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荒野の黄昏|カウボーイとT型フォードの衝突【シリーズ「端境期」を探る】

 1890年、アメリカ合衆国国勢調査局は一通の歴史的な報告書を発表した。そこには「もはやフロンティアは存在しない」という、事実上の終焉宣言が刻まれていた。

17世紀の入植以来、アメリカ人にとってのアイデンティティとは、常に西へ、未踏の地へと進出する「移動の自由」と同義であった。しかし、19世紀末、太平洋に到達した開拓の波は、広大な大陸を鉄道網と電信柱で網羅し、空白地帯をすべて地図上の「所有地」へと塗り替えてしまったのである。

フレデリック・ジャクソン・ターナー

1893年、歴史学者フレデリック・ジャクソン・ターナーが唱えた「フロンティア・テゼ」は、この境界の消失がアメリカ人の民主主義と野性的な精神を根底から変質させると予見した。

1900年代初頭の西部は、物理的な変貌のただ中にあった。

カリフォルニアのバケロス、1830 年代頃

かつて無数のバッファローが大地を揺らした草原には、総延長約30万キロメートルに達する鉄路が幾幾学模様を描き、その傍らには、生身の馬を「過去の遺物」へと追いやるガソリンの匂いが漂い始めていた。

1908年、ヘンリー・フォードがデトロイトの工場で「T型フォード」の量産を開始したとき、西部の空気は決定的に入れ替わった。

それまでカウボーイが数週間かけて移動していた荒野を、黒塗りの鉄の塊が数日で、それも疲労を知らぬピストンの鼓動と共に走り抜ける。それは、自然の起伏に肉体を同期させてきた開拓者たちが、内燃機関という「計算可能な動力」に従属していくプロセスに他ならなかった。

ウェスタンウェアーに身を包むアメリカの俳優:ウィル・ロジャース

本稿では、1890年から1910年代にかけてのアメリカ西部がいかにしてその「野性」を剥奪され、合理的な産業社会へと組み込まれていったのかを、単なる西部劇の神話としてではなく、当時の経済統計と技術革新の記録に基づき、冷徹に追跡する。

馬の蹄が立てる土煙が、工場の煤煙とアスファルトに塗りつぶされていく瞬間。そこには、明治末期の日本が経験した「外発的近代化」とは異なる、しかし同様に深刻な「魂の疎外」が潜んでいた。

地平線の彼方に消えていったカウボーイたちの背中を追いながら、我々は近代という怪物が飲み込んだ、もう一つの「精神の残骸」を明らかにすることになる。



▼一冊でわかるアメリカ史

▼西部開拓史

▼オーディオテクニカ レコードプレーヤー

▽シリーズ 美しい時代の「端境期」を探る

馬車の轍(わだち)の隣を、初期の自動車が不器用に走る。ガス灯の淡い光が、新設された電球の鋭い輝きに飲み込まれていく。

本シリーズでは、ある時代が完成され、そして静かに崩壊を始める「端境期(はざかいき)」に光を当てます。明治末期の煉瓦街、西部開拓時代の終焉、ベル・エポックの斜陽。

古い世界の残り香と、得体の知れない未来への好奇心が交差する、残酷で美しい「あわい」の時間を記録します。

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【1】1908年、T型フォードが荒野を舗装する

1910年式モデルT・ツーリング。初期の典型的なモデルTである

 1908年10月1日、ミシガン州デトロイトのピケット工場から一台の黒塗りの自動車が産声を上げた。ヘンリー・フォードが放った「T型フォード」は、単なる新製品の域を超え、アメリカ西部の風景と開拓者の身体感覚を根底から破壊する「機械仕掛けの刺客」であった。

それまでの自動車は富裕層の玩具に過ぎなかったが、フォードは徹底した部品の標準化と、後に「フォーディズム」と呼ばれる移動組み立てライン(1913年導入)によって価格を劇的に引き下げた。

