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あの場所は、どこへ行ったのか──新聞奨学生として生きた記憶

📢本編について
この作品は、私自身が30年ほど前に経験した、新聞奨学生としての体験をもとに制作したものです。
映像のなかで描かれているのは、あくまで「私が過ごしたある新聞販売店での体験」であり、すべての新聞販売店や奨学生制度を一括りに語るものではありません。
今の制度や環境とは異なる部分も当然にありますし、当時においても、もっと健全で恵まれた環境で奨学生としての生活を送った方々もいると思います。
また、この映像は、制度の正当化や過酷な労働環境を肯定するものではありません。
ではなぜ、いまこの記憶を作品として残そうと思ったのか。
それは、「あそこに居たような人たちは、いまどこにいったのか?」という問いが、自分のなかで、ずっと消えなかったからです。
これは社会全体にとっても見過ごされがちな“隙間”だと思っています。
あの場所で、懸命に生きようとしていた人たちが確かにいた──
その事実を、記憶として残しておきたかった。
そんな想いから、この映像を作りました。
ご覧いただく際には、その前提を少しだけ留めていただければ幸いです。

🔗 ショートクリップ(本編は巻末)

こんにちは、Bell noteです。

今回、YouTubeに公開したばかりのAIで綴ったドキュメンタリー作品について、少しご紹介させてください。
テーマは──新聞奨学生制度です。


🖋書ききれなかった“何か”を、もう一度

このテーマについては、これまでにも何度かnoteで書いてきました。
でも、どの記事を書き終えても、心の奥にどこかモヤモヤが残っていて……。

「まだ書ききれていない」
そんな感覚がずっとつきまとっていました。

当時の空気感、言葉にできなかった想いの断片。
それらをすくいきれていないような、どこか“ピースが欠けたまま”の感じがあったんです。


🖋未完成だった原稿が、映像になった

実は少し前、そんな思いをもとに書きかけていた原稿がありました。
でも途中で筆が止まり、それっきりになっていたものです。

今回の映像作品は、そこからもう一度向き合い直して、
ナレーション原稿として新たに組み立て直したものになります。


🖋タイトルに込めた思い

タイトルは──
『映像のメモリーズスペシャル|ブラック労働の排除がもたらす、行き場の喪失』

少し悩みながらも、この言葉に落ち着きました。

でも、伝えたいテーマは最初からはっきりしていました。

それは──
「新聞奨学生制度」という、いま静かに姿を消えるかもしれない仕組みを、かつてその中にいた“当事者”として、もう一度見つめ直してみようという試みです。


🖋私もかつて、新聞奨学生として暮らしていました。

住んでいたのは、新聞販売店の二階。
古びた木造の建物で、仕切りだけの小さな部屋に寝泊まりしながら、毎日働いて、通学していました。

新聞奨学生の生活は──正直、生半可な言葉では言い表せません。
まだまだ夜が明けない深夜に起き、雨でも雪でも新聞を配り、学校へ通い、夕方からはまた、配達へ。
帰れば販売店の雑務や、共同生活の緊張が待っている。

食事も、睡眠も、まともに取れない日がありました。
疲労と孤独と不安が、じわじわと身体を蝕んでいくような、そんな日々でした。

それでも──
あの制度がなければ、私は学校に行くこともできなかった。
学費も生活費もまかなえたからこそ、借金を背負うことなく卒業できた。

だからといって、あの環境が“良かった”とは到底言い切れません。
強くなれた部分はあったとしても、途中で折れてしまった仲間がいたことも、忘れてはいけないと思っています。

そして今──
新聞離れ、メディアの多様化、労働環境の見直しにより、
新聞販売店自体が少しずつ消え、制度そのものも縮小を余儀なくされています。

もちろん、それは時代の流れです。
私も、働く環境は“まっとう”であるべきだと、心から思っています。

でも──
ふと考えるのです。

「あの制度にすがるしかなかった人たちは、
 今、どこで、どう生きているのか?」

この映像作品は、そんな問いから始まりました。


🖋この動画では、私自身の体験も重ねながら、制度の「影」に目を向けました。

そして、そこに関わっていた人たち──

新聞奨学生だった若者たちだけでなく、新聞販売店という、ある種“閉じた世界”の中だからこそ生きてこられた、社会の端っこに、なんとか爪をかけていたような、傷を抱えた大人たちの存在にも、できるかぎり心を寄せて描きました。

あの世界には、「普通」の就職先では働けなかった人たちも少なくありませんでした。
そういった人たちも、本当の闇に落ちないために、社会のどこかに居場所が必要でした。

社会と関わりながら、生きる場所です。

──そんな人たちが、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたひとつの場所が、あの販売店だったかもしれません。

映像のトーンは、全体的に静かで、やや暗めかもしれません。

華やかさはありませんが、その分、そこに流れる想いや葛藤は、決して軽いものではありません。

このままだと、制度はきっと、やがて静かに消えていくかもしれません。

それもまた、時代の流れとして受け止めるしかないのかもしれません。

でも──

その制度の中で、「生きようとしていた人」が、たしかにいたこと。

そして、その人たちの存在があったからこそ、かろうじて回っていた現場があったこと。

そのことだけは、ちゃんと覚えておきたかったのです。

そして未来に向け、もし、別のかたちででも──

そうした人たちが、もう一度どこかで「居場所」を得られるような仕組みを、社会のどこかに残せるとしたら。

それが、この作品に込めた、私なりのささやかな願いでもあります。


🎥 本編はこちら

※この背景には、以前に書いた下記のnoteもあります。合わせてお読みいただけたら、今回の映像への理解がより深まるかもしれません。

ここまでお読みくださってありがとうございました。

コメントやご感想など、お気軽にお寄せいただけたら嬉しいです。


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