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気付けば怖い『納得する』と言う事

 「みんながいいと思う方向で」
 「全員が納得できる落とし所を探そう」
 一見、理想的で平和な合意形成のように聞こえるこの言葉。
 だが実際には、この「みんなが納得する案」こそが、イノベーションを殺す構造的トラップになっているのではないか。

 まず考えたいのは、「全員が納得する案」というものが『本当に存在するのか?』という問いだ。

 現実には……

  •  斬新すぎる案 → 怖い

  •  保守的すぎる案 → つまらない

  •  誰の意見も傷つけない案 → 中途半端

 この三すくみの中で、結局選ばれるのは、『全員にとって無難』なだけのプランである。つまり、「みんなの納得」は、思考停止の言い換えになってしまうのだ。

 さらにこの構造は、リーダー不在の意思決定を生む。

誰かが責任を取るわけではない、誰の案でもない中間案が通る。
結果が出なかったとき、誰も責められないように。

 ──こうして、「みんなで決めたことだから仕方ない」という逃げ道が量産される。これでは『納得の共有』ではなく、『責任の分散』である。

 構造的に見れば「納得を優先する文化」は次のような性質をもっている。

 違和感のある意見を“排除”しやすく、 空気を読みすぎて、対話が成立しない。そして、決まることより揉めないことが優先される。

 その結果、「誰も傷つかない代わりに、誰もワクワクしない結論」が生まれ続ける。

 では、この構造を変えるにはどうすればいいか?

 「納得」ではなく「仮説と実験」を基準にしてみる。そして「とりあえずやってみる案」を許容する文化をつくる。
 できれば「決める人」と「フォローする人」の役割を明確化するのもいい。

 そもそも、全員が100%納得した時点で、すでに時代遅れかもしれない。

 実は重要なのは、納得よりも『進みながら修正する柔軟性』である

 「みんなが納得する案」は、誰かが我慢して生まれた折衷案かもしれない。あるいは、誰も言わなかった『本音』の墓場かもしれない。

 それでも、あなたはまだ「全員の納得」を目指しますか?

 こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


 前回の #教科書に書いてない  シリーズは…

エンディングテーマ『教科書に書いてない』


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