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日曜日の不協和音

うすのろ日記 2026.4.12(日) dissonance


私は当たり障りのない会話が苦手なのかもしれない。
もちろん誰かに出会って「こんにちは、暖かくなってきましたね」「気持ちいいお天気ですね」くらいの挨拶は常識的なコミニケーションとして全然平気であるが、その先にまで話を広げたがる方がいると逃げたくなってしまう。

お昼過ぎ、近所の公園にある『のだふじ』はもう咲いたかなと思って、ちょっと覗きに行った。
もう少ししたら咲きそうな気配はあるが、まだ咲いてなかった。
暖かいお天気で気持ちがいいので、藤棚の下のベンチに座ってグラウンドで草野球をしている人たちをぼんやり眺めていたら、隣に女性が座ってきて「こんにちは、暖かくていいお天気で気持ちいいですね」と話しかけられた。
まったく知らない人なのでちょっと警戒した。
宗教の勧誘かもしれない...とか、数秒の間に考えながら「そうですね〜」と応えたら、その方はどんどん話しをし始めた。
公園の近所のマンションに住んでること、そこに住み始めてまる3年になること、高校生の娘がいること、その娘が生意気で困っていること、パートの仕事をしているけど今日は休みだということ…そんなことを延々と。
まぁどれもこれも当たり障りのない話である。
私は「へぇ〜」「はぁ」「そうなんですか」を駆使して相槌を打っていく。
相手は、私の返答にはお構いなしに話し続けていく。
だんだん私はその場から逃げたくなってくる。

誰かと知り合いになるときは、まず初対面からということになるのだが、やはりそれには大人としてのなんというか、プロセスみたいなものが存在するように思う。
どういう人なのかな?、自分との共通点はなにかな?、冗談はどこまで通じる人なのかな?とか、考えながら話が進んでいくものだと思っている。
「こんにちは、いいお天気ですね」まではきっかけとして必要だと思うが、その後は、そのプロセスを考えながらの会話となるのではないだろうか。
子供の時は「一緒に遊ぼうよ」「うん、遊ぼう」だけで友達になったりするが、大人になると、それぞれ長い人生を歩いてきた経験からそれだけではない、相手への配慮みたいなものが必要になってくるように思うのだ。

結局、その人は当たり障りのない話を永遠として、私が「そろそろ帰る時間なので」と言って立ち上がると「それじゃ、また」と笑ってらした。
悪い人ではないと思う。宗教の勧誘でもない。
でも、何となく苦手な人である。

ご近所に住んでると言っていたから、またどこかで会うかもしれない。
その時は何と言おうか…などと考えながら帰り道を歩いた。
桜の花びらが地面に茶色くなって溜まっていた。
行き交う人たちは平気で踏みつけていく。
昨日まで「桜咲いた、綺麗だ、綺麗だ」と言っていて人たちだ。
ちやほやされる時期を過ぎると、誰も見向きもしないんだな。
そういえば、枯れた花にもうひと花咲かせようと枯れた草花ばかりを集めてリースを作っている人がいた。
誰だったかなと歩きながら考えたけど思い出せなかった。

帰宅してからも1時間ほど思い出そうとしたけど、思い出せなかった。
悔しい。




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イトカズ 読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。