中年の独断と偏見による、プリキュアキャラクター事典
はじめに
1988年生まれ、ヒロイン作品なんてほとんど知らない中年が、プリキュアキャラクターの事典を、独断と偏見で作ってみた。
初代~『わんぷり』時点までの、テレビシリーズに登場した、プリキュアに変身する82名のキャラクターに絞る。
『キミプリ』以降・先代プリキュア・『ハピプリ』の海外プリキュア・劇場版やスピンオフ・プリキュア以外のキャラクターについては、暇があれば追々、追加していく、かもしれない。
(’25年6月29日、満と薫・坂上あゆみ・相楽誠司・七瀬ゆい・若宮アンリ・AI・品田拓海・ローズマリー・兎山悟を追加)
(’25年8月8日、キュアフラワー、キュアアンジェ、キュアエンプレス・キュアマジシャン・キュアプリーステス、キュアミラージュ、ルミエル、キュアトゥモロー、キュアオアシス、キュアノーブルを追加)
(’25年10月4日、オレスキー、ナマケルダ、ホッシーワ、ファントム、マダムモメールを追加)
(’26年1月17日、白鳥百合子、チョンギーレ、ヌメリー、エルダ、バトラー、あとまわしの魔女を追加)
(’26年5月25日、ノワール、エリシオ、グレイブ、ビブリー、リオを追加)
プリキュアを観るにあたっての主軸として ”英雄・ヒーローとの違い” を意識している。
世界各地の古代神話の英雄の多くに見られる共通点として、
・何らかの受難に遭う
・超人的な戦闘力を身に着ける
・半神半人的な存在となる
・有事の際には称えられる
・秩序が回復した時、社会的に排斥される・非業の死を遂げる
といった点が挙げられる。
(『世界神話事典』角川選書 2005 214~232P参照)
現代ヒーローでいえば、仮面ライダーやゴレンジャーが以上の項目に当てはまるといえる。人体実験、反国家組織による急襲など、各々の受難を生き延び、組織を撲滅して秩序の回復を果たす。最終回の際は、排斥される描写はないものの、自ら立ち去ることで人々の前から消えていく、といった過程が多くの現代ヒーロー作品で描かれている。非業の死を遂げる点では、’90年代のアニメ版『セーラームーン』も符合するといえる。
プリキュアシリーズにおいては、従来のヒーロー・ヒロインの概ねのプロットを踏襲しつつも、変身者の死や社会的排斥は無論、人々の前から立ち去るということも描かれることはない。妖精ポジションのキャラクターたちとの一時的な別れが描かれたりはするが、つながりは保持されており、戦隊シリーズ以上に結束・つながりを重視した作風となっているといえる。月影ゆり=キュアムーンライト、ソラ・ハレワタール=キュアスカイなど、ヒーローの要素が強いキャラクターにおいても、シリーズの作風の範囲内に留まっているといえるだろう。
したがって、プリキュアシリーズは、痛快活劇としてのヒーロー作品のプロットを共有しつつも、描いているのは ”英雄” ”ヒーロー” もしくはセーラームーン的な悲劇の ”闘うヒロイン” ではなく、キャラクターたちの ”成長” と共同体的な ”結束” を描くことに重点が置かれた作品群であるといえる。
また、ヒーロー作品とプロットを共有しているがゆえに、”正しさとは何ぞや” の規定に少なからずの影響を与えている作品群でもあるといえる。それはライダーや戦隊とは別尺度からの価値観をもたらしているともいえる。
以上のような点を基に、各キャラクターたちのことについて、以下に羅列していく、かもしれない。
各項目の内容は個別の記事で挙げたものに加筆・修正をしたもの。
2004・2005年『ふたりはプリキュア』『ふたりはプリキュア Max Heart』
美墨なぎさ キュアブラック
アニメ史上でも屈指の連打の名手(?)。
スポーツ女子で快活のように見えて、人との関係においては繊細で引っ込み思案ともとれるような一面も見える、力強さと等身大性の両面を併せ持つキャラクター。
攻防一体の連続の突き技が主なアクション構成。
カンフーアクションをモチーフのひとつしていることから、詠春拳的なチェーンパンチと解釈するのが妥当だろう。
ただし、キュアホワイトとの差別化もあってか、実際のチェーンパンチよりは大きく動いていて、シリーズでは唯一無二の剛力アクションが描かれたともいえる。
色やアクションにおいては唯一無二ではありつつ、部活で後輩への指導に言葉を欠いたり、片想いしている先輩の前では緊張してしまったりと、人情の機微も描かれたレジェンドキャラクターであり、等身大の中学生という点では、プリキュアシリーズの根幹を築いたともいえる。
雪城ほのか キュアホワイト
曲がったことが大嫌い、相手が体育会系男子であれ、宝石強盗であれ、己の主張は貫き通す。
原点にして頂点の、技とメンタルを兼ね備えた理系女子。
シラット的な手捌きからの合気投げや関節極め、ジェット・リーばりの佛山無影脚など、多彩な技で大きな相手をいなしていく。
ただ超人化したわけではなく、”中学生の女子が最大限に身体を活かした技を繰り出すならどのような表現になるか” を求めた結実として、キュアホワイトのようなアクションシーンが描かれていったといえるだろう。
これは後のシリーズのアクション構成にも概ね通じているといえる。
アクション面におけるシリーズの始祖、また性格面においては多くの青キュアキャラクターの原型ともいえる、シリーズのイデアともいえるレジェンドキャラクターの一人。
九条ひかり シャイニールミナス
”大きな物語~小さな物語へ” を急造で担わされた存在。オールスター映画が制作されて以降、プリキュアとして定義される。
光の園を治めるクイーンという ”巨人” が、ジャアクキングとの戦いで傷つき、”小さな存在” へと分散していったものの一つとして、ひかりが登場する。
”自分とは何か” と問い続けながら、なぎさやほのかたちとの交流を通じて、徐々にアイデンティティを確立していき、終盤での ”自分の意志” による決断をしていくプロセスが、ひかりを通じて描かれている。
なぎさとほのかがテンプレ的な対称性のコンビとして、ひたすら動き回っていたのに対し、ひかりはポジションの定まらない存在として、沈思黙考していたような、そんな印象を受ける。
日本の時代の潮目と、後のプリキュアシリーズに連なっているであろう要素を、一身に背負ってしまったといえるのが、ひかりという存在なのかもしれない。
プリキュアの定義拡大の発端となる ”輝き” は、シリーズ2年目にして既に放たれていたのかもしれない。
2006年『ふたりはプリキュア Splash Star』
日向咲 キュアブルーム・キュアブライト
二代目プリキュア、美墨なぎさ系譜のスポーツ担当。
ソフトボール部のエースで4番。ソフトボール・野球の点では、『スイプリ』の響、『ドキプリ』のマナ、『デパプリ』のゆい、『ひろプリ』のソラに継承されている。
2006年は、WBCで男子が優勝した年。2004年から始まっていた女子も準優勝、2008年以降は直近の2024年に至るまで7連覇を成し遂げている。
(女子野球ワールドカップは2年ごと。2020年は21年に延期、その後も中断を挟み、24年に再開)
ソフトボールでも、2008年の北京五輪で優勝、2012年・2014年・2023年のワールドカップで優勝している。
日本の女子野球・ソフトボールが飛躍するきっかけに、日向咲がいた、などというこじつけを考えてしまうのは自分だけだろうか?
それはともかく、先代のなぎさが意外と引っ込み思案な側面があり、相棒となる雪城ほのかとの距離を縮めるにも時間がかかっていた。
それに対し、咲は終始明るく、相棒・美翔舞ともすぐに打ち解けていたような印象。
ムードメーカーとしての側面において、『5』の夢原のぞみなどの桃キュア系譜の元祖ともいえるかもしれない。
シリーズの未来、日本のスポーツの未来を明るく照らしていた、レジェンドキャラクターの一人、であるといえる。
美翔舞 キュアイーグレット・キュアウィンディ
二代目プリキュア、雪城ほのかを継ぐ学業担当。
といっても、ほのかは理系、舞は芸術系、といった違いがある。
性格面でも、男子相手でもズカズカと乗り込んで文句を言ったり、強盗に説教したりなどはしない、淑やかな印象。
何かに没頭する点においては『わんぷり』のまゆが引き継いでいる。
なぎさ・ほのかが、ストーリーの進展とともに、徐々に距離を縮めていったのに対し、咲・舞は、幼い頃に知り合っていた経緯もあり、距離もすぐに縮まり、劇場版での仲違い以外では終始、仲良しだったように思う。
それは社会人になってからも変わっていないことが、続編『キボウノチカラ』でも描かれている。
”変わらない関係” の点で、『まほプリ』『まほプリ2』に連なっているともいえるかもしれない(?)
終始変わらぬ、ふたりの関係性が、シリーズの基盤を作り上げ、咲・舞の対比となる、満・薫といった光堕ちキャラクターの登場が、後のシリーズの多様性のきっかけとなった、いえるかもしれない。
いずれにせよ、シリーズの初期を彩る、レジェンドキャラクターの一人、であるといえる。
満と薫
プリキュアシリーズの ”光堕ち” キャラクターの元祖(初代のキリヤを含めるなら2代目か)。
『SS』自体が、日常への讃美を主題歌・プリキュアモチーフ・エフェクト表現などから謳いあげている作風で、それを咲・舞のテンプレ的なコンビが引っ張っていく、後のプリキュアシリーズを基礎を作りあげたといえるような作品であるといえる。
満と薫は、”当たり前” に対して ”なぜ?” と問い続ける、咲・舞のカウンター的なポジションとして登場する。そして自らの属す組織に対しても ”なぜ” と疑念を抱くようになり、アンビバレントに光と闇の両面を照らす存在として立ち回るようになる。それは『キボウノチカラ』においても続けられていく。
”特定の価値観を絶対視しない” ことも、シリーズを通して貫かれていることの一つと思われ、それはまた長期シリーズ化の要因とも考えられる。
その原点となったといえるのが、満と薫なのではないだろうか。
2007・2008年『Yes!プリキュア5』『Yes!プリキュア5GoGo!』
夢原のぞみ キュアドリーム
プリキュアシリーズを象徴するキャラクターのひとりであり、シリーズ存続を決定化したキーパーソンともいえるかもしれない。
月野うさぎ系譜の典型であり、恋愛描写(ただし異類カップル)もあったり、’90年代ヒロイン作品との結節点でもあるともいえる。
のぞみから発せられるカリスマ性・メッセージ性は、続編の ’23年『キボウノチカラ』においても、なお影響をもたらし続けている。
勉強も運動も苦手、妖精のココと偶々出会い、亡国の危機を知って手助けすることを申し出て……。
セーラームーン=月野うさぎが ”前世からの運命” によって今後が決定づけられるのに対し、のぞみには ”自分の意志” が介在しているかのように観えるが、そのきっかけは偶発的。
そんな曖昧さが、ヒロイン作品の主人公の ”中空性” を表しているともいえ、ヒロイックな印象でスタートした初代の作風とも違った印象をもたらしているといえる。
アクション特化の初代、ストーリー・エフェクト演出などを強化した『SS』、そこに夢原のぞみという ”中空性” を持ったキャラクターが加わったことで、シリーズの長期化が決定づけられる
夏木りん キュアルージュ
”実力” と ”自己肯定” は別であることを体現したキャラクター。
ボーイッシュ・スポーツ万能・兄妹想いと、初代のなぎさを引き継ぎ、かつ『スマプリ』のなお、『プリアラ』のあきら、『スタプリ』のえれなに連なるキャラクターでもある。なおとえれなはサッカーも共通項。
のぞみの相方でもあるがゆえ、しっかり者としての印象も強い。
普段はしっかり者で、気が強いように見えながら、土壇場での臆病なところには、等身大性も感じさせる。
「本当に怖いのは、のぞみがいなくなること」(『5』2話より)
親友がいればこそ、自分が自分としていられることができた、実力とは別に、精神的支柱としての夢原のぞみに己を託していた。
以降の多くの作品において描かれる、中空的存在としての主人公を拠り所に主要メンバーが集結していく構造を、のぞみ・りんの関係性が端的に表しているといえる。
春日野うらら キュアレモネード
「はじけるレモンの香り」って何?
作中でも、演者さんでさえもツッコミを入れてしまったキャッチコピー。
説明できない ”何か” を秘めた、もう一人の主役ともいえるような?
