見出し画像

新しいことを行う|聖書を愛する営業マン

見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。

イザヤ書43:19


世話になった保育園の園長の退任セレモニーに出席した。

創設者でもある園長が、長年の歩みに区切りをつける日。そこで挨拶の機会をいただいた。

元職員、卒園児、保護者たち。会場いっぱいに人が集まっていた。

ただ、園長の家族は誰ひとり来なかった。

理事就任


昨年、保育園の理事に就任した。

娘が年少から3年間お世話になった保育園。妻が保育士として10年間勤務した保育園。そして、私たちが「ここに住もう」と決意するキッカケになった保育園だ。

縁もゆかりもなかった土地に定住することを決めたのは、この保育園と園長に
出会ったからに他ならない。

キリスト教保育を標榜する園の理念に、夫婦ともに惹かれた。

妻はのちに保育士の道を選び、娘はここで信仰の種を受け取り、高校・大学とキリスト教学校へと進んでいった。ひとつの出会いが、家族の15年を形づくった。

私が推薦された理由は、卒園児の保護者であること、現役のビジネスマンでMBAホルダーであること、そしてクリスチャンであることであった。

私と同年代の新園長が我が家を訪れ、直々に打診された。園の窮状を切々と語られた。助けてほしい、一緒に保育園を良くしていきたい、と。

断る理由などない。喜んで引き受けた。

人は心に自分の道を計画する。しかし、その歩みを導くのは主である。

箴言16章9節


前奏のオルガンを目を閉じて聴きながら、保育園でのさまざまな出来事を思い出していた。

セレモニーまでの道のり


ただ、理事に就任してから園長の退任セレモニーの準備に至るまでは、正直しんどい時間でもあった。

認知症を患い実務を担えなくなった園長の退任は、法人として避けられない判断だった。それでも、その判断をめぐって複雑な事情がいくつも重なった。

なかでも堪えたのは、園長の家族との関係だった。

退任という決定を、家族は到底受け入れられないと抵抗した。理事会に対して強い言葉がぶつけられることもあった。

園長本人の意思ではなく、家族の感情が前面に出てくる局面が続いた。その矛先がこちらに向くたびに、どう受け止めればいいのか、何度も自問した。

理事として法人を守る立場と、クリスチャンとして一人の人間を案じる気持ちが、何度もぶつかり合った。

年老いた園長には、穏やかで平和な生活が与えられてほしい。

そう願いながらも、理事として法人の存続を優先する決断をしてきた。心の奥底にどろっとした黒くて重い感情を抱えながら。

その重さは、セレモニーの日まで続いた。

挨拶に立つ


セレモニーも後半になり、いよいよ挨拶の時間になった。

チャペルの前に出て、目の前に座るすっかり痩せ細った園長の姿を見て、いくつもの記憶がよみがえってきた。

娘がやっとの思いで入園したときのこと。オヤジの会のメンバーと一緒に東日本大震災の復興支援コンサートを開いたこと。秋祭りにはバルコニーで演奏して、近隣から苦情をもらったこと。今となっては笑える思い出だ。

でも、一番印象に残っているのは、オヤジの会で夜遅くまで酒を酌み交わしたこと。そして、保育の理念や理想を真剣に語る園長の姿だった。「あんたバカだね」と言われながらも、なぜか嬉しそうにしていたオヤジたち。あの熱量がこの保育園の土台にあって、それに惹かれていたのだ。

感謝の言葉を口にしながら、この場所が家族にとってどれほど大きな存在だったかを、改めて感じていた。

挨拶の締めくくりに、イザヤ書43章19節を引いた。

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。

園長が築いてきた歴史を胸に、この保育園は新しい一歩を踏み出す。どんな道であっても、神さまが備えてくださると信じている。

80代になった園長のこれからの日々が、穏やかであるように。これからの保育園の歩みが、神の大いなる祝福の中にあるように。

セレモニーからの帰り道を歩きながら、静かに祈った。


[写真]金華山は岩山であった。ジーンズにスニーカーで行くところではなかった。初心者向けと言われためい想の小径コースはちっとも初心者向けではなかった。けれど眼下の景色を見て幸せを得ることができた。

岐阜市公式ホームページ

いいなと思ったら応援しよう!