見出し画像

びんの小説「大いなる記念日」【短編/読切】 #シロクマ文芸部

 透明なプラスチック製の箱が入ったトラックに気づいた各国のマスコミが、一斉にカメラを向け、シャッターを切り、アナウンサーは実況中継を始めた。

 その日、東京の永田町はかつてないほどの盛り上がりを見せていた。日頃は社会の裏や日陰で生活をしているホストやホステス、そのスジの人やキャバクラ嬢、果てはホームレスまで、誰しもが己の立場を忘れ、ただ一人の日本国民として、大いなる喜びをかみしめ、歓喜に打ち震えていた。本当は、もっと喜びを爆発させたいのだろう。人々の顔は笑顔でありながらどこか厳つい。

 だが、今はまだその時ではない。今日は間違いなく、日本の歴史に刻まれる記念日となる日なのだから。その歴史的瞬間をカメラに収めようと、CNNやBBCといった世界的に有名なテレビ局のマスコミのクルーたちが、国会議事堂前に集まっている。

 警官たちは、必要以上にカメラマンが前に出ないように、必死に抑えつけている。そんな警官たちが相手にしているのは、今日に限ってはマスコミだけではない。

 とある抗議団体は、今回のことが政府から発表された直後から、全国で執拗に抗議デモを繰り返してきた。スピーカーでがなり立てるだけならまだしも、賛成派の識者の住宅に落書きをしたり嫌がらせをしたり、殺害予告まで行った。さらに、全国の数多くの学者たちがその団体の思想理念に同調し、連名で委員会まで結成したものだから、抗議活動の熱はなおさら高まる結果になった。

 採決の結果いよいよ実行されることになった政府の今回の活動を何としても阻止すると意気込んで、抗議団体は議事堂に入ってゆくトラック、並びに中の政治家ひいては内閣総理大臣に向けて、大声で抗議の声を張り上げている。

 しかし、国民の大多数が賛成派になっている現状、もはやその声は、その他の歓声にほとんど飲まれてしまっている。

 通常の日ならまだしも、こんな歴史的な日に醜態を全世界に発信されてはことだ。首相もそのことを懸念してか、この日に備えてテレビ、ネット、ラジオ等で、繰り返し繰り返し国民へ注意を呼び掛けてきた。各学校でもいち早く全校集会を開き、全生徒への指導を徹底させてきた。

 既に政治家たちは席についている。いつもはヤジでやかましい本会議場も、今日ばかりは厳粛な空気の中で静まり返っている。

 その様子は当然全国に生中継されている、誰もが――件の抗議団体以外は――その様子を固唾をのんで見守っている。

 やがて、首相が起立し、マイクに向かって演説を始めた。

「国民の皆さん、私は今、日本の総理大臣ではなく、一人の日本国民として、今日という記念すべき日に立ち会えることを、非常に喜ばしく思っております。思えば、長い長い道のりでございました。その道の険しさ、厳しさ、恐ろしさは、他ならぬ国民の皆様が、痛感してきたことだと思います。しかし、本日、この日をもちまして、私たちは新たなる一歩を踏み出すことになります。それは、輝かしい一歩、これまでの苦しみを完全に断ち切ることができる、大いなる一歩であります。今回のこの政策を実現させるために、数多くの方々のご協力がありました。彼ら無しには、間違いなく、実現できなかったでしょう。政府の代表として、心より感謝の意を表します」

 首相は深々と一礼した。それに伴い本会議内に拍手が巻き起こる。

「では、始めたいと思います」

 議長がアナウンスで宣言し、首相が立ち上がった。首相の足下には、例のプラスチックの箱が置かれている。首相は右足を思い切り高く上げると、渾身の力でもってその箱を踏み潰した。

 プラスチックが割れる音が響き、一瞬、本会議場、国会前、そして全国でテレビやディスプレイ前にかじりついている国民が静まり返った。

 そして、地鳴りのような歓声が湧き起った。

 さながらダムが決壊したかのごとく、静粛さを保持していた人々は喜びを爆発させた。見ず知らずの隣の人と抱き合い、時に涙さえ流しながら喜びを分かち合っている。ビルの屋上からは、今日という記念日を祝おうと、花吹雪がまき散らされ、東京のあらゆる大通りを極彩色の空間へと変貌させてゆく。

 日本の歴史上類を見ない豪華絢爛な祭典に、議事堂前の各国マスコミは、血眼になって我先にとその様子を必死で中継している。その傍らでは、抗議団体が血を吐くように叫んで政府を非難しているが、その声は怒涛の歓声によって完全にかき消されている。

 首相は満願の笑みを浮かべ、足下のプラスチックの破片から足を離した。破片に混じって、汚らしい肉塊がそこにはあった。

 首相はそれを、日本で最後の一匹となっていたゴキブリの死骸を、そっと大きめのプラスチックの破片で、見えないように隠した。



こちらの企画に参加させていただきました。