初期価格850ドルであったT型は、数年後には300ドル台へと下落し、月給数十ドルの労働者や農民の手にも届く存在となったのである。

グッドロードの職員が大陸横断自動車旅行中に唯一の道路標識を通過。— モンタナ州グレンダイブ、1912年

この機械の普及は、数千年の間、人間と共生してきた「馬」という生物的なパートナーの追放を意味した。馬は疲労し、空腹を感じ、時には乗り手の意志に抗う「生命体」であった。開拓者たちは馬の呼吸を感じ取り、その体調や機嫌を推し量ることで荒野を生き抜いてきたのである。

しかし、ガソリンを動力とするT型フォードは、感情を持たず、燃料さえあれば24時間絶え間なくピストンを動かし続ける。操作は手綱を引く繊細なやり取りから、スロットルとレバーを操る「物理的な制御」へと書き換えられた。

人間は大地と対話する技術を捨て、機械の歯車を効率的に回すための「オペレーター」へと変質していった。

物理的なインフラの整備も、西部の野性を去勢する一翼を担った。馬や馬車が走る道は、泥濘や岩場が放置された自然の延長線上にあった。しかし、時速70キロメートルに迫る走行性能を持つT型フォードにとって、未整備の大地は走行を阻む障害でしかなかった。

『Good Roads』誌は、道路改良を早くから提唱していた。

1910年代、全米で巻き起こった「グッド・ロード・ムーブメント」により、かつてのアウトローや放牧の民が自由に横断した荒野には、次々とアスファルトや砕石が敷き詰められた。

道路の舗装は、広大な空間を「地図上の座標」へと固定し、人間が自然の地形に順応するのではなく、自然を機械の規格に合わせて平坦化するプロセスの完遂であった。

1904年のEAブッシュネルによる社説漫画。
資金を「良い道路運動」の目的に充てるよう訴えている。

さらに特筆すべきは、1900年代のアメリカにおいても、最先端の技術と凄惨な前近代が同居していた事実である。

T型フォードがデトロイトの工場で1分に1台のペースで生産されていた1910年代、南部の州では依然として「私刑」が公然と行われ、法的手続きを経ない暴力による処刑が日常の影に潜んでいた。電信が大陸を横断し、最新の物理学が大学で論じられる一方で、荒野の片隅では魔女狩りに等しい因習が息づいていたのである。

T型フォードがもたらした「均一な速度」は、こうした各地の濃密な時間のずれを、無機質な産業社会の論理で強制的に等質化していった。

カウボーイたちが愛した、予測不能で残酷な荒野の静寂は、エンジンの爆音と、スケジュール管理された物流網の喧騒の中に、音もなく消えていった。


【2】開拓農民の流入と「自由な放牧」の終焉

ジョセフ・ファーウェル・グリデン(1813–1906)

 T型フォードが移動の概念を均質化した一方で、西部の広大な大地そのものを物理的に分断し、カウボーイという職業を絶滅へと追い込んだ装置が存在した。

1874年にイリノイ州の農夫ジョセフ・グリッデンが特許を取得した「有刺鉄線」である。

ジョセフ・F・グリデンの有刺鉄線の改良に関する特許図面

この安価で無機質な鉄の紐は、1890年代から1910年代にかけて西部の風景を劇的に塗り替えた。それまで「オープンレンジ」と呼ばれた公有の開放放牧地は、見渡す限りの地平線まで牛群が自由に移動できる共有財産であった。

しかし、有刺鉄線の普及はこの自由な空間を数百万の細かな「私有地」へと切り刻んでいったのである。

この分断を加速させたのは、1862年に制定された「ホームステッド法」の遅れてきた波であった。

ホームステッド法(1862年)によってあたえられたネブラスカ州での自営農地証明

160エーカーの土地を無償で提供するというこの制度は、1900年代に入ると東部や欧州からの移民による農耕地の拡大を決定的なものにした。農民たちは自らの作物を放牧牛から守るため、安価な有刺鉄線を張り巡らせた。カウボーイにとって、この鉄線は「悪魔の紐」以外の何物でもなかった。