セーラームーンでいえば、愛野美奈子=セーラーヴィーナス。
愛野美奈子は、『セーラーV』の主役として、セーラームーンシリーズへの布石を作った人物であり、続編の『セーラームーン』でも主役の予定だった。また、実写版ではアイドル歌手としても活動している。
チェーン技も共通点だったり。
登場当初は、”芸能活動のため” の名分でクラスの隅にいたうらら、”前世の運命” に最初に覚醒し、単独で活動していた美奈子(小林靖子の魔改造で英雄化してしまってもいる)。
”孤高” たることを一度は受け入れていた(?)人物像は、後の ”ヒーローガール” 像を予見したものだった、なんて後付けで思ってみたりしてしまう。
秋元こまち キュアミント
文筆家キャラは、ヒーロー・ヒロイン含めてあまり多くはない。
プリキュアでも、以降は『トロプリ』のみのりくらい(拡大解釈すれば『スマイル』の児童文学好きのみゆき、漫画家志望のやよい、『デパプリ』でグルメブログを挙げてるらんもいる)。
知的好奇心にあふれ、また多様な価値観への気づきを言語化する役割を担っている印象がある。
こまちは、水無月かれん=キュアアクアの親友・相方のポジションでもある。
かれんは、クール・文武両道・生徒会長・学校の ”華”・家が裕福といった、後の多くの青キュアに引き継がれるフォーマットを確立したキャラクター。『セーラームーン』でいえば、原作の火野レイ(?)ともすると、孤高のヒロイン像、孤独・孤立に伴う苦悩などが描かれていてもおかしくはない。
そうはならなかったのは、こまちという、文系的な知性を持ったキャラクターがいればこそ。
『5』での多人数化、キャラクターの多彩化において、こまちのような価値観を認められるキャラクターが置かれたことによって、かれんのようなキャラも、活き活きとしつつも孤立はしない、そんなチームの描き方が以降のシリーズにも可能になったことを、決定づけたといえるかもしれない。
水無月かれん キュアアクア
文武両道・生徒会長・学校の ”華”・家が裕福……。青キュアフォーマットを確立したキャラクター。
才能・環境とも恵まれている、そうそう体系し得ない状況下にあるゆえ、ある種の重責・孤独を抱えやすいキャラクターでもあるといえ、シリーズ各作での優等生キャラの葛藤、また『ひろプリ』のソラの ”英雄宣言” に伴う自己重責にもつながっているといえる。
弱音・本音を押し隠し、責任を全うしようとする姿勢が災いし、”自分の意志” が条件となるプリキュアへの変身に後れを取ってしまうという点は、従来のヒーロー・ヒロイン作品への皮肉とも受け取れてしまう。抱え込むことが ”かっこいい” と思っていたことへの、明確なアンチ・差別化を確立したといえる。
『セーラームーン』に回帰したように観える『5』は、かれんのストーリーラインを通して、明確に’90年代ヒロイン及びそれ以前からのヒーローに対する決別宣言でもあった、なんてことを思ってしまう。
美々野くるみ ミルク ミルキィローズ
妖精が変身するパターンとしては初。シャイニールミナスと同じく、オールスター映画以降、プリキュアとしてカウントされる。のちの、シエル=キュアパルフェなどに連なっていく。
『5』より妖精としての姿で登場しており、当初は人間への不信感からプリキュアメンバーたちに依存しない態度をとっていた。
『5 Go Go』から人間体および戦士への変身が可能となった際も、素性を隠して戦闘に参戦し、完璧を装おうとしてしていた。
体力的な限界、メンバーとの交流によって、人間たちとの協力・友情を深めていく。
プリキュアシリーズにおける妖精は、人間たちからの庇護・親和が必要な、依存的な存在であることが多い。ミルクも変身が可能となる前は、その流れにあった。
一方で、自立すること、完璧であることへの意志は当初から持っており、依存からの脱却を望んでもいた。
”小さなものへの庇護” の自明から転換する表徴として、ミルキィローズの登場は、シリーズ中でも、かつ女児向けアニメにおいても位置づけられるものといえるかもしれない。
2009年『フレッシュプリキュア!』
桃園ラブ キュアピーチ
月野うさぎ系譜ともいえそうで、物理的なケンカ・ぶつかり合いも厭わない点で、ヒロイックな側面も観られる主人公キュア。
シリーズ初の光堕ちキュア、東せつな(キュアパッション)のことも心から信じ切り、敵対勢力であるとわかった後でも、友としてぶつかり合うことに臨んでいく。
ヒロインでありながら、演出的にヒロイックに導かれていった、ストーリーが進むにつれて、設定からジャンプしていったキャラクターであるといえる、かもしれない。
”裏切られても、信じ続ける” をパワフルに描いたヒロインとして桃園ラブ=キュアピーチがあり、”ヒロイン” ”ヒーロー” が曖昧化していくポイントにあるともいえる。
蒼乃美希 キュアベリー
スポーツ万能・成績優秀・容姿端麗、目標のためには努力は惜しまない、誰かの危険には身を挺す、揺るがぬヒロイズムに屹立する、青キュアらしい青キュア。
プリキュアヒロイズムは、彼女によって成立したかもしれない、と思うくらい自他共認める「完璧」なキャラクター。
主人公・桃園ラブが、東せつなが敵側の勢力の者だったことが判明し、部屋に籠って落胆していた折には、即行で押しかけ、戦う決断と覚悟を持つことを一喝する。
強固な信念に立つ一方、終盤、敵側の事情を知った際には、敵幹部への融和を持ちかける態度も見せる。
プリキュアが ”ヒーロー” としての側面を強めることはあっても ”英雄” になることはない、ということが、美希=キュアベリーに観ることができる、といえるかもしれない。
山吹祈里 キュアパイン
大人しくて、心優しい、ミッション系のスクールに通う優等生、両親の営む動物病院を継ぐため、獣医を志す。大人しさゆえ、いまいち自分を信じることができないのが悩み。
自分を信じて、一歩を踏み出せるようになっていく過程を描いたのが、祈里のストーリーライン、といったところか。
”自分を信じる” とは存外、難しいこと。
ともすれば、抱え込んでしまいがちにもなるが、祈里にはラブ・美希の幼馴染が常に待ってくれていたのが救い。
段々と自信を持てるようになっていき、せつながメンバー入りした時にダンスの練習着を早速用意するなど、入りやすいを空気を作っていく。
自分を信じられるようになることが、何事にも第一歩となる、それは他者を受け入れるにおいても然りである、といえるだろうか。
東せつな イース キュアパッション
プリキュアとしては初の ”光堕ち” したキャラクター。
かつ、死んで蘇ったのは、後にも先にも、せつなだけ。
主人公・桃園ラブと ”ぶつかり合って、分かり合う”。会話とか、特殊な技とか、比喩表現的なものではなく、文字通り物理的に、拳で語らいあう。
『フレプリ』は戦闘の際に、破損した周囲の物が元に戻らない、”幻の銀水晶システム” がなかった唯一の作品。
メインの3人は、コミュ力お化けのドジっ子・クールな優等生・大人しくて優しい動物好きと、割とテンプレっぽい感じの構成が踏襲されている。
それに対する周辺設定が割とハードテイストで、ヒロイズム偏向への起点となった作品であるともいえる。
せつなは、旧冷戦時代からやってきたようなキャラクターで、ストーリーラインも英雄神話的なラインを辿ってるかのよう。ただし ”光堕ち” 後は、桃園家の受け入れによって ”英雄” のままにはならず、故郷のラビリンスへ人間界の文化を持ち帰っていく ”文化英雄” となっていく。
”ぶつかり合う” と ”受け入れる” ”話し合う” の両面が描かれている、ヒロイズムに向かいつつも ”英雄” のままにはしない、その後の ”光堕ちキュア” のキャラクター性や、シリーズの作風を決定づけたのが、せつなのポジションなのかもしれない。
2010年『ハートキャッチプリキュア!』
花咲つぼみ キュアブロッサム
学業優秀で引っ込み思案。プリキュアシリーズの主人公としては珍しいタイプ。
『ハープリ』の初期が来海えりか=キュアマリンとのコンビだったことからその対比ともいえるが、歴代主人公の系譜から考えれば、えりかが主役にもなりそうだが、パワフルに描かれた『フレプリ』の後だからか、カウンターバランスを図ったといえるか?
引っ込み思案ではあれど、祖母・薫子(元キュアフラワー)からの遺伝からか、困ってる人・曲がったことを見過ごせない、芯の強さが備わっており、ストーリーを通じて、自身の心の成長と共に、まさに花開いていく。
徐々に心を開いていく、コミュニケーション能力を成長させていく、シリーズとしては初の主人公・桃キュアであり、これはのちのテーマに沿った成長が描かれるテーマプリキュア、中でも『スタプリ』の星奈ひかる、『ヒープリ』の花寺のどかに連なっているといえる。
プリキュアの多様化のひとつの契機であったかもしれない。
来海えりか キュアマリン
猪突猛進のお調子者、と桃キュアみたいな青キュア。のちの白雪ひめ、ローラに連なったともいえ、色と性格の組み合わせのバリエーションが多様化するきっかけとなったキャラクター、といえるか(?)
『ハープリ』は、変身後の名を変身者自身で決めている点ではシリーズ唯一であり、”自分の意志” を最も体現した作品であり、中でも、えりかはその象徴ともいえる。
そんなえりかでも、主人公・つぼみやクラスメイトたちには、思ったことを正直に伝えられるが、姉で芸能活動をしているももかには、嫉妬やコンプレックスから上手く会話を交わせず、互いの気持ちを勘違いして捉えていた。
学校と家庭とでポジションや関係性が変化することで、本音を出せるか否かが変わってくるという点を突いているのも、えりかのストーリーラインならでは、といえるか。
”本音を話せない” という、ある種の孤独感を描いている点で、シリーズ中の青キュアと共通する要素があるともいえる。
それを話し合うことによって解決した結果、えりかとももかの関係性が回復し、またももかのクラスメイトの月影ゆり=キュアムーンライトの孤独の解消、英雄化の回避へと繋がっていく、なんていうこじつけを思ってしまう。
明堂院いつき キュアサンシャイン
シリーズ初の武道キュア、かつ男装キャラクター。
”男らしさ・女らしさ” の観念がありきの上での、複数性・多様性なるものを描こうとしたキャラクターともいえる。
ストーリーラインも多様。
生徒会長として気持ちを張り詰める回、武の道について説く回、ファッションチェンジの回など、一見、統一性がないように観える。
言い換えるなら、”人はいつでも変われる・変わってもいい” ということを体現していたともいえるか。
プリキュアとしても、人としても、最も多様な変化をしたキャラクターであるかもしれない。
『はぐプリ』の愛崎えみる・若宮アンリを通して描かれた、”男らしさ・女らしさ” にも繋がっているともいえる。
月影ゆり キュアムーンライト
プリキュアシリーズ史上、唯一の英雄。とはいっても、帰る所はちゃんとある。
相棒の喪失、DNA上では双子ともいえる存在との熾烈な戦い、父との確執を経ての再会・死別……。出演作品を30分ほど間違えたかのような過酷な命運をたどる月影ゆりのストーリーライン。
それでも帰る所がちゃんとあるのは、つぼみ・えりかたちに引っ張られたから、ってだけじゃない。
8話「カリスマモデルのため息! って、なぜですか?」
芸能活動でクラスの輪を作れずにいる、同級生の来海ももこに、授業ノートを渡し、隣に座って本を読むゆり。
喪失と孤独を味わってしまったからこそともいえるし、ももこを救っているようでいて、実は自身の孤独を埋めたかったともいえるような?
明るく振舞おうとするのではなく、ただ寄り添うだけ。
ゆりを英雄のままにしなかったのは、”ただそれだけ” の行動にあり、それは序盤で既に描かれていた、なんてことを後づけ的に考えてしまう。
花咲薫子=キュアフラワー
テレビシリーズ中、初の先代プリキュア。
『ハープリ』以降、プリキュアが古より引き継がれていることが明確に描かれるようになる。
研究者であり、武道も修めている、昭和ヒーローそのままのキャラクター。
”古プリキュア” に関する基本フォーマットとして、”能力が高い孤高のヒーローである” ”強敵を辛うじて退けるも能力を失う” ”敵が時を経て現代に復活する” といったことが挙げられるか。
先代によって束の間の平和がもたらされるも、子々孫々の代に再び危機が訪れるということが、『ハープリ』以降のシリーズの基本設定の一つとして定着していく。
「未だにヒーローが創られるということは、ホントは悲しいことなんだよね」(長石多可男監督『劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生! ファイナルカット版』’07年 東映、オーディオ・コメンタリーより)
争いがなくなることがない、いつの時代もヒーロー・ヒロインが求められる現実が、反映されているのかもしれない。
キュアアンジェ
『ハトプリ』の劇場版にて、サラマンダー男爵とキュアムーンライトとのやり取りの中で言及された先代プリキュア。
400年前、砂漠の使徒と最初に対峙したプリキュアとして位置づけられる。
西洋風で、隻眼っぽい感じの雰囲気。
神話的な解釈における、特別な力を持った存在としてデザインされてる感じが、”伝説の戦士・プリキュア” を、一目で想起させられる。
『ハピプリ』より明確化した先代プリキュアの存在。
サラマンダーとムーンライトの会話のイメージとして、各時代のプリキュアたちのデザインがインサートされている。
これもまた、スピンオフや二次創作の余地として喚起されるシーンといえる。
2011年『スイートプリキュア♪』
北条響 キュアメロディ
「ここで決めなきゃ、女がすたる!」
相田マナの布石たる、義侠心あふれるプリキュア。
運動能力特化で、のちのゆい・ソラと、近年のヒロイズム偏向キュアに連なっているともいえる。
『スイプリ』はシリーズで初めて、終盤で町の人々への深刻な被害が描かれている(以前は、別時間軸・異世界での戦いのため、人々は認識していない、もしくは直接の被害はない)。
かつてない試練にも毅然と立ち続ける、歴代でも屈指の雄々しさを誇る。
ヒロイズム偏向への布石は2011年に確立していた、ともいえるのかもしれない。
『5』の夏木りん以降のスポーツ万能キャラは、特定の運動部には所属せず、助っ人として試合に出るということがフォーマットになる。
響以降からは、女子野球部の描写が定番化する。
『SS』で咲がソフトボール部で活躍する前後、日本女子ソフトボールが、国際戦でアメリカと抜きつ抜かれつの優勝争いをしており、テレビでもよく扱われている。
日本女子野球も2004年から国際戦が2年おきに開催されており、2008年以降は不動の王者として君臨し続けている。しかし、なぜか取り上げられない。
それでもプリキュアは、応援し続けている。
南野奏 キュアリズム
成績優秀でお菓子作りが得意、真面目で頑固、主人公の北条響とは度々ぶつかりあうほどの親友。’90年代アニメの月野うさぎ・火野レイを彷彿させるといえるかもしれない。
『スイプリ』では、セイレーン(黒川エレン=キュアビート)とハミィ、響と奏と、2組の ”ふたり” が描かれる。前者は仲違いをした正反対の ”ふたり” が仲を回復していくストーリーになっている。後者は、スポーツ万能・学芸優秀と特技の面での対称性はあるが、性格的には両方とも口やかましく、冒頭から喧嘩が絶えない ”ふたり” が何をきっかけに協力しあうか、といった描き方になっている、といえるか。
響・奏の ”喧嘩するほどの仲の良さ” が、カラっとした痛快さをより醸していて、「ここで決めなきゃ、女がすたる!」の響の時代劇感ある決め台詞もより際立ってくる。
よそよそしい所から徐々に距離を詰めていくパターンが多い、プリキュアシリーズにおいて、珍しいコンビであるといえるかもしれない。
黒川エレン セイレーン キュアビート
『わんぷり』に先駆けた、シリーズ史上初の猫プリキュア(厳密には異世界の妖精)。
裏切られても信じ続ける、無垢なハミィとは対称的に、過度な競争心による嫉妬や疑念に狂わされてしまうキャラクターとして描かれる。
プリキュアとして覚醒して以降、猫の姿に戻れなくなってしまうのは、猜疑心を抱えてしまったことからの応報なのだろうか? 最終回でも故郷に戻らないのは、”魂” が未だ彷徨うゆえか?
