【敬意の書棚】🐼ひろ(Hiro)——「おもしろき こともなき世を おもしろく」
人には、それぞれ「文章の呼吸」というものがあります。
説明が先に来る人もいれば、感情が先に来る人もいる。
結論へ向かって真っ直ぐ進む人もいれば、途中で何度も脇道へ逸れていく人もいる。
ひろさんの文章は、よく横滑りします。

例えば、副業の話をしていたはずなのに、気づけばパチンコの回想になっている。
返済の記録を書いていたはずなのに、途中から「遊タイム機の天井ストッパー」の話が始まる。
そして最後に、本人がこう締めるのです。
「また副業の話にたどり着けませんでした(笑)」
この“横滑り”が、妙に心地いいのです。
2025年8月1日。
ひろさんはnoteに最初の記事を投稿しました。
副業収益74円。
フォロワー0人。
普通なら、もう少し格好をつけると思います。
自己紹介から始めるとか、得意分野を書くとか、「これから頑張ります」と前向きに整えるとか。
けれど、ひろさんの文章には最初から「整える」という発想があまりありません。
あるのは、「いま実際にそうなっている」という感覚だけです。
その出発点には、人生の重心がずれた時期が背景にありました。
詳細はひろさん自身の記事に譲りますが、抱えているものの重さと、手の中にあるものの軽さ。その対比が、最初期の記事にはそのまま刻まれていました。
18歳からパチンコを打ち続け、48歳でnoteを始めた。
「知識ない、スキルない、pcない、髪ない、金ない」
この一文を見たとき、少し驚きました。
普通、人は“欠けている部分”を少しは隠そうとします。
けれど、ひろさんは最初から並べてしまう。
しかも、それを悲壮感ではなく、どこか笑い話の温度で書くのです。
記事を出した翌日には、
「まだ、だーれも読んでない(笑)」
と書いていた。
フォロー通知が来て「おおー!」と思ったら、それは自分が他の人をフォローしていただけだった——という話も、そのまま記事にしていた。
「フォロワーとフォローの区別もつかないおじちゃんです」
そんなふうに書きながら、誰も読んでいない場所で、誰かに向けて書き続けていた。
その頃の記事に、数少ない読者としてスキを押していた人がいます。
まきさん、という方です。
後にその人は、ひろさんの記事の中で「タカーズ事務所」のマネージャー役になり、密室殺人事件の容疑者にされ、笹を没収すると怒る役を担うことになります。
人間関係の起点というのは、案外こういう地味な場所にあるものです。
ひろさんは、食肉卸売業を15年続けてきた営業マンでもあります。
その経歴が、不意に文章の中で顔を出します。
たとえば、コメント欄の流れから生まれた架空アイドルグループ「モツガキ隊」。
ミノ。
ハチノス。
センマイ。
ギアラ。
単なる語感だけでは出てこない内臓部位が、妙に正確に並ぶ。
くだらない。
でも、本物の知識があるから成立している。
こういう瞬間に、その人が長く生きてきた時間が見える気がします。
モツガキ隊のデビュー曲は、Sunoを使って実際に制作されていました。
シブガキ隊の「寿司くいねぇ」のパロディで、タイトルは「モツ食いねぇ!」。
「若い人たちは知らないだろうな」
と自分でツッコミを入れながら、それでも全力で作っている。
知識も、経験も、手間も、全部「くだらないこと」に投入する。
ひろさんの文章には、時々そういう妙な贅沢さがあります。
ひろさんの記事の中に、「密室殺人シリーズ」があります。
「タカーズ事務所」という架空の組織を舞台に、パンツ社長が謎の死を遂げ、ヒロ&トモという名探偵コンビが捜査に乗り出す。3話完結の物語です。
展開はむちゃくちゃです。
登場人物は全員どこかズレていて、犯人がゴキブリという回まである。
お題は「400note祭り」でした。
ひろさんはそのお題に、ただ乗っかるのではなく、何かを仕込んでいました。具体的に何をどう設計したのかは、ぜひ本人の記事で確かめてほしいのですが、読み終えたあとで「あ、そういうことか」と気づく仕掛けがあります。
こういう細かいことをしているのに、本人は「くだらない話です」というハッシュタグで出している。
ひろさんのnoteには、こういう構造が繰り返し出てきます。
丁寧に作られているものほど、「どうでもいい話」の顔をして置かれているのです。
フォロワーを増やすための実験を記事にしたこともあります。