1898年、ノース・ダコタ州 ホームステッド(自営農地)とソッド・ハウスの前で

かつて数千頭の牛を追って数千キロメートルを縦断した「ロングドライブ」の道筋は、至る所で鉄の棘によって遮断された。牛群は行き場を失い、カウボーイは馬を駆って荒野を征く者から、フェンスの破れを点検し修理する「フェンス・ライダー」という名の労働者へと格下げされたのである。

この物理的な囲い込みの時代においても、高度な通信技術と前近代的な暴力が残酷に同居していた事実である。

グリエルモ・マルコーニ

1901年、グリエルモ・マルコーニが大西洋横断無線通信に成功し、情報の「速度」が物理的な距離を無効化したその裏で、西部では有刺鉄線を巡る血生臭い「フェンス切り戦争」が依然として続いていた。

Fence Cutting Wars Photo taken in Nebraska in 1885

土地を囲い込もうとする農民と、移動の自由を死守しようとする牧場主たちの間で行われたこの紛争は、1900年代後半に至るまで私刑や銃撃戦を伴う凄惨なものとして記録されている。

電信が世界を一つに繋ごうとする傍らで、大地では1本の針線を境界として、昨日までの隣人が互いに銃口を向け合うという断絶が生じていた。

1910年を過ぎる頃には、西部の土地の大部分が法的に登記され、物理的に囲い込まれた。有刺鉄線は単なるフェンスではなく、自然の一部であった荒野を「不動産」という名の経済的資源へと完全に変質させた。

カウボーイという存在が持っていた、どこへでも行き、どこででも生きられるという「移動の自由」は、この鉄の刺によって物理的にも精神的にも去勢されたのである。

かつての自由な放牧の民は、自らが張り巡らせた、あるいは他者に張り巡らされた「私有地」という名の監獄の中で、管理された畜産という産業の歯車へと組み込まれていった。地平線が鉄線によって細切れにされた時、アメリカが持っていた原初的な野性は、永久に地図の上から消失したのである。


【3】伝説のアウトローを駆逐した連邦捜査の網

 大地が有刺鉄線で物理的に管理されたのと同時に、西部の秩序もまた国家という名の巨大な事務手続きの網によって上書きされていった。

チャールズ・ジョゼフ・ボナパルト

1900年代、かつて荒野の住人にとって自己の証明とは「何をしたか」という評判や、顔見知りの間での信頼に依存する極めて身体的なものであった。しかし、1908年に司法長官チャールズ・ボナパルトによって創設された捜査局(BOI)は、拳銃の弾丸ではなく「記録」という無機質な凶器を携えて荒野に現れた。

アルフォンス・ベルティヨン
マグショットを体系化(自身のマグショット)

彼らが持ち込んだのは、指紋や身体測定データを用いた「ベルティヨン・システム」による個人の科学的特定である。

ベルティヨンの身体測定法

犯罪者であれ市民であれ、人間はもはや固有の物語を持つ「名もなき英雄」であることを許されず、ワシントンのファイルの中に整列させられた数字の羅列へと格下げされたのである。

ワイルドバンチの集合写真。この写真は「フォートワース・ファイブ」と呼ばれている。
前列左からサンダンス・キッド、ベン・キルパトリック、ブッチ・キャシディ、
後列左からウィリアム・カーヴァー、キッド・カーリー

この「記録による支配」が最も冷徹に機能したのは、ブッチ・キャシディやサンダンス・キッド率いる「ワイルドバンチ」のような、伝説的なアウトローたちの追跡においてであった。

