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第4話:沈黙の残り香(記録No.005)|後編|管理官ニナの記録室|真相の標本箱

はじめに

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本編

【後編:鏡の裏(うら)】

「死体……? 待って、じゃあその音って……」

私は自分の指先が、急に冷たくなったのを感じた。パズルの断片が噛み合うたびに、私が「ただの嫌な雰囲気」だと思い込もうとしていた教室の静けさが、不気味に耳の奥で鳴り響き始めている。

「……質問を続けなさい。あなたが、その『静寂』の本当の重さに気づくまで」

「……壁の向こうの住人は、男に怒られて静かにしたわけじゃない?」

はい

「……音が止まったのは、住人が『殺された』から?」 

はい

心臓が嫌なリズムでドクドクと跳ねる。

なぜだろう。急に、先週の放課後の、あの夕暮れの教室の光景が頭から離れない。

「……男が壁を叩き返したことで、何かが起きたんですか?」

はい。男の叩いた音が、室内にいた『犯人』に発覚の恐れを抱かせたわ」

――あの日。クラスの中心のあの子たちが、教室の隅であの子を囲んで、笑いながら教科書を破り捨てていた。

私は一歩引いた場所で、お揃いのマスコットを触りながら、いつものように「それな」と合わせて笑っていた。

そのとき、あの子が、私をじっと見つめた。

あの子の口元は凍りついたように動いていなかった。

なのに、私を見つめるあの絶望的な目の奥が、今になって、まざまざと脳裏にフラッシュバックする。

(……助けて)

あの子の目が、確かにそう叫んでいた。

「……壁の向こうの音は、閉じ込められていた被害者が必死に送っていた、SOSの合図だった……?」 

はい。……答えを、どうぞ」

【真相の標本】
「【正解】は……壁の向こうの音は監禁されていた被害者のSOSであり、男が壁を叩き返して抗議したせいで犯人に発覚を恐れさせ、被害者は殺されてしまったから……」

自分の口から出た答えが、あまりにも静かに、すとんと腑に落ちた。

「最悪……。その女の人、必死で助けを求めてたのに。ただの騒音だと思って汲み取れないなんて、この男最低。本当に信じられない」

私は男の愚かさを軽蔑するように、吐き捨てた。

しかし、ニナはゆっくりと立ち上がり、白手袋をはめた指先で、私の胸元を冷たく指差した。

「……本当にそうね。あなたと、まったく一緒」

「え……? 何言ってるの、私はそんなひどいこと――」

「あの子は、手を伸ばせば届く距離にいたあなたに、『助けて』と目で訴えていた。……けれど、あなたはそれを見て見ぬふりをした。」

ニナの翡翠色の瞳が、私の記憶の底を冷酷に暴いていく。

「それは……! だってしょうがないじゃん! あそこで私が助けたら、次は私がハブられるんだよ!? 私は何もしてない! 教科書を破ったのも、悪口を言ったのも私じゃない! 殴ってもないのに、なんで私が責められなきゃいけないの!?」

私は立ち上がり、真っ白なテーブルを激しく叩いた。

おとなしい女子高生の仮面は、もうどこにもない。剥き出しになった醜い保身の悲鳴が、部屋中に響き渡る。

「……そう。あの子は翌日、自宅で自ら命を絶った。そしてあなたの教室には、完璧な『静寂』が訪れたわ」

ニナは感情のない手つきで、腰の鍵束をそっと指先でなぞった。

「あなたが感じている『ざわつき』。それは、あの子への罪悪感なんかじゃない。あの子の遺書や日記に、あなたの名前が『見て見ぬふりをした冷酷な人間』として書かれているんじゃないかっていう、自分のための焦燥よ。……どこまでも醜い、傍観者という名の怪物」

「違う! 私は悪くない! 私は何もしてないんだから!!」 

私は耳を塞ぎ、狂ったように叫んだ。

これ以上、この少女の前にいたら、自分のすべてがバラバラに引き裂かれてしまう。

「嫌だ……、嫌だっ!」

私はスクールバッグを置いたまま、振り返ることもせず、真っ白な扉を押し開けて部屋を飛び出した。

自分の汚い靴音に追いかけられるようにして、どこまでも続く廊下を、ただ必死に逃げ続けた。

【エピローグ:管理官ニナの記録】

相談者が去った後の部屋には、いつも通りの静寂が戻った。

床には、彼女が忘れていった「学校のスクールバッグ」が一つ。

お揃いの派手なマスコットが、今はひどく虚しく転がっている。

私はそれを拾い上げ、中身も確認せずに近くのゴミ箱へ落とした。

今の彼女にはもう、普通の学生を演じる資格なんてない。

腰の鍵束が、チャリ……と静かに鳴る。

けれど、今回は引き出しの鍵を開けることはしなかった。

「……編集長。今日の標本は、文字にする価値すらない、ただの空っぽな『ひび割れ』だったわね」 

私は独りごちながら、冷めた紅茶を一口含んだ。

彼女はここから逃げ出した。けれど、現実の学校からも、警察の手からも、そして何より「自分の名前が遺書にあるかもしれない」という終わりのない恐怖からも、一生逃げることはできない。

生きたままその焦燥に身を焼き尽くされることこそが、彼女にふさわしい檻。 

「薫(かおる)」という、馨しい名を持ちながら、彼女が選んだのは、あの子の命を消すための、冷酷な「沈黙(ラベンダー)」。

その毒の味は、どんな冷めた紅茶よりも、私の喉をザラつかせる。

チャリ……。 

私は空の標本箱を閉じた。

記録No.005。静寂に燻る焦燥と、ただ怯えながら生き続ける傍観者の記録。

「さて……次は、どんな不幸が、この扉を叩くかしら」


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