『ハピネスチャージプリキュア!』2周目・雑感まとめ―11年目より問う「プリキュアとは何か?」
はじめに
『ハピネスチャージプリキュア!』
プロデューサー:柴田宏明、シリーズディレクター:長峯達也、シリーズ構成:成田良美、キャラクターデザイン:佐藤雅将
『ハピネスチャージプリキュア!』が面白いと、改めて思ってしまったので、2周目の鑑賞。個別に挙げていた各話の雑感のまとめ。
観るにあたって、以下の論文を念頭に置いた。
井村 夏希・小玉 亮子「アニメ「プリキュア」シリーズにおけるケアに関する価値観の変容」『子ども学研究紀要』第10号 2022
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/2000993
井村・小玉論文によれば、プリキュアシリーズは主に、3つの時期に分けられるとのこと。
1つ目の時期は、初代~『5 GoGo』。勧善懲悪が主に描かれる。救済すべき対象としての妖精キャラクターと邂逅し、彼らをつけ狙う敵対勢力を撃退する、といったことを主だった構図として据えている。
2つ目の時期は、『フレプリ』~『ハピプリ』。救済の対象が町の人たち、また敵対勢力にまで及ぶケースも増え、プリキュアキャラクターたちの役割の肥大化傾向が散見される。
3つ目の時期は、『Goプリ』以降。特定のテーマが設けられ、そのテーマに沿ったキャラクターたちの成長に主眼を置くようになる。妖精キャラクターも、共に戦う仲間となり、敵対勢力に対しては、必ずしも和解に至らないケースも出てくる。
作品ごと、キャラクターごとで、各々の要素がない交ぜになっているため、必ずしも上記のような分類が当てはまるとは言えないが、概ねの理解としては参考になるといえ、Wikipedia をあたるよりも、この論文を読めば、大方の理解はできると思う。
『ドキプリ』『ハピプリ』は、上記の2期目の説明に当てはまるといえ、かつこの2作はターニングポイントとなった対称的作品であるといえる。
『ドキプリ』は、スーパーウーマン・相田マナを中心に、町の人たち・異世界の王国・敵対勢力に取り込まれてしまった人たちまで、まさに全てを救わんがばかりの、痛快活劇性と、キャラクターたちの万能感に引き込まれる作品。プリキュアキャラクターたちの役割が頂点に達していたといえる。若い時に観てたら、好きになってた作品。
『ハピプリ』は、プリキュアキャラクターの役割が肥大化してしまったことへの限界を描いた作品であるといえる。”誰かのため” と行動してきた愛乃めぐみは、失恋を経験したことをきっかけに、嫉妬の感情が芽生え、闇堕ちしかけるシーンが描かれる。ほかにも、利他・誠実の果ての嫉妬・憎悪への裏返りが描かれるキャラクターが登場する。1周目の鑑賞で、印象がかなり残っていて、年齢を経たからこそ理解度が増していく作品。
以上を念頭に置いた各話の雑感を、以下に記す。
1話「愛が大好き!キュアラブリー誕生!」
脚本:成田良美、演出:長峯達也、作画監督:増田竜太郎
2014年放映の『ハピネスチャージプリキュア!』。
2014年といえば……、と思いつく時事が特にない。当時は東京での仕事で忙しくて、テレビもネットもほとんど見てなかった。
『いいとも!』が終わったことを何となく知ったくらい。メディアの状況が変わりつつあった時期であると、ざっと捉えていいか?
海外ではイスラームの過激派組織が「イスラム国」と国家宣言をした年でもあるよう。”幻影帝国を思わせる……?” とつなげたくなるが、『ハピプリ』放映開始は2月、イスラム国は6月の出来事のようなので、関係ないか。
ニチアサ的には『鎧武』『ドライブ』『トッキュウジャー』と同時期。
『ハピプリ』は、架空の国であるブルースカイ王国を乗っ取ったテロ組織的集団の幻影帝国が、世界各国へ侵攻を開始し、それに対し各地のプリキュアたちが対抗している、その状況がメディアを通じて一般の人たちにも認知されている、という世界観。
「誰かを守りたいという ”想い” の力を持つ女の子は、誰でもプリキュアになれる。そしてその力は、この宇宙を生み出した、ビッグバンにも匹敵するんだ」(『ドキプリ』49話 ジョー岡田の台詞より)
前作の『ドキプリ』より、プリキュアが ”スーパーヒーロー化” し、『ハピプリ』においては、”抑止力” と化してしまっている世界が展開している。
そんな『ハピプリ』の冒頭を飾るのは幻影帝国の女王・クイーンミラージュ。300年前の古のプリキュアであったことがわかるのは、後の話。
”抑止力” が ”暴力” へと転換してしまっていることを冒頭に持ってきたのは、前作へのアンチ、”プリキュアとは何か” の再考を提示しているといえるかもしれない。
その後に、白雪ひめ=キュアプリンセスの苦戦・弱音の吐露が描かれるのは、”プリキュア=ヒーロー” であることの限界を示したシーンであるともいえる。
愛乃めぐみ=キュアラブリーが、”想いの強さ” という点では随一ともいえるポテンシャルを見せ、”10年を経たプリキュアシリーズの今後は如何に?” と見得を切った所で次回に続く。
メディア、国家など、自明のように存在していたように思えたマクロ的環境の相対化が顕在化していた頃にあたって、”プリキュアとは如何にあるべきか” が問われた1話である、といえるかもしれない。
2話「ひめとめぐみの友情!ハピネスチャージプリキュア結成!!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:入好さとる・岩井隆央、作画監督:田中美紀
キュアラブリーのポテンシャルの片鱗が観えつつも、本領発揮はまた後の回。敵わぬと判断したひめはめぐみを引っ張って退避。
「プリキュアだからって、何でもできるわけじゃないの!」
序盤のひめの台詞には、プリキュアが ”孤高のスーパーヒーロー” ではないことを明確に示したものが多い。
めぐみの励まし、ブルーやゆうこのフォローで立ち直り、”皆の力” を借りて再度立ち上がり、サイアークを初めて浄化するに至る過程は、ひめの成長と プリキュアが ”仲間との協力・共感” によって成り立つことを示したともいえる。
後の回のキュアフォーチュン、キュアテンダー、キュアミラージュの描写にも連なるといえる。
3話「秘密がばれちゃった!?プリキュアの正体は絶対秘密!!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:越智一裕・中尾幸彦、作画監督:斎藤優
”正体がばれてはいけない” 。ヒーロー・ヒロイン作品では暗黙の了解となっているパターンの一つ。オルフェウス型神話や鶴の恩返しなどに見られる「見るな」の禁忌の応用話型と考えていいか?
