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素直な人が損をするたった一つの理由

 「まじめな人ほど、損をしている気がする」
 そんな印象を抱いたことはないだろうか。

 職場で上司の指示に従い、ルールを守って行動している人ほど、地味な業務に回され、文句も言わずに耐えている。
 一方で、やや要領の良い人が、上司への印象だけで“おいしい仕事”を手にしていたりする。

 「なんか不公平だなあ」と感じても、まじめな人は声を上げない。
 それどころか、「私が耐えれば丸くおさまるし」とさえ思ってしまう。

 だが、こうした構図は個々の性格の問題ではない。
 損をする人が素直な人になるように設計された構造が存在するのだ。

***

 組織や社会には、明文化された「ルール」と、それとは別に、暗黙の「運用ルール」が存在する。

 たとえば、ある会社では「休暇は自由に取っていい」と制度上は書かれている。だが、実際にみんなが取っているのは、せいぜい年に数日。
 空気を読むことが『実質のルール』になっている。

 こうした場面で、素直な人ほど『制度通り』に行動しようとする。
 だが、周囲は「そういう人」として見て「あの人、なんか空気読まないよね」と陰で言ったりする。

 つまり、素直な人は“ルールの建前”に従って損をし、要領のいい人は“運用の実態”に従って得をする構図が、社会の至るところにあるのだ。

 ここで見えてくるのは、「ルール=正解」という前提そのものが幻想だということ。

 たとえば、学校では「提出期限を守ること」が評価された。
 だが社会に出れば「期限よりも成果」「成果よりも印象」という構図が存在してしまうこともある。

 つまり、「どのルールに忠実か」が価値の源泉になる世界では、どの構造に最適化しているかで、損得が決まってしまう。そして皮肉なことに『素直であること』そのものが、不正直な構造のなかでは最適解ではないという現象が起きてしまう。

 では、どうすればいいのか。

 結論から言えば、「正直に従うべきルール」と「距離を置くべきルール」を自分で見極める視点が必要になる。

 たとえば──

  • 「社内稟議はこうあるべき」というルールには従う

  • 「休日出勤は当たり前」という空気には疑問を持つ

  • 「長く働く人が偉い」という構造には合わせない

 このように、『制度としてのルール』と『慣習としての構造』を切り分けることで、自分が「損をする素直さ」に陥らないように設計できる

 つまり、まじめにやることは悪くない
 だが『どの構造にまじめであるか』は、自分で選ばなくてはならない


 ルールを守っている人が損をするのは、あなたがまじめすぎるからではない。損をする構造に、何も考えずに最適化してしまっているからなのだ。

 誠実であることがバカを見る社会は、構造的にどこかがおかしい。

 そして、その『おかしさ』に気づいたとき、はじめて選べる自由がある。

 あなたのその生きづらさ──
 それ、たぶん“構造”のせいです。


前回の #構造分析論シリーズ は…

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