『キミとアイドルプリキュア♪』―「プリキュアとは?」を日本文化に連ねて再定義したプリキュア

はじめに

『キミとアイドルプリキュア♪』の雑感を以下にまとめる。
コラボした『Dancing☆Starプリキュア』についても掲載する。
また、今作のトピックと解釈できる要素を二つ、以下に述べる。

プリキュアとは? 

今作のプリキュアでは「プリキュアとは何か?」の再定義がなされたような印象がある。
プリキュアシリーズにおいて、プリキュアに関する説明として ”伝説の○○(戦士、プリンセス、パティシエなど)” という説明しかなく、「なぜ10代の女性が対立の矢面に立たなければならないのか」に関する言及はなされていなかった。
今作では ”アイドル” がテーマとなっている。ヒロインキャラクターが偶像崇拝的に受け入れられること自体は、以前からある現象であり、プリキュアシリーズにおいては、『フレプリ』のエンディングでモーションキャプチャーによるダンスシーンが導入された辺りから、その側面を強調していったといえる。
『キミプリ』における ”アイドル” は、”我が家・近所のアイドル”、”商業的アイドル”、”闇を照らす救世主” と、複数側面を持つ存在として描かれている。また ”闇を照らす救世主” には、”戦士”としての側面と、劇場版にて描かれた ”神に奉仕する巫女” としての側面が併せられている。
言うなれば、芸能の神・アメノウズメのような存在であるといえる。また、アメノウズメには交渉の神としての側面(『神道事典』47P参照)もあることから、対立勢力との和解を旨としてきた他のシリーズにも通ずるともいえるか?
プリキュアの設定に関しては、シリーズを追うごとに後付けで追加されていっている。『ハトプリ』において古から受け継がれるものとなり、『ハピプリ』にて巫女としての側面が付加され、”戦闘=舞踊” としての描写がなされる。『キミプリ』劇場版での天岩戸オマージュにて、”プリキュア=アメノウズメ” の定義が提示される。
無論、作品ごとでテーマが異なること、また『ヒープリ』にて提示されたプリキュアの役割過多への疑義に対しては呼応し得る定義であるとは言い難い。
ただ「なぜ10代の女性が対立の矢面に立たなければならないのか」の一つのヒントとなったといえるかもしれない。プリキュアたちの20余年は「失われた30年」に沈む日本のどんよりとした空気を晴らすべくあったのかもしれない(?)。

妖精=人間の心

もう一つ、再定義が提示されたものとして「妖精とは何か?」があるといえる。プリキュアたちに力をもたらす存在たちについても、”異世界からやってきた” といった程度の説明しかなく、妖精たちがなぜ「自分たちの危機に対して人間に依存しなければならないのか」の言及はなされてこなかった。
44話にて「キラキラ」「クラクラ」が人間の心から派生するものであり、キラキランド・クラクランドの世界・そこに住む妖精たちも、人間の心による存在であることが言及される。
この定義を他のシリーズにも通ずるものとした時、人間たちに一方的に依存する側面(初代~)、親代わりとしてプリキュアたちを諭す側面(『ハピプリ』)、目標に向かって切磋琢磨していく側面(『プリアラ』など)、報連相不足によるすれ違い(『フレプリ』『キミプリ』など)も、いずれも人間たちの心の為し様であるという説明は、一理あるものといえる。無論、シリーズごとで設定が刷新されるため、これも仮の定義にとどまることではある。
また、シリーズ史上、最も働き過ぎていると言っても過言ではない妖精キャラクター・タナカーンの姿は、多くの社会人視聴者にとっての合わせ鏡ともいえる。プリルンの、こころへの報連相不足が描かれた対比とも相まって、タナカーンの仕事ぶりとオーバーワークには、架空キャラクターながら敬意を抱きつつ、働き方改革が進まない皮肉も感じてしまう。一方、有事においては、プリキュアたちに依存しなければならないのは、従来の妖精たちと変わらないともいえる。
言うなれば、プリキュアシリーズにおける妖精とは、日本人を指しており、依存が自明となっているのは、必然といえるかもしれない。


