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雨上がりの匂いに名前があるように君のいない朝にも名前があればいいのに

 雨上がりの匂いに、名前があるのをご存じだろうか。
 ペトリコール、という。
 乾いた地面に雨が落ちたときに立ちのぼる、あの懐かしいような匂いのことだ。一九六四年に二人の科学者が名づけた。つまりそれまでの長いあいだ、人類はあの匂いを知っていながら、名前を持っていなかったことになる。
 誰もが知っているのに、誰も呼べなかったもの。世界には、そういうものが案外たくさんある。

 たとえば、と僕は考える。
 長く一緒にいた誰かがいなくなったあとの、最初の朝。
 あれにはまだ、名前がない。

 その朝のことを、僕はよく覚えている。
 世界は驚くほど普通だった。カーテンの隙間から光が入り、外では雀が鳴き、新聞配達のバイクが遠ざかっていった。
 何もかもがいつも通りで、ただ一点だけが違っていた。
 そしてその一点が、部屋じゅうの空気の成分を変えていた。
 悲しい、という言葉では粗すぎる。寂しい、でも足りない。喪失、では硬すぎる。手持ちの言葉をすべて並べてみても、どれもあの朝の匂いには届かなかった。

 名前のない感情は、扱いに困る。
 呼べないものは、棚にしまえない。だから僕らはそれを抱えたまま、何ヶ月も、ときには何年も、家の中をうろうろすることになる。

 でも最近、こうも思うのだ。
 ペトリコールの正体は、雨そのものの匂いではないらしい。乾いた土や石が、長い晴れのあいだに溜め込んでいた油分が、雨に叩かれて空気中に放たれたもの。つまりあれは、地面がずっと抱えていたものの匂いなのだ。
 雨は、それを呼び出すきっかけにすぎない。

 だとすれば、あの朝の匂いも同じかもしれない。あれは不在の匂いではなく、それまでの長い日々に僕が溜め込んできたものが、いなくなったという雨に叩かれて、いっせいに立ちのぼった匂いだったのだ。
 一緒に飲んだコーヒー、くだらない口喧嘩、夕方のチャイム、車で聴いたテープ。乾いた地面に、それだけのものが染み込んでいた。
 何も染み込んでいない地面からは、何の匂いも立たない。

 そう考えると、名前のないあの感情は、豊かさの証明書のようなものでもある。痛みの量は、染み込んでいたものの量なのだから。

 名前は、いつか誰かがつけるだろう。一九六四年のように。 
 それまで僕らは、名無しのまま、あの匂いと暮らしていけばいい。雨はやがて上がる。これは比喩ではなく、気象の事実である。

 そして雨上がりの地面からは、世界でいちばん懐かしい匂いがする。


※ペトリコール:1964年、オーストラリアの研究機関CSIROの2人の科学者イザベル・ジョイ・ベアとリチャード・トーマスらによって科学雑誌『Nature』にて初出。

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