「私が去って行くことは、あなたがたの益になる」
「イエス様は、この世を去らないで、弟子たちを教え続けたほうが良かったんじゃないの?」と、誰かに言われたことがあります。たしかに、弟子たちと一緒にいたのはたった3年ほどだったので、もっと長くいれば、弟子たちをしっかりと教え訓練でき、多くの益をもたらせたはずだと考えるのは自然なことでしょう。
しかも、イエスは十字架で死んだ後によみがえり、復活の体というもはや死ぬことのない体を持っていたので、望むだけ長く地上に留まることができました。それなのに、復活後40日目に弟子たちのもとを去り、父なる神がおられる天に昇って行かれたのです。(この出来事は「昇天」と呼ばれ、それを記念する日が「昇天日」です。)
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。・・
イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
弟子たちとしては、もっと長くいてほしいというのが本音だったことでしょう。しかし、不安を感じる弟子たちに、イエスはこう言われました。
しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
一緒にいるよりも、去って行くほうが彼らの益になる。信じがたいかもしれないが、ほんとうのことだ、と。
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
「助け主」は、他にも「弁護者」や「慰め主」と訳されています。「呼び出されて、そばにいる者」というのが本来の意味であり、ここでは、「そばにいて寄り添い、味方となり、弁護し、励まし、慰めるなどして、あなたを助ける方」と理解できます。
この助け主とは聖霊のことで、「イエスの御霊」(使徒16:7)や「キリストの御霊」(ローマ8:9)とも呼ばれています。つまり、聖霊が私たちと共におられるということは、イエスが私たちと共におられるということです。
イエスが地上におられた間は、その周りにいる人としか共にいることができませんでした。でも今は、聖霊を通して、世界中の誰とでも同時に共にいて、寄り添い、味方となり、助けることができます。
また、聖霊について語る前に、イエスはこう言われました。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
イエスの「わざ」は、現在のイスラエルにあたる地域での働きに限定されていましたが、昇天後の弟子たちは世界中に出て行って、はるかに多くの人に福音を伝え、大きな働きをなしました。それは、イエスが父のみもとに行って、聖霊を送ってくださったからです。昇天の直前に、こう約束されたように。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。
昇天後の弟子たちの働きが記されている使徒行伝(使徒言行録、使徒の働き)は昔から「聖霊行伝」とも呼ばれているように、その実際の主人公は使徒たちではなく、彼らと共に、また彼らを通して働いてくださった聖霊と言えます。
弟子たちは、聖霊がどんなときにも共にいてくださり、イエスの復活前はあれほど臆病だった自分たちを用いて素晴らしい働きをなしておられるのを見て、「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になる」と言われたイエスの言葉は真実だったと実感したことでしょう。
(2026年の昇天日は5月14日、聖霊が送られたことを記念するペンテコステは5月24日です。)