だからこそ、「爪弾くは ”魂” の調べ」と明言し、”魂” とは何ぞや、”魂” の行く先は何処かの旅路に、人間としての姿で求め続けているのだろうか?
『スイプリ』は、複雑な人生を辿ることとなってしまった9歳の王女と、凸凹の人間ふたり・妖精2匹で構成された、波乱と多様性に富んだ編成だったのかもしれない。
調辺アコ キュアミューズ
シリーズ初の小学生キュア。かつ、異世界のプリンセスで、亡国の危機を経験するなど、諸々属性が盛り込まれている。
当初はロングブーツで仮面を被った謎の戦士として、また、日常ではクラスメイトとは距離を置きがちな、文字通り ”背伸び” したキャラクターとして登場する。
南野奏(キュアリズム)の弟で同級生の奏太が絶えず声掛けをして、アコも明確に拒まなかったことから ”孤独・孤立” を望んだわけではないともとれる。
故郷の危機が解決した後は、クラスメイトとの関わりが増えていく。
複雑な属性を乗せつつも、”孤高のヒーロー” にはしない、というバランスの描き方として、声掛けを絶えずしてくれる周囲への気づき、といったものが挙げられる、といえるかもしれない。
2012年『スマイルプリキュア!』
星空みゆき キュアハッピー
月野うさぎ、夢原のぞみを引き継ぐ、正統派ヒロインの主人公・桃キュア。
と思いきや、実は幼少期は人見知りで、挨拶するにも声が出ないほどだったことも描かれている。
絵本の世界に籠りがちだったところから、”鏡” を見て笑顔を作り、外へ踏み出していく。挫けそうになりながらも、”気合いだ! 気合いだ!” と自分に言い聞かせて、奮い立たせて、何度でも立ちあがる。
自分の内面を客体視して向き合っている点で、野々はなの前身となったキャラクターであるともいえるかもしれない。
みゆきもまた、後天的にコミュ力を高めていった桃キュアであり、それは震災後の鬱屈とした空気との向きあい方を描いていたともいえるかもしれない。
日野あかね キュアサニー
ポスト3.11の日本を照らしたキュアのひとり。
『スマプリ』は『5』と同じく、5人体制。『GoGo』みたく、追加戦士が入ることはない(終盤のキャンディがミルクのような立ち位置ともいえるか?)
主人公は、ドジでおっちょこちょいの星空みゆき。月野うさぎ系譜のキャラクターと捉えられる。ただし、”転校生” という設定があるため、クラスに馴染むプロセスが描かれる。そこに仲介的に入ってくるのが、みゆきより前年度に大阪から転校してきたあかね。
”誰とでも仲良くなれる” 性格を彼女が担ったことにより、みゆきも早くからクラスに馴染み、持ち前の前向きさがより活き活きとしてくる。どこか気張りがちなあかねもみゆきに励まされて、より明るくなってくる。
『5』ではのぞみ・りんの ”幼馴染” から始まっていくが、『スマプリ』では偶々、同じクラスになった ”転校生” 同士から始まっている。
場所は変われど、前を向くこと、居合わせた人との縁を大事にすることが、光明を見出していくためのヒント、となるであろうことが示されているとも捉えられる。
黄瀬やよい キュアピース
絵を描くことが好き、かつ主人公・星空みゆきとともに、ロボットアニメ好き。
”フィクションを愛するということ=ロボットに惹かれがち” というのは、テンプレなのだろうか?
周囲に臆することなく吐露したフィクションへの愛は、”自分でもやってみたい” に転換する。でも、愛あるゆえに自分で作ったものにはどうにも納得できない。自信が持てない。
やよいのストーリーラインは、漫画賞への応募などを通じて、自己を徐々に認めていくものとなっている、といえる。
震災後、自粛ムードが漂っていた世の中において、”好きのものは、好きと言っていい” ”やりたいことに真っ直ぐチャレンジしてもいい” という含蓄が、やよいを通じて込められていた、ともいえるかもしれない。
緑川なお キュアマーチ
スポーツ万能・サッカー部・弟妹想いの姉御肌。
『5』の夏木りんを引き継ぎ、『スタプリ』の雨宮えれなに連なるキャラクター。
タイトル・作風とは裏腹に、終盤での各メンバーへの試練が過酷に描かれた『スマプリ』。
中でも、なおのエピソードは、リアルタイム世代およびその親御さん世代には、切実に刺さっているかもしれない。
”真っ直ぐ” であることを信条とするキャラクターは、ヒーローものでは主人公・センターポジションに位置することが多いため、ヒーロー好きにとっても、感情移入しやすいかもしれない。
一方で、”ヒーローたること” の限界も描かれたポジションでもあるといえ、その点では、『ハープリ』のキュアムーンライト、『ハピプリ』のキュアフォーチュン、『ひろプリ』のキュアスカイとも共通しているともいえる。
青木れいか キュアビューティ
文武両道、生徒会長……、の青キュアらしい青キュア。
天然でおっとりしてる、が差別化ポイントか。
生徒会選挙のエピソードは、当時の民主党政権への批判か、現在に至るポピュリズムの予言か……。
”正しくあることとは何か?” ということを問うエピソードが多い印象。
”真面目” ”誠実” とはなかなか伝わりづらいもの、だからこそ何度でも言い続け、行動を続けていく。
「私たちにはちゃんと、れいかちゃんの気持ちは届いてるもん」(37話、星空みゆき=キュアハッピー)
『ひろプリ』の ”誰かにとってのヒーロー” にも連なってくるような、わかってくれる・待ってくれる ”誰か” がいるならば、何度でも立ちあがる・動き続ける。
”プリキュアヒロイズムの言語化”、がれいかのストーリーラインになっている、といえるかもしれない。
坂上あゆみ キュアエコー
”誰でもプリキュア” を提示した最初(?)のキュア。
’12年『映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち』で登場する、劇場版オリジナルプリキュア。
坂上あゆみは、どこかから転校してきた中学生。どこの出身かはわからない。引っ込み思案で、転校当初はクラスに馴染めずにいた。
星空みゆきと対称的に描かれたキャラクターともいえる。
『5』以降、プリキュアは世間に認知される存在となり、今作の世界観において ”憧れ” の対象として位置づけられるようになり、あゆみもプリキュアに憧れる中学生の一人とされている。
『セーラームーン』の世界観において、セーラーVが ”憧れ” の対象となっており、月野うさぎもセーラーVに憧れる中学生の一人として描かれている。
月野うさぎとも対称的になっているといえる。
学校の ”隅” にいる子の、日々の葛藤、遠くに感じる存在への憧憬が、あゆみを通じて描かれていることにより、気持ちひとつで ”誰でもプリキュア” になれることへの説得力をより増しているといえる。
キュアエコーは、”誰でもプリキュア” の象徴的存在であり、のちのプリキュアの定義の拡大への布石になったキャラクターである、といえる。
2013年『ドキドキ!プリキュア』
相田マナ キュアハート
シリーズ史上、ヒロイン作品史上、ヒーロー史上においても、屈指のヒロイズム主人公。
能力・義侠心・行動力を兼ね備えた、ヒロイン作品では特異ともいえるキャラクター。
「人助けに理由なんていらないでしょ」と自らを投げ出すその姿勢には、胸打つものと、ヒーローを観る痛快さを覚える。
プシュケーを奪われても、そのプシュケーそのものが自由意志を持って、抵抗し続け、心身とも屈強たることを示す。
出演時間を30分~1時間ほど間違えた、シリーズ屈指のヒロイズムプリキュアであり、昭和的なヒーロー像とも重なる、ヒロイン作品史上においては異端ともいえる相田マナ。
今後、現れることのない、伝説的キャラクターであるといえるかもしれない。
菱川六花 キュアダイヤモンド
プリキュアヒロイズムの頂点・猪突猛進の主人公・相田マナ=キュアハートの親友・相方。
六花も非凡なキャラクターではあるが、マナをはじめ、周囲が濃すぎて普通に見えてしまう。
成績優秀・慎重で常識人、将来はの夢は医者。『セーラームーン』の水野亜美とも似通っているともいえる。
亜美と六花の違いは、”運命” と ”意志”。
前者は、”前世からの運命” によって月野うさぎら、セーラー戦士とのつながりと役割を知り、それを受け入れていくのに対し、後者は ”自分の意志” で親友を助けるため戦いに飛び込み、プリキュアになることも決断する。
プリキュアに関する諸々の現象に、慎重な態度はとっていたものの、助けた親友が図抜けた才覚と義侠心に駆られた ”ヒーロー” であるがゆえに、自ずとヒロイズムに引きずられていく。
”現実のクラスの優等生がプリキュアの世界に巻き込まれたら” を体現したのが、六花=キュアダイヤモンドといえるかもしれない。
四葉ありす キュアロゼッタ
全員優秀、相田マナの義侠に引っ張られ、ヒロイズム全開なプリキュアを打ち出した『ドキドキ!プリキュア』。
四葉ありす=キュアロゼッタは、その極限ともいえるではないだろうか?
登場時から「力とは何ぞや?」の問題を抱えていて、その自制のために当初はプリキュアになることを躊躇ったりと、ブルース・リー先生かと見紛えてしまいそうなくらい(?)なキャラ設定。
ブルース・リー先生も、比較的、恵まれた境遇に生まれており、様々な学問・武術・芸能に触れ得る機会もあって、才能を開花させることができた、ともいえる。
境遇と才能を授かった者らが表現したことは、「義とは何ぞや?」「力とは何ぞや?」「義のために力を振るうことは正しいのか?」。
”優等生” となり得た者の責任として、常に ”正しさとは?” と向き合っていく義務が伴うともいえるか。
絶対的な価値観を押し付けない、シリーズを通して描かれていたことの一つが、よりヒロイズムも増して現れたのが、四葉ありす=キュアロゼッタおよびそのストーリーラインなのではないだろうか。
剣崎真琴 キュアソード
祖国の王女への忠節に生きるプリキュア。大義を語らぬプリキュアシリーズにおいては、珍しいキャラクター。
『セーラースターズ』のスリーライツ、実写版『セーラームーン』の愛野美奈子の系譜ともいえるか。
「あなたのいない世界なんて……」(『ドキプリ』49話より)
終盤、時代劇だったら、殉じてしまいそうなくらい(?)に崩れ落ちてしまうが、”想いの不滅” に触れ、王女亡き(亜久里・レジーナ・アイちゃんに分散・転生)後も、「歌声を世界中の人々に」届ける、歌姫としての使命を担い続けている。
”守りたいと想う気持ちでプリキュアになれる” ”何度でも立ちあがる” “強くなれる” ……。
のちの『プリキュアオールスターズF』に描かれるテーマが、プリキュアヒロイズムの頂点たる『ドキプリ』において確立しており、それがより古典的に表徴されたのが、真琴なのかもしれない。
円亜久里 キュアエース
(レジーナとアイちゃんも含む)
トランプ王国の王女・マリー・アンジュの善悪のプシュケーとして分散した円亜久里・レジーナ、人間界に転生した赤子のアイちゃん、として登場する。
『MH』の光の園のクイーンが分散・矮小化した姿としての、九条ひかり=シャイニールミナスを引き継いだキャラクターたちといえる。
”善悪とは何ぞや” ”幼児との向き合い方” といったことがそれぞれのストーリーラインとして描かれている。
また、剣崎真琴=キュアソードとの関係においては、”精神的支柱が失われても挫けず生きていくこと” が、終盤での台詞のやり取りの中で表現されている。
初代の無印・『MH』で、ぼんやりとした概念としてしか語られなかった ”光・闇” の二項対立が、『ドキプリ』においてそれぞれをキャラクター化して掘り下げていった、といえるかもしれない。
キュアエンプレス・キュアマジシャン・キュアプリーステス
キュアエンプレスのパートナー妖精・メランを通じて語られる、1万年前のプリキュア。
テレビシリーズ中、言及されているプリキュアでは最古のプリキュア。
『ドキプリ』メンバーたちの成長のキーともなる。
プリキュアが ”伝説の戦士” として妖精界隈では語られていることは、初代からの設定。先代プリキュアが登場するのは『ハープリ』より。
遡った代より語られるのは、『ドキプリ』が初となる。
”1万年” としてるところが絶妙。この頃を境に、定住や原子農耕など、社会システムが確立していったという説もある。
人の心の悪から派生する怪物の出現、それに対応するプリキュアのような浄化をもたらす存在が登場するのもおかしくはない、と類推するのは自分だけ(?)