神話・民話においては禁忌を犯したことにより、最愛の者との永遠の別れ・死別を迎えてしまう。
ヒーロー作品では、終盤で正体を明かし、敵との最終決戦を終えたのち、自ら立ち去っていく描写が見られる。
プリキュアシリーズでも自明のように ”正体ばれ” の禁忌が設定されてはいる。
『フレプリ』の終盤で不退転の決意表明として、家族や町の人たちにプリキュアであることを明かすパターンが描かれ、以降でも『ドキプリ』『スタプリ』など、重要局面において、正体を明かすシーンが描かれる。
『ハピプリ』では、早々に幼馴染の相楽誠司にばれ、誠司が一般人ながら協力者となる。めぐみ・誠司・ブルーらの関係性のもつれ、それを原因とする誠司の敵方からの洗脳などが描かれてしまうのは、後の回。
『ハピプリ』では ”正体ばれ” を通じて人間関係のもつれへとつながってしまう点で、伝統的な神話・民話に寄せた展開の仕方がなされたといえる。中学生へのタスク超過・メンタル負荷をかけることへのリアルを描いたといえ、この点においても、”プリキュア≠ヒーロー” を提示していたといえるかもしれない。
のちの ’24年『わんぷり』においては、動物の保護を目的としており、ヒロイズムに基づかない活動が初期設定であったため、同級生や家族に早々に正体を明かしたことを通じて、不穏な状況に陥るということが描かれることはなかった。ヒーローではないプリキュアたちが、周囲の人たちの理解・協力を得ながら活動に邁進していくストーリーが、『わんぷり』において結実したといえるかもしれない。
4話「転校生はお姫様!!ひめの友達ゲット大作戦!!」
脚本:田中仁、演出:畑野森生、作画監督:山岡直子
転校ブルーになってるひめを力ずくで引っ張り出そうとするめぐみ。
”頑張れ” の声掛けがまだ成立していた時期でもあるか?
応援が却って負担になることが言及されるのは、’18年『はぐプリ』でのこと。また ”学校” という場所が相対的に描かれるのは、’18年『はぐプリ』と ’21年『トロプリ』ぐらいか。
『ハピプリ』の序盤は、ひめの成長に重点が置かれており、序盤においての主役といっても差し支えないだろう。
’14年当時の ”成長” とは、”社会適合” と ”利他的行動への遷移” といったところか。”誰かを守りたい” という ”想いの強さ” が右肩上がりに推移していけるか否か、ともいえるか。
これが ”自分の意志” をもって行えるかがプリキュアの変身条件となり、その意志の強さによって能力の差異が決まってくる。
キュアプリンセスが1話と打って変わって強くなってるのがその証左といえる。
これらへの根本的な批判は、『はぐプリ』を待つことになる。
5話「めぐみとひめ!仲良しおたすけ大作戦!!」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:越田知明・三塚雅人、作画監督:高橋晃
「困っている人がいたら、手を差し伸べたいだけなの」
前作の相田マナを含め、多くの主人公キュアに通ずるめぐみの利他的精神およびその行動力。
そんなめぐみの無垢なる利他的行動に、「人助けって、面倒臭くない?」と理解はしつつも、本音を隠せないひめ。
サイアーク浄化後、妖精よりもたらされるプリカードがいつもより増えていることから、「情けは人のためならずだね」とめぐみ。
「めぐみが人を助けるのが好きなの、わかったかも。こんな気持ちって、悪くないね。めぐみ、人の笑顔って、いいね」とひめ。
”気持ち” を話しているようで、文字通り ”現金” な話をしているようにもとれるやりとり。
”利他的であること” がどこか ”商魂逞しさ” ともとれるような、純粋なめぐみと我儘を隠さないひめのコンビゆえに為されたやりとりが飛び交った回。
”誰かを守りたい” という ”想い” の具体的な答えの一つが示されたともいえる。
6話「リボンの優しさ!!料理って愛情なんです!!」
脚本:小山真、演出:鎌仲史陽、作画監督:上野ケン
シリーズ初期を考えると、妖精のポジションの打って変わったること。
生活に至るまで人間に依存しなければならない存在だったのが、『5』辺りから徐々に対等もしくはコーチのようなポジションに代わってくる。
10周年アニバーサリーにおいては、親代わりともいえる立場になる。
序盤の主役ともいえるひめを通して、料理の大変さが描かれる。
また、大森ゆうこ主役回に通ずる ”食” をテーマにした回。
”食” の大切さ自体は、現行シリーズも含めて一貫して描かれている。
”よく食べて、よく体を動かす”。
古臭いような教訓が、シリーズを通して描かれ続ける、一種の永遠回帰の神話(?)ともいえるような。
また、のちの『デパプリ』では、様々な家庭での ”食” の事情にも触れられており、”必ずしも一定の型にこだわらなくてもいい” といった提示も描かれる。
7話「友情全開!!二人の新たなる力!!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:殿勝秀樹・岩井隆央、作画監督:ジョーウィー・カランギアン、フランシス・カネダ
複数での合体技のプロセスが描かれるのも『5』以降のこと。
初代・『SS』では、変身・技は二人が前提、学校生活においては徐々に互いのことを知っていき、仲良くなっていく、といった感じで戦闘と日常が分けて描かれる。
『5』以降は、個別での変身、各々の成長・メンバーの親密・チームの結束が並行して描かれるようになる。
’14年当時の時系列的には、春のクロスオーバー映画直後のエピソードであるからか、ひめの成長も一段と増したような(?)
その文脈も含めた上で観ると、結束の強化、合体技の発動に一段と説得力が増す(?)
春映画「プリキュアオールスターNewStage3 永遠のともだち」
脚本:成田良美、監督:小川孝治
『ヒープリ』での予定変更まで、定番となっていたプリキュアシリーズの春のクロスオーバー映画。
新人プリキュアが先輩プリキュアに学びつつ、オリジナルキャラクターたちの葛藤と成長が描かれる。
今作では、オリキャラの成長に加え、母子愛に端を発する ”行き過ぎた善意” も描かれる。
それに対してプリキュアたちの ”自由意志” と ”友情” が、”殻を破る” ヒントを与え、オリキャラが一歩踏みだすきっかけをつかんでいく。
幾度となく繰り返されてきた、何度でも楽しめてしまう、シリーズに連なる話型。
まだ消極的なひめが、後のテレビシリーズで成長していくきっかけのひとつ、とも解釈したくなる。
マナとめぐみが、”ヒーロー” と ”ヒロイン” っぽく対比的に描かれてるのが前作と現行作の作風の違いを表しているよう。
”殻を破る” 最初のキャラクターが、夢原のぞみ、なのはシリーズの象徴たることの証左。
そして何より、劇場版恒例、気合いの入ったアクションシーンが熱い。
8話「友情の危機!!ミスフォーチュンの不吉な予言!!」
脚本:田中仁、演出:門由利子、作画監督:赤田信人
「ぴかりが丘祭り」の起源の説明の中に、ブルーとミラージュの関係を匂わせていたことに、見返して気づく。
プリキュア側も、幻影帝国側も、マスコミを利用して、世論を動かそうとしていた(?)のも、この回だったことに気づく。
ファンタジーのようで、妙にリアリティが組み込まれてるのも、シリーズならではといえるか(?)
