でした。
陶芸といえば、ウェッジウッドやスポードのような白磁のテーブルウェアが高級で格が上。バーナード・リーチが陶芸を志し始めたころも、陶芸は洗練された工業製品よりも粗野で下手と見なされ、その評価に苦しんだものです。

《オクタゴナルティーセット》2004年
イギリスの代表的な白磁・ボーンチャイナのブランドの「ジャスパーウェア」のティーセット。
ウェッジウッド社は1963年にリーにデザインを依頼したことも。残念ながら製品化には至らず。
陶芸の書物を著して、リーチの作品や創作哲学が認められていきますが、その当時、高級工業製品に対してリーチらの創作スタイルはスタジオ・ポタリー(個人制作の陶芸、工場ではなく作家が自分のスタジオで制作する陶芸)と呼ばれて、どちらかというと陶芸の中では周縁的な存在でした。

《蛸図大皿》1925年
蛸の吸盤や外縁にスリップの装飾
厚手の生地のどっしりがっしりした作風
リーもスタジオ陶芸として制作を作陶を進めていきますが、リーチが工芸としての陶芸を広めた一方で、リーは芸術としての陶芸を究めていきます。
リーチが作陶したのが実用的な日用陶器であるのに対して、リーの作品にはほとんど実用性が感じられません。薄くて、高台が細くて高くて安定感に欠けて、実際に盛ったら倒れそうです。色彩、形、装飾などの審美的造形にのみ価値を置いているかのようです。
当初リーチがリーを酷評したのは無理もありません。リーチは実用の中に美を見出そうとしたのに、リーは美そのもののみを追求した造形だったのですから。結果、リーチから見たらリーの陶芸は実用性がない脆い作品にしか見えなかったでしょう(後年、リーチもリーの陶芸を認めています)。
イギリスではもともと陶芸は工業製品として発展し、スタジオ・ポタリーの作陶で作家性が徐々に表れてきます。
そして、リーの色彩への挑戦と、実用に捉われない造形の自由さはスタジオ・ポタリーの作陶を革新し芸術作品と見なされるのに至りました。
リーの作品に目が奪われるのは、造形としての可能性を追求した結果なのだと気付かされる展覧会でした。

白いシャツ、パンツ姿のリー、
白いソファにかけて、やさしくほほ笑む姿が作品のイメージ通りですね。
セルフプロデュースもあったかな?
【開催概要】
タイトル:ルーシー・リー展 ー 東西をつなぐ優美のうつわ
期間 :2026年7月4日(土)ー9月13日(日)
会場 :東京都庭園美術館 東京・港区
詳しくは下記美術館HPをご参照ください