かつての西部において、郡境を越えれば追跡を逃れられた時代は、電信網と組織的なファイル共有によって永遠の終わりを告げた。

1884年、ピンカートン探偵社の警備員達はオハイオ州Buchtelのスト破りを護衛。

1901年に彼らがアメリカを離れ、南米ボリビアへと亡命せざるを得なかったのは、単なる保安官の追跡から逃れるためではない。全米に張り巡らされたピンカートン探偵社の執拗な追跡と、一度記録されれば消えることのない「写真」という名の指名手配書が、彼らの生存空間を物理的に奪い去ったからである。

1911年にシカゴの法廷で指紋が決定的な証拠として採用されたことは、人間の肉体そのものが「逃れられない身分証」へと変貌したことを意味していた。文明化された市民にとって、彼らはもはや自由の象徴ではなく、安定した産業社会の発展を阻害する「非効率なノイズ」へと格下げされたのである。

情報の先端性と生活の未開性が共存していた点も、この時代の特異な歪みであった。

1896年の電話機(スウェーデン製)。回転式ハンドル内部の発電機を動かし、電話局内の呼び鈴を鳴らして交換手を呼ぶ。

1900年代の西部の家庭において、最新のカタログで注文した「電話機」が壁に設置される一方で、家の中には依然として水道もガスもなく、水汲みや排泄は原始的な手法で行われていた。

最新の電磁波が空を飛び交い、アウトローの射殺死体の写真が数分で新聞社に届くその足元で、人々は依然として19世紀さながらの民間療法に頼り、狐の鳴き声に不吉な予感を感じていた。

科学による管理と、肉体に染み付いた迷信。人々は、土地を登記し、税を納め、戸籍という名の檻に自らを登録せねばならなくなった。

荒野を自由に彷徨う「放浪者」は、国家の統計を乱す不確定要素として排除され、定住し、消費し、記録される「市民」への転換を強要されたのである。

拳銃による決闘が、法廷での書類審査へと完全に置き換わった時、西部の空気に漂っていた予測不能な緊張感は、事務的な退屈さの中に埋没していった。


【4】セオドア・ルーズベルトと「管理される荒野」の誕生

セオドア・ルーズベルト Pach Brothersによる肖像写真(1904年撮影)

 1901年に合衆国第26代大統領に就任したセオドア・ルーズベルトは、アメリカ西部が保持していた「野性」の最後の一滴を、国家の管理下にある「聖域」へと封じ込めた。

彼は若き日にノースダコタの荒野でカウボーイとして過ごした経験を持ち、その過酷な自然こそがアメリカ人の強靭な精神を育むと信じていた。

しかし、彼が行った「自然保護」という名の統治は、結果として荒野を、人間が対峙し征服すべき対象から、国家が維持し観賞すべき「展示品」へと変質させる決定的な一撃となったのである。

アメリカの荒野で野営する幌馬車

1906年に制定された「文化財保護法」に基づき、ルーズベルトは膨大な土地を次々と国立公園や国有林へと指定していった。その面積は実に1億5000万エーカーに達し、かつて名もなき開拓者たちが命を懸けて切り拓こうとした大地は、法的な境界線によって囲い込まれた「巨大な博物館」へと堕した。

国立公園の誕生は、荒野を「生活の場」から「レクリエーションの場」へと決定的に作り替えた。

1898年コロラド州での狩猟の様子を写した写真

かつて狼の咆哮に怯え、渇きと戦いながら馬を駆った開拓者たちの営みは、観光客が安全な展望台から眺めるための「風景」へとパッケージ化されたのである。

自然は国家によって管理され、許可証を持つ者だけが立ち入ることのできる去勢された空間となった。

「平原の王」のポストカード、1898~1924年

1910年代、T型フォードに乗ってヨセミテやイエローストーンを訪れる中産階級の家族連れにとって、荒野はもはや恐怖や闘争の対象ではなく、週末の余暇を消費するための「背景」に過ぎなかった。