めぐみとの出会い、クロスオーバー映画での先輩プリキュアからの薫陶を経て、少しずつ成長していったひめに、1話の冒頭で描かれたキュアフォーチュンとのわだかまりという受難が、再び立ちはだかる。
人見知り、臆病、失敗を素直に謝れない、といった経験をしてる人にとって、ネガティブな意味で共感してしまう回。
「ぴかりが丘祭り」の説明の時に、ブルーは何も思わなかったのかと、2周目の目線として、野暮にもツッコミたくなってしまう。
9話「空手でオッス!!プリキュアパワーアップ!?」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:入好さとる・鎌谷悠、作画監督:河野宏之
武道回かつ、キュアハニーのテレビ初登場回。
空手に限らず、あらゆる武術・武道の型・基本稽古において、守りから入る。古今の空手・カンフーアクション作品においても、必ず言及される文言。
さすがに、車のワックスがけまでやってしまったら、オジサン臭すぎるか。インタビュー記事とか探したら、誰か言及してる人がいたりして?
”歌” と ”食の大切さ” をもって闘う、今後の鬱屈とした展開に入っていくメンバー間の、バランサーとしての役を担う大森ゆうこ=キュアハニー。
武闘派のオレスキーらをも凌駕する位置づけとして登場させる辺り、プリキュアがただの ”戦うヒーロー” ではないことの表れ、ともとれるか?
10話「歌うプリキュア!キュアハニー登場!!」
脚本:小山真、絵コンテ・演出:寺田和男・中尾幸彦、作画監督:星野守
流行りに逆張りしたくなる感。
誰かしらは、ひめの言動に共感するはず。
ホッシーワの「歌はね、自分ひとりが気持ちよく歌えれば、それでいいのよ」も間違ってはいないような気もする。
キュアハニーの登場を立てる、プリキュア歌舞伎を楽しむのが素直な観方か。
終始、キュアハニーの噂にオーバーに反応してた大森ゆうこの、終わり際での正体明かしの見得切に、「えぇっ!」と、敢えて思うように観るのも、2周目の視聴態度というものか?
11話「謎のメッセージ!キュアハニーの秘密!!」
脚本:成田良美、演出:三塚雅人、作画監督:山岡直子
2周目で改めて思うに、キュアハニー登場回も含め、やっぱり前半の主役はひめだったなという印象。
ゆうこのことを知りたくて結論を急ぎたくなるひめと、田植えを通してごはんのおいしさ・大切さを伝えつつ、一緒にプリキュアとして活動できる喜びを素直に言えなかったゆうこ。
対比的に描いて、ゆうこを立てつつ、お嬢様育ちのひめがまた一つ学んでいく。
「勝負なんて、辞めようよ」「一緒においしいものを食べれば、争いなんて」
食の事情を解決すれば、争う必要はない。
『アンパンマン』の作者・やなせたかしも言及していたこと。
奥ゆかしさに、芯をついた台詞が出てくる、ひめと共に、視聴者もまた学ばされた、といえる回。
12話「めぐみピンチ!プリキュア失格の危機!!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:田中孝行・岩井隆央、作画監督:上野ケン
ひめが優等生だったことが発覚。そしてブルーが珍しく、いいことを言った回。ナマケルダが言ってることもまた然り。
”学校の勉強” に対する捉え方は、各々の進路選択によって変わってくると言える。ゆえに伝え方も一概ではない。
また、’70年代ヒーローものより伝統の野球回。
プリキュアシリーズにおいても、ソフトボール含め、『SS』からの伝統ともいえる。
この回においての勉強に対する捉え方が正しいかどうかはわからないが、伝統の野球とも重ねて、対象視聴者層へ繰り返し伝え続ける、伝統的教育回ともいえる。
13話「強敵登場!キュアフォーチュンVSプリキュアハンター!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:園田誠・筆坂明規、作画監督:織岐一寛・近藤瑠依
ブルーとミラージュの過去が匂わされた回。ファントムの初登場回。キュアフォーチュンの行動理由が明かされた回。
クールの節目の、情報目白押しの回といえるか。
キュアラブリーと、対称的に設定・デザインされたキュアフォーチュンとの ”ふたりはプリキュア” によるアクションシーンが観られる。
また、めぐみとブルーとの関係性が進展(?)したといえるか。
ひめの成長ストーリーが中心だった1クール目から、めぐみの恋心、いおなの仇討話へと、徐々にシフトしていく兆しが観られた回。
14話「ヒーロー登場!あいつはいかしたすごいやつ!!」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:越田知明・中尾幸彦、作画監督:フランシス・カネダ、ジョーウィー・カランギアン
相楽誠司の妹・真央が、大阪なるごとく、何度も襲われてしまうポジションだったことに気づく。
「また、私!?」の台詞にメタが入ってるようにも思ってしまう。
ヒーローを目指す少年の目線に立ちつつ、めぐみに恋心をほのめかすゆうこが粋。
失敗しても、上手くいかなくても、何度もチャレンジすることを説きつつ、めぐみのストーリーの進展も合わせて描かれる。
フェーズのシフトと、前回からの不穏な兆しから一転して、明るく描かれた回。
ただ、2周目だと、ブルーの台詞が逐一、納得できないようにも感じてもしまう。
15話「お母さんに逢いたい!ひめブルースカイ王国に帰る!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:島崎奈々子・鎌谷悠、作画監督:赤田信人・星野守
テロ組織に乗っ取られた故国への里帰り強行回。
『ハピプリ』では、妖精キャラクターが一番大人であることを思わされる、また、ブルーの無責任さが、ますます強調される。
儒教的道徳が優先される、時代劇も入ってしまっているような印象。
めぐみとゆうこも、今回はちょっと煽りすぎともいえる。
ひめは当初は無理があることを自覚していた。帰還後も自身の無力さを改めて痛感してしまう。
めぐみとゆうことブルーが励まして、丸く収まっているように描かれてるが、さすがに三方の発言が逐一、蛇足に感じてしまう。
敵方の全容を見せることを、母の日に重ね、試練を課したような構成にしたのは、前回のヒーロー憧憬回の反転、また『ドキプリ』で上がりきってしまったヒロイズム偏重を崩しにいったが故、と考えればいいか?
16話「私はマスコミよ!!プリキュアの秘密全部見せます!!」
脚本:田中仁、絵コンテ・演出:入好さとる・岩井隆央、作画監督:青山充
デザイン上、『5』の増子美香からのスターキャラクターともいえる、増子美代。
「プリキュアはヒーロー」と言及したのは、この回がシリーズ上でも初、といっていいか?