1話

天真爛漫の主人公、相棒としての妖精、格闘アクションの復活……。
原点回帰のような印象。
ヒロインキャラクターを ”アイドル” として捉えること自体は、自明ともいえる。
プリキュアシリーズにおいては、少なくとも ’09年『フレプリ』のエンディングでモーションキャプチャーでのダンスが導入された辺りから、”アイドル” としての位置づけを明確にしてきたといえる。
つまるところ、”王道としての戦うヒロイン” を標榜してきた、といえるかもしれない。”闇を照らす救世主” のワードはセーラームーンを彷彿させる。

1話再
天真爛漫の主人公。多くのヒロインもの、魔法少女ものに連なる系譜といえるか。また、”闇を照らす救世主” のワードはセーラームーンを彷彿させる。
相棒としての妖精の復活。『ひろプリ』ではエル、『わんぷり』では鏡石と、プリキュアの力を与える存在が、それぞれ異なる形となっていたが、今年度は妖精。人間への依存度の高さは初期シリーズに回帰しているようにみえる。
格闘アクションの復活。前回の話し合う・保護するのスタンスから一転、肉弾戦に揺り戻し。ただ、格闘慣れしていない感じの描写は、ある意味、リアル志向の名残があるかのようにもみえる。今後の展開、各キャラクターのアクションはどう差別化していくのか気になるところ。
ヒロインキャラクターを ”アイドル” として捉えること自体は、自明ともいえる。プリキュアシリーズにおいては、少なくとも ’09年『フレプリ』のエンディングでモーションキャプチャーでのダンスが導入された辺りから、”アイドル” としての位置づけを明確にしてきたといえる。
つまるところ、”王道としての戦うヒロイン” を標榜してきた、といえるかもしれない。

2話

わかりやすい敵組織。
わかりやすい熱血・勧善懲悪の展開。
『わんぷり』がよかっただけに、ちょっと寂しい。
使命を自覚しちゃう早さは、史上最速?
『セーラームーン』以降の、記号的組み合わせのキャラクター・ストーリー構成の最果てといえるか?

3話

優等生青キュアの、プレッシャーからの解放と自由意志の回復パターン。
そのきっかけが、主人公との出会い。
小さい頃に既に出会っていたのは、『SS』の咲・舞以来。

4話

少女漫画的な理想の男性キャラクターの登場。
”王道的少女アニメ” 路線って、プリキュア的には異例?
格闘アクション、自由意志などプリキュアらしさは保ちつつ、”少女アニメらしさ”へのチャレンジが今年度のテーマ?

5話

妖精の変身パターン、サラリーマン風の男性はシリーズ初?
若い青年・女性マネージャー・少年少女が従来のパターン。
『キミプリ』における ”アイドル” の定義が ”ヒーロー” と同義であると提示されつつ、人間界における ”偶像崇拝” の定義も受け入れられ、メディアデビューもしてしまう。
プリキュアも基本的には ”正体は明かさない” ”闘いは秘密裡” であることが多い。
『フレプリ』における終盤での家族に対する決意表明としての公表、『ハピプリ』における初期設定としてプリキュアが知られているなどとは、また異なる形でのプリキュアの受容のされ方が描かれている、といえるか。

5話再
妖精の変身パターンで、サラリーマン風男性はシリーズ初?
若い青年、女性マネージャー、少年少女が従来のパターン。
妖精の世界と人間界が古来からつながっていて、出張所の設置、パトロールの実施などのインフラが整備されてるのも今までになかったこと。
空想に整合性っぽい感じを入れつつ、ネットの現象にも触れていて、ヒロイン作品としての王道と子供向け番組としての教育を両立している感じがする。
『キミプリ』における ”アイドル” の定義が ”ヒーロー” と同義であると提示されつつ、人間界における ”偶像崇拝” の定義も受け入れられ、メディアデビューもしてしまう。
プリキュアも基本的には ”正体は明かさない” ”闘いは秘密裡” であることが多い。
『フレプリ』における終盤での家族に対する決意表明としての公表、『ハピプリ』における初期設定としてプリキュアが知られているなどとは、また異なる形でのプリキュアの受容のされ方が描かれている、といえるか。

