。“Lose" rhymes with “snooze."
韻で始まり深まる秋。
縁ある方はお付き合いください(めがね男子愛好者だけに老眼鏡デビューしました)
良く見える〜
この韻を踏まえて、居眠りばかりしています。
とにかく眠い。
何かを失っても変わりながらも日々は続くし、やらねばならぬこともある。春でもあるまいし困る。夏が暑過ぎたから疲れもある。
でも、人生ってそんな感じでバランスを取りながら前へ進むものじゃないでしょうか?(テキトーな言い訳)
それにしても、おばあちゃんチワワを見送って……こんな気持ちになるんだなあ……実際にならないとわからないことは、大人でも、まだまだあるのだなあ……と感じる日々。
[犬吸いモフモフ欠乏症]が埋められなくて困る。

よくつまづくから鼻と舌に砂…カメラ目線
雑感、見なきゃよかった
見たら影響を受けるでしょ
もう、所謂呟くようなアプリは使っていないのだけど、たまに読んだ記事のリンク先で、偶然目に入ってしまう情報があり(見なければいいのに)そこに「フォロー外し」で自論を展開して憤慨している方がいた。(注: note界隈ではありません)「ほうほう、なるほど〜くだらねえ」とこれまた他人事で読んでいました(注:犬だけに犬も食わぬ)自分以外は他人です。
移ろう人の心。何を言いたいかと言うと「気にしても仕方ないことは気にしても仕方ない」「他人を思い通りにするのはムリだから自分のポジションを変えるのが楽」「有形無形、文句なんて時間の無駄」「グダグダするくらいなら直接本人に聞いてみたら?」「もっと他に大切なことあるんじゃない?」
と…まあいろいろ浮かんで消えますが、「とても自分が好きなんだなあ」(自愛)「自分は幸せで居たい」に尽きます。そりゃ、誰しも幸せになりたい。存在意義を自己完結したい、でもそれは出来ない。自分を好きになることは容易ではありませんが、求めるのは確かに大切。だから他人にも多くを求めて欲しがる。そして自分から離れるなんて認められない。なんならあり得るはずがないとまで思い込みたい。
妙なプライドはあるけど自分がない。
本来、フォロー外しの理由はどうでもいい、自分の範疇ではないし、それは相手の問題だから。場合によるかも知れないけど、すんなりと離れてあげるのだって人間らしさ。
もしも、続くならそれは縁ですよ。本当に大切な人を見極める。
もともと生き物は上下関係に拘っている。横並びも必死で得意だけど。
でも、子供を育ててると、最近自分に優しくて他人に厳しい傾向が増えたなと感じることがあります。自分が大事だから他人も大事でお互い様、当たり前が通じなくなった。
ここでの"お互い様"は、「同じ人間でも同じではない、今は繋がってるけど、先はわからない、それぞれにライフステージは流動し、日常生活もある、興味も変わることがある、でも一緒に過ごした時間は確かにあったこと、在り難い、ありがとう、お互い頑張りましょう、また機会があるなら、お元気で」のマインドが"お互い様"です(完全に私見ですが)
常に人間関係は流動していく、自然の摂理じゃないかと……
かかわらなければ路傍の人
「胸の泉に」
かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない
この詩を初めて読んだ時、納得し、自身を恥じました。なんと無意識のうちに傲慢さを増していたのかと……。
脳裏に過ぎる記憶、現在、過去、未来、
ああ何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない
一生で苦楽も関係なく、自分の胸の泉に、枯葉を落としてくれた人が存在する。枯葉を落としてくれたんだから、それを活かして養分にしてやろう。何で私達出会えたのかしらね?……よくわからないけど不思議だけど、何だか素晴らしいことね。ついでに、理不尽な思いをした嫌な人すら何だか愛おしく思えるような?(其処まで行けるかしら)
しみじみ振り返る。
ん?……
ああ、フォロー外しの話だったわ、自分の一生、自分で考える癖をつけること。主観で物言うことは考えることとは違う。悪いとは思いません。わたしが嫌になっただけです。それと詰めない時間も必要だし、一番は積極的に運動しましょう。そんなことを、ぼんやり寝惚け頭で考えた。
自身が放ったブーメランならば当たるのも順序だ。そして真っ当かな。
痛いのは嫌だけど。
どんまい
人間社会で暮らしていると、自然に人間社会の垢がたまってくるので、感覚の世界を時々、確認したくなる。まるをものさし、つまりある種の基準として観察することで、私は自分の生き物としての自然な感覚を忘れないように、生身の自分を調整していたのである。
基準 ものさし 調整

