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なぜ私たちは“推す”のか?感情の経済圏と資本の再定義

 アイドルの誕生日に、1万枚のケーキを注文する人がいる。SNSのトレンドに推しの名前を上げるために、夜通しでハッシュタグを回し続ける者がいる。キャラクターの誕生日に新幹線で遠征し、現地限定のノベルティを手に入れ、記念写真をアップして「供養」する。
 かつては狂気とされた行為が、いまや一種のライフスタイルとして成立している。しかも、それはどこか幸福そうだ。

 日本の社会学者「エンタメ社会学者」こと中山淳雄は、こうした行動様式を単なる消費ではなく、「感情資本」による経済圏の拡張と位置づけた。人はなぜ“推す”のか。それは、金銭的な見返りがあるからでも、自己の承認欲求を満たすだけの話でもない。“推す”という行為の根源には、もっと構造的な転換がある。つまり、それは「感情を通貨にする社会」への移行なのだ。

 推し活とは、システムへの“贈与”である。そしてその贈与には、明確な回収装置が備わっている。ライブの席順、チェキの優先購入、公式SNSの“いいね”――あらゆるフィードバックが、感情の投資に対する利回りとして返ってくる。だがそれ以上に、“共犯的”とも言えるファン同士の連帯が、最大の報酬になっているのかもしれない。

 「あなたも推しているんですね」という、あの奇妙な同調圧力。
 中山氏はこれを“仮想一等地”への定住権として定義した。つまり、物理的な土地ではなく、特定のIP(知的財産)に対する忠誠と関与の濃度が、新たな「居場所」を生み出すという視座である。これは極めて現代的な都市化現象だ。ある意味で、バーチャルな原宿であり、デジタルな秋葉原なのだ。

 その一方で、この経済圏は明確な“序列”を生み出す。
 金を落とした者が偉く、運営に認知された者が上位に立つ。いくら愛が深くても、課金額やイベント参加数が少なければ、“にわか”と揶揄される。つまり、推し活とは感情の市場化であると同時に、承認と排除のメカニズムでもあるのだ。

 中山氏の言葉を借りれば、これは「自己の帰属先の再設計」である。
 人は、もはや企業や地域共同体に帰属しない。国家や宗教といった伝統的なアイデンティティも機能不全に陥ったいま、人々は“推し”を通じて、自分という存在の基盤を仮構している。そしてその仮構は、意外なほど安定している。なぜなら、そこには終わりがないからだ。

 作品は終わっても、キャラクターは死なない。
 声優が交代しても、アイドルが卒業しても、SNSアカウントが残っていれば、“魂”は継続される。つまり、推しとは「不死の存在」として立ち上げられている。中山が強調する“IPの持続性”とは、経済的収益モデルの話であると同時に、心理的依存構造の設計でもあるのだ。

 推すことが、人生の一部になっている。推しがいることで、日々が駆動する。今日も仕事に行く理由は、次のガチャに課金するため。節約生活のモチベーションは、現地イベントの遠征費用を貯めるため。生活のロジックが、推しを中心に再編成されている。これが“経済圏”という言葉の本来の意味ではないだろうか。

 だが、その熱量は、果たしてどこまで持続可能なのか。

 推しはやがて、更新される。新しいコンテンツ、新しいキャラ、新しい声。ファンもまた、浮気し、移動し、時に燃え尽きる。中山氏はそれすらも「流動性のある経済」として肯定する。だが、推された側――つまり“推し”そのものは、更新されながら消耗していく。これは経済的資本主義とまったく同じ構造である。つまり、推し活とは“資本主義の情動的ミラー”なのかもしれない。

 「あなたの推しは、あなたを推してくれるか?」という問いには、永遠に答えは出ない。それでも、私たちは推すのだ。なぜなら、推している瞬間だけは、世界が少しだけ美しくなるからだ。


次回は「“推しは資産か、幻想か”」というテーマで、愛と消費のあいだに揺れる現代人のアイデンティティを、より深く掘り下げていきます。

筆者と"エンタメ社会学者"中山淳雄と"漫画家"ロビンやすお

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