『仮面ライダーガヴ』―ポスト平成・ポストコロナに完成した現代英雄神話!?
はじめに
『仮面ライダーガヴ』が最終回を迎えた。
近年のライダー作品でも、”英雄らしい英雄” が描かれた(?)今作。
ネット上で様々な考察が挙がっていたり、公式からも童話モチーフの裏話などが挙がっていたりしている。
この記事では、主に ”英雄” としての側面に焦点を当て、独断と偏見の考察を挙げる。
『仮面ライダーガヴ』とは、ざっくり
『仮面ライダーガヴ』は、ざっくり言えば、グラニュート族=人喰いの種族との戦いを描いた作品であるといえる。この点においては、多くの英雄・武将にまつわる怪物退治の神話・伝説等々と共通しており、『ガヴ』におけるライダーたちが ”英雄” として位置づけられているといえる。
人間を材料とした「闇菓子」=違法薬物、その仕入・製造に携わるグラニュートたち=違法就労者もしくは闇アルバイターなど、諸々の時事問題のメタファーが明確に描かれており、社会風刺的側面も強い印象がある(筆者の独断と偏見)。
主人公であるショウマの出自が、グラニュートの父と人間の母から生まれた、両義的な側面を持つ者として位置づけられている。古代神話における半神半人的英雄でもあり、また、ショウマとグラニュート族との戦い=同族同士の戦いとして、初代ライダーからの要素を引き継いでいるといえる。また「闇菓子」の設定も、昭和の怪奇演出を、グロさを抑えつつ令和的にアップデートしたものといえる(筆者の独断と偏見)。
『ガヴ』において3人のライダーが登場する。いずれも家族が闇菓子製造にまつわる事件に巻き込まれた、被害者遺族である。悲しみを背負った若者たちが、忍び寄る脅威に立ち向かう、ヒーローズジャーニーとしても、近年稀にみる傑作であるといえる(筆者の独断と偏見)。
勧善懲悪の昭和ライダー、善悪倒錯の平成ライダー、調和路線の令和ライダー
”ヒーローもの” を描く時点で、英雄神話の要素を踏襲しているのは、どの作品においてもいえることである。
とある若者が旅立ち、その先々での困難を経て成長し、神懸かり的な力を得て、怪物退治や戦争での勝利を成し遂げ、社会的な名声を得るも、権力者によって、社会的排除もしくは暗殺などの悲劇的結末を辿る。
地域差、文化的差異などの違いはあれど、古今東西において共有されてきた物語類型のひとつであるといえる。
昭和の仮面ライダーシリーズでは、人体実験を経て強大な力を得て、世界征服を目論む組織を壊滅させ、戦いが終わったら人々の前から立ち去る、というのが概ねの構成となっている。
秩序回復後、英雄の社会的排除や、非業の死を描くことはないものの、異形の身体となってしまった主人公が、立ち去ることを自ら選択することで、ひとつの英雄神話の終焉を示しているといえる。
この構図は、多くの等身大ヒーロー、第二期ウルトラシリーズなどに共有され、”勧善懲悪・痛快活劇” としての現代ヒーローのフォーマットが確立したといえる。
平成・令和の仮面ライダーシリーズでは、これらの要素を部分的に踏襲、中でも、昭和の仮面ライダーから描かれてきた要素のひとつである、”改造人間同士の戦い” = ”同族同士の戦い” によりスポットを当てている印象がある。
『クウガ』においては、昭和ライダーのフォーマットを警察ドラマとの組み合わせで描いており、勧善懲悪の構図も概ね崩れてはいないものの、クウガの活躍が ”怪人たちが暴れている” という印象でしか見られておらず、主人公が関係者以外からは批判の対象となっている描写が観られた。
『アギト』において、複数のライダーの登場、またグノーシス思想をモチーフとした、人間たちの分断が描かれるなど、勧善懲悪への疑念を示唆する描写・台詞が観られた。
『龍騎』において、ライダー同士の争い=同族同士の戦いが顕著に描かれ、勧善懲悪の構造の倒錯、また、複数の結末を辿るパラレル展開が描かれるなど、後の20年以上に渡る平成・令和ライダーの雛型になったといえる(筆者の独断と偏見)。
また『龍騎』において、もう一つのエポックとなったのが、玩具展開の側面である。”○○モンスター” ”○○カード” など、コレクトアイテムとなるキャラクター・アイテムが物語のキーとして登場する。平成ライダーが始まる数年前にヒットした ”ポケモン的玩具展開” が踏襲されたといえる。
