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手話の世界を、これまでにない視点で考察する“手話ラボ”へようこそ!
音楽好きの私がたどり着いたのは、“手話そのもの” を知る事よりも
“手話をやっている人の気持ちや感情” を紐解く研究でした。
言語という枠だけでは語りきれない、手話の “もうひとつの姿”。
手の動きに宿る “伝える力”を、音楽と心理学のまなざしで見つめています。
ここではきっと、「それ、私も感じてた」と思わずこぼれるような
“モヤモヤ” を、そっと言語化しています。

努力より “ 目立つこと ” が評価されてしまう「手話の世界の矛盾」について

手話を学んできた人の話を聞くと、胸が痛くなる瞬間があります。

それは、真面目に学ぶほど報われない構造がある という現実です。

私は、音楽が入口で手話歌に関わるようになりました。
もともと、言語や語学としての “ 手話そのもの ”
(=ろう者さんと対話するための手話)を
「極めたい」と思って活動してきたわけではなく、
手話に関わる人たちとも、自分の活動の中で出会ってきたという立場です。

だからこそ、活動の中で手話に携わる人たちと関わるうちに、
手話の世界の構造 や、聴者がなぜ手話に踏み出しにくいのかといった、
外側にいるからこそ見えてくる視点 や 課題 が自然と蓄積されていきました。

手話が社会の中でどう見えているのか、
手話民の価値観 と 聴者の距離感の “ あいだ ” に何があるのか
を、
継続的に分析してきました。
たぶん、この距離感で、手話の世界の構造を俯瞰して見続けている人は
多くないのではないかと自負しています。

その視点で、今回の構造の話を書いています。


1. 真面目に学ぶほど報われない!「手話資格の構造」

手話の世界には、
“ 資格を取るまで 手話で収益を得てはいけない ”
という文化 ・ 制度が根強く残っています。

特に自治体が関わるルートでは、

  • 手話奉仕員は無償ボランティアが前提

  • 自治体登録通訳者は営利活動に制限がある

  • 国家資格の手話通訳士も、自治体登録通訳者と兼務する場合は自治体規定に縛られる

という “ 制度 + 文化 ” の二重構造が存在します。

つまり、

資格を取るまで稼げない。
資格を取っても、制度上の制限が残る。

という状況が生まれているのです。

一方で、公的ルートを通っていない人が
手話を使ったイベント出演 や ステージ演出、
SNS(TikTok ・ Instagram ・ YouTube)での発信など、
“ 手話で目立つ ” ことを目的とした活動で収益を得ている現実 があります。

その手話が必ずしも
ネイティブの正確な手話であるとは限らないのに、です。

これは、真面目に学んできた人ほど
「どうして?」と感じてしまう大きな矛盾です。


2. 「教える人」が育成されない構造

公的に “ 教えられる人 ” は少ないが、非正規ルートは増えている

手話を教えられるのは基本的に、

1. DEAF ・ 難聴 ・ CODA などの当事者
2. もしくは、長年の努力で資格を取った人

このどちらかです。

つまり、公的に認められた “ 教えられる人 ” の母数は極端に少ない。

一方で、公的ルートを通らずに
“ 手話を教える ・ 手話で収益化する ” 人は実際には増えています。

良い悪いではなく、
「公的ルートは制限が多く、非正規ルートは自由」
という構造が存在しているのです。

私は以前、
「手話が国語 や 英語のように義務教育に入ったらいいのに」
と思っていました。

しかし現実には、

・誰が教えるのか
・どのレベルの手話を教えるのか
・教員・教師 側に手話の知識がない場合どうするのか

といった課題が山積みで、
制度として整えるにはまだ遠い道のりがあります。


3. 努力より “ 目立つこと ” が評価される構造

公的ルートを通らない人ほど自由に稼げてしまう矛盾

手話の世界を俯瞰して見ると、
公的ルートで学んでいる人ほど制限が多く、
公的ルートを通っていない人ほど自由に収益化できてしまう

という逆転現象があります。

● 正確な手話を学んできた人 → 制限が多い
“ 手話っぽさ ” で注目を集められる人 → 収益化できる

この構造は、真面目に学んできた人にとって
非常に理不尽に映ります。

手話の文化的背景 や 正確性よりも、
“ 見栄え ” や “ 話題性 ” が優先されてしまう
場面も多く、
努力が評価されにくい状況が生まれています。


4. 手話は “ 魅力的に見えにくい ” という現実

手話民の中だけで盛り上がっても、外の世界は動きにくい

手話に縁のない聴者にとって、手話は決して「無関心」ではありません。
ただ、日常生活の中で触れる機会がほとんどなく、
自分の生活圏から遠いものとして認識されている だけです。