初の社会人プリキュアの登場? とはならず。
前線に立たずとも、できることはある。できることを全うすることが、世界を救うことにつながる。故に「みんなもヒーロー」と結論づけてるのは、教育的、ともいえるか。
ただ、女子中学生を国難の前線に立たせることを、煽っているのはいかがなものか? などと野暮なことも思ってしまう。
17話「努力と根性!!めぐみと誠司の絆!!」
脚本:小山真、演出:鎌仲史陽、作画監督:河野宏之
誠司の空手回および、めぐみ・誠司・ゆうこ幼馴染エピ、ちょっと間を置いてのひめの成長ストーリーの回。
アニメなどに描かれる ”空手” のイメージは伝統派空手である、と解釈していいか?
伝統派であれ、フルコンであれ、空道系であれ、基本稽古が重視されるのは言わずもがな。防具なしでの頭部への攻撃がありの描写からして、伝統派のいずれかであると思われるが、出典を明示してほしい、と思うのは自分だけ?
『ハープリ』の明堂院いつき、『ドキプリ』の四葉ありすと武道系キュアが登場するが、各流派の出典が知りたい、と逐一思ってしまうのは自分だけだろうか?
18話「みんなで幸せ全力応援!ぴかりが丘の結婚式!!」
脚本:高橋ナツコ、演出:大庭秀昭、作画監督:松井誠・相澤茉莉・森悦史
ジューンブライドとも合わせつつ、ブルーの琴線にも触れて、いおなの姉・まりあの現状に触れられる回。
冠婚葬祭に関しては、国王家系たるひめが一日の長。ひめから、お祝いにおける礼儀を教えられる回。
「結婚なんて……」と、ぼやきともとれる3幹部の台詞が、昨今の時流を汲んでいるようにも思える。
”結婚” に対する諸々の解釈に関して、当時の対象年齢層およびその親御さん世代のいずれにも刺さるように描かれている、といえるか。
礼儀も唱えつつ、ぼやき・本音も漏らす、価値観を絶対視しないプリキュアシリーズらしい、冠婚葬祭の描き方。
19話「サッカー対決!チームプリキュア結成!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:寺田和男・中尾幸彦、作画監督:稲上晃
ゲスト声優回、スポーツと重ねつつ、ひめといおなの確執にも触れた回。
妖精キャラクターの大人たることもつくづく感じてしまう。
ひめの過去の失敗に触れられるシーンは、胸が締め付けられる。
誰しも、言いたくない、思い出したくない過去はある。
ゆえに、ひめの成長ストーリーには、等身大性を感じるとともに、共感性羞恥ともいえる印象を持ってしまう。
乗り越えていくのはわかっていながら、2周目ながらも、やっぱり辛くも感じてしまう回。
20話「悲しい過去!!キュアフォーチュンの涙」
脚本:田中仁、絵コンテ・演出:田中孝行・岩井隆央、作画監督:星野守
リボンの親代わりたること。
『セーラームーン』の月野うさぎとルナの関係性が、ひめとリボンの関係性が重なる。
”パンドラの箱を開けてしまったプリンセス” という重荷を背負てしまったヒロイン・ひめ。
それでも手を差し伸べ続ける、利他と共食の権化たるめぐみとゆうこ。
また、それによって、肉親を喪失してしまったいおなの発言もまた、理解できてしまう。
立場を違えていたら、各々の姿勢を貫けるか、といったら、いずれも相対的な態度であるともいえる。
また、めぐみといおなが和解している所を、「友達をとられた」とひめが勘違いするシーンは、中学生らしさを描いたともとれる。
ストーリーの真相にも迫りつつ、等身大の中学生の感情の琴線にも触れているのが絶妙。
21話「ひめの過去の過ち!怒りのキュアフォーチュン!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:長峯達也・筆坂明規、作画監督:織岐一寛・近藤瑠依
ひめといおな。実は似た者同士? と思わされる回。
状況をわかりすぎるぐらいにわかっているがゆえ、また、人の感情の機微を察してしまうがゆえ、頑なに閉じこもってしまうひめ。
青キュアらしい賢さがゆえの、逡巡と葛藤といえる。
めぐみとゆうこの利他心に救われ、改めて友達を大切にすること、また共に乗り越えていく決意を固めたひめ。
閉じこもりから立ち直ったがゆえに気づく、いおなの孤独。
ひめ自身の成長、周囲の感情への気づきと、ひめ主人公ストーリーが佳境へと向かっていく。
22話「新たな変身!?フォーチュンの大いなる願い!」
脚本:成田良美、演出:門由利子、作画監督:青山充
前作の『ドキプリ』で ”スーパーヒーロー” と化し、『ハピプリ』において ”抑止力” と化してしまったプリキュア。
”孤高のヒーロー” がごとく、奮戦するキュアフォーチュンおよび、ファントムより語られるキュアテンダー。
”孤高たること” の限界を描き、”プリキュア≠スーパーヒーロー” を示した回であるといえるか。
友と協力すること、また改めてプリキュアとして戦う決意をしたいおな。
ひめの成長ストーリーは、いおなの成長ストーリーでもあった、といえるかもしれない。
23話「超キンチョー!いおなとひめ、はじめてのおつかい!」
脚本:小山真、演出:三塚雅人、作画監督:上野ケン
気まずい距離感を描くのも、プリキュアシリーズならでは。
変に間を空けるのもなんか嫌、といって何を話していいかわからない……。
大人からすれば誰しもが経験したことがあるような、子供たちはいずれ経験するかもしれないシーンが、この回の前半に描かれる。
徐々に話し出すうちに、キュアテンダーの喪失、アクシアに関する事情に触れられる。
キュアテンダーが、”スーパーヒーロー” のような存在としてグラサンからも称えられ、いおなにとっても憧憬の的として語られる。
『ハピプリ』が、プリキュアが ”スーパーヒーロー” でなないことを改めて提示した作品であることは、序盤から語られていたこと。キュアテンダーのような ”偉大なる先代の喪失” のエピソードが加わることで、”スーパーヒーロー” 亡き後の、次世代の在り方を語る作品でもあることが示される。
ひめがアクシアを開けてしまったのは、”助けを求める声がしたから”。また、ブルースカイ王国の風習としてアクシアに祈りを捧げる儀式があったという説明がある。いわば、ナッジ(?)のような状況下にあったと捉えてよいか。
パンドラの箱からの引用でもあり、また、箱を開けてしまったその後の世界の在り様を描いたのが『ハピプリ』の世界観といえるのかもしれない。
プリキュア伝統の人間関係のリアルが描かれつつ、作品の核心をつくエピソードが出てくる回。
24話「いおなコーチのプリキュアパワーアップ大作戦!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:いなばちあき・鈴木裕介、作画監督:赤田信人