これらのキーキャラ・キーアイテムを主軸にした展開は、作品独特の世界観を作り上げていったといえ、それぞれのライダー作品が、”異世界もの” ”セカイ系もの” として確立していったといえる(筆者の独断と偏見)。
令和の仮面ライダーシリーズにおいて、”仲間” といったワードが強調された印象がある。コロナ禍によって発生した物理的分断、SNS上で顕著になった思想的対立等々に反応したかのように、作風に影響したかのように観える。『龍騎』の後継作品ともいえる『ギーツ』でも、劇場版において主人公の台詞から ”仲間” のワードが発せられている。
昭和ライダーにおいても、本郷猛役の藤岡弘、氏のケガをきっかけに、滝和也や一文字隼人=仮面ライダー2号の登場、立花藤兵衛による少年ライダー隊の結成、その後のシリーズでの歴代ライダーとの共闘など、”仲間” ”チーム” の側面が描かれている。
平成ライダーでも『アギト』以降、複数のライダーが登場し、利害一致による共闘、共闘を経た友情の芽生えなどが描かれる。
令和ライダーでは、「AIロボットの情緒」「時間及び異世界を越えた友情」「家族愛」「異種族間との交流」など、摩擦を起こしながらも調和を目指すといったことが主要な展開として描かれている(筆者の独断と偏見)。
『ガヴ』においても、3人目のライダーのラキアは、下層のグラニュートで、闇菓子製造から足を洗おうとするも抹殺された弟の仇を討つため闇菓子製造のバイトとして潜入、その先でショウマと邂逅し、利害一致によって共闘する。グラニュート側も一枚岩ではなく、ラキアをはじめ、異種族間交流が描かれる場面もある。
詰まるところ、『仮面ライダーガヴ』とは
英雄神話の構造を踏襲しつつ、勧善懲悪・痛快活劇としての昭和ライダー、倒錯した善悪が描かれた平成ライダー、倒錯から調和へのシフトを観せつつある令和ライダーといった変遷を遂げていった仮面ライダーシリーズ。
安保闘争など時代背景の影響を指摘される昭和ライダーや多くの ’70年代ヒーローから、時代が降るに連れて ”ファンタジー” ”異世界” ”セカイ系” の様相へと推移していき、近年に至る平成・令和のライダー及び他のヒーロー作品。
『ガヴ』もまた、平成・令和の要素は踏襲されており、ルックスから言えば、”最近のヒーローもの” として括られかねない。
だが、よくよく観てみると、昭和ライダー的な様相が観られ、対立の構図がわかりやすく、社会問題のメタファーが明確に提示されており、”ヒーローを通じて何を伝えるか” をストレートに表現しているといえる。
詰まるところ『仮面ライダーガヴ』とは、”王道的ヒーロー” の復古作品であるといえる(筆者の独断と偏見)。
一方、ただ昭和ライダー的作風を踏襲しただけではない。
45話において、敵方幹部の内紛に参加するよう、けしかけられたショウマは、さらわれた人間たちの返還を求める。その要求は叶えられ、大量のヒトプレス(グラニュート技術によってアクスタ状に圧縮された人間たち。ライダーのアイテムによって元の人間に戻せる)が返還される。
3人のライダーの利害が一致し、団結して人間たちを守るために奮闘するも、手の届かない被害者たちが、大勢いたことが示される。
多くのヒーローにおいてオミットされがちな、”一部の人間を守ったとしても、迫りくる巨悪を抑えきれない” 描写がこのシーンにおいて表現されている。
グラニュート側に大きくダメージを与えたのは、内紛劇による自己崩壊であることが描かれ、ライダーたちの活躍は微々たるものに過ぎないという、主人公たちの虚しさを、辛辣に描いているといえる。
内紛劇で崩壊していく点は、安保闘争を背景とした ’70年代ヒーローの踏襲あるいは、’22年の『BLACK SUN』の影響ともいえる。
”王道復古” と同時に、”巨悪に抗いきれない現実” を描いたといえる『仮面ライダーガヴ』。
「悲しくてぐしゃぐしゃになってちゃ、何もできないから…。何も守れないって知ってるから!」(『ガヴ』40話・ショウマの台詞、脚本・香村純子)
それでも、立ち上がって生きていかなければならない。自分たちの行動が、巨悪を覆す布石になるかもしれないと信じて、動き続けなければならない。そんなメッセージが込められたのが、『仮面ライダーガヴ』であるといえるのかもしれない。

「どうする? そのベルトの力、あいつらの野望のために使い続けるか、それともここで引き返して、あいつらの野望を止めるために使うか」
(『ガヴ』19話・ショウマがラキアに向けた台詞、脚本・香村純子)