だから、手話表現を見ても、

「(珍しい ・ 難しそうな手話ができて)すごいね」

と感じるところまでは届くのですが、
そこから “ 自分もやってみよう ” という行動にまでつながりにくい。

これは手話民を否定したいわけではなく、
聴者側の “ 心理的距離 ” の問題 です。


5. 「手話」と冠をつけると聴者が寄ってこない

一方で「手話歌」とつけると手話民から敬遠される

活動名に「手話」とつけていた時期があります。
しかしそこで気づいたのは、

・聴者は「手話」とあるだけで、自分とは関係のない世界だと思ってしまう
・興味の外側にあるため、そもそもアンテナに引っかからない

という構造でした。

逆に、教育関係の方々は「手話」という言葉に反応しますが、

「手話を教える活動ですか?」
「手話を覚える授業ですか?」 と誤解されることが多く、

本来の目的が伝わりにくい という別の壁が生まれます。

私が行っているのは、“ 手話そのもの ” を教える活動ではありません。
手話 や 手話歌を「ツール」として使っている立場です。
(“ 手話そのもの ” = ろう者さんと対話するための手話言語を教えるのは、
本来は手話ネイティブさんの専門領域だと思っています。)

私の役割は、

・音楽を耳で聴くものから、心で感じるものへ
・聞こえない世界を想像する入口をつくる
・多様な感じ方があることを子どもたちに伝える

こうした目的のために、手話 や 手話歌を使うことです。

だから私は、手話言語そのものを教える立場とは別の役割を担っています。


6. 手話人口が増えにくいのは、構造的な理由があると感じています。

手話に日常的に触れている人ほど、自分たちの世界の感覚を
そのまま社会全体に当てはめてしまいがちで、
実際の距離感とのズレが生まれているように見えます。

手話に接点のない多くの聴者にとっては、
手話は生活の中で触れる機会がほとんどなく、
“ 自分の世界から遠いもの ” として認識されているのが現実です。

さらに、手話を広めたいと言いながら、
初心者の不完全な手話を許さなかったり、
聴者の入口になりやすい手話歌を否定したりと、
結果的に新しい人が入りにくい構造
を自ら作ってしまっている場面もあります。

もし本当に「手話人口を増やしたい」「手話通訳者が足りない」と考えるのであれば、
こうした構造そのものを見直さない限り、
入口は広がらないのではないか——
外側から見ている立場として、そう感じています。

過去の関連記事
楽しいはずの手話が苦しくなる理由|


最後に

ちゃんと学んできた人が、少しでも報われる場があれば

公的ルートの人ほど収益化できず、
非正規ルートの人ほど自由に稼げてしまう。

そのうえで
「ろう者にも伝わる正しい手話をやれ」と言われても、
それがどれほど難しいことか。

この構造の中で、
真面目に学んできた人がしんどくなるのは当然だと思っています。

だから私は、
ちゃんと学んできた人が、少しでも収益になる経験を持てる場があればいい
と考えています。

※この記事は、約3年前に書いた記事をわかりやすく再構成したものです。
手話の世界、それってヤバ。と思った話。この話題はタブーかもしれない1
手話の世界、それってヤバ。と思った話。この話題はタブーかもしれない2
手話の世界、それってヤバ。と思った話。この話題はタブーかもしれない3

手話に関する ≪求人≫ のお話

大きなことはできないけれど、
今回いただいた助成金を使って、
「学んできた手話が、はじめて収益になった」
という小さな一歩をつくれたらと。

私の方で助けていただきたい「手」はたくさんあります。
そのまんま、「猫の手も借りたい」状況です。
今後、求人情報も投稿していこうと思っていますが、それも
「少しでもその手が誰かのチカラに、収益になったという実績になれば!」
という思いから生まれた取り組みです。

※ ≪オマケの話≫
私たちのチーム名「ハニポ」とは ➡ HoneyPaw の略、
Pawは「猫の前足」という意味です♪ 
ハンドや手というワードを使わずに、手のことを表したくてつけた名前です

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