夏休み前後の時期、特訓合宿および各々の関係性の変化が、数話にわたって描かれる、その初めの回。
プリキュア側のトンチキに見えてしまうトレーニングに比べて、オレスキーチームのトレーニングの方が増しに見えてしまうと思うのは、野暮というものか。
恋愛に関する言及がブルーから再び為され、いおなが真っ向から反対する。
ブルーにツッコミを入れるのも野暮……、とも言い切れないくらいに、めぐみとの距離が縮まり、それを目撃して思い詰めた表情を浮かべてしまう誠司、が描かれる。
ギクシャクした関係性が描かれるのは、『ハピプリ』の特徴ともいえる点である。
ヒロイックなテーマを抱えたひめやいおなが主人公ではなく、人間関係の複雑さを抱えることになるめぐみが主人公に置かれているのは、プリキュアは ”ヒーロー” を描く作品ではないことを改めて示したといえる。
25話「恋にドキドキ!プリキュア合宿クライマックス!」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:越智一裕・岩井隆央、作画監督:河野宏之
「あの二人のことは見守っていきたいのです」
ゆうこの台詞に従うのが、『ハピプリ』を観る上での正しい視聴態度といえる。
めぐみとブルーの関係性の変化に敏感に反応する誠司。
その誠司に片想いを寄せる同級生の石神りん。
そのりんを封印してサイアークを出現させ、珍しくやる気を出すナマケルダ。
”恋” を応援したいゆうこ。
野暮なことは抜きに、ブルーに対してどう思うかは置いといて、大森ゆうこの目線で観ることが、『ハピプリ』の後半を観る上での正しい視点であることを示した回といえる。
26話「迷子のふたり!ひめと誠司の大冒険!」
脚本:田中仁、演出:大庭秀昭、作画監督:松井誠・相澤茉莉・森悦史
猫屋敷まゆ以上に、誠司にちょっかいを出すひめ。
過度に指摘するのは、あまりいい態度ではない。ゆうこの態度を見習うべきと思いつつ、「もう付き合っちゃえよ」とも思ってしまうのもわからないでもない。
同級生同士の両想いの成立は、『わんぷり』までのお預けとなる。
人けのない、片田舎の駅の周辺で何故か、ホッシーワと出くわして、吊り橋的な危機に遭遇してしまうひめと誠司。
誠司の奮戦に、心惹かれてしまうひめ。
これもまた、察してしまうゆうこ。
一時的なものと後にわかるものの、ひめの感情の変化を通して、めぐみ・誠司・ブルーの関係性がより浮彫になっていく、そんなきっかけとなった回。
27話「悩めるひめ!プリキュアチーム解散の危機!?」
脚本:高橋ナツコ、演出:中村亮太、作画監督:フランシス・カネダ、ジョーウィー・カランギアン
恋心のような感情を持ったがゆえに、めぐみと誠司とブルーの関係が気になってしまうひめ。
”好き” であるがゆえ、幸せになってほしいと願うゆうこ。
誠司もまた、めぐみが気になるゆえ、ブルーに惹かれていることを察して、ブルーに詰め寄ってしまう。
それぞれの思いやりが描かれた回であるといえると同時に、ブルーの態度に煮え切らないものを抱えてしまったのは、誠司だけではないだろう、とも思えてしまう回。
ひめの成長ストーリーが一段落し、めぐみにまつわるストーリーへとシフトしていく、明確な分岐の回ともいえるかもしれない。
この回から、エンディングテーマも変わる。
”忘れないで” の友情賛歌から、 ”ファイト” の応援歌に変わっていく。
28話「ハワイ上陸!アロ~ハプリキュア登場」
脚本:小山真、絵コンテ・演出:入好さとる・鎌谷悠、作画監督:青山充
『キミプリ』の直系の先輩・歌うプリキュア・世界のキュアハニーを通じて海外プリキュアの活躍が掘り下げられる回。また、幻影帝国の侵攻が一時的に進んでしまった状態も描かれる。
ハワイのプリキュア・アロ~ハプリキュアの二人の仲違いの解決は ”一緒に食べること”。
『アンパンマン』より連なる思想が普遍的であることを提示している。
仲直りを機に停滞していた問題が、文字通り氷解していく。
キュアハニー主役回は、食育の普遍を述べた教育的な回としての印象を持たせられる。
29話「アクシアの真の姿!シャイニングメイクドレッサー!!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:長峯達也・岩井隆央、作画監督:星野守
クイーンミラージュがぴかり神社の巫女だったこと、ブルーとミラージュが両想いだったことが明かされた回。
恋路に踏み出せなかったブルー。焦がれてしまったミラージュ。そのすれ違いによって、アクシアは ”パンドラの匣” として用いられることになる。
そのアクシアを希望の匣として解放すべく、ブルースカイ王国の王女であるひめが舞う。『ハピプリ』におけるプリキュアの戦闘に、踊りによる敵の撹乱があるのも、その舞が起源であるとのこと。
神様と巫女の悲恋、災いと希望の交錯と、神話的・セーラームーン的な様相をまとった、『ハピプリ』のストーリーの真相。
30話「ファントムの秘策!もう一人のキュアラブリー!」
脚本:田中仁、演出:筆坂明規、作画監督:織岐一寛・近藤瑠依・納武史
ブルーに片想いしてしまっためぐみ。ミラージュとの過去を明確に知ってしまったがゆえ、ただ励まし、立ちはだかるファントムと懸命に闘うしかない。
報われない(?)闘いに臨むめぐみの影をトレースし、コンプレックスを執拗についてくるファントム。
言葉責めと、腹部への寸勁のアクションが、痛みをより増幅させる。
落ち込んでるめぐみの手をつねって「ラブリーらしくないよ!」と身体に訴えて激励するひめ。
落ち込み方も言葉と身体、立ち直りも言葉と身体をもって行う。力業を伝統とするプリキュアシリーズらしい場面といえるか。
『ハピプリ』の主役がひめではなく、めぐみである理由が改めて示された回。
”ヒーロー” としての側面ではなく、”心の在り様” をメインとして据えて、それはまた表裏一体であることを描いているといえる。
31話「まさかの急接近!?キュアハニーとファントム!」
脚本:大場小ゆり、演出:三塚雅人、作画監督:稲上晃
『キミプリ』だけでなく、『わんぷり』の先輩でもあったゆうこ。
”対立・打倒 ” ではなく、”慈愛・融和” を描くことが、ライダーや戦隊との差別化のポイント、であることも改めて示した回といえる。
ミラージュの仇敵・ブルーに「貴様のせいだ!」と責めるファントムの台詞は、『ハピプリ』のストーリーの核心をついているといえる。
ミラージュが変わってしまったこと、ファントムによって封印されてしまったプリキュアたちのこと、諸々の対立・犠牲の元凶、と穿った見方をしてしまう。
人間的な感情のもつれによって生じてしまった対立、その中での数々の犠牲者。
11年目にあたって、”プリキュアとは何か” を改めて再考したといえる『ハピプリ』。