2014年『ハピネスチャージプリキュア!』
愛乃めぐみ キュアラブリー
天真爛漫、コミュ力おばけ、慈愛に満ちたヒロインらしいヒロインの主人公・桃キュア。
終盤の大ボス・レッドとのカンフーアクションは、シリーズの名シーンの一つ(と私は思っている)。
『ハピプリ』の世界観では、プリキュアたちが世界各地で活躍していて、人々にも憧憬される存在として認知されている。
そのプリキュアに憧れる女の子の一人として、愛乃めぐみがいる。セーラーVに憧れる月野うさぎを正統的に継承している主人公であるといえる。
一方、恋心を抱いたブルーとは悲恋に終わり、幼馴染の誠司とは明確な進展はない状態でストーリーが終わっている。
シリーズのアニバーサリーにおいて、”慈愛” の描き方は惜しみなかったものの、”恋愛” に関しては不器用なままになってしまった、といえるかもしれない。
”恋愛” の描き方に関しては、『ハピプリ』より10年後の『わんぷり』を待つことになるのは、時代との連関があるからか、なんてことを思ってしまう。
白雪ひめ ヒメルダ・ウインドウ・キュアクイーン・オブ・ザ・ブルースカイ キュアプリンセス
”等身大” から ”ヒーロー” へ、を最も(?)体現したキュア。
逃げ出したり、仲間を求めようにも人見知りで声が掛けられない、出てくる言葉は弱音ばかり……。
”明確な自分の意志でプリキュアになれる” 設定は? とツッコミたくなるような序盤での ”等身大” ぶり。
来海えりかに似てるとも言われるが、一国のプリンセスでなく、一般家庭で生まれていたら、有栖川ひまりや猫屋敷まゆみたいな、人見知りで、好きなことには夢中になってしまうタイプになってたんじゃないか、と思えてしまう。
愛乃めぐみとの出会いにより、言葉がポジティブに変化し、自信を持つようになり、失敗とも向き合えるようになり、変身後も ”ヒーロー” らしくなっていく。
めぐみとひめが出会うきっかけは、ただ石(重要アイテム)を投げただけ。
文字通りの ”投げやり” が、変わるきっかけを作ることもある。
キャラクターのネーミングなど、プリキュアシリーズに連なる ”テキトーさ” を表徴しているともいえる。
ひめこそが、最もプリキュアらしいプリキュア、なのかもしれない。
大森ゆうこ キュアハニー
登場時・戦闘中に歌うプリキュアは、シリーズでも唯一無二(継承しているのは、城茂=仮面ライダーストロンガー? 口笛だけど)。
(↑『キミプリ』放映以前の文章)
徒手空拳以外で闘う点で、のちの『プリアラ』や『わんぷり』に連なっているといえるか。
”食べることの大切さ” そのものはシリーズを通して描かれてきているが、主要テーマにしているという点では、『デパプリ』に連なっている。
”慈愛をもって相手に臨む” こと自体は、多くのヒロイン作品に共通しているが、その歴々を含めても屈指といえるかもしれない。
強敵に刃を突き付けられてさえも、歌をもって相手の浄化を試みている。
ネット上で、”最強のプリキュアは誰か” などというお題でスレッドが立ち上がったりするが、大体は戦闘力の点で触れられる。
ヒロイン作品、ひいては低年齢層向け作品において語るべき ”強さ” は、”慈愛” の深さに重きを置くべきではないだろうか。
大森ゆうこのストーリーラインは、その象徴といえる。
「争いなんてやめようよ」「一緒に美味しいものを食べれば、争いなんて」(『ハピプリ』11話)
その思想、その行動は、やなせたかしの『アンパンマン』が継承されている。
氷川いおな キュアフォーチュン
『ハープリ』のいつき、『ドキプリ』のありすを引き継ぐ武道キュアかつ、『ハピプリ』の世界観的には、非公認もしくは私立のプリキュア、といったところか。
プリキュアの力を司るブルーを介さず、姉のまりあ=キュアテンダーから譲り受けたアイテムで変身し、空手を活かして戦っていた。
敵に囚われた姉を助けるため、孤軍奮闘に戦い続けるが、強敵を前に限界を来し、変身アイテムも失う。
ひめ=キュアプリンセスに助けられ、また願いを叶えられるカードを譲り受け、再びプリキュアとして復帰、かつ友情を心得てパワーアップする。
いおなもまた、まりあのような ”昭和的孤高のヒーロー” に臨んでいたが、その限界を悟り、仲間との協力にシフトしていく。
『ハピプリ』のテーマの一つに、”博愛とヒーローたることの限界” があるといえるかもしれない。 まりあ・いおな姉妹のストーリーラインがそれを象徴しているといえるのではないだろうか。
相楽誠司
『デパプリ』の品田拓海、『わんぷり』の兎山悟に連なる、主人公を支える男性キャラクターの先駆。かつ神様の喧嘩の巻き添えを、最も喰らってしまった男性キャラクター、といえるかもしれない。
誠実で文武両道、主人公・愛乃めぐみに片想いを寄せる、真っ当な中学生でありながら、敵対勢力に二度も利用されてしまう。
「恋愛」「嫉妬」などの感情表現が押し出された『ハピプリ』においては、真摯な少年が両義的なポジションに置かれてしまうことになる。
終盤で操られてしまった時の立ち直り方は、キュアラブリーとの拳と拳のぶつかりあい。物理的にぶつかりあって和解するのは『フレプリ』のラブ・せつなからの伝統芸(?)
シリーズの伝統の踏襲と、以降のシリーズの男性キャラクターの模索として描かれたのが、相楽誠司なのかもしれない。
氷川まりあ=キュアテンダー
先輩プリキュアかつ、闇堕ちキュアのひとり。
『ハピプリ』は、古くから世界各地でプリキュアが平和を守ってきた、という世界観になっており、300年前のプリキュアのキュアミラージュも登場し、彼女もまた、闇堕ちしている。
強く優しく、勤勉家で友にも恵まれて……。『ドキプリ』の相田マナを引き継いだようなキャラクター。
人として完璧で、博愛精神も持ち合わせてるが故、妹・いおな(=キュアフォーチュン)を庇ったことで敵に囚われ、洗脳されてしまう。
”ひとりの犠牲も出さない” というスタンスの限界を描いたともいえるか。
’10年の『ハープリ』のキュアフラワー、キュアムーンライトなどの先代・先輩プリキュアも、圧倒的な能力を誇る ”孤高のヒーロー” として描かれ、戦いの中で能力を失う・仲間を失うなどの経験をする。
’14年の『ハピプリ』においては、”孤高のヒーロー” として描かれ、かつ真っ直ぐな性格を利用され、敵に利用されてしまうにまで至っている。
ヒロイズムの悲劇性・両義性が描かれているともいえ、それは『ひろプリ』のソラ=キュアスカイに連なる系譜であるともいえる。
ミラージュ=クイーンミラージュ=キュアミラージュ
300年前の古のプリキュアであり、闇堕ちしたプリキュアであり、神との恋が描かれたキャラクター。
『ハープリ』以降、プリキュアが連綿と受け継がれるものとして設定される。『ドキプリ』『Goプリ』『キラプリ』『トロプリ』『ひろプリ』で、古のプリキュアの存在が示され、『はぐプリ』では未来のプリキュアも描かれている。
中でも、ミラージュは、活躍から暗転、人間としての葛藤も描かれるなど、最も掘り下げられた古プリキュアであるといえる。
時代は変われど、人としての根本的な悩みは変わらない。
恋愛、寂寥などからネガティブな感情へ転化してしまうミラージュの描写は、そんなことを表徴しているのかもしれない。
オレスキー
幻影帝国の武闘派タイプの幹部。
元警察官であることから、武道経験者と類推してもいいだろう。終盤でのキュアフォーチュンとの格闘が熱い。
ゾル大佐っぽいと私見での印象で思っていたが、ガンダムのキャラクターがモチーフだそうな。
孤高の強さ、名声を求めていながら、組織の傘下に与している。
孤高たることと、仲間を求めること・承認を得ることなどの矛盾した願望に揺れていたキャラクターであるといえるか。
「あなたは本当に強かったわ。尊敬に値するほどね」(『ハピプリ』42話)
キュアフォーチュンと健闘を称えあい、元の姿に戻っていく。
感情の交々が描かれることが多い『ハピプリ』の中にあって、体育会系的なぶつかり合いが観られるシーン。
ナマケルダ
元サラリーマン。人間関係のもつれから、世の中に嫌気がさして、世界侵略を企む組織に入る。
名前と経歴と行動が一致してないような気がしてしまうキャラクター。
「怠ける」からのネーミングとは裏腹に、組織の命令に従って、侵略行為に勤しむ。
プリキュアたちの文言・行動を否定しながらも、最終的には「面倒臭いのは、自分」と問答を自分の中で一周して、組織から離脱していく。
面倒臭くても、現状の仕事をこなすしかない。
世の中の社会人の姿を典型的に描いたのが、ナマケルダなのかもしれない。
ホッシーワ
愛乃めぐみや大森ゆうことの対比的キャラクター。
また白雪ひめとは近しいキャラクターともいえるかもしれない。生まれや育ち、出会った人との関係性によって、偶々、立場が違っていただけといえる。
好きなもの・欲しいと思ったものを独占したい願望は、対象視聴者層も含め、誰もが共感できること。
終盤、キュアハニーとの問答で、これらは改善すべきこととして結論づけられるが、一番難しいことでもあるといえる。
「欲望こそが、世界を救う!」と『仮面ライダーオーズ』の鴻上会長が言っていたように、欲をどう仕向けるかで善行にもつなげることができる、といった言い回しもできたりする。
難解なテーマが取り残されたような、そんなことを思ってしまうホッシーワのストーリーライン。
ファントム
「僕は時々、世界各地へ赴き、”愛の結晶” を飛ばしている。”愛の結晶” は、強い愛の心を持った者が手にした時、光輝き、そして、プリキュアが誕生するんだ」
(『ハピプリ』11話 ブルーの台詞より)
これに穿った解釈を向けるなら、レッド率いる幻影帝国との戦いに備える、ブルーによる徴兵もしくは、生贄としての巫女の選別とも捉えられなくもないか?
『まどマギ』のキュウべぇ、と捉えられなくもないか?
この前提に立った時、ファントムがとっていた行動は、ブルーによって奇しくもプリキュアにされてしまった少女たちを、戦いから解放するための行い、と捉えることもできる?
『ハピプリ』における妖精は、少女たちへのよきアドバイザーでもあり、リボンのように、ひめの親代わりとも言えるような、精神的に自立した存在であるといえる。『セーラームーン』のルナのようなポジションともいえる。
ミラージュへの忠誠、元凶たるブルーへの対抗心が、プリキュアへのアンチへとつながる。
それは偶然にも、”抑止力” と化してしまったプリキュアに対する再考、戦わされてしまっている少女たちの保護と解放にもつながっていったといえるか?
マダムモメール
『ハピプリ』では、世界侵略を目論む組織が対立勢力となっており、マスコミを通して、プリキュアの存在含めて、これらの事象は周知されている。
海外を担当する幹部、それに対抗するプリキュアたちの動きが、ニュースの映像で知らされている様子が、テレビシリーズ内では描かれている。
中でも、ある程度、スポットを当てられたのが、ハワイ担当の幹部・マダムモメール。ハワイのプリキュアであるアロ~ハプリキュアを圧倒し、ハワイ侵攻を着々と進めていた。
ぴかりが丘のプリキュアであるハピネスチャージプリキュアの救援によって形成を逆転され、その後の消息はわかっていない。
スピンオフなどで言及されていることもないため、解釈の余地、二次創作の余地が当てやすい所であるともいえる。
海外各国、また日本国内のローカルプリキュア、および担当幹部などのキャラクターを考えてみるのも、面白いかもしれない。
いずれもファントムによって封印されてしまうオチにはなるが。
2015年『Go!プリンセスプリキュア』
春野はるか キュアフローラ
テーマプリキュアの最初の主人公。
”プリンセスになる” という抽象性の高いテーマは、中空性の現れともいえ、”ヒロインらしいヒロイン” の代表格でもあるといえる。
夢のためには努力も、教えを請うことも、迷うことなくできる行動力がありながら、”プリンセスになる” という夢を周囲に理解してもらえないことへの葛藤にも常に立たされている。
同級生の七瀬ゆい、優等生の海藤みなみ、芸能活動を両立する天ノ川きららたちと出会い、認め合い、学びあう中で、中空的中心が徐々に輪郭が形づくられていく(?)
テーマを設けながらも、その在り様に対する解釈は自由としている辺り、主人公の ”ヒーロー化” は避けられているといえる。成長は描きながらも、その可能性は未知なるものとしている点で、”ヒロイン” 作品としての記号性・曖昧さが保持されているといえる。
海藤みなみ キュアマーメイド
文武両道・生徒会長・家が裕福……。
2代目・水無月かれん=キュアアクア、ともいえるか。
『Goプリ』は、絵に描いたような(アニメだけに)キャラクターがひしめき合う構成。
真っ直ぐすぎる春野はるか、優等生すぎる海藤みなみ、スターすぎる天ノ川きららと、とにかくキャラが濃い。ゆえに、七瀬ゆいの存在が重要となる。
はるかとみなみは、対称的な関係としても描かれてもいる。
真っ直ぐに憧れを伝え、教えを請うはるか。頼られることに喜びを感じ、また彼女の真っ直ぐさを頼りにもしているみなみ。
”先輩・後輩” という形での ”ふたり” が描かれていたともいえる。
”孤高の英雄” ともなってしまいそうなくらいのポテンシャルながら、はるかの存在によって ”孤独・孤立” が回避された、といえるかもしれない。
天ノ川きらら キュアトゥインクル
プリキュアに変身できる条件のひとつ(?)といえる ”自分の意志”。
それには、利己主義も含まれる、ということをシリーズ中で明確に体現したのが、天ノ川きらら=キュアトゥインクルなのではないだろうか?
これは『わんぷり』のユキ=キュアニャミーにも連なってくる。
夢に向かっていく ”意志の強さ” が、変身の資格ともリンクしてか、自分の関わる舞台に被害が及んだことをきっかけに、プリキュアへの変身を可能とする。だが、芸能活動の多忙を理由に一旦は手放してしまう。”自分の意志” とは別に、”当事者意識” を持てるか否かで、変身することの判断が変身者に委ねられたといえる。
主人公・春野はるかの人柄に触れ、再度、変身を決意し、プリキュアになる。ストーリーが進むに連れ、”当事者意識” の範囲が広がっていき、結果的に利他的になっていく。
きららのストーリーラインには、”自分” の定義が拡張していく過程を描いているといえるのではないだろうか。
紅城トワ トワイライト キュアスカーレット
”光堕ち” キュアのひとり。かつ異世界のプリンセス。
東せつな(キュアパッション)、黒川エレン(キュアビート)、菓彩あまね(キュアフィナーレ)らと共通しているといえるのが、優等生でストイックといった点か。これは、多くの青キュアキャラクターとも共通しているともいえる。また ”嫉妬” ”コンプレックス” を抱きやすい描写が多く観られ、敵幹部キャラクターとの共通点も多い。
”光堕ち” キャラクターは、”青キュアキャラクターが敵側にいたら” の別ルートストーリーが組まれていたともいえるかもしれない。
”優秀” ”責任感が強い” は、敵側にとっては ”忠誠心の強い、使える部下” に転じやすいともいえる。
両義的キャラクターの系譜、青キュアキャラクターの系譜の結節点に、『ひろプリ』の主人公のソラ・ハレワタール=キュアスカイがあるといえるかもしれない。
七瀬ゆい
プリキュアシリーズ史上、最も活躍した一般人。
主人公・春野はるかの夢を肯定し、彼女の窮地を救い、絶望の檻を自力で破り、強敵を倒すキーパーソンにもなって……。’90年代『セーラームーン』の大阪なるの再来、というよりそれ以上の大立ち回り。
『Goプリ』以降、特定のテーマと掛け合わせた作風へとシフトチェンジし、主人公らも、そのテーマに沿った目標を掲げて成長していく過程が描かれるようになる。
はるかの「プリンセスになる」という、突拍子もない夢を最初に肯定したのは、学校の ”華” たる、みなみでもきららでもなく、偶々隣り合った同級生である所に、プリキュアという存在の ”近しさ” が込められているように思える。
”プリンセス” という一見、とっつきにくそうなテーマにおいて、七瀬ゆいのような ”身近” な隣人からのエールが描かれていることによって、テーマプリキュアが成り立ったともいえるのではないだろうか。
2016年『魔法つかいプリキュア!』
朝日奈みらい キュアミラクル
魔法つかいとの交流、ぬいぐるみとお喋りできる……。小児の夢を叶えてしまった主人公キュア。
『Goプリ』~『スタプリ』では、数年後の後日譚も添えれられる形で最終回を終えている。
その中で『まほプリ』では、みらい・リコはそれぞれの世界に戻り、モフルンも元のぬいぐるみに戻ることになるが、敵の残存勢力の存在が確認され、再び集結することになる。
夢を見終わって、また元の日常に帰還する。
それは寂しい別れではなく、好奇心をより発揮して学び・交流へとつなげて、より世界を広げていく、現代における一種のイニシエーションである、と解釈してもいいか?