30人にフォロー&スキを実施し、さらに20人、最終的には100人——という計画を立て、その経過を全部公開していた。
「フォローバックって言葉も今回初めて知りました」
「相互フォローとの区別がつきませんでした」
同じことをやっているアカウントは、たぶん他にもあります。
違うのは、全部バラしていたことです。
失敗も含めて実況中継しながら、1週間後には静かにこう書いていました。
「フォロワーが少し増えてきても、フォローバックの方も多く、私の記事に興味ある方は少ない」
その頃、副業収益の74円は、まだ動いていませんでした。
けれど、コメント欄には少しずつ人が増えていった。
数字ではなく、先に“いつもの顔ぶれ”が育っていったのです。
ひろさんのnoteには、時々「えっ」と思う記事があります。
母の日に、父親と息子だけでコロッケを作った話。
妻がゆっくりできるよう、自分たちだけで料理と片付けをやる——そう宣言したのに、子供たちは次々と外出し、気づけばほとんど一人で作業していた。
衣をつける頃には戻ってくる。
たぶん帰ってくる。
そう思いながら、ひとりで20個のコロッケを丸め続けた。
そのうちの一つを、ハート型に作った。
でも、渡す勇気が出なかった。
結局そのハート型を、自分で食べた。

「まさかこのハート型を自分が食べる羽目になるとは」
笑える。
でも、少しだけ切ない。
ひろさんの記事には、時々こういう瞬間があります。
冗談の顔をしたまま、生活の温度がふっと見える瞬間です。
以前、ひろさんはChatGPTに「AIから見た自分の印象」を聞いたことがあるそうです。
返ってきたのは、
「少し影がある。でもそれが暗さじゃなくて、物語を持ってる人の影」
という言葉でした。
それに対して本人は、
「大正解!」
と笑いながら、まったく似ていないAI生成画像を貼ってボケていた。
たぶん、こういうところなのだと思います。
深刻さを、深刻なまま出さない。
でも、完全には消さない。
ひろさんのnoteには、いつも似た顔ぶれが集まっています。
まきさん。
みーちゃん。
たかっちくん。
この人たちの多くは、記事の中でキャラクターとして登場します。
マネージャーになったり、名探偵の助手になったり、密室殺人の容疑者にされたり。
フィクションの中に実在の人間が入り込み、そのやり取り自体がまた次の記事になっていく。
noteの上に、小さな世界が育っていました。
わたしも時折、ひろさんの記事に立ち寄ります。
そのたびに、ひろさんもこちらの創作物を見に来てくれている。
何かを長く語るわけではない。
ただ、静かにスキを押して帰っていく。
そういう往来が、ずっと続いています。
派手に伸びたわけではありません。
コングラボードも、まだ一度もないそうです。
それでも、
「1年間絶対もらわないでやる」
と、変な方向に意地を燃やしている。
創作大賞にも挑戦していました。
応募方法を間違えたまま投稿し、コメント欄で指摘され、次の記事で「正しいやり方がわかった」と書いていた。
「大賞を取った暁には、賞金10万円でみんなとオフ会をパーーー!とやりましょう!」
そう宣言しながら、
「開催地は中国になります。お店は動物園で笹パーティーです」
と続ける。
笑える。
でも、挑戦そのものは、たぶん本気です。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
高杉晋作の句として知られるこの言葉には、続きがあります。
「住みなすものは心なりけり」
世の中そのものが面白いかどうかではなく、どう生きるかの側に重心がある——そんな下の句です。
ひろさんがこの句を座右の銘として挙げたとき、それは不思議と自然に見えました。
副業収益が74円のまま何ヶ月も続いても。
誰も読んでいない場所で書き続けても。
コングラボードが来なくても。
フォロワーが増えなくても。
それでも、noteの中に少しずつ人が集まり、小さな世界が育っていった。
ひろさんの記事を読んでいると、時々この続きを思い出します。
おもしろくするもしないも、心次第——。
その心が、どこかから人を引き寄せている気がするのです。
【付記】
この記事は、ひろさんの公開記事をあちこち辿りながら書きました。
読んでいるうちに、中身より先に、ひろさんとコメント欄の顔ぶれを覚えてしまった。
そういうnoteでした。
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