病んだときの対処法
病むとはなにか
病む、という言葉は人によって捉え方が違う。
ここでは
「正常な判断ができない傾向にあるとき」
と定義しておく。文字通りの病気とは捉えない。
医学的に病むことは解明されてもいるし、医学的対処が必要なケースもある。だが私は医師ではないから医学的知見を語れないし、語るべき立場でもない。ただ弁護士業を20年以上やってきた経験から言うと、医学的対処が必ずしも妥当しない場面が多いと感じている。精神科や心療内科にかかっても根本が解決しないケースを、山ほど見てきた。
薬を飲んで症状が落ち着いても、職場に戻れば再び崩れる。「薬の量を増やしましょう」という方向に進んで、根本には誰も手を付けない。そういう人を多く見た。
もちろん医学的対処が絶対に必要なケースもある。それは否定しない。ただ、
日常的に使われる「病む」のほとんどは、医学の話ではなく、生き方の話
だと思っている。
弁護士という仕事と、病む現実
弁護士として見ていると、
依頼者の大半が何らかの意味で病んでいる。
離婚、相続、交通事故、労働問題。案件の種類は違っても、相談に来る人はほぼ例外なく追い詰められた状態にある。そういう人と毎日接していれば、こちらも感化される。いつの間にかその重さをもらってしまう。
依頼者が泣いている。怒っている。不安で眠れないと言っている。それを聞き続ける仕事だ。
弁護士にカウンセラーは必要ないという風潮がある。「プロなんだから感情を切り離せ」という空気がある。だがそれは無理だ。
人間が人間の話を聞いていれば、何かが移る。移らない人間は、そもそも相談業に向いていない。
病んで自死する同業者も少なくない。
弁護士の自殺率は一般に比べて高いという話を聞いたことがある人もいるだろう。理由は察しがつく。重い案件を抱え、依頼者の感情を受け続け、その上に締め切りと責任がのしかかる。そして弁護士は「悩んでいる」と言いにくい職業だ。相談される側が相談するのは格好悪いという空気がある。そういう仕事だ。
投資の話をすれば、損失が膨らめば病む。含み損の株を眺めながら眠れない夜が続く、という経験は投資をやっている人なら一度はあるはずだ。
結局、
生きていれば病む。
近しい人が亡くなれば病む。仕事が思い通りにいかなければ病む。人間関係がこじれれば病む。
「私は病まない」という人は、二種類いる。
ひとつは、病んでいることを覆い尽くすほどの強さや鈍感さを持っている人。もうひとつは、病まないようにうまく原因を処理できている人だ。後者は病みにくいのではなく、対処が上手いだけだ。
明るい人が突然崩れることも多い。明るさが鎧になっていて、内側で限界を迎えていても外に出ない。それが一気に来る。周囲は「なぜあの人が?」と驚く。だが、よく話を聞けば「ずっとそうだった」というケースがほとんどだ。
答えは単純だ
では、病んだときどうするか。
病む原因を除去する。
これだけだ。
職場で病んでいるなら退職する。特定の依頼者が原因なら辞任する。投資で病んでいるなら投資をやめる。恋愛が原因なら別れる。
拍子抜けするほど単純に見えるが、これが答えだ。
病む原因はほとんどのケースで明確だ。自分でもわかっている。「あれのせいで私は今こうなっている」と言語化できる。なのになぜ解決しないかというと、ほとんどのケースで
原因を除去しないで解決しようとしているから
だ。
原因はそのままにして、「うまくやる方法」を探す。関係を改善しようとする。環境に適応しようとする。薬で症状を抑えようとする。
それは
都合のよい話
だ。
虫歯を放置するようなものだ
原因を除去せずに症状だけを抑えようとすることを、私は
「虫歯に鎮痛剤を飲み続けること」
と捉えている。
虫歯が痛い。歯医者に行くのが怖い、あるいは面倒だ。だから鎮痛剤を飲む。しばらく痛みが消える。「解決した」と思う。しかし虫歯は進行し続けている。また痛くなる。また鎮痛剤を飲む。これを繰り返した末に、神経までやられて抜歯するはめになる。
正解は最初に歯医者に行って、虫歯を削ることだ。痛い。怖い。お金もかかる。だが虫歯を取り除かない限り、痛みは永遠に続く。
病むことも同じ構造だ。
原因を取り除かずに「うまく付き合う方法」を探しても、原因は進行し続ける。
体が限界のサインを出しているのに、そのサインを鎮痛剤で消して、また同じ場所に立ち続ける。
「うまく付き合う方法」を探すことが悪いとは言わない。だが、それは「原因を除去した後」の話だ。
靴の中の砂
もう少し身近な話をしよう。
靴の中に砂が入ったとする。歩くたびに痛い。対処法は何か。
①砂が入った靴のまま、痛みに耐えながら歩き続ける。
②痛み止めを飲んで、感覚を鈍らせながら歩き続ける。
③いったん立ち止まって、靴を脱いで砂を出す。
答えは③だ。当たり前すぎて笑えるが、病んでいる人の多くが①か②を選んでいる。
「いったん立ち止まること」ができない理由は後述するが、構造としては本当にこれだけのことだ。
靴の中に砂が入っていると気づいているのに、脱ぐことを選ばずに歩き続けている。
砂を除去すれば痛みは消える。それだけだ。
ひとつ付け加えると、砂が入ったまま長く歩いていると、靴擦れができる。砂を出しても、靴擦れが治るまでには時間がかかる。だから「砂を出したのに痛みが消えない」と感じることがある。それは正常な回復のプロセスだ。砂を出したことは正解だ。ただし靴擦れの回復には少し時間が必要なだけで、砂が残っていれば靴擦れはずっと悪化し続ける。
原因を除去した後、すぐには楽にならないことがある。それでも除去は正しい選択だ。
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