みらいのストーリーラインはそれを象徴しており、また『まほプリ』がアニメシリーズとして続編が組まれるのは、世界へ開いていくための原動力が必要とされているが故か?
十六夜リコ キュアマジカル
主人公の相方キュアとしては初の異世界人。のちのララやソラに連なってくるともいえるか。
人間界では学業優秀で、頭脳明晰な優等生タイプともいえるが、異世界では成績が振るわず劣等生扱いされている点でも、後の異世界人キャラクターのフォーマットになったともいえる。
自分の世界でのコンプレックスから、変なプライドや思い込みを持っていたところから、別の世界の人や価値観に触れることで、それを段々と融和させていく。自分の世界に別の世界の価値観をもたらし、新たな文化交流が生まれていく。
『5』のミルク、『フレプリ』のせつな、『ドキプリ』の真琴など、異世界をつなげるキャラクターは以前から登場していたが、異世界交流の様相も含めて掘り下げて描かれたのは、リコが起点となっているといえるだろう。
英雄神話的な異世界往還を経て、文化創造をもたらしている点で、『まほプリ』の時点では、文化英雄的なヒロイズムが企図されていたともいえる。
花海ことは キュアフェリーチェ
赤ちゃんから成長してプリキュアとなる、という点では史上初であり、『ひろプリ』のエル=キュアマジェスティに連なるといえる。
また、終盤では妖精の里の女王・マザー・ラパーパの力を受け継ぐ者であることが判明し、最終的には神様のような存在として世界を見守る者となっていく、存在が最も肥大化したキャラクターであるともいえる。
生まれた当初から魔法を使いこなせるゆえ、頼ってしまいがちなところを、みらいたちにたしなめられ、魔法に頼らず、体を動かして工夫して生きいくことを学び、成長していく、といったストーリーラインが敷かれている。
身体運動の表現にこだわってきたシリーズならではのテーマが、ことはのストーリーラインに表徴されている、といえる。
2017年『キラキラ☆プリキュアアラモード』
宇佐美いちか キュアホイップ
”脱・肉弾戦” へのチャレンジが謳われた『キラプリ』の主人公。
モチーフの動物が ”うさぎ” なのは、月野うさぎ系譜を意図しているかのようにしか思えない(のは自分だけ?)
『Goプリ』以降のテーマプリキュアにおいて、プリキュアの位置づけが ”伝説の○○” と、各テーマに沿った存在となっている。
『キラプリ』においては ”伝説のパティシエ” となっている。依存的な存在だった妖精たちも、スイーツ作りに励む対等な存在になっている。
テーマに沿った成長が、より明確に描かれた作品であるといえ、宇佐美いちかのキャラクター・ストーリーラインは、それを端的に表徴しているといえる。
『わんぷり』の前身(?)といえるチャレンジが、『キラプリ』において試みられていたといえるのではないだろうか。
有栖川ひまり キュアカスタード
好きな話になると饒舌になるが、興味ない話には乗れない、ついてけない。
ゆえに、クラスでのコミュニケーションに合わせることができず、ポツンとしてしまう。
一人でポツンとしている描写があったキャラとしては、『5』のうらら、『はぐプリ』のほまれ、『トロプリ』のもみのり・あすか、『デパプリ』のここね、『わんぷり』のまゆ、が挙げられる。
芸能活動の忙しさや、部活での悩み、黙々としている性格であるなど、いずれも何らかの事由からの孤立だったりする。
ひまりの場合、好きなことは自分からでも話していたが、他の話題についていくことができなかったことから孤立していった、経験をきっかけとした理由である所が、他のキャラとの違いか。
そんなコミュニケーションの不器用さも含めて肯定してくれる、主人公・宇佐美いちか=キュアホイップのような、コミュ力特化キャラが、まだ成立しえた2017年。
翌年では主人公がクラスでのコミュニケーションの失敗を経験することになり、それ以降の主人公は、コミュ力+運動もしくは学才といった、コミュ力全振りのキャラがいなくなってくる(独断と偏見解釈)。
学校でのコミュニケーションが難しくなっている雰囲気が、プリキュアシリーズにも明確に反映されるようになり、その先鞭となったキャラクターがひまりだったのではないか、と思ってしまっている。
立神あおい キュアジェラート
ロックな令嬢キュア。
『はぐプリ』の愛崎えみるに連なる。
”令嬢” = ”家のしがらみで自由がない” は、ステレオタイプなような気がするが、その立場を共感し得る人が少ないという点では、ある種の牢獄に閉じ込められている、という言い換えもできるだろう(?)
その状況に対し、真っ向から、力ずくで反発するのではなく、大好きな音楽をもって心に訴えることで、家族から音楽活動の了承を得る。
”閉塞感を打ち破っていくのは創作表現である” ことを反抗の音楽をもってストレートに表現した、あおいのストーリーラインは、プリキュアシリーズでも、最も(?)痛快かつ平和的に描かれたものといえる。
翌年の『はぐプリ』への布石になっていた、なんてことも後付け的に考えてしまう。
琴爪ゆかり キュアマカロン
剣城あきらと対の娘役キュア。何でもそつなくこなせる、気まぐれで、仲間ともつかず離れずな、高校生キュア。
一人で何でもできると思っていたゆえに、やりたいことが明確に持てなかった、その矢先に、スイーツ作りの繊細さに鼻を折られる。出会った仲間たちとのスイーツ作りを通して、やりたいことが見つかり、仲間への情にも溢れていく。
表面と内面に、最もギャップがあったキャラクターだったといえるかもしれない。
のちの芙羽ここねや猫屋敷まゆ・ユキとも通ずるようにも観えるが、年長キャラでもあり、情を包み隠さない面もあることから、”人見知り” と括るのは違うといえる。
剣城あきら キュアショコラ
琴爪ゆかり=キュアマカロンと対の、男役風キュア。高校生。
高校生の設定もあって、進路選択に悩むシーンがより掘り下げられていたように思う。
病気がちな妹の面倒を見続けていた経緯から、医学の道を目指すようになる。
妹はそれに対して、自分のために姉の進路を縛ってしまっているような気がしてしまって、敢えて反対意見を言ってしまう。
”自由選択とは何か” ”利己的と利他的の境は?” といったテーマが盛り込まれていたのが、あきらのストーリーラインだったといえるかもしれない。
”自由意志を貫くこと” がプリキュアシリーズにおいて一貫して描かれた側面であると思われる。
”誰かのため” を思うことがきっかけとなった行動選択は ”自由” といえるのか、といったことがあきらを通じて描かれていたようにも思う。
キラ星シエル キラリン キュアパルフェ
『キラプリ』の妖精は、日本各地の山奥に住み、スイーツ作りの修行をしているという設定。
そのうちのひとりのキラリンは、『キラプリ』ストーリー以前から、フランスに渡って修行を積み、人間としての姿・キラ星シエルとして、パティシエとしての実績を積んでいる状態から登場する。
『キラプリ』は、シリーズ中でも特異の設定となっており、プリキュア=パティシエとして位置づけられ、戦闘も肉弾戦はなく、クリームで相手を包み込んで浄化するというスタイル。
妖精も人間と同一世界に住んでおり、『SS』の精霊と同義ともとれるような存在でもあるといえる。また人間に変身できる者も一部存在し、キラリンのように実績まで上げる者もいる。
プリキュアシリーズにおける妖精は、異世界の住人であり、人間界で住むにあたっては人間からの庇護が必要とされ、プリキュアの能力を授ける際にもその人間との親和が必要であるなど、かなり依存した存在として位置づけらることが多い。
『キラプリ』においては、すでに自立的に生息でき、かつ人間よりも優れた能力を持つ者も出てくる。
『キラプリ』はバトルものとしてカテゴライズされがちなシリーズに対するカウンター的な作風であるといえ、かつ女児向け作品において自明とされがちな ”小さなものへの庇護” に対しても、一石を投じていたのかもしれない。シエルはその象徴であるといえ、のちの『トロプリ』のローラにも繋がってくるキャラクターであるといる。
ルミエル
100年前のプリキュア。変身後の呼称はないらしい。
敵方の大ボスのノワールと対称的なポジションとして描かれる。
”光と闇”、”利他と利己” 、”大好きと大嫌い” といったワードで対置される。
終盤、ノワールの分身であるエリシオにより、ノワールと共にカードに封印されてしまう。
「互いの気持ちが強ければ強いほど、光と闇の争いは終わらないだろう。それでは、あまりにも、哀れな……」
(『キラプリ』48話、エリシオの台詞)
”特定の価値観を絶対視しない” ことを一貫して描いてきたプリキュアシリーズ。
プリキュア側のキャラクターの ”善かれ” もまた、争いの要因でもあるということを表す典型として、ルミエルのキャラクター像とストーリーが描かれている。
ノワール
『プリアラ』における対立の張本人。
ルミエルとの諍いから、怨霊化し、苺坂町に脅威をもたらす存在となってしまう。
超常的な存在が大ボスとなるケースが多い、プリキュアシリーズにおいて、人間(元人間?)が大ボスとなった初のケース。次年度の『はぐプリ』のジョージ・クライや『デパプリ』のゴーダッツに連なるケースとなったといえる。
戦場から流れてきたという設定から、PTSDの比喩を描こうとしたともとれるが、曖昧な表現にとどまったといえる。
ノワールから派生するどんよりとした空気が人々に感染していく様子は、バブル経済以後の日本の景気動向の比喩、あるいは後のパンデミックの予見などと、後付け解釈はいくらでもできるが、解釈を加えるほどに曖昧さが際立っていく。
『プリアラ』という挑戦的作風の象徴的なキャラクターの一人とも捉えられる。
エリシオ
”大好きも、大嫌いもない世界” を一時的に創造し得た、史上最も、世界を屈服させたキャラクター、と言っても過言ではないかもしれない。
『SS』のゴーヤーン、『ひろプリ』のスキアヘッドなど、側近が主をも併呑してしまうパターンでもある。
「互いの気持ちが強ければ強いほど、光と闇の争いは終わらないだろう。それでは、あまりにも、哀れな……」
「あるじゃん、あなたにもあるよ、心」
(『キラプリ』48話、エリシオとキュアホイップのやりとりから)
”大好きも大嫌いもなくせば、感情や心を持たなければ、争いはなくなる”
”そう思うこと自体も、また心があるからこそ”
禅問答みたいなやりとりが重ねられる終盤。
肉弾戦はやらない(描写的には実質、戦ってはいたが)、”プリキュア=伝説の戦士” ではく ”伝説のパティシエ” と定義が変わるなど、諸々の実験がなされていたといえる『プリアラ』。
エリシオの ”心とは何ぞや” に問いかけてきた各エピソード、終盤でのニヒリズムに極まっていく展開は、シリーズでも屈指のパンチラインである。
グレイブ
「根っからの悪」と自称した、敵キャラとしての ”自分の意志” を掲げてきたシリーズでも珍しいキャラクター。
経済競争で一時的にのし上がるも、強引な手段に人々が離れ孤立、締め出されたところに、ノワールと出会い、一味に加わる。
戦場からの流れ者、経済競争からの流れ者が描かれている点に、何らかの比喩を類推してみたくなる。
苺坂町が地域紐帯の活きた町として描かれているのに対し、ノワール一味らは何らかの形ではぐれた者たちの集まりとして描かれる。
日本の共同体の良い側面・悪い側面に起因する事象が描かれたといえ、グレイブはその中でも、現代資本主義的な側面を併せる形で描かれたといえる。
”はぐれ者の集まり” の点では、『トロプリ』のプリキュアメンバーたちが該当するといえ、『トロプリ』においては、はぐれ者たちの再生・共同体への再復帰が描かれたといえる。
ビブリー
ノワールとルミエルの対立によって生じた騒動によって孤児となってしまったところを、ノワールに拾われ、一味に加わることになる。
騒動の原因がノワールであることを知らずに、拾ってもらったノワールのために働くも、真相を知ったことにより離脱、プリキュアたちに協力するようになる。
伊上勝の忍者ものメソッドの「子供忍者教室」「術が解けて開放される人々」のパターンを典型的に踏襲してきたといえる。
戦災孤児の比喩とも捉えられるが、それはまた難しい問題でもあるため、ノワールに同じく、明確な表現は避けつつ、「とある事情で孤立してしまった者」の一人として描かれることになる。
リオ
『プリアラ』における光堕ちキャラクターの立ち位置の男性の妖精キャラ。
双子の姉・キラリン=シエル=キュアパルフェと対称的に描かれるキャラクターでもある。
一芸を極めていくにあたっての苦悩に苛まれる点において、また、プリキュアになれるか否かの点において、「違ってたんだよ。お前とは、全然違ってたんだよ」と、含意ある台詞をもって表されている。
後半、プリキュアたちをサポートするキャラクターとして装いを新たに登場するが、当時の男性キャラクターの扱いとしては、そこまでが限度であったといえる。
男性キャラクターの明確な変化は次年度の『はぐプリ』を待つことになる。
2018年『HUGっと!プリキュア』
野々はな キュアエール
私見としては、現時点では最後の、月野うさぎ的、中空的な主人公キュア。
『はぐプリ』ではシリーズで初めていじめの問題が取り上げられ、その渦中の人物としての役割を、はなが担うことになり、ヒロイン作品の主人公としては珍しいケースといえるか?