6話

”偶像崇拝” としてのアイドルと、”ヒーロー” としてのアイドルの違いが明確に浮彫になった回。
こころからすれば、騙されたと言ってもおかしくはない。
プリルンがキュぅべえのようにも観えてくる。

7話

「アイドルの仕事は体力・メンタルとも、想像以上にハード」とは引退したアイドルの人たちから、よく聞かれる文言。
その比喩表現としての6・7話だった、と捉えるのが素直な観方といったところか。
ただ、どうしても説明不足が気になり過ぎてしまう。
”ヒーロー” ”救世主” の意味が含まれていることは、ちゃんと言うべきだったような……。
”子供たちを、無自覚に競争社会に飛び込ませてしまっている” という風刺も含まれていると捉えればいいか?

8話

秒で距離を縮める王道ヒロイン・うた。
それに憧れる後輩・こころのポジションがメタ的目線を持たせていて、”王道少女アニメ” をやろうとしているようで、どこかひねった感じも入ってるのがシリーズらしさを保っている。

9話

青キュアキャラクターの掘り下げ回。
『スマプリ』の青木れいかみたいな、真面目で優等生で、天然な側面を併せ持つキャラとして成立する。

10話

”偶像崇拝” の対象になってしまったことに戸惑う、こころ主役回。
今年度のプリキュアは ”救世主” ”偶像崇拝” と複数の意味が重なる曖昧領域を縫っていく妙作といえるかもしれない。

11話

3人の連携技、新キャラの登場など、1クールの節目回といったところか。
”夢” と聞かれて、「家業を継ぐこと」も立派な夢だとも思うのだが。
個人主義の重視か、「飲食店経営って大変だよ」とやんわり諭したのか、なんてことを野暮にも考えてしまう。

12話

メロロン、『5』のミルクみたいな感じ。
今年度の妖精は、シリーズ初期の頃のプリキュアメンバーたちへの依存度が高い存在となっているが、今後、ミルクのようにパワーアップすることがあるのか、否か。

13話

同級生の片想い回。
’90年代作品では当たり前のようにあった回も、プリキュアシリーズでは珍しく思ってしまう。前作『わんぷり』含め、”恋とは何か” をテーマにした回が定番化したと思っていいか。

14話

こころ主役かつ母の日回。
全国の小児を代表するがごとくの、熱い感謝と奮闘。
人情とアクションが交錯する、感情揺さぶられる回。

15話

『5』のミルクは「お世話係としての役目を果たす」という使命ゆえ、人間への依存を拒んでいた。
メロロンの場合、依存の対象が同族の妖精であるがゆえ、人間との関係を拒んでいるような印象。また、”光と闇” の言及から、両義的なポジションへと移行しそうな匂わせが観られたが、如何に?

16話

特訓のイメージの古臭さ……。スポ根的伝統を継承するのもプリキュアシリーズらしさ。
敵方の大ボスの本領発揮、妖精の自立・パワーアップの兆しなど、フェーズが変わっていくであろう展開が観られた回。

17話

妖精キャラクターの、人間への依存からの脱却を、今回ほど明確に掘り下げたのはシリーズ初、といってもいいか?
タブーを犯す引き換えとしての喪失と合わせて、妖精キャラクターを『セーラームーンS』のウラヌス・ネプチューンのようなポジションに転換してきたのは予想外だった。

18話

’90年代アニメのウラヌス・ネプチューンも、タリスマンの持ち主が自分たちであることを自覚しておらず、部分的に記憶喪失していたがゆえに、第三勢力的なポジションな立ち位置となる。
今作、妖精キャラクターの成長と追加キュアの登場に、この構造を重ねてきたのは意外だった。
行動目的がズキューンは ”キュアアイドルのため”、キッスは ”姉さまのため” である点で、今後何らかの軋轢が起きそうな暗示。

19話

ひたすらミスリードのコメディ回、かと思ったら早速邂逅。
メロロンが折り合わない態度であるため、しばらくは別々での行動になりそうだが、如何に?

