生きる意味を見つけた日
小学生の頃から希死観念があった私にとって、生きることは容易でない。
自宅から車で30分ほどの場所で小さな店を経営していた両親は、週末になると決まって私を祖母の家に預けた。
私には弟と妹もいるが、預けられるのはいつもなぜか私だけだった。
小さな2Kの古い木造アパート。腰の曲がった祖母と二人きり。
「年の差婚だった」という祖父は、
私が2歳の頃すでに亡くなっており、
一緒に住んでいた叔母も数年前に結婚して以来、
祖母は一人暮らしをしていた。
缶詰工場でのパートで生計を立てていた祖母は
余裕のある暮らしぶりとは言えなかった。
それでも工夫してご飯やおやつを食べさせてくれた。
味噌汁やご飯に祖母の白髪が混じっていることがあったが、
咎めたことはない。
目の前に小さな公園があり、ひとりで遊ぶ。遊び相手はいないのだ。
「今日はアイスクリームケーキを作ろう」などとテーマを決めて過ごす。
叔母にもらった「ちびまるこちゃん」の単行本のセットを何度も繰り返し読む(何巻のどのページにどんなセリフが書いていたか暗記するほどだ。
ちびまるこちゃんを読んで家族とはどんなものか、クラスメートとはどんな風に話せばよいのかを学んだ)。
それらがルーティーンだ。
祖母は多弁ではない。
アパートでの時間はいつも静かだった。
私が少しでも暇そうにしていると、すかさず「食べろ」とお菓子を差し出してくる。
話すきっかけを探していたのだろうか。
一カ月に一度ほど、祖母がスーパーや商店街に連れ出してくれたりもした。
商店街で私が行くのは決まって文房具屋だ。
目的はシールを買うこと。
もちろんシールは好きだが、理由はそれだけではない。
当時シール集めや交換が流行っていて(年代がばれますね)、
同級生との会話に私が唯一参加できる手段だったのだ
(休み明けに学校に行くと「週末は家族で〇〇に行った」などと話すものだが、私にはその経験がない)。
好きでもないキャラクターでも友達と交換するために買った時もある。
祖母から1,000円ほどの小遣いをもらい、
好きなものを選んで買う時間は、
親から1,980円の服すら買ってもらえない私にとって、
選択の自由を与えられるすべてのものであった。
いつしか私は学校で話すことができなくなった。
場面緘黙というのであろうか。
同級生から何か話しかけられても、緊張してしまい、
私は口に手を当て「ふふふ」と笑うことしかできなかった。
「マジで」、「ウケる」、「めっちゃ」などの流行り言葉を口から発するなんてこの上なくハードルが高い。
卒業文集の特集で隣の席の人に質問!というコーナーがあり、
私への質問は「なぜ笑う時に口に手を当てるのか」だった。
回答欄にも「ふふふ」と書いたのは言うまでもない。
そんな毎日だったので、学校にも家にも居場所がなく、誰かと心を通わせる経験をしたことがなかったのです。
そしてあの古いアパートで 決められたルーティンを過ごしていると
なぜかふと「死」について考え始めるのです。
悲しいかな、小学3年生の時にはすでに、人生を終わらせたいと具体的に考えるようになっていました。
私の目の前にいる現在小学4年生の娘は反抗期真っ只中で、自分の親に我儘を言うことができる、元気でかわいらしい、健康な子です。
その子が生まれた時、私の親は言いました。
「おめでとう!世界が変わったように見えるでしょう!」
月並みな表現ですが、その瞬間、私は生きる意味を見つけたのです。
私からつながった小さな命、その時からそれが私の生きる意味となりました。
Dear my daughter, thank you for being born. Welcome to this beautiful new world. Her name, "Sakura," holds the meaning of a beginning.
mana✿