いじめを止めようとした行為が却って孤立を招き、いじめへとつながっていってしまう、といった過去が中盤に明かされる。
ヒロイン作品において自明とされてきた、”空っぽさ” ゆえの ”誰とでも仲良くなれる・誰からも愛される” キャラクターへのカウンターが提示されている。
転校をきっかけに、持ち前の明るさを取り戻し、段々と自信を回復していくプロセスがメインのストーリーラインとなっている。
学校など、所属しているコミュニティへの相対化が提示されているもといえ、場所を替えることを肯定的に捉えることを例示したといえるかもしれない。
薬師寺さあや キュアアンジュ
優等生、俳優としての才能、DIYが得意、機械に強い、中盤で医者志望に転向……、青キュアの中の青キュアといっても過言ではないかもしれない。かつ優しくて気配り上手なのは、クールキャラが多い青キュアの中では特異かもしれない。
転校してきた野々はなの最初の友人であり、はなが持ち前の明るさを保っていられたのも、さあやがいればこそかもしれない。さあやもまた、はなの明るさに引っ張られ、何がやりたいかで悩んでいたところから、進み始めていく。
どんなに才能が溢れていても、どこに進路を進めていくか、そのきっかけとなる存在、いわばサードマンのような存在が必要であること、それはプリキュアの主人公キャラがそのようなポジションを担っており、シリーズを通して貫かれている点であるかもしれない。
はなとさあやの関係性から、そのようなポイントが読み取れるかもしれない。
輝木ほまれ キュアエトワール
『トロプリ』の滝沢あすかと同じく、『セーラームーン』の木野まことを引き継いだキャラクター。
あすかは、『トロプリ』のコメディ全振りの作風もあって、テンプレ的に描かれたのに対し、ほまれは、競技での悩み、悲恋に終わる片想い、悩むとスランプになったり、学校生活にも影響が出るなど、より繊細に描かれていたように観える。
ケガとスランプからの立ち直りに時間がかかり、”自分の意志” が条件であるプリキュアへの変身にも後れを来したり、敵につけこまれ怪物を生み出すきっかけを作ってしまうなど、序盤から受難続きのシーンが描かれる。
主人公・はなの応援も素直に受け入れられないなど、シリーズでも屈指の悩みに悩んだプリキュアであるといえるかもしれない。
学校生活でもクラスからはぐれがちで、無愛想な態度をとっていたが、赤ちゃんや小動物などへの愛おしみ、曲がったことには相手が男子であれど立ち向かうなど、真っ直ぐな一面も観られ、スランプでメンタルが落ち込んだ中でもギリギリ繋ぎ止められた要素であるともいえる。
どんな状況でも、真っ直ぐな気持ちを忘れないでいられるか、がほまれのストーリーラインのテーマとなっている、といえるかもしれない。
愛崎えみる キュアマシェリ
”ヒーローへの憧れ” ”ロボットとの友情” など、諸々のテーマを抱えさせられた、等身大の小学生プリキュア。
『スイプリ』のアコ、『ドキプリ』の亜久里と、小学生プリキュアが登場するが、いずれも異世界に出自を持つキャラクター。波乱な素性から、性格も大人びている。
えみるは小学生らしい小学生として、純粋で真っ直ぐすぎるくらいの感性から、はな=キュアエールに憧れて ”ヒーロー” を志す。また、エレキギターを携えてロボットのルールーと心を通わせ、ルールーとシンメトリーのプリキュアとして変身を果たす。
新時代の ”ふたりはプリキュア” を提示した、シリーズ史上最も ”ロック” なキャラクターである、ともいえるかもしれない。
えみるとルールーの関係性は、ターミネーター的なタイムパラドックスをはらんでもいるため、続編が作られてもほしいキャラクターでもある。
ルールー・アムール キュアアムール
アトム~ターミネーターを辿った ”光堕ちキュア ” のロボット。
プリキュアの定義拡大に拍車をかけたともいえるキャラクター。
様々なテーマに挑んだ『はぐプリ』。
ルールー視点のストーリーラインでは、”ロボットと人間性” がテーマになっている。『スタプリ』のAIにも連なってくるテーマでもある。
ヒーロー作品においては、アトムを皮切りに長らく語られてきたテーマであるが、ヒロイン作品において掘り下げて描いたのは、プリキュアシリーズ以外で思い浮かぶものは多くはない、といえるか?
ルールーが人間性を獲得し、”光堕ち” へと至るプロセスにおいて描かれているのは、交流・学習・敵対している思われていた者との和解。
プリキュアシリーズにおいて貫いて描かれていたのとほぼほぼ同じ答えを示したといえるか。
”異世界の者” ”人間とは異なる者”と邂逅するにあたって臨むべき態度の、現状において出せる結論でもある、といえるのかもしれない。
若宮アンリ キュアアンフィニ
現時点、シリーズ史上唯一の男子中学生プリキュア。ただし、一話限定の条件つき。
『ひろプリ』の夕凪ツバサ=キュアウィング、『Dancing☆Starプリキュア』に連なっているともいえるが、前者は異世界の妖精、後者は舞台のみと、限定条件が伴っている。
ジェンダー、スポーツでの挫折、「応援なんて誰でもできる」などの台詞をはじめとするヒロイン作品への疑義など、様々なテーマが盛り込まれたキャラクターでもある。
こうしたチャレンジに富んだ男性キャラクターが、今後のシリーズに現れるのか、現れたとして、どんな問題に切り込んでいくのか、などといった推察をさせられてしまう、シリーズでも屈指のエポックキャラクターといえるかもしれない。
はぐたん=はぐみ=キュアトゥモロー
『セーラームーンR』のちびうさのようなポジション。
のようにあるようで、母の死(?)、父の暴走に苛まれた、シリーズ中でも屈指の悲劇を被ることになったキャラクター、と解釈して差し支えないか?(諸々のパラドックスありきのため、記述が難しい)
現時点、シリーズ中では、最年少のキュア、でもあるか? 野々はな(母)たちによってジョージ・クライ(父?)の企みが阻止されたことによって、それも無効になるのか?
いずれにせよ、『フレプリ』のシフォンのごとく、”無限” ”未知” の可能性を秘めたキャラクターであるといえる。
’18年、15年目作品として諸々のチャレンジが為された『はぐプリ』。
ジョージ・クライによる絶望と無力に打ちひしがれる未来、野々はなによる無力ながらも希望を掴み取ろうとする未来と、一種の予言めいたような描写もしていた、のかもしれない。
はぐみ=キュアトゥモローが英雄にはなっていない、野々はなのような性格を引き継ぐ人として立っている未来を、望んでしまう。
2019年『スター☆トゥインクルプリキュア』
星奈ひかる キュアスター
”好奇心” だけを貫いた主人公キュア。
多様性・多重構造のキャラクター群が描かれた『スタプリ』の中心であり、中空でもあるといえるか。
「私さぁ、いつも自分が楽しければ、一人だって平気だった」
「そうだねぇ、ひかるは小さい頃から、人は人、自分は自分、って感じだったもんね」
(『スタプリ』45話、ひかると遼じいの会話)
”ムードメーカータイプ” とAIに診断されており、ストーリーにおいてもその側面が貫かれていたようにしか観えなかったが……。
宇宙やUMAへの ”好奇心” が出会いを呼び寄せ、他者との交流から学んでいく中で、”桃キュアらしい桃キュア” が形成されていく。後天的にコミュニケーション能力を身に着けていった桃キュアだった、といえるかもしれない。
羽衣ララ キュアミルキー
主人公の相方ポジション、かつ異星人キュア。
異世界出身という点では、『まほプリ』のリコを引き継いでいるといえる。
AIとの関わり、母星における成績のコンプレックス、異星社会に入っていく上での苦悩・葛藤など、様々なテーマが盛り込まれたキャラクターでもある。
また学校生活での習慣の違いなどに戸惑う点で、ユニとはまた違ったアプローチでの異星間交流が描かれたといえる。
”AIの判断が正しいとは限らない” ”体を動かすことが大事” など、上の世代にとっては耳馴染みのいい結論となっているが、リアルタイム世代にとってはどう映ったのか?
’19年時点と近年とでは、解釈が変わってくるかもしれない。
天宮えれな キュアソレイユ
コミュ力お化け・スポーツ万能・学校の華・家族想いを担ったハーフのキャラクター。ハーフの点では『5』の春日野うらら、しっかり者・お化けが怖いという点では夏木りんを引き継ぐ。
『5』~『はぐプリ』において、主人公=コミュ力お化け、他のメンバー=スポーツ・学芸優秀といった構成が多かったが、『スタプリ』以降、各キャラの設定・構成にミックスがかかるようになる、と自分は解釈している。
その中でも、えれなはパーフェクトすぎるくらいに、諸々の要素を引き継いでしまったような。
出身の違いから悩んでいたことも語られてはいるが、父母・兄妹の明るさに引っ張られて、違いを受け入れることを学んで育ったがゆえ、『スタプリ』のストーリー開始時点では、すでに悩みも吹っ切れていた模様。
『スタプリ』もまた、様々なテーマが盛り沢山であるため、ひかるやえれなのように、元来の性格や悩みがあまり見えてこず、解釈に委ねられている所がちらほらとあるような?
出自に関係なく、人柄や能力が認められる、他者との交流から学び取る、ということが当たり前となっていることが望ましいがゆえ、と捉えればそれも気にならないか?
いずれにせよ、えれなの存在は、新時代プリキュアの象徴の一人といえるのかもしれない。
香久矢まどか キュアセレーネ
文武両道、生徒会長、家が裕福……。青キュアの要素を引き継ぐ、紫キュア。
優等生キャラ伝統、抱え込みすぎてパンクしそうになったところを、主人公キャラに救われるパターンが描かれる。
才能ある者の孤独、抱え込みすぎてる人への声の掛け方……、実際は理解は難しいし、行動に移すことも容易ではない。
ただ、一緒にいるだけ、一緒に食事をするだけ、下の名前で呼び合うだけなど、シリーズに描かれている距離を縮めるきっかけのうちのどれかでも、ヒントとなり得たなら……。
そんなメッセージがまどかのエピソードから読み取れる、と解釈してもいいかもしれない。これもまた、シリーズを通して貫かれている点でもある。
ユニ キュアレインボー
ディアスポラを経験しており、かつ利害一致で主人公らと行動を共にした、第三勢力的キュア。勢力が多様に描かれた『スタプリ』ならではのキャラクター。
ディアスポラを経験したキュアは、『5』のミルク、『スイプリ』の調辺アコ、『ドキプリ』の剣崎真琴、『ハピプリ』の白雪ひめがあたるだろうか。
いずれも当初は単独行動をとっていたが、主人公に引っ張られ、次第に打ち解けていく。
ユニも主人公らと打ち解け、対立勢力と和解していくプロセスは描かれている。
宇宙が舞台となる『スタプリ』において、敵対勢力が複数の勢力からの多重構造となっている。
また、主人公のひかる自身、元々は他者と積極的にコミュニケーションをとる方ではなく、ただ好奇心に応じて行動していくタイプ(作中ではそう見えなかった)であったが、様々な異星人との出会いを通じて、学んでいく中で他者との交流を重んじるようになっていく。
ユニもまた、過酷な経験をしつつ、主人公らとの交流の中で学び、態度を改めるようになっていく。
『スタプリ』以前は、主人公のコミュ力・義侠に引っ張られる形で ”友” となっていく。
『スタプリ』においては、利害と学びの中で、”仲間” となっていく。
そんな違いが、ユニを通じて描かれており、”多様性” が謳われる現代における、交流の術のひとつが提示されている、のかもしれない。
AI
『仮面ライダーBLACK』のバトルホッパー。
『機動刑事ジバン』のスパイラス・バイカン・レゾン。
近い時期では『コードネームミラージュ』のロビン、etc…
ヒーロー作品、アクション作品において、マシンが相棒となるケースは一大ジャンルを形成しているといっても過言ではない。
また、終盤で自らの判断で行動し、主人公を助けたり、特攻していったりというパターンも、ひとつの型になっているといえる。
’19年は『スター☆トゥインクルプリキュア』『仮面ライダーゼロワン』とAIが扱われた作品が奇しくも並ぶことに。
”人間的・人間性” を持つこと=”感情的”・”非合理的” 側面を持つこと、時には予定調和にない判断も必要、といったことが盛り込まれがちな傾向のようにもみえる。わかっていても、我々は、感動してしまう、このパターンを望んでしまう。
それは近代工業社会から形成した一つの神話類型ともいえるか、はたまた原初宗教たる自然信仰・アニミズムから連綿と続く精神性の顕現か。
掘り下げると、面白いかもしれない。
2020年『ヒーリングっど♥プリキュア』
花寺のどか キュアグレース
42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」において、白熱教室を開講したプリキュア。
自我を持つものすべてが救いの対象なのか、ヒーロー・ヒロイン作品全てに通ずる。擬人化・比喩表現を整理した上で従来作品を見直すとまた観方が変わるかも(?)
『ヒープリ』での敵キャラクターは、病原体をモチーフとしている。菌なのか、ウイルスなのかはわからない。いずれにせよ、アニメーションにおいては、生物として考えてもいいのだろう。アニミズムゆえに。
その中の一人、ダルイゼンは、のどかに寄生したことによって成長し、分離・独立していく。
大ボスに吸収されることから逃れ、のどかに再び寄生し、匿ってもらうことを持ち掛ける。のどかはそれを拒絶し、ダルイゼンは大ボスに取り込まれていくことになる。
描写として、ダルイゼンが苦しみながら助けを求めるかのような様子であったためか、また”助けるべきだったか?” ”自分勝手だったろうか?” などとのどか自身も悩む描写があったためか、ダルイゼンへの同情・のどかへの批判の意見が見られたりもする。
設定・性質的に考えたら、自己犠牲・同情の対象とは思えないのだが、”擬人化” の効果たるや。”自我を持っている” ”苦しそうにしている” が揃うことで、観てる側に設定・性質をうやむやにさせる印象を与えたか。
それは奇しくも、ヒーロー・ヒロイン作品における、”救いの対象” ”自己犠牲” を再考させる描写になったともいえる。
沢泉ちゆ キュアフォンテーヌ
成績優秀、スポーツ万能、面倒見がいい、老舗旅館の娘。
将来は、走り高跳びで世界を目指し、旅館の女将修行の両立も目指す。
シリーズごと、何かを抱える青キュアのひとり。
平光ひなた(キュアスパークル)と対称的になってるともいえる。月野うさぎと原作の火野レイがチームになったような(?)
