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“黒歴史”はなぜ黒い?

中二病を掘り下げる自虐的シリーズ【2】

 「昔描いたマンガが出てきた」と、X(旧Twitter)のタイムラインに投稿された画像には、ぎこちない線で描かれた主人公と、異様に饒舌な必殺技の名前が並んでいた。
 「封印解放・魔剣ギルガメス!」というセリフに数千の“いいね”が集まり、コメント欄は「わかる」「自分もあった」「燃やしたい」で埋め尽くされていた。

 “黒歴史”という言葉は、本来ガンダムシリーズの中で「封印された忌まわしき過去の戦争」を指していた。
 しかしいまでは、誰もが共有する“痛い”過去の象徴となっている。中二病的な自己演出、イタイ妄想ノート、投稿サイトにアップしたポエムや小説。
――どれも、誰かに笑われたくない、でも捨てきれない記憶だ。

 だが、なぜそれは「黒」なのか。
 なぜ、恥ずかしさと後悔の色に塗り潰されるのか。

 それは、当時の自分が「本気だった」からだ。真剣に世界を変えたくて、誰よりも強く、かっこよく、美しくなりたくて、夜を徹して物語を書いた。その熱量が、今の自分から見ると滑稽で、未熟で、鼻白む。だからこそ、それを「黒」に塗ってしまいたくなる。過去の自分を否定することで、現在の自分の“まともさ”を守ろうとする。

 けれど、その過去を切り捨てることは、本当に正しいのだろうか。

 思春期の“妄想”は、多くの場合、現実逃避と見なされる。
 社会に適応できない未熟な精神が、フィクションという幻想に閉じこもる姿なのだと。だが、その“妄想”の中には、現実では届かない理想への渇望がある。居場所のない教室、うまく話せない人間関係、見えない将来――それらに押しつぶされそうな日々のなかで、「自分は本当は特別なんだ」と信じることだけが、ギリギリの救いだったのだ。

 だから“黒歴史”とは、単なる過去の失敗ではない。
 それは、かつての自分が世界と必死に格闘した記録であり、あらゆるフィクションの原点でもある。妄想は逃避ではなく、反撃だった。誰にも認められない場所から、誰よりも自由に想像し、創造しようとした痕跡なのだ。

 自己創造とは、黒歴史を白く塗り直す作業ではない。
 むしろ、その「黒さ」を受け入れること、自分の中の“痛み”を認めることが、新たな物語のスタート地点になる。恥ずかしい過去を「なかったこと」にするのではなく、そこからしか始められない語りがある

 実際、いま商業的に成功している多くの漫画家や作家、アニメーターたちも、例外なく“黒歴史”を持っている。誰もが最初は「魔剣ギルガメス」を描くのだ。問題は、その絵をいつまで描き続けたか、どこで諦めてしまったかということだ。

 黒歴史を笑えるようになったとき、人はようやく次の章を書きはじめられる。フィクションは失敗の反復ではなく、可能性の再構築だから。中二病は卒業するものではなく、成長のための通過儀礼なのかもしれない

 それでも「燃やしたい」と願ってしまう夜もあるだろう。けれど、それは誰かと語れる夜でもある。痛みと恥を共有できる人と出会えたとき、黒歴史はただの過去ではなくなる。あれがあったから、いまここにいる。そう言える日が、きっとくる。


 次回は「“痛さ”を語り合えるコミュニティは、どこから生まれたのか?」という視点から、SNSとオタク的承認欲求について掘り下げていきます。
 書ききれるのか――!?


 中二病……このテーマについて書き始めたんだけど…
 ホント身をよじりながら書いている。何とも言えない感情に産毛が💦
 できれば積極的に♡を押していってください。最後まで書ききるために少しでもあなたのパワーを!!

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