根回しという不透明な文化の正体
「先に〇〇さんには話を通してあるから」
「この資料、念のため△△さんにも見せといたほうがいいよ」
これらに共通するのが、いわゆる「根回し」である。
表に出る決定の背後に、もうひとつの非公式なプロセスが潜んでいる。
この「裏のプロセス」こそが、日本型組織のもっとも巧妙な構造だ。
根回しは一見、調整の知恵のように見える。
反対されそうな人に先回りして情報を渡したり、議論の場で波風を立てないように布石を打つ。そして、上司の意向を事前に伺い、企画を通りやすくしておく……。
これらは、確かに仕事を円滑に進める手段だ。
だが、構造的に見ればそれは、「合意形成を会議の場ではやらない」文化の正当化でもある。
そう。「会議で決める」と言いながら、実際にはすでに決まっているケースは多いのである。
本番の会議は、確認の儀式。異論を挟むと、空気を読めない人扱い。
そして、意思決定の過程は、ブラックボックスの中となる。
つまり、『根回しができる人』だけが、構造にアクセスできるという状態が生まれてしまっているのだ。
これは、透明性の欠如=不公平なゲームである。
さらに問題なのは、根回し文化が「発言のリスク」を極端に高めてしまう点だ。根回しなしの提案は、場違いとされ、会議でいきなり意見を出すと、敵をつくる。そうすると、賛同を得るより黙っておくほうが得策になってしまう。こうして、「オープンな議論」が機能不全に陥る。
裏で動くことが『デキる人』とされ、正面から議論しようとする人が『危うい人』にされる。構造としては、思考よりも人間関係スキルが評価される設計になってしまっている。
では、この構造をどう変えるか?
すべての意思決定に「プロセスの説明責任」を導入する。
即興ブレストなど「根回しの必要がない場」を意図的につくる。
または「裏で済ませたこと」を開示する仕組みをチームで共有するなど。
重要なのは『根回しが必要な構造そのもの』を解体することだ。
それがなければ、透明性も、創造性も育たない。
「根回ししておいたから安心して」
それは安心ではなく、構造からの排除かもしれない。
自分がどこにいるのか、なぜ決まったのかが見えない社会で、果たして誰が本気で声を上げられるのか?
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
エンディングテーマ『教科書に書いてない』