間に水野亜美タイプの花寺のどか(キュアグレース)が入って緩和されて、ようやく仲を縮めていったような?
初代のなぎさとほのかが、喧嘩を通じて距離を縮めていったのを彷彿させてもいるか?
『はぐプリ』以降のキャラ構成ミックスの過程の中で、『ヒープリ』はシリーズ中でも変わった構成だったといえるかもしれない。
その中でもちゆは、安定した青キュアポジションであり、誰がどのポジションでも対称性を持った描き方がしやすかったともいえる。
平光ひなた キュアスパークル
現状、シリーズ中最後の月野うさぎ系譜の、等身大なキュア。
『ヒープリ』では、病気との闘い・日常への復帰といった試練を課せられた、花寺のどかが主人公ポジションに来ている。ヒロイズム偏向のひとつのプロセスゆえといえるか。
ひなたは、『はぐプリ』以前であれば、主人公になっていたかもしれないような、コミュ力特化のキャラクター。弱音を吐いたりするところも、等身大感があって、ヒロインらしいヒロイン、なんていう印象を持ってしまう。
ひなた以降、コミュ力特化した等身大的キャラクターは出てきていない(?)
まなつのようなコミュ力+野生児、ゆいのようなコミュ力+スポーツ万能+義侠心など、コミュ力と身体性がセットになっているケースが占めているように観える。
”ドジだけど誰とでも仲良くなれる” ”弱音・本音をさらけ出せる” といった性質は、他の何らかの性格・特技などと組み合わせなければ、表現しにくいものになっているのだろうか?
風鈴アスミ キュアアース
風の精霊が人間体となり、プリキュアとなったキャラクター。
『SS』で描かれた、プリキュアの能力の所以の無数の分子レベルの精霊たち、を引き継いだといえるか。
「ラテ様を守る」という行動だけに従順、呼び名が話し手によって異なることへの疑義……。
ノマド的なサイクルに従って流れていたところから、定住的な慣習に順応していく過程が、アスミを通して描かれている。
満と薫の要素も引き継いでいるとも、いえるかもしれない。
『SS』によって定義されたといえるプリキュアの世界観を、令和版としてリブートしたのが『ヒープリ』だったのかもしれない。
アスミを通して、改めて ”プリキュアとは何か” ”プリキュアを通して描こうとしたものとは何か” が再考されたと思われる。
2021年『トロピカル~ジュ!プリキュア』
夏海まなつ キュアサマー
令和版セーラームーンの主人公。うさぎが野ウサギになって海を渡ってくる。
まさに、ニライカナイからコロナ禍で孤立せざるを得ない状況を救いに来たといえるかもしれない。
スポーツ万能・学業優秀、クラスでも一目置かれる、学校の ”華” で構成されることが多い、プリキュアシリーズ。
『トロプリ』では、人間関係の悩みから孤立化・引っ込み思案になってしまった者、いわばクラスの ”隅” にいた者たちで構成されている。
まなつが、その者たちを引っ張り出し、引っ搔き回し、”自分の意志” を自覚させるきっかけをもたらしたといえる。
どんな状況下でもチャレンジすること、そのための ”自分の意志” を明確に伝えることを、身体をもって目一杯に表現していたのが、夏海まなつであるといえる。
涼村さんご キュアコーラル
”普通” に徹しようとするあまり、引っ込み思案になってしまったキャラクター。
自分の価値観が浮いてしまうことを執拗に恐れてしまう、日本社会に育った者のほとんどが抱えてるであろう悩みが、さんごに表徴されている。
みのり・あすかが、人の輪から離れていた所から回帰していくストーリーラインになっているのに対し、さんごは人に埋もれていた所から飛び出していくストーリーラインとなっている。
モデル活動など人前に出ることにチャレンジしていくうちに、自分と同じく自信が持てずにいるモデルの子たちを見かけていく。その子たちのメイクを手伝っているうちに、それ自体に自分の意義を見出すようになる。
”普通” から飛び出した先に、まなつと出会う前の自分が他にもいることを発見し、その人たちを後押ししたいという選択肢を持てるようになる。
『トロプリ』は、孤立からの救済、また集団心理による息苦しさからも解放する作品でもあったといえるのかもしれない。
’90年代セーラームーンが、令和においてリブートされた作品であると、私は思っている。
一之瀬みのり キュアパパイヤ
『5』の秋元こまち以来の文筆家キャラ。
みのりにおいては、「書を捨てよ、町へ出よう」が一貫したストーリーラインになっているといえる。
”ありがち” と言われてしまった自身の創作物。言い換えれば、既存の創作から記号的に構造を組んでしまった、と言えるか。
自身の頭の中に籠った、自身にとっては合理的な世界。傍から見たら、それは都合が良すぎる世界、ともいえるか。
コロナ禍の当時、SNSでの ”自粛警察” などのワードが飛び交い、物理的にも、世の中の醸す空気によってメンタル的にも、籠りがちとならざるを得なかったといえる。
こうした風潮に対するアンチテーゼを、みのりを通じてフィクションから提示した、ともいえるかもしれない。
滝沢あすか キュアフラミンゴ
木野まこと=セーラージュピター!!
なんてことを連想してしまうのは、初登場時のシチュエーションが、全く同じだから。加えて、義に厚く、腕っぷし強くて、料理上手……。ここまで被ってたら、合わせにいってるとしか……?
”気は優しくて、力持ち” キャラの定型フォーマット? と考えたくなるくらい、現代作品において欠かせないキャラクターの典型ともいえるのが、滝沢あすか=キュアフラミンゴ。
定型キャラがいることで、作品比較もしやすい。
『セーラームーン』と『トロプリ』の共通点のひとつが、クラスの隅にいるタイプの子たちの ”孤立からの回復”。
木野まことはじめ、セーラー戦士の面々は、うさぎとの出会いをきっかけに、”前世からの運命” を知り、コンプレックスに納得し、孤立から回復していく。
滝沢あすかはじめ、『トロプリ』の面々は、まなつとの出会いをきっかけに、”自分の意志” で踏み出して、自信を取り戻し、人間関係を回復していく。
”運命” と ”意志” という点で、『セーラームーン』とプリキュアシリーズの違いが明確化している一方、学校の ”華” と ”隅” という点において、プリキュアシリーズの中での特異な部分が観られる。
正義感が報われず、人間関係に嫌気が差していた所から始まっていく、あすか視点のストーリーラインは、その象徴ともいえる。
ローラ・アポロドーロス・ヒュギーヌス・ラメール キュアラメール
異世界の次期女王候補の青キュア。シリーズ随一の高飛車キャラといっても過言ではない。来海かれん、白雪ひめに連なる異端青キュアともいえる。
故郷の危機を救うこと・次期女王候補としての務めを果たすこと=人間界からプリキュア足り得る者を探し出すこと、と従来の妖精らと同じく他力本願的なポジションにあったが、「自分の願いは、自分で叶える」(『トロプリ』17話より)と、まなつたちともっと一緒にいたいという新たな願望とともに、”自分の意志” に目覚め、自らもプリキュアへの変身を果たす。
異端のように観えて、”自分の意志と何か?” という問いを改めて言語化するプロセスを描いたという点では、水無月かれん以来の青キュアの系譜を継いでいるともいえる。
アウネーテ=キュアオアシス
何百年前のプリキュア。時代や地域は特定されていない。
破壊の魔女(のちの、あとまわしの魔女)との融和を図ろうとするも、存命中にその願いは叶わなかった。
現代日本の近海に、あとまわしの魔女の一味が現れ、思念体としてサマーたちの前に現れ、魔女を救ってほしいと願う。
「肉体は滅びても、魂は不滅」
仮面ライダーから引き継がれる、現代ヒーローの系譜。
プリキュアシリーズにおいても ”先代プリキュア” の概念が登場して以降、その願い・想いの強さに言及され、『F』にも連なっていく。
”自由意志による不屈の精神” が今なお伝えられているのは、現代にとって重要なテーマといえるから、であろうか。
白鳥百合子
『トロプリ』の主人公たちが通う中学校の生徒会長。
青キュア的なキャラクターではあるが、プリキュアとはならず。
滝沢あすか=キュアフラミンゴと、因縁ある関係として描かれる。
ある事件をきっかけに、あすかとの関係性が閉ざされ、そこから回復していく過程が、あすか主役回で描かれていく。
修学旅行中、キュアフラミンゴが怪物を撃退するところを目撃し、その姿から、あすかであることを知る。
物語終盤では、敵対勢力の侵攻の中で、あすかたちの無事を祈りながら、中学校の生徒たちの誘導をするなど、率先して、自分にできることを行っていく。
あすかと対比的に描かれたキャラクターであり、『トロプリ』における、もう一組の ”ふたり” を描いたのが、あすか・百合子コンビであるといえる。
チョンギーレ
あとまわしの魔女の館で料理人を務める。
あとまわしの魔女の館で使用人を務めるキャラクターたちは、グランオーシャンの住民ということでもなく、深海に住んでいるということ以外、出自などが明示されていない。
いずれも、ぼやきながらも、自分たちの役割に対しては、こだわりを持って取り組む。
チョンギーレは、料理に対しては配慮が細やか。魔女がいつでも食べられるようにと、寝かせておける料理を用意したり、学校の文化祭に紛れていたら、屋台の大将に間違われてしまうも、腕を振るって文化祭を訪れた人たちに評判となったりしている。
ぼやきながらも、職は全うする。
世の中の多くの社会人を表徴したのが、チョンギーレなのかもしれない。
ヌメリー
あとまわしの魔女の館でドクターを務める。
チョンギーレ同様、ぼやきながらも、医師としての役割を全うする。
仲間たちへの配慮も細やかで、エルダのよき相談相手でもある。
プリキュアたち、特にあすかとは相容れないような発言をしてはいたが、終盤では和解する。
魔女の消失、バトラーの気力喪失後は、海底の住民たちのドクターとして診療にあたっている。
チョンギーレに同じく、役割に忠実であり、かつ仲間として受け入れた相手への配慮が細やかな、ある意味で ”よき大人” として描かれたといえるか。
エルダ
あとまわしの魔女の館で、メイドを務める。
「大人になりたくない」と、責任を忌避することを旨としている。
そういった発言はしながらも、館の掃除など、勤めはまめに行っている。
まなつとは、ひょんなことから縁を持ち、終盤でのまなつのピンチを助けている。
また、魔女の館の使用人たちは、グランオーシャンの住民ではなかったことから、プリキュアたちとの記憶を保持しており、まなつとローラの ”友としての記憶” をつなげる役割も果たす。
大人でも子供でもない、独身若手社会人のような立ち位置といえるか。
まなつとローラとの縁をつなぐ役割を果たしているあたり、両義性を持った、もう一人の妖精キャラクターのようなポジションでもあったといえる。
バトラー
あとまわしの魔女の執事として仕える。
数百年前の魔女の侵攻時も付き従っている。
愚者の棺による永遠の命の獲得、世界の破滅を果たすべく、画策していく。
終盤、使用人の3人は、愚者の棺の本来の目的を知って、バトラーから離反。
使用人3人とプリキュアたちと激闘するも敗北。
自身のやる気パワーを愚者の棺に捧げるも、阻止され、無気力状態になってしまう。
”永遠の中2” のまま、生きてきてしまったキャラクターといえるか。
敵方ナンバー2による世界屈服に迫るパターンは、シリーズでもお馴染みの展開ではあるが、史上最も、スケールの乏しいナンバー2だったといえるかもしれない。
あとまわしの魔女
破壊神のような存在のようで、自身はその目的も何も覚えていない、自然災害の比喩のようなキャラクター。
伝説のプリキュア・キュアオアシスと戦い、再戦を予告するも、それも忘れて遥かな年月を経てしまう。
現代となって、グランオーシャンや地上への破壊活動を再開するも、その目的も明確に覚えていないためか、プリキュアたちに言いくるめられただけで沈静化し、泡となって消えていってしまう。
生々流転、諸行無常、色即是空、この世の全ては泡沫の夢……。
目的を果たすことなく終わったとしても、”何のために生きるのか” などということがわからないまま消えたとしても、それはそれでいいのかもしれない。
2022年『デリシャスパーティ♥プリキュア』
和実ゆい キュアプレシャス
スポーツ万能で、義に厚い。
『スイプリ』の響、『ドキプリ』のマナを引き継ぐ、義侠心溢れる主人公キュア。
相棒の妖精・コメコメは成長する妖精として描かれている。ゆいの義侠心・行動力に触発され、ゆいを ”ヒーロー” として憧憬の感情を抱くようになる。
そのヒーロー像を全うするがごとく、ゆいは年間を通して曇りなく描かれていた印象がある。
翌年の『ひろプリ』のソラは、”ヒーロー” 足り得るための ”力” を求めるがあまり、一時的に闇堕ちするに至る。”ヒーロー” であろうとすることの両義性が示されたといえる。
’22年『デパプリ』時点では、響・マナからのプリキュアヒロイズムの系譜が紛うことなく引き継がれている。それに対する疑義を呈したといえるのが『ひろプリ』であり、かつプリキュアシリーズが提示する ”ヒーロー” とは、古代の英雄神話から引き継がれる ”英雄” とは別であることが定義されたともいえる。
『ひろプリ』の前年度の主人公が和実ゆいであることに、そのような意義を考えさせられる。
芙羽ここね キュアスパイシー
成績優秀、家が裕福で……、定番の青かと思ったら、やや毛色が違う。
一人で過ごしてることが楽で、家族ともすれ違って。
有栖川ひまりや猫屋敷まゆのように、好きなことに熱中してしまうあまり、同級生とすれ違ってしまったのとも、また別のぼっちキャラといえる。
「人と関わるのは面倒」と言語化したプリキュアキャラクターは、シリーズでもここねが唯一か?