20話

折り合わないメロロンと、「キュアアイドルを守る」という願いのみで行動するプリルン。
戦いに巻き込んでおいて、それはないよと野暮なことを思いつつ、この複雑な関係性がしばらく続いてほしいとも思ってしまう。

21話

タブーを犯す引き換えがあっさり解決。解決の仕方は、キュアハニーみたく、窮地に立たされてなお、歌い続けること。プリキュアが ”勇ましいヒーロー” ではなく、”融和を謳うヒロイン” であることが改めて示される。
メロロンの事情が明かされてはいないので、まだ何かしらはあるのだろうが。
敵方が何気にパワーアップ。『ひろプリ』以降、敵側があまり深堀されない傾向が続いているが、今後は如何に。

22話

『セーラームーンS』みたいになるかと思ったら、『ウリナリ』みたいになってきた。
ミニ四駆対決とか、ガソリンギリギリで武道館目指したり……、なんてことはしないか。

23話

久々の響カイトの登場。追加キュアの波乱やら今後やらで忘れてた。
掘り下げが年間のうちに収まるのか、ほったらかしになるのか。後者ならば、2代目ジョー岡田になるが。
いずれにせよ、それも年間のシリーズものならではなので、問題ないが。

24話

「敵方の裏切り・改心」その2の始まり。2回目は何らかのクセがあるはず……、すんなりと行くわけがない……。と思ってしまうのは、平成・令和特撮に慣らされ過ぎか?

25話

「敵方の裏切り・改心」、2度目はちょっと一癖(?)
敵側に新キャラが唐突に出てきて、何らかの波乱が起きるのか否か?
幹部の怪物姿がかつてのロボットヒーローモチーフなのは、何か意味が……、は考え過ぎか?
メロロンの折り合おうとしない言動は、今後に何かしらの影響を及ぼしそう。

26話

タナカーンの仕事ぶりの凄さたるや……。営業・マネジメントに加え、システム開発まで……。24話に言及された働き方改革はいつ為されるのやら……。
国語教師を務めたココ、パティシエとして活躍したシエルなど、人間界で働く妖精キャラは今までにも描かれたが、タナカーンは歴代随一といえるかもしれない。
敵幹部二人が元々は妖精だったことが判明。キラキランドと敵方勢力との関係性の掘り下げはあるのか否か……?

27話

カッティンとザックリンの闇堕ちから、立ち直りのきっかけに言及された回。今後の展開のキーとなるか?

28話

田舎=空気がきれいで住みよい所、のイメージは未だにあるよう。さすがに田舎の諸々の問題には踏み込みにくいか。
強いて言えば、断捨離の言及があったくらいか。
人口減少とコンパクトシティ化が進んだとき、田舎の描かれ方も変わってくるのかもしれない。
メロロンの雲行きが怪しいのが、後々どう影響してくるか……。

29話

メロロンの単独変身。相互依存からの独り立ち。
自由意志を獲得し、他者へのアクセスが可能となった途端に、牢獄へ閉じ込められる。
メロロンのストーリーラインは、含蓄に満ちているように思えてしまう。

30話

”友達としての未来” をイメージできた瞬間に牢獄に閉じ込められる。牢獄を破るきっかけは、”自由意志の獲得宣言”。”思う” だけでなく、”言葉にする” ことによって打開する。
プリキュアになれる条件の一つ、”自分の意志” を改めて定義づけた回であるといえる。
メロロンが両義的存在であることにも触れられ、敵方の新幹部も本格始動。

31話

”アイドル” が ”神” から ”身近なマドンナ” に変わっていき、諸々のグループが経てきた歴史も最早、古典芸能化・記号化したものになっていく。
それゆえ、”古き良き” を伝承するプリキュアシリーズのテーマとして成立し、パロディも交えて ”アイドル” が描かれる。それが今期のプリキュアであるといえる。
キッスがスピルバン・バイパススリップ!? ローズマリー以来の能力。『ゼッツ』が宇宙刑事っぽいのに合わせた?
ジョギとカイトの関係性に何かありそうな匂わせが……?