その中での、大森ゆうこ=キュアハニーは、その後のプリキュア像を予見した存在であった、といえるかもしれない。
32話「いおなの初恋!?イノセントフォーム発動!」
脚本:高橋ナツコ、演出:山内重保、作画監督:赤田信人
いおなと、同級生の海藤裕哉との恋愛回。
メンバーひとりひとりに、恋にまつわる描写や言及があったのも、『ハピプリ』ならでは。
互いを少し大人びて見ていたがゆえに、どこか緊張が抜け切らない距離感が絶妙。よくよく話してみれば、ただの中学生で、ちょっとは距離が縮まったかな……、という所にナマケルダ。
海藤裕哉が鏡に封印された所から配色がセピア調に変わって、”進展しない恋” として終わってしまうのか、と演出されているのもいい。
いおなが、改めて裕哉の想いに応えたいと望んだ所から、色調が段々と戻っていき、強化形態のイノセントフォームが発動する。
心模様の変化と色調変化が、パワーアップの演出と重ねられる描写は、”恋愛” をテーマとしたがゆえといえるだろう。後にも先にも、シリーズでは唯一無二。
いおなと裕哉のその後は描かれてはいないが、成就したと解釈したくなる。
となれば『わんぷり』のいろは・悟に先駆けていた、といえる。
33話「わたしもなりたい!めぐみのイノセントさがし!」
脚本:小山真、絵コンテ・演出:越智一裕・岩井隆央、作画監督:河野宏之
めぐみのお節介な応援回。
中学の先輩・深大寺まみのロケット実験の手伝いを買うも、足手まといになるばかり。実験が進展しないのも相まって、落ち込みがちな、まみ。
めぐみの、せめてもの差し入れのクッキーで応援しようとした所に、まみの実験を冷笑するオレスキー。
人の頑張りに対する冷笑に、憤慨するめぐみ。キュアラブリーに変身し、多彩な技でチョイアークを圧倒。メンバーも駆けつけ、サイアークとオレスキーを撃退。
誰かのために怒りの感情を露にする、キュアラブリーのアクションが光る回。
”誰かを想う気持ち” で動く、めぐみが主人公たる所以が改めて示された回であるともいえる。
34話「ひめ大活躍!?盛り上げよう!はじめての文化祭」
脚本:大場小ゆり、演出:大庭秀昭、作画監督:松井誠・上野卓志・森悦史
ひめ、初めての文化祭。
文化祭含め、諸々の学校行事に対する見解は、ナマケルダと同意見。
わざわざ、壊しに行くのも面倒くさい行為とも思ってしまうが。
等身大の中学生から、ヒロイックに成長したひめ。
メンバーがまだ揃わないながらも、奮戦を見せるキュアプリンセス。
みんなで作り上げた文化祭とその思いを守る決意から、イノセントフォームを発動。
同級生に声をかける・面と向かうことすら躊躇していたひめが、同級生たちのために奮起したことをきっかけにパワーアップ。
ドジで弱虫だった異端の青キュアから、信念揺らがぬ正統派青キュアへの変化を描いた回。
35話「みんなでおいしく!ゆうこのハピネスデリバリー!」
脚本:田中仁、演出:門由利子、作画監督:星野守
大森ゆうこの両親が営む、おおもりご飯の常連客の掘り下げ回。
キュアハニーの対立相手としてホッシーワが出てくるが、ホッシーワ自身も美味しいものが好きで、特に対立点がない。
単に、”なんとなく気に食わない” といった点で対立してただけなのかもしれない。序盤にしても、終盤にしても。
歌って花道を渡ってパワーアップ。「美味しいものが好きなあなたなら、わかるはずよ」
わかりあえるのは、また後の回。
安定のキュアハニー回であり、キャアハニーはいつでもパワーアップできる資質を持っていたといえる。
改めて、キャアハニーとは、シリーズ中でも屈指の、プリキュアらしいプリキュア、なのかもしれない。
36話「愛がいっぱい!めぐみのイノセントバースデー!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:田中孝行・鈴木裕介、作画監督:上野ケン
めぐみが改めて、”自分の行いが正しかったのか” と内省する回。
母の病気がそれほど深刻ではなく、服薬の継続で安定することがわかり、”母の病気を治す” という目標の一つがなくなり、軽度の燃え尽きを感じ、これまでの人助けを含め、自身を失くすめぐみ。
誕生日を祝われながらも、浮かない表情のめぐみ。
それに気づいた誠司は、「落ち込むなんて、お前らしくない」「悩むことなんてないって。自信持てよ」とポジティブになれと声掛けする。
二人の話を聞いていたブルーはミラールームに引っ張り、「そうやって悩むのは、いいことなんだ」「君はそのままでいいんだよ」とめぐみの手を取り語り掛ける。
心揺れながらも、改めて ”みんなの幸せ” のために立ち上がるめぐみ。
めぐみとブルーがより親密になったかのように見えてしまった誠司。
キュアラブリーのパワーアップと共に、後の回の波乱も暗示させる回。
秋映画「ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ」
脚本:成田良美、監督:今千秋
『ハピプリ』のテレビシリーズにおいては、パラレルワールドに渡ることはない。春映画で妖精たちの世界に渡った以外では、地続きの世界で展開していく。
秋映画にて、異世界へ渡ったかのように観えて、敵方の作り出したヴァーチャル世界での展開となる。
いずれにせよ、地続きの世界観からの派生と考えてもいいだろう。
”人助け” をしたいキュアラブリー。
それは足に障害を負ってしまい、バレエが踊れなくなった女の子(つむぎ)にも言えることなのか。
この映画の前後のテレビシリーズにて、ファントムからコンプレックスを指摘され、また、母の病気が安定してきたことによる一時的な燃え尽きに陥っていためぐみは、秋映画にて更なる難題を突き付けられる。
それでも、向き合い続けるしかない。理不尽な目に遭っても、もがき続けるしかない。テレビシリーズ36話にて結論づけられた、”悩みながらも人助けを続ける” に連なる展開。
敵のブラックファングが悪役らしい悪役で、勧善懲悪の痛快活劇に持って来いのポジション。
人形たちが持ち主のつむぎのためにブラックファングに立ち向かっていくシーンは感涙もの。持ち主のことを想い続けていた、という点は後の『まほプリ』に連なるといえるか。
”人を助けるとは何か?” ひいては ”プリキュアの役割とは何か?” といった『ハピプリ』のテレビシリーズに連なるテーマに触れつつ、わかりやすい勧善懲悪としてまとめられる。
『ハピプリ』のことを知ってもらいつつ、1本の痛快活劇として観られる映画。
37話「やぶられたビッグバーン!まさかの強敵登場!」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:入好さとる・岩井隆央、作画監督:フランシス・カネダ、アリス・ナリオ
ハロウィンイベントが定着したのはこの頃だったか?