神様、仏様のように優しい人
なぜ存在するのか
余談もう一つ、本当に優しい人は芯から優しい。どんな状況になろうとも変わらない、そのまま穏やかに居てくれる。あれはどういうことなんだろうと思う。(犬仲間に亡き犬のちゅーるを引き取って貰いました)
縁を感じる間柄って遠い近いの距離感じゃなくて、やっぱり感覚(霊感の一部?)だと思った。よく"魂が触れ合う"って言葉がありますが、ピアニストのフジコさんが「いい音楽家になりたいなら、楽譜の裏に隠れてる霊感を感じられないとダメ」と言っていた。
美輪明宏さんは、「目に見えるものは見なさんな」と言う。
若松英輔さんは、「後世に生まれた人間は、最初の原点だけを眺めていると、本質を見失ってしまう事がある。真に意味あるものは変革しながら成熟する。新生の原点を注意深く認識していく事こそ、その本質に導いてくれる」と言う。
「あれ……言葉には上手く出来ないんたけれど、何だか会っても会わなくても時間を忘れて関わり合える、懐かしさみたいな……」そんな人を見つけたら離れてはいけません。ただし自立して付かず離れずで。ひょっとして……あちらも同じことを感じているかも?霊感はなにもスピリチュアルの世界だけのものじゃない。実社会に活かすのが乙なもの。
「Don't think, feel」ってのもありますが、感じるだけに重きを置かず、その時々で、やはり考えるのもいい塩梅かも知れません。車の運転みたいにアクセルとブレーキを巧く使うように。
わたしは好きな人には好きだと伝えるようにしています。子供大人関係なく、素直に生きることは全ての答えと解決になると思っているからです。
そんなふうに考えるようになったのは犬と暮らしたお陰かも知れないと、ふと今気づきました。犬は死んでしまったけど。居なくなった訳ではない。
じゃあ、もう会えないとして、もう再会しなくても、その時間が離れたとしても、その人が素敵で素晴らしいことに変わりはないと捉えるように、
かかわらなければ路傍の人だから
この胸に枯葉を落としてくれた
枯葉を浮かべて
同じ空の下(上)

風立ちぬ 今は秋
今更、歌詞がなんとも沁みる
秋の風が窓から入っては心地良く部屋を通り抜けていきます。
最近は短歌を楽しんでいます。勝手気ままに出来上がっては、家族LINEで忙しなく共有しています(文句は言われない言わせない)
そんなわけで横になってたら、眠気が寄せては引いて白目になり、なんだか至福感…。
この感覚……ん……?
犬との付き合いは、老齢期こそが味である。走ったりはしゃいだりはできないけれども、手をつなぎ、顔を見合わせ、ゆっくりゆっくり歩くお散歩の幸せ。
……人生だねえ。
……時よ止まれと。
老犬の 瞳の中の 花火かな

寝顔を見るのも老犬の愉しみ
最期の一か月に老犬と、たまに横並びになって、束の間の休息。お互いがお互いを認識しつつ……楽しかった、戻りたい。
短歌は弔う手段なんです
秋の空
眼鏡で見上げ
風が吹く
あの雲かしら
我犬何処ぞ
あの日暮れ
脚と枯葉を
踏みしめて
見上げる犬の
面影探す
老犬の
耳にささやく
夏過ぎて
秋の散歩は
さぞこころ好し
お日さまが
出たよと言って
振り返り
老犬探す
ひとり秋の日
(番外編)
あの命
この命とて
皆な命
其れを教えて
老犬は往く


予期せぬ予期が人生か
(先日観た映画のラストシーン)
愛犬をLoseしてsnoozeすることにより精神的な充電している感覚、それもまた予期人生。
最近の鼻歌♪