映画

アメノウズメ=アイドルと定義して、天岩戸神話をリブートした、といった感じ。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの要素も入ってる。
女神様の妄執の感じは、イザナミの要素もあるか。
クラゲは、『古事記』冒頭に出てくる、混沌の比喩。
いずれにせよ、日本神話をふんだんに入れ込みつつ、サンゴ礁の白化現象などの環境問題とも組み合わせた、比喩と風刺に富んだ映画。
ここまでわかりやすく社会性を持たせたのは、珍しいかもしれない?
大量の闇クラゲに、キミプリチームは苦戦してたが、ひろプリ先輩たちは「何とか抑えました」と、しれっと頼もしすぎる活躍。
わんぷり先輩たちはどうやって参戦するかと思ったら、一体ずつ、ちゃんと説得して浄化。
人間とサンゴの妖精たちの、寿命の違いを儚む女神様に、わんぷり先輩たちが「過ごせる時は限られても、出会えたことに感謝」と説得力ありすぎる文言。
”刹那” と ”永遠” が一つのキーと思われるが、テレビ本編でも何らかのキーとして出てくるか?
『わんぷり』では ”亡霊の弔い”、『ひろプリ』では ”何度でも立ち上がる” が映画とテレビ本編終盤のキーとなっていたと思う。

32話

”学校” に関する描写は、基本的には肯定的なプリキュアシリーズ。踏み込んんだのは『はぐプリ』ぐらいか?
未就学児への心の準備として、”学校” を ”憧れ” として描くのは、未だ必要性があることといえるか。
”新米の先生も緊張する” の描写は、割と珍しいかもしれない。
”学校以外の選択でも成長できる” などの描写が入ることは、今後の未就学・児童向けの作品に出てくることはあるのだろうか?
ニチアサ的には『も~っと!おジャ魔女どれみ』の長門かよこの元担任・市川先生がフリースクールに携わってると言及があったくらいか?

33話

初回のギャグ要員の掘り下げる、シリーズ初の試み? 先週の『ゴジュウジャー』も引き継いでる、のは偶々か。
アスリートもまた、現役としての寿命が短い職業。何気にアイドルと近しい分野における悩みに触れた回ともいえるか。
異世界からやってきた桃の乗り物の中身が『ドラえもん』のタイムマシンと同じなのは、”彼方からやってくる物” の定型イメージとして定着されたがゆえ、といえるか?

34話

喫茶店の常連さん掘り下げ回、でもあり、うたが ”我が家のアイドル” としての側面が浮き彫りになった回。
『キミプリ』におけるアイドル像として、”偶像崇拝” ”商業アイドル” ”身近なアイドル” と、複数の側面があるといえる。

35話

シリーズ伝統の ”片想い” ”憧憬” の文脈とも重ねつつ、カイトの掘り下げがいよいよ始まるか、の回。
映画では神話モチーフからの儚さを描いていたが、本編は古典文学的な ”想う” ことの儚さに触れていく感じになりそう、なんて思ってしまった。

36話

高市総裁以前にワークライフバランスを捨てているタナカーン。シリーズ史上最も働いている妖精キャラ。
若者たちの思い付きに全力で応える中年男性イメージのキャラクター描かれるのは、世情からの反転のゆえか?

37話

”推す”、”想う” など、現代のアイドルにまつわる現象・関係性を、神話・古典より流れる連綿とした日本文化として捉え直し、プリキュア流に描いたのが『キミプリ』、と思ってしまったり。
カイトとジョギの関係性の回復の過程も見所だが、タナカーンの働き方改革も為されてほしいとも願ってしまう。