ルーズベルトによる自然保護は、一見すると美しい理想に満ちているが、その実態は西部の野性が持っていた牙を抜き、国家という巨大な機構の中に「標本」として保存する、最も洗練された近代化の手段であった。

人々は整地されたキャンプ場で焚き火を囲みながら、かつてのフロンティアの面影を消費し、自らが高度に管理された文明社会の歯車であることを忘却していった。

境界線が引かれ、地図が完成し、すべての岩石が国立公園局の管理番号を与えられたとき、アメリカが持っていた「未知」という名の自由は永遠に失われたのである。


アメリカン・ドリームの変質

カウボーイを描いた絵画 "The Herd Quitter." (チャールズ・マリオン・ラッセル、 1897年)

 1890年から1910年代にかけてのアメリカ西部で起きた変容の本質は、物理的なフロンティアの消滅以上に、アメリカ人の精神構造の不可逆的な組み換えにあった。

地平線が有刺鉄線によって区切られ、馬の蹄の音がエンジンの爆音に塗りつぶされたとき、アメリカ人が持っていた「常に別の場所へ行ける」という根源的な逃げ場は失われたのである。この「無限」の喪失こそが、現代のアメリカン・ドリーム、すなわち既存の社会システムという名の縦方向の梯子をいかに高く登るかという内向的な上昇志向の原型となった。

ダッチオーブンでチリコンカーンを煮るカウボーイ

かつて荒野の厳しさに肉体を同期させていた開拓者たちの野性は、セオドア・ルーズベルトによって国立公園という名の「標本箱」に封じ込められ、観賞用の風景へと去勢された。

我々が明治末期の日本と同時期のアメリカ西部に共通して見出すのは、効率と秩序を手に入れるために、人間が本来持っていた野生的な身体性と、予測不能な世界との有機的な対話を永久に失ったという、取り返しのつかない喪失の物語である。

自由は法によって管理され、冒険はカタログの中の消費へと形を変えた。

地平線が地図上の座標へと完全に解体されたとき、アメリカは「未知の荒野」を失う代わりに、二度と引き返せない「近代」という名の舗装道路を手に入れたのである。

【西部開拓時代末期の雑学:文明が残した爪痕】

  1. 「郵便局」が村の心臓になった日:RFD(地方無料配達制度)の導入により、それまで孤立していた牧場主たちも、毎日届く新聞やカタログを通じて「全米共通の話題」を手に入れるようになった。これは、地域の独自文化が中央の文化に飲み込まれていくプロセスの始まりであった。

  2. 「野生」の博物館化:1916年に国立公園局(NPS)が設立された際、その目的は「風景と野生動物を損なうことなく、人々の享受のために保護すること」とされた。これは自然が資源から消費される景観へ完全に移行した瞬間であった。

  3. 実務から興行へ、ロデオの誕生:1910年代、牧場での実務としてのカウボーイの技術が不要になる一方で、その技術を見せ物とする「ロデオ」が興行として確立された。かつての「生きるための技術」は、近代的な観客が消費するための「娯楽」へとパッケージ化され、虚構としてのカウボーイ神話が再生産され始めた。

  4. カタログによる「標準的な家」:シアーズ・ローバックのカタログでは、家具だけでなく「住宅のキット」までもが販売されていた。これにより、西部の荒野に東部と同じスタイルの家が建ち並び始め、建築の地域性までもが失われていった。


参考文献

フレデリック・ジャクソン・ターナー『アメリカ歴史におけるフロンティア』 / ロバート・V・ハイン『アメリカ西部の歴史』 / ヘンリー・フォード『わが人生と事業』 / 1890年アメリカ国勢調査報告書 / 1910年アメリカ農務省統計資料 / セオドア・ルーズベルト『わが狩猟の記』 / ウィリアム・W・サベージ『カウボーイの神話』 / シアーズ・ローバック社カタログ復刻版(1900年代) / ジョン・ミューア『国立公園の叙事詩』

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