そこから誰かと過ごすことの楽しさを学んでいくことが、ここねのストーリーラインとなっている。
そのきっかけとなったのは、主人公・和実ゆい(キュアプレシャス)との関わりと、小動物(妖精・レシピッピら)への慈しみ。
のちの『わんぷり』にも連なってくる要素が、ここねの変化の過程にも見られ、ヒロイズム偏重とのカウンターバランスにもなっているといえる。
華満らん キュアヤムヤム
明るい趣味没頭型キャラクター。『スタプリ』の星奈ひかるが直系か。
『プリアラ』の有栖川ひまり、『わんぷり』の猫屋敷まゆなど、閉ざしがちなキャラクターになる傾向にある(らんも、周囲を気にはしていた)が、「好きなものは好きと言っていい」と明言し、態度を貫いていくキャラクターとして描くのは、割と珍しいかもしれない。
SNSで発信している点では、シリーズ中では、らんが初めて。その点は、まゆにも引き継がれている。
”趣味にハマる” ”個性を貫く” ということが、周囲からは ”変” に見えてしまう
という描写は、シリーズでもメインキャラや同級生キャラ含め、しばしば観られる。この状況に対して、どんな言葉をかけてあげられるか、といったことが趣味没頭型キャラ主役回のメインテーマとなるといえる。
らんのストーリーラインは、周囲に左右される描写もありつつ、それでも ”好きを貫いていい” と自他共に鼓舞していく、趣味に没頭することを肯定していく過程を具現化しているものといえる。
菓彩あまね キュアフィナーレ
プリキュアシリーズ史上唯一、”正義” を掲げたプリキュア。
それは諸刃の剣であることも表現している。
『フレプリ』『スイプリ』『Goプリ』において、敵から味方にかつプリキュアとして加入する ”光堕ちキュア” なるキャラクターが登場する。いずれも異世界の住人。
『デパプリ』においては、主人公らと同一世界の、同じ中学校の先輩で生徒会長が ”光堕ちキュア” として登場する。
真面目で文武両道で学校の ”華” が、両義的なポジションを担っている点でも、シリーズ史上唯一である。
主人公・和実ゆい=キュアプレシャスが、無垢で、かつ ”ヒーロー” として憧憬される存在として描かれているのと対称的になっているともいえる。
葛藤から立ち直って、”正義” を明言することで ”ヒーロー” になろうとしている立場であるともいえる。
『ひろプリ』に繋がる、かつプリキュア史上においてもエポックキャラクターでもあった、といえるのかもしれない。
品田拓海
シリーズ初のタキシード仮面的なキャラクター。
地場衛=タキシード仮面は、記憶喪失と前世からの運命に翻弄される形で闘いになぜか参加してしまっている。
拓海の場合は、自らの意志で、幼馴染のゆいを支えるため、闘いに身を投じていく。
男性キャラクターをメインに浮上させるにおいても、’90年代ヒロイン作品との差別化を図っていることが窺える。
『デパプリ』では男性キャラクター間での師弟関係が描かれており、その中での軋轢が元となって対立が生じてしまう。
男性キャラクター各々に、多かれ少なかれの自尊・利己が描かれており、それとどう折り合い、利他へとシフトしていけるかが、概ねのストーリーラインともなっている。
拓海もまた、”父の意志を継ぐ” 思いの強さのあまり、フェンネル=ゴーダッツへの敵対感情を剝き出しに突っ走ってしまうシーンが描かれる。
『デパプリ』は男性キャラクターが押し出されている作品ではありつつ、”男の意地” への皮肉を描いている作品でもあるといえる。
ローズマリー
ファッションやグルメに精通し、プリキュアメンバーたちの良き相談者の男性キャラクター。
”中性的である” という紹介ワードを浮かべたくなる印象だが、作中においてそのような表現はなく、”好きなものは好き” を素直に体現・言語化し、性別・年齢・立場も関係なく、対等に話し合うことができる ”頼れる大人” として描かれている。
ローズマリーの人柄を、偏見なく、当然のように受け入れている社会が描かれているとも言える。
多様性を ”理解する・受け入れる” から、それが意識にすら上らないくらい ”当然となっている” ことが 『デパプリ』において描かれているといえる。
といった文言を挙げてしまっている自分には、まだまだ偏見が多いということを、改めて自覚する。
2023年『ひろがるスカイ!プリキュア』
ソラ・ハレワタール キュアスカイ
昭和ヒーロー的なポテンシャル、ストイズム、ヒロイズムを引き継いだ、青キュアの最果てともいえるキャラクター。
友人を巻き込みたくないが故の孤独とその葛藤、恩師を人質に取られた際の戦意喪失、力を求めた果てとしての一時的な闇堕ち……。
作品タイトル通り、”ヒーロー” としての試練を乗り越えていくストーリーラインとなっている。
善行として求めたはずの ”力” が ”暴力” にも転じてしまう終盤の展開は、”ヒーロー” をテーマとしながらも、ヒロイズムへのアンチを描いているといえる。
プリキュア20年目において、従来のヒーロー・ヒロイン作品との差別化を改めて示したともいえるかもしれない。
虹ヶ丘ましろ キュアプリズム
ダークプリキュア化した友を救ったプリキュア。
”ヒーロー” そのものがテーマとなった『ひろプリ』
”ヒーローは孤独を恐れない” と昭和の遺産を背負いすぎの友を、言葉を選びながら常にカウンター的なポジションからソラを諫め、プリキュアにおける ”ヒーロー” の再考を促す役割を担っていたともいえる。
中盤で、”みんなのヒーロー” になり得ないことで挫折したソラに、”誰かにとってにヒーロー” でいいと志向の転換を促すことで、立ち直りと成長をもたらしている。
それが終盤での闇堕ちの際の、ダークプリキュア化に抗うソラと、じっと友を信じ続けるましろとがシンクロし、”力” が ”暴力” に転換してしまうことを食い止めることにもつながっている。
そんな『ひろプリ』の最重要キーパーソンともいえるましろ自身は、自分のことに関しては、将来のことも、プリキュアになる際も躊躇してしまう、”優柔” な人物。
ヒロイズム偏向にあるプリキュアシリーズにおいて、その ”優柔” さが、プリキュアを ”英雄” にはしない重要な要素なのかもしれない。
夕凪ツバサ キュアウイング
レギュラーメンバーとしては初の男子プリキュア。
と銘打たれているが、異世界出身の妖精というエクスキューズはある。
若宮アンリ、『Dancing ☆ Star プリキュア』など、”限定枠” ”特別枠” が未だ拭えないところではある模様。
明確な、同級生の男子プリキュアの登場はあるのか、男女コンビでのレギュラーはあり得るのか、あるとしても『デパプリ』の品田拓海=ブラックペッパーのようなポジションが限界なのか……。
未だ、”プリキュア=女児向け” ”セーラームーンの後継作品” のイメージからは脱し得てないといえる。
「ヒーロー」を宣言したソラもまた、異世界の出自であるということも、その証左なのかもしれない。
「ヒロインでしょ」(『ふたりはプリキュア』17話)
20年前から、未だツッコまれているのかもしれない。
聖あげは キュアバタフライ
シリーズ初の選挙権キュア。”10代” であり ”学生” である、というエクスキューズはある。
保育実習など、具体的に進路に向けて動き出しているシーンが描かれたという点でも、シリーズ初だったといえるかもしれない(それ以前は職場体験や職業についての説明、後日譚でワンシーンだけなど、限定的に描かれている)。
”保育園の先生がプリキュア” は、発想としては ”学校の先生がウルトラマン” の『ウルトラマン80』、”学校の先生がスーパー戦隊” の『地球戦隊ファイブマン』を継いでいるともいえるか。
園児たちとの交流の中で、”勧善懲悪とは何か” ”強いとは何か” ということも、台詞に織り込まれている。
20年目作品において、ヒーロー・ヒロイン作品の在り方も、改めて再定義されたといえるかもしれない。
プリキュアキャラクターの設定年齢の引き上げは、今後もあり得るといえるか? ”20代の会社員キュア” というパターンもあり得るか?
そんな勝手な予想をしたくなるような、聖あげはのストーリーライン、だったと思ってしまう。
エル キュアマジェスティ
シフォン、はぐたんに連なる赤ちゃんキャラであり、プリキュアの能力を授けるキャラクター。古のプリキュアからの能力を引き継いで、自ら変身するという点では、史上初。
無垢なるもの=最強もしくは切り札として位置づけられるのは、様々な作品で描かれているパターンでもある。
先代のエルレインのフェイクエピソードなどから、両義的なポジションにあるのではないかと、ネット上では考察されていたが、全くの見当違い。カイゼリンもリアタイ視聴者も含め、憶測に踊らされてしまっていたかもしれない。
むしろ周囲の姉さんたちの良い影響を受けて、誰かのことを思いやれる子として、すくすくと成長していく過程が描かれている。
どんな才能の持ち主であっても、周囲の人間が良い背中を見せることが大事、ということが描かれている、といえるかもしれない。
キュアノーブル
300年前のスカイランドの王女であり、プリキュア。
『ひろプリ』では、敵方のアンダーグ帝国があまり深堀されていない。
300年前、スカイランドとアンダーグ帝国との争いが起きて、その際の戦闘から和平に至る過程に携わったのが、エルレインとカイザー・アンダーグ。
なぜ争いが起きたのかについては触れられていない。
”スカイ” と ”アンダー” の記号的な対立概念から派生的に付け足されていった、といった感じか?
”争い” 自体にそもそも大した理由などないという風刺、と捉えるのは好意的すぎるか?
敵方の掘り下げ、争いの理由が描かれなければ、プリキュアたちがプリキュアである理由も希薄となってしまう。
『ひろプリ』のテーマである ”ヒーロー” も空虚なものとなる。
『ひろプリ』で描いていたのは、”ヒーロー” ではなく、”ヒーローたることの虚しさ” であったのかもしれない。
ゆえに、終盤、キュアスカイは、アンダーグエナジーの器として、一時的に ”暴力装置” と化してしまった、といえるかもしれない。
敵方や、先代プリキュアの存在がよくわからないという点から、こんなこじつけを考えてしまった。
’24年『わんだふるぷりきゅあ』
犬飼こむぎ マロン キュアワンダフル
半獣半人のキャラクター。
ユキは、まゆへの忠義が重点的に描かれたのに対し、こむぎはいろはを友として認めつつ、ガオウ(昴)にもいろはと同じ雰囲気があると察して、心を許している。それゆえに、ガオガオーン(野獣化)にもされかけてしまったともいえる。
この点でいえば、ユキはより人間的に描かれていたのに対し、こむぎは動物と人間の両義性を持ったままのキャラクターとして描かれたといえる。
いろはの天真爛漫さを受け継いで、その天真爛漫さをそのままガオウたちと手を取ることに尽力していく。
”ペットとおしゃべりできたら” の夢を描いていると同時に、”自然環境を考えていく上での媒介者がいたら” という理想も込められたキャラクターである、といえるかもしれない。
犬飼いろは キュアフレンディ
シリーズ初の、”友達としての好き” と ”恋愛としての好き” との違いを担ったキャラクター。
他にも、”動物の保護は人間のエゴなのか?” ”ペットの看取り” など、キャラクターの天真爛漫さとは裏腹に、動物・自然との関わりのリアルが、いろはを通じて、もしくはいろはの両親が営む動物病院でのシーンを通して描かれていく。
いろは自身は、誰とでも仲良くなれるコミュ力お化けでもありつつ、こむぎの元の飼い主に譲ってくれるよう懇願するなど、子供らしい一面も見せている。
対象の視聴者層と共に、現実との関わりを考えていくキャラクターの一つの結実として、犬飼いろはは在るのかもしれない。
猫屋敷ユキ キュアニャミー
半獣半人、まゆを守るためなら手段を選ばない、前作のソラを引き継いだキャラクター、といえるかもしれない。
「あなたはそのままでいいの。困っている子を放っておけない、優しいまゆのままで。その優しさのせいで傷ついてしまうなら、私が、あなたを守る!」
(『わんぷり』17話より)
”ヒロイズム” ”忠節” ともとれる、従来のヒーロー、時代劇が好きな人間ならば、誰もが惹きつけられてしまう、初登場時の台詞。
その後の展開では、これらは ”妄執” として描かれ、まゆを守るための力もまた ”暴力” に過ぎないこととして捉えられることになる。
ユキのストーリーラインは、”妄執” の融解、”暴力” による解決から ”保護” ”融和” への転換を描いていたといえる。
これは、従来のヒーロー・ヒロインへの明確な風刺ともとれる。
猫屋敷まゆ キュアリリアン
人見知り、アーティスト肌のキャラクター。
『SS』の美翔舞を引き継いでいるともいえるが、”一つのことに集中する” という性格が、'06年では ”個性” として認められたのに対し、’24年では同級生との仲違いの原因になってしまっている。
時代の ”大らかさ” と ”繊細さ” が2000年代の間にもこんなに差が出るとは……、と思ってしまうのは自分だけ?
いろはとの出会いにより、世界を広げていき、自分のことを認められるようになり、また、いろはと悟の仲を精一杯、応援して、悲喜こもごも分かち合えるようになっていく。
ユキと共に、一人の世界に引きこもりがちだった所から外の世界へと飛び出し、心を開いていく、まゆのストーリーライン。
場所が変わった先で出会った人との関わりをきっかけに自分が少しずつ変わっていくという点では、『はぐプリ』の野々はなとも通じているともいえるかもしれない。
まゆ・ユキとも、従来のシリーズのキャラクターたちのストーリーラインを、よりブラッシュアップした形で描かれたキャラクターである、といえるかもしれない。
兎山悟
シリーズ初の、諸葛孔明ポジションの男性キャラクター。
かつ、犬飼いろはと両想いに発展した同級生男子。
両想いに発展したパターンとしては、のぞみ・ココの異類婚カップル。
進展ありそうでストーリー中では進展しなかったパターンとしては、ラブ・大輔、めぐみ・誠司、ゆい・拓海、といったところか。
真面目、勉強家、いろはと同じく動物好き、他のプリキュアメンバーとも良き相談相手として悩みを整理してわかりやすく言語化してくれる……。
劇場版や終盤では、プリキュアたちを助けたい想いから、大福とともに能力を授かって、フォローに入る。
”逆ピーチ姫” と揶揄されがちなのがヒロイン作品の男性キャラクターであり、プリキュアシリーズにおいても、初期ではその傾向にあった。
『ハピプリ』の誠司から、頼もしくなっていっていき、悟のキャラクター像は、シリーズ史上、最も頼れる男性キャラクターとなった、といえるかもしれない。
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