『ハピプリ』前後はハロウィン回があったり、なかったりだったような? 特に検証しようとは思ってはいない。
めぐみと誠司の心模様にも触れられつつ、キュアテンダーの黄泉がえりが描かれる。
霊の彷徨と、行方不明の先代プリキュアの帰還を掛けてるのは意図があるように思ってしまう。
以降の作品でも、ハロウィンと敵味方含めたキーパーソンの登場との掛け合わせが、引き継がれてるような、いないような? 近年では、『わんぷり』でのガオウ登場が印象的。
”スーパーヒーロー” として称えらえたキュアテンダーは、”暴力装置” としてプリキュアたちと対峙する。
のちの『ひろプリ』のキュアスカイのダークプリキュア化の、発端となった回。
日曜朝の時間帯に、3種のヒロイック作品が並び、そのうち ”ヒーローの相対化” を描く作品を置いているのは、絶妙であることを、改めて思ってしまう。
38話「響け4人の歌声!イノセントプリフィケーション!」
脚本:成田良美、演出:中村亮太、作画監督:赤田信人
”ヒーロー” と ”暴力装置” は表裏一体といえるか。
気合いの入ったアクションシーンが、キュアテンダーが ”スーパーヒーロー” として、かつ敵方の ”奥の手” としても、役割が重なっていることを強調する。
闇堕ちした偉大なる先代を止める方法は、身体でのぶつかり合い、対話をもっての投げかけ、はプリキュアシリーズがずっとやってきたこと。
『ハピプリ』では更に、”歌” をもっての投げかけが加わる。新技の登場と共に、のちの『スタプリ』や『キミプリ』に連なる仕掛けが試みられる。
プリキュアシリーズは、”ヒロイズム” を主に描いているのではなく、”調和” に力点を置いている作品であることが、改めて示された回。
39話「いおな大ショック!キュアテンダーの旅立ち!」
脚本:大場小ゆり、演出:筆坂明規、作画監督:織岐一寛・近藤瑠依
偉大なる先代・まりあは、海外プリキュア応援を決意する。
「俺も、懐かしい立花のオヤジや滝に会いたい。だが、会えばまた日本を離れるのが辛い。俺の活躍の場はヨーロッパなんだ。みんな、元気でいてくれ」
「ただ一人、悪と戦う男・本郷猛。お前って、お前って男は、本当の勇者だ!」
(『仮面ライダー』41話、本郷猛と一文字隼人の台詞)
などという、やりとりはなく、いおなは素直に寂しさを、組手にぶつける。
長い読み合いのあとの、数手の立ち合いの中で、まりあはいおなの成長を実感する。
先代に後を託された、ぴかりが丘のプリキュアたちは、キュアテンダーに負けじと鍛練に励む。
姉妹仲の素直な感情のやり取りを、スポ根的な描写に載せて描いている、お父さん層が好きそうな回。
40話「そこにある幸せ!プリキュアの休日!」
脚本:小山真、演出:鎌谷悠、作画監督:佐藤雅将・赤田信人
嵐の前の静けさ回。
この後の熾烈な戦いや、関係性のこじれを知っているだけに、素直に観られなくなっているのは、自分だけか?
ひめが、ぴかりが丘に来たばかりの頃からの変化を自ら言語化している。
ひめの成長ストーリーの総まとめともいえるシーンでもあり、異端の青キュアかと思いきや、聡明でヒロイックな、青キュアらしい青キュアとしての側面が観られるシーン。
執拗に立ちはだかる幻影帝国三幹部。
煩わしさ、妬み、独占欲など、大人になっても、むしろ大人になればなるほど、囚われがちになる諸々の欲求と向き合うことが、難しくなってくる。
もし『オトナプリキュア』企画としての続編が『ハピプリ』で組まれるなら、三幹部らに表徴された各々の欲求と、社会人の立場としてどう向き合うかが、描かれるポイントになるだろうといえる。
41話「ミラージュのために!ファントム最後の戦い!」
脚本:高橋ナツコ、絵コンテ・演出:三塚雅人・岩井隆央、作画監督:河野宏之
キュアハニーとファントムの決戦回。
ファントムのミラージュへの忠誠を、聞けば聞くほど、闘えなくなるキュアハニー。
飽くまで対話で、飽くまで歌をもって、向き合うキュアハニー。
それだけではファントムの武力は止められず、ブルーのフォローで何とか切り抜け、他のメンバーたちと合流し、合体技で浄化する。
何かと批判されがちなブルーだが、ここはナイスフォローと言ってもいいかもしれない?
大森ゆうこ=キュアハニーの精神は立派である。
それでも脅威に対する抑止力となり得るかは、まだまだといったところ。
立派な精神・思想だけでは守り切れない、という現実を突き付けられる回でもあるといえる、かもしれない。
42話「幻影帝国の決戦!プリキュアVS三幹部!」
脚本:小山真、絵コンテ・演出:田中孝行・大庭秀昭、作画監督:松井誠・森悦史
幻影帝国三幹部とプリンセス・ハニー・フォーチュンの決戦。
ファントムとの激戦も経ているハニーの体力たるや……。
武を求めるオレスキーとフォーチュン、心の在り方で問答するナマケルダとプリンセス、食育でもめるホッシーワとハニー。
ホッシーワとハニーの対話だけ、ちょっと浮いてるような気がしてしまうのは野暮というものか?
未就学児~児童に向けている作品ゆえ、食の大切さを説くのに、タイミングは関係ない、と思って観るのが素直な観方か。
プリキュアシリーズは、敵幹部キャラクターのそれぞれの欲求や、ネガティブな感情表現もまた、魅力の一つである。
プリキュアメンバーたちと対比で描かれることで、価値観の在り方や是非を考えさせられる。
『ひろプリ』以降、敵側の掘り下げがややオミットされがちな傾向にあるのは、対立概念が描きにくくなっている、善悪などの対称的概念の境が曖昧になってきている、一つの時代的な遷移といえるか?