38話

ハロウィンと ”お化け怖い” を重ねるのは珍しいか。
後半ストーリーの転換点に置かれる印象があるが、今作では、うたとななの友情に焦点が当てられる。

『Dancing☆Starプリキュア』

『キミプリ』とコラボの予告もあり、第1弾・第2弾のサブスク配信も開始したので視聴。
ニチアサの雰囲気をそのまま舞台に落とし込んだ、といった印象。というより、現代ヒーロー・ヒロインの源流の一つに歌舞伎があるため、舞台化しやすいのも当然か。
プリキュア自体が、ヒーローや少年漫画のプロットを引っ張ってきているのもあって、男性キャストと親和性が高いのは必然。むしろ先祖返りともいえるか。
力強いアクションを表現できるのも、男性キャストならでは。
『ターボレンジャー』『メガレンジャー』を引き継ぐ、高校生戦隊ともいえる。
男性キャラクターで闘う際、浄化をどう表現するかと思ったら、ダンスで調和することで、操られた人を元に戻すという形。
『バトルフィーバーJ』の構想が、進化して令和に蘇ったともいえる。
歌って踊って浄化する、『キミプリ』に先駆けたともいえ、その元を辿れば『ハピプリ』がいる。「プリキュアはヒーロー」と言及したのも『ハピプリ』(16話、増子美代の台詞。管見の限り)。
『ハピプリ』が現行プリキュアへの転換点にいることも、改めてわかる。
第1弾では、スポーツ青春ものをストレートに表現しつつ、プリキュアシリーズらしいメタ視点も入っている。室井の絶望エピソードは、『トロプリ』の滝沢あすかを彷彿させる。
第2弾では、『はぐプリ』で若宮アンリを中心に触れられた「男らしさ」に関して、より深く掘り下げられている。妖精のパドドゥが両義的存在であることが判明。『キミプリ』のメロロンに連なる設定。
プリキュアの歴史が積み重ねられ、視聴者層の成長に併せて制作された『Dancing☆Starプリキュア』。
奇しくも戦隊の歴史ともクロスした(独断と偏見)、ミクスチャー作品となったともいえる。
今後も、プリキュアシリーズだけでなく、戦隊やライダーなど、アニメ・実写含めた、様々な形でのコラボを期待。

39話

『ぼくプリ』コラボ回。
ハートガーデンになぜ入ってこれたのか、と考えるのは野暮か、もしくは、妖精なら入れるという設定があるなら、今後に掛かってくるのか否か。

40話

『スマプリ』の青木れいかを彷彿させる回。音楽で正体バレ?
ハートガーデン、プリキュアや妖精なら入れる設定。後に何かに掛かってきそう?

41話

1年生キャラが生徒会長選挙に出るの史上初。
”部活動とは何か” ”皆のためにできることとは何か” を考えるきっかけとなるような回。
アイドル研究会に予算は割かれてるのか、諸々の活動は手弁当によるものなのか、といった話し合いがあっても教育的だったかもしれない。
いずれにしても、学校に関する描写が肯定的であることが前提ではあるが。

42話

『はぐプリ』以来の、人間の男性キュアの登場。成人キュアでもあり、職に就いているキュアとしては初。『ひろプリ』のツバサは妖精、あげはは専門学生。
ヒロインものの定番、”醜く描かれがちの男性キャラの妄執” 。シリーズ的には『デパプリ』のクックファイターの面々に連なる。
黒幕の存在、ハートガーデンの外観など、後に掛かってきそうなものも示唆される。

43話

「プリキュアとしてのアイドル」と「職業としてのアイドル」が別であることが描かれる。
『キミプリ』における「アイドル」の定義が複雑すぎるような? と気にするのは野暮か。
ダークイーネが本格始動か。

44話

キラキランド復興回。
メロロンが「光と闇」の両義的存在であるがゆえ、「救世主」としての運命を持つ妖精であることが判明。妖精キャラがキーパーソンとして位置づけられるのは珍しいか。
「キラキラ」も「クラクラ」も人間の精神から生み出されるものであり、そこからキラキランド・クラクランド、そこに住む妖精たちも生まれてくることも言及される。
プリキュアにおける妖精たちが、人間の心から派生した存在であることを定義したのはシリーズ初であり、シリーズに連なる設定であると仮定したとしても、矛盾はないといえる。
『キミプリ』は、ヒロイン作品がもつ「アイドル」としての側面をメインテーマとして据えることで、改めて ”プリキュアシリーズの世界観” を定義づけたともいえる。

