掌編小説 | 目をつぶる 200mmの残酷 | 美貌録 番外編 ♯シロクマ文芸部
目をつぶる。
けれど、もちろんそれは、ファインダーを覗かない右の目だけだ。
そもそも、気が乗らなかった。
純也とは同期入社で7年目。
それなりに名前で呼び合うぐらいの友人としても付き合ってきた。
その純也の結婚披露宴に招かれた。
思えばいつかの飲み会のときだった。
精進湖から撮影する「暁の富士」のリフレクションの感動を熱く語ってしまったことがあった。
純也は想像以上に感心し、ドライアイになるんじゃないかと心配になるほど、僕のiPhoneのライブラリーに見入っていた。

「直樹さぁ、お前の腕を見込んで頼むんだけどぉ、俺らのウェディング・フォト撮ってくれないかぁ? スナップショットだけでいいから…さぁ。」
こういうときにだけ語尾を伸ばす、純也の悪い癖だ。
「当然だ。式場専属プロでもないのに、集合なんか撮れるわけないだろが…。」
心中、ぶつぶつ言いながらも断り切れないのが僕の悪い癖だ。
「ちょっと撮れるようになったからって、調子に乗って安請け合いはすんなよ!撮れてませんでしたじゃ、済まない時もあるんだからな。」
と写真を始めたときの先輩に釘を刺されていたこともあり、おまけに重い機材を抱えて礼服ってのも面倒だ。
追い打ちを掛けるのは、うん万円のご祝儀包んで、こんなときにしか召し上がるはずのないフレンチにありつけない確率が、「直樹調べ」によると74%にもなることだ。
そんなこんなで打算的な自分に辟易していたのだから、気乗りしないのも無理はない。
結婚式場は、都心の最寄り駅に隣接している瀟洒なホテルの最上階にあった。
受付では新郎側新婦側それぞれ、お決まりの友人選抜何人かが、殊勝に任務を遂行している。
「本日はおめでとうございます。」
という常套句とともに差し出すご祝儀。
「ありがとうございます。こちら、お座席表になります。」
これも決まり文句。
「お写真撮っていただける方ですね。どうぞよろしくお願いします。」
こんな場に不相応な重装備も照れくさく、宴席の配置も気になっていたので、
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
とだけ僕はうつむいたまま反射的に答え、披露宴会場へと足を踏み入れた。
あらかじめ式場スタッフに話を通じてくれていたらしく、融通を利かせることを約束してくれた。こういうところは、純也はそつがない。
定刻になると開宴だ。限られた知り合いと軽口を叩くのも束の間、ミッションスタートだ。
新郎新婦はもちろん、マイクを握る来賓や友人たちはカメラに収めておかねばならない。
両家主賓の祝辞に続き、乾杯の挨拶に立ったのは、我が社の営業部長だ。
見飽きた顔だし、恐ろしく陳腐な挨拶に、僕はあくびをかみ殺した。
「え~。これからの結婚生活というものは、お互いの長所は両目を開いてしっかりと、欠点は片目をつぶって半分にして見ようと心掛けて、幸せなご家庭を築いていってください。カンパ~イ!」
「私からのお祝いに、営業ノルマも半分に!」
ぐらい気の利いたしゃれの一つも言えないものかとがっかりしながら、僕は客たちの円卓を回っていた。
しばらくのご歓談の後、
「それではここで、新婦友人代表佐々木カスミ様からお祝いの言葉をちょうだい致します。」と司会者はアナウンスした。
場内はそれぞれの談笑に夢中で、特に彼女が注目を集める訳ではない。
新郎新婦が鎮座まします高砂の、新婦側のスタンドマイクを左手で握りしめた友人代表は、出入り口付近に佇む僕の遠目からでも、凜とした清冽な空気をまとっていた。
「純也さん、みなみ。並びにご両家の皆様。本日は誠におめでとうございます。」
他の選択肢はあり得ないであろう切り出しから、彼女の祝辞は始まった。
「この距離なら目いっぱい望遠サイド、F2.8開放で玉ぼけ狙えるか?」とレンズのセッティングに集中していた僕の耳に届いた声は、聞き覚えがあった。
「あ。さっきの受付の女性(ひと)だ。」
「受付頼んで、友人代表挨拶もか!みなみさんも人使いが荒いな。似たもの夫婦じゃん。」
僕は口元だけで笑ったまま、純正中望遠ズームを装着した自慢の愛機D850を構えた。
「今日も神レンズは解像度抜群!」
こうなってくると気分はグングン上がってくる。
ジャスピンの被写体だけを残して、世界はメロメロに溶けていく。
D850が捉えた彼女は、僕に「すべての賛辞を色褪せてみせる」と思い込ませるのに充分だった。
「ひと目惚れ?」
「いや、ファインダー越しだから、『かた目惚れ』そんなのあるのか?」
確かなことは、心拍数は120にも迫る勢い、耳朶の紅潮、まぶたのまばたき機能停止だ! うっかりすると鼻水まで垂れそうだ。
夢中でズームリングを回すと、最大望遠値200mmにいともたやすく達する。
僕に届いた彼女の絵は、モナリザにも匹敵する、胸から上の肖像画だった。
僕は、僕の存在理由をもはや放棄していた。
「カメラ頼りの連写は嫌いだ。」などという日頃の大言壮語も台無しである。
僕にとっての主役は、いともたやすくメンバーチェンジだ。
けれど、
200mmは残酷だ!
君は僕を知らない。
僕は君に触れることはできない。
僕と君の狭間は他人の顔をしている。
そして、
200mmは残酷だ!
新婦に向けて傾げた顎の稜線に刻まれた深い傷跡を見逃してはくれない。
マイクを持つ左手の薬指に愛の名残が縁取られていることを語ってしまう。
カスミさんの祝辞は素晴らしかった。
新婦とともに歩んできた道のりとひとがらを丁寧になぞりながら、友人としての願いを微笑みとエピソードに包み込んで届けた。
恋は「する」ものではなく、「落ちる」ものだ…錆びついた月並みな科白。
僕に言わせりゃ、恋は「切る」ものだ。だってシャッターなんだから…。
この瞬間に決めたことがあるんだ。
「君のこれまでがどうであっても、なにがあったとしても
僕は君のすべてに『目をつぶる』さ。
そして、君を『撮る』、『録る』、『獲る』」
了