43話「ぶつけあう想い!ラブリーとミラージュ!」
脚本:成田良美、演出:畑野森生、作画監督:稲上晃
ブルーの元カノと、現在の友達以上恋人未満との……、などという下世話な比喩は向けてはいけない。
「ブルー! 私が不幸になったのも、世界が不幸になったのも、全部あなたのせいなのよ!」(ミラージュの台詞より)
300年前、プリキュアとなった少女に思わせぶりな態度をとり、その少女が闇に落ちたら箱にしまいこみ、その箱が開いてしまって、世界がやばくなったら、愛の結晶を撒いて世界中の女子中学生を戦いに巻き込んだり、ミラージュとの関係が回復した後、めぐみと誠司の関係性がレッドを介してこじれていったりしたのも、元はと言えば……。
などと、考えてしまうのは野暮、ではないような気もしている。
ミラージュとラブリーの、身体をもってぶつかり合って、わかりあう、”少年漫画的” と評されるシリーズらしい激闘シーンは、まだ爽やかな方だったなと思うくらい、この後のめぐみと誠司の鬱展開が気になってしまう。
44話「新たなる脅威!?赤いサイアーク!!」
脚本:成田良美、演出:大塚隆史、作画監督:上野ケン
ファンからも、制作陣・キャスト陣・演じていた山本匠馬さんからも不評なキャラクター、ブルーへのツッコミ・不満が噴出した回。
また、恋心を知り、失恋を経験してしまっためぐみの、利他の果ての嫉妬を突いた回。
嫉妬の感情が芽生えてしまったところに、レッドに洗脳されかける。
それを救ったのは、幼馴染の誠司の呼びかけ。
プリキュアが ”孤高の存在” ではなく、周囲の支えがあっての存在であることが描かれる。
”利他” もまた ”嫉妬” などのネガティブな感情と隣り合わせであることが示された回。
また、『ハピプリ』の主人公が、ヒーローへと成長したひめでも、本当の強さを悟ったいおなでも、食と慈愛のゆうこでもなく、心や感情のグラデーションが描かれるめぐみであることの所以が示された回。
45話「敵は神様!?衝撃のクリスマス!」
脚本:大場小ゆり、絵コンテ・演出:入好さとる・岩井隆央、作画監督:ジョーウィー・カランギアン、フランシス・カネダ
レッドは、プリキュアシリーズの歴代の大ボスキャラクターでも、巨大化することはなく、等身大のままで行動し続ける。
それゆえに、終盤でプリキュアメンバーの周囲を狙い続ける所が、より矮小的に映る。
めぐみへの想いの強さゆえに、操られることになってしまった誠司。
『ハピプリ』以前の男性キャラクターは、”逆ピーチ姫” と揶揄されがちなポジションであった。
誠司は、名前の通り、誠実で文武両道、町の人たちの避難誘導など、プリキュアたちのサポート、またプリキュアたちがピンチの時には、空手でもって自らも戦うなど、歴代でも奮戦を見せたキャラクター。
そんな誠実ささえも、裏返ってしまうことが描かれた回。
誠実な男性キャラクターが誠実なまま全うされるのも、『わんぷり』を待たなければならないとは、プリキュアシリーズとは、中でも『ハピプリ』とは、ある意味、残酷な作風のシリーズであったといえ、”誠実” であることが通りにくい時代であることの証左なのかもしれない(?)
46話「愛と憎しみのバトル!
誠司 vs プリキュア!」
脚本:小山真、演出:中村亮太、作画監督:星野守
誠司の想いが、憎しみに反転してしまっている、と解釈しているレッドが、小さく観えて仕方がない。
「彼の本当の気持ちを、お前たちは救いとってきたのか?」
振り向かれることはなくとも、幼馴染を心配し続けている男子の想いを、”何らかの見返りがなければならないもの”としている辺りが、過小評価しているようでならない。
”誠実であること” が冷笑される、シニカルな時代の雰囲気が、史上最も矮小な大ボス・レッドに反映されたのかもしれない。
膝折れ、諦めかけたハピプリメンバーを助けたのは、偉大なる先代・キュアテンダーとハピプリ(ほぼキュアハニー)に助けられた海外プリキュアたち。
利他的行為や誠実な行いが冷たくあしらわれようとも、諦めずに行動し続けることを、改めて励まし合う。
海外プリキュアたちとの和を作り上げたといえるのが、キュアハニーの食・歌・慈愛。
令和プリキュアたちに引き継がれている要素が、時代に負けないための重要な要素なのかもしれない。誠実な男子が真っ直ぐ描かれるのも、令和になってからである。
47話「ありがとう誠司!愛から生まれる力!」
脚本:成田良美、演出:三塚雅人、作画監督:赤田信人
”裏返ってしまった誠実さ” をも受け入れる。
物理的なぶつかり合いをもって理解して、互いが大切だったことを自覚して……。
シリーズ伝統、力業をもってネガティブな感情を抱え込み、併呑する。
この ”融和” のプロセスも、プリキュアシリーズならではの特徴といえるかもしれない。
つまるところ、”気合い” と ”身体” で乗り越える。
時代がどうであろうと、行いへの報いがあろうとなかろうと、それこそが変わらず表していかなければならないこと、なのかもしれない。
48話「憎しみをこえて!誕生!フォーエバーラブリー!」
脚本:成田良美、絵コンテ・演出:長峯達也・中尾幸彦、作画監督:河野宏之
「愛、勇気、優しさ、運命、そして青い星・地球。すべてを消し去り、すべてを滅ぼし、愛は幻だと証明しよう!」
喋れば喋るほど、小物感を増していくレッド。
アクションも、武術的に丁寧に捌いて、ひとりひとり倒していく。
アクション映画好きとしては、初見では丁寧な武術描写に目を引かれていたが、2周目になると、そのアクションも、小物演出の一環のように観えてしまう。
自分の星が上手く経営できなかったこと、兄弟星が上手くいっていることからの妬みから、『ハピプリ』における争いの火種が派生しているという点が、”争うことのくだらなさ” を表徴している、と解釈するのは好意的すぎるか?
それもこれも、ブルーもレッドも、多神教神話の神々がごとく、人間臭すぎるがゆえといえる。
49話「愛は永遠に輝く!みんな幸せハピネス」
脚本:成田良美、演出:長峯達也、作画監督:佐藤雅将
炸裂するレッドとフォーエバーラブリーのカンフーアクション。
ポジティブとネガティブの禅問答。
これらもまた、シリーズ終盤に観られる伝統芸能。
プリキュア側が、力業をもって言いくるめているようにも観えなくもない、と思ってしまうのは、野暮というものか?
抗うことなどやめて、大人しく言いくるめられるのも、時には必要な時がある、というメッセージか、なんて解釈も穿った見方か?
めぐみと誠司……。
「同じだね」「同じだな」
互いが持つ結晶が寄り添って並ぶ絵のラストカット。
続編があろうとなかろうと、「あの二人のことは見守っていきたいのです」(25話・ゆうこの台詞)。
「プリキュアだからって、何でもできるわけじゃないの!」(2話・ひめの台詞)
前作の『ドキプリ』によって能力・役割が肥大化してしまったプリキュア像。本作『ハピプリ』においては ”スーパーヒーロー” としてのプリキュアをメタ的に捉え直したといえる。
表裏一体の感情の変化と向き合い、和解の方法を探ること。それこそが、戦隊・ライダーとの差別化のポイントであることを、改めて示したといえる。
10周年を経た11年目作品として、諸々の試みがあったと観ることができ、各要素が、令和のプリキュアに連なっていることが、改めて発見できた、2周目の『ハピプリ』視聴。