45話

「クリスマス」そのものの起源ではなく、「日本的クリスマス」が紹介される。タナカーンの人間関係の遍歴も判明。
町が閉じこもりがちになる中で、プリキュアたちが開放すべく奔走する。劇場版での女神さまへアイドルライブを披露したがごとくの流れ。
プリキュアとは、ひいては日本のヒロインとは、「アメノウズメ」であることを改めて提示したと言える。
「日本的アイドル」をテーマに据えたことで、神話から掘り起こした、日本文化再考にも触れた、名作かもしれない。

『Dancing☆Starプリキュア』3弾

『ぼくプリ』第3弾の見逃し配信を視聴。雑感を以下に述べる。
第3弾は、楽のエピソードを中心として、改めて「ヒーローとは何か」について、『ひろプリ』以上に踏み込んで描いた、といった印象。「星河楽」と、ファイブレッドの「星川学」の読み仮名が同じだったことに気づく。親を亡くしている点でも共通している。
前半、楽によって救われた4人が楽を救い、また楽自身が改めて周囲の支えに気づく。楽と颯斗のバディ感がより深く描かれた印象。
楽に対するクラスメイトたちの対応も決して悪いわけではなく、また楽の父に助けられた朝霧太踊の葛藤もまた、見る人によって解釈が分かれるシーンでもある。
後半、パドドゥの背景の判明、”光と闇” の両義性を持つ妖精として、テレビシリーズとの差別化が明確に描かれる。また、楽の闇落ちが描かれ、『ひろプリ』のエルレインやソラを彷彿させ、より深堀された印象。
かつて救ってきた者たちに4人が救われ、4人がその思いを胸に楽を助けに向かい、楽と颯斗の熱い友情へと集約していく展開が絶妙。
名を持たぬ「闇の王」なる存在が、常に相対的視点をもたらし、”希望・絶望” ”ヒーロー” といったそれぞれのワードの定義を再考させる。
男性キャストゆえ、「ヒーロー」をテーマにしやすかったともいえ、かつプリキュアシリーズの位置づけゆえ、より客体的な視点で描きやすかったともえいえる。「ニチアサって、こういうものでしょ」とメタ視点の台詞が逐一入っているのも、客体化の表徴ともいえる。
男性キャストならではの、力強いアクション、プリキュアのモチーフたるヒーローものへの先祖返り、更にはニチアサの源流の一つたる歌舞伎にも遡ったともいえる。
プリキュア、戦隊をはじめとするヒーローもの、また江戸時代より流れる大衆文化の歴史をも包摂した、記念碑的な作品であるといえる。

46話

現代正月文化を満喫してからの、終盤へのスパート。
文化教育とストーリー展開を両立する、子供向け番組の役割を全うした回。

47話

アメノウズメとしての役割を全うするプリキュアたち。
うたを気遣うカイト。いわゆる「ヒーローたちのことは、誰が心配してあげられるの?」に言及したシーンともいえる。プリキュアシリーズの世界観の再定義をしつつ、ヒロインたちに役割を押し付けている形になっていることへの皮肉ともいえるかもしれない?
チョッキリ団の3人は、タイムボカンシリーズの3人みたく描かれると思ってたが、中盤で早々に袂を分かつ形となり、あまり掘り下げられず、終盤での再集結でまとまる。敵方の描写の割合が減りつつあるのは『ひろプリ』以降からの流れ。

48話

ダークイーネとチョッキリーヌの関係性が、劇場版のアマスとテラのような関係性に近いことが判明。劇場版の展開が、終盤に掛かってるのは『トロプリ』以降? それとも、もっと前から?
劇場版では闇クラゲの大量発生に苦戦していて、先輩プリキュアたちに助けられる形だったが、テレビシリーズ終盤では「ここは任せて」がそれぞれが担えるように。あるある展開ながら、成長と熱さが伝わっくる。劇場版みたくそれぞれの持ち曲を披露するのは『キミプリ』ならでは。
アメノウズメ=キュアアイドルの交渉はいかに?

49話

シリーズ伝統を直球で投げ込む最終回。
絶対に諦めない、対立勢力との和解、ほんのり切ない片想い……。
伝統も引き継がれつつ、プリルン・メロロンのように、依存から自立・共助へと成長を遂げる妖精キャラクターが描かれ、妖精の立ち位置の変化も観られた今作。

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