夕方五時のチャイムが鳴るとき僕らはみんな少しだけ子供に戻る
夕方五時に、町にチャイムが鳴る。
住んでいる場所によって曲は違う。「夕焼け小焼け」だったり、「家路」だったり。僕の住む町では「七つの子」が流れる。スピーカーが古いせいで、音は少し割れていて、風向きによっては半分くらいしか聞こえない。
先日、駅から家まで歩いている途中で、そのチャイムに出くわした。
買い物袋を提げた、ごく普通の大人としての僕が、ごく普通の路地を歩いていた。そして音が鳴った瞬間、奇妙なことが起きた。足が、ほんの一瞬、急ぎかけたのだ。
帰らなくちゃ、と思ったのである。
考えてみれば、おかしな話だ。
僕はもう何十年も前に、門限のある生活を卒業している。今や帰る時刻を決めるのは僕自身だし、夕食の時間も、寝る時間も、すべて僕の裁量に委ねられている。大人になるというのは、つまりそういうことだ。それなのに、あの数小節のメロディーは、僕の中の何かを正確に呼び出した。
鍵をなくしたはずの部屋の、合鍵を持っているみたいに。
たぶん、体のどこかに古い回路が残っているのだと思う。
夕方五時のチャイム、カレーの匂い、ボールを抱えて走る帰り道。そういうものをセットで記録した回路が。
普段は使われていない。電源も入っていない。でも完全には撤去されていなくて、あの音が鳴ると、一瞬だけ通電する。
そして僕らは数秒間だけ、ランドセルの重みを背中に思い出す。
面白いのは、あの頃の「帰らなくちゃ」には、ちゃんと帰る場所があったということだ。
台所に電気が点いていて、誰かが先に家にいて、僕の帰りは待たれていた。当時はそれが当たり前すぎて、ありがたみなど考えもしなかった。
夕方のチャイムが何を意味していたのか、本当にわかるのは、自分で電気を点ける側になってからなのだ。
人生の重要な事柄はたいていそういう構造をしている。渦中にいるときには見えず、出てから振り返ると、やけにくっきり見える。
チャイムが鳴り終わって、僕の足は普段の速度に戻った。
空は薄いオレンジで、電線にカラスが二羽とまっていた。七つの子。なるほど、よくできている。
家に着いて、僕は自分で電気を点けた。
誰も待ってはいなかったけれど、不思議と寂しくはなかった。あの回路がまだ生きていると確認できた日は、むしろ少し豊かな気持ちになる。
僕らはみんな、夕方五時にだけ開く小さな扉を持っている。
そしてその扉の向こうでは、今も誰かが、夕食の支度をしている。
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