クリプト宗教は救済を約束するか
スピリチュアルマーケティングを解剖する【8】
夜、スマホから「ピコン」と音がする。
ビットコインの値動きを知らせる通知だ。「上がった、下がった」と一喜一憂するうちに、ふと思う。なぜ私たちは、この数字の並ぶコインに、ほとんど祈りに似た気持ちを抱いてしまうのだろうか。
ビットコインは一種の〈宗教〉だ、と大学の研究者は語る。実際に「ビットコイン教会」と名乗り、創始者サトシ・ナカモトを預言者と呼ぶ団体まであるという(※1)。礼拝堂の代わりにオンライン掲示板があり、賛美歌の代わりにホワイトペーパーを読む。日曜の説教はポッドキャストで配信され、献金はハッシュ値で刻まれる。信仰の対象は神ではなく、二十一世紀の新しい“約束”だ。
ブロックチェーンの世界は想像以上にカラフルだ。2018年、ニューヨークでお披露目された〈0xΩ〉は「スマートコントラクトで運営される教会」を掲げた(※2)。寄付も投票もすべてオンチェーン。雲の上の帳簿に徳を刻むような仕組みである。ここでは聖書の代わりに「フレームペーパー」という設計図が配られ、信徒はウォレットの鍵を授かる。
リアルな宗教も黙っていない。米国の教会では「暗号で寄付をどうぞ」とQRコードを掲げる所が増え、2023年のチャリティーキャンペーンでは五十万ドルものマッチ寄付が集まったという。おさい銭がデジタルに変わるだけでなく、「献金はすぐにブロックチェーンで追跡できます」と透明性を売りにして若い世代との接点を取り戻す狙いもある。
なぜ通貨と信仰が交じり合うのか。まず〈物語〉がある。「中央の権力に縛られない、自由なお金」という筋書きは、禁酒法時代の“自家製酒”のように背徳と解放を同時に匂わせる。次に〈共同体〉。激しい値動きに一緒に耐える仲間がいると、人は孤独を忘れる。そして〈救済〉。ハイパーインフレ国の若者が「これで家族を守れる」と語るとき、コインは紙幣より分厚い祈りになる。
もっと身近な心理として〈ご利益バイアス〉も働く。
「去年ビットコインが三倍になった、だから信じる」という後づけの確信だ。上がった記憶は強く残り、下がった痛みは時間が薄める。こうして数字のジェットコースターは、信仰のジェットコースターになる。
けれど落とし穴も深い。暴落が来れば賛美歌は悲鳴に変わる。損失を抱えた人は「来年こそ月へ行く」と言い聞かせ、現実を曇らせる。そこへ詐欺師が現れ、「次の百倍コイン」を囁く――お決まりの巡礼路だ。
だから私は、信じるも疑うも“用法用量”だと思う。暗号通貨の白い輝きに未来を見るのは自由だ。しかしその光が強すぎて、隣で眠る人の顔まで見えなくなったら本末転倒だろう。祈りはスマホの中だけでなく、テーブルを挟んだ会話にも少し置いておきたい。
次回は、ハイテクと呪術が交差する「セルフケア占いアプリ」の舞台裏をのぞく予定だ。
AIがあなたの一日を“星読み”する時代、その助言は味方か、それとも依存の種か。
※1 Texas State Why are people calling Bitcoin a religion? https://news.txst.edu/the-conversation/2022/why-are-people-calling-bitcoin-a-religion.html
※2 WIRED Blockchain was always a religion. And now it’s got its own church
https://www.wired.com/story/blockchain-religion-church-bitcoin
