世紀末物理学
烈火の体重は二百キログラムを超えている。これは無論、恵まれた体格と凄まじい筋肉密度によるものであったが――しかし、常人の数千倍とも数万倍とも思われる身体能力に比べれば、ごく常識的な範疇の数字である。このため、普通に全力を出して行動すると、ちょっとした動作で体がぽーんと上空に打ち上げられてしまうはずなのだ。たとえば走り出そうとして一歩足を踏みしめ、地面を蹴ると、もうそれだけで体が空の彼方まで舞い上がってしまう。物理学的に考えて、それ以外の結果にはならない。圧倒的な身体能力に比べて、体重が軽すぎるのだ。
だが――世紀末伝承者たちはごく普通に走り、踏み込み、地面からの反動を拳に乗せて一撃を放つことができている。日常生活でも、ちょっとしたはずみで大ジャンプしてしまって困る、などということはない。
これはなぜなのか。烈火は真面目に考えたことなど一度もないし、烈火の世界の住民たちも誰一人としてこの不可解な物理矛盾を考察することなどなかった。そして、そのことの不自然さに気付く者すらいなかったのだ。とにかく不可解なダウンフォースが適時発生して、世紀末伝承者の行動をアシストしていると考えるほかない。
そう――不可解なダウンフォース。あくまで地面に押し付ける謎の力が働いているだけで、烈火の肉体の質量そのものは一貫して二百キロのままなのである。このため、停止状態の烈火は、攻撃によって体勢を崩すことが普通にありうる。
たとえば、足払い。たとえば、攻撃動作の始まりに一撃加えて勢いを削ぐ。たとえば、烈火の勢いを利用したカウンター攻撃。
これらさまざまな手管を、中二暗黒剣士は瞬時に判断して実行。烈火の行動を最大限阻害しにかかる。
そこへボスオークくんの一撃である。
補助役と攻撃役を分担して、巧みに連携しているのだった。
「うっっっっっぜえよテメェらァァァァァァァァッッ!!!!」
だが、この時点でも烈火は自分が敗けるなどとはまったく考えていなかった。
ボスオークくんの渾身の一撃すら、自分からすれば所詮小パン一発程度の威力しかないのだ。こんなペースで戦闘を続けても、先にへばるのは確実に敵側である。
そう――思っていたのだが。
「……なるほど。もう読めた」
中二暗黒剣士はそんなことをのたまった。
「威力も速力も耐久力も、超一流などと言う表現を遥かに超える域にあるが――私にとって貴様は脅威足りえない」
「あァ? 俺様にまともなダメージひとつ与えらんねえモヤシくんがなんか言ってんなァ、おい?」
「では、お見せしようか。腐食の瘴気は幽鬼王たるこの身に備わった力だ。我が神統器、〈黒き宿命の吟じ手〉に宿れる力は別にある」
そして――構えを変えた。
半身になり、手首を返し、四指を上に、親指を下にした握りで、切っ先を烈火に向けてくる。
「行動を許す。好きに仕掛けるがいい」
顎をしゃくって促してくる。
普通であれば「なんか罠かも」とか言って警戒するところであるが、生憎烈火にそんな知性はなかった。
「おのぞみどおりゃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
爆速踏み込み! 爆速正拳!
暗黒剣士が動く様子は、ない!!
掲げられた暗黒剣と、天文学的威力を秘めた烈火の正拳が交錯――
――瞬間。
「あ……?」
烈火の肉体が、止まった。
何の脈絡もなく、攻撃動作の途中で静止したのだ。
烈火が自発的に止まったわけではない。そもそも踏み込みの脚が地面にめり込む直前での停止である。止まろうとして止まれるものではない。
そのまま、不自然な片足立ちゆえにバランスを崩す烈火。
「うわっとっと」
たたらを踏んで姿勢を回復。
そこで、変化に気付く。暗黒剣がなんかすげー光を帯びているのだ。黒い光、などというあり得ないものが、そこに出現していた。
闇色なのに、眩いのだ。
「ほう……凄まじいな。〈黒き宿命の吟じ手〉がここまで眩い闇を帯びるとは。認めるよ、貴様は人後に絶する戦士だ。貴様以上の者など現れまい」
突き出した暗黒剣がくるりと回転し、手首の力だけで放たれる打突となって烈火の胸板を襲った。
烈火の動体視力でも鮮明ではないほど迅いが、体重移動を伴わない攻撃だ。相手が世紀末伝承者でなくとも、必殺は見込めない雑な操剣である。
「だから貴様は死ぬ」
憐れみさえ混じったその声が耳朶を撫でた瞬間――
烈火の意識は吹き飛ばされた。
何が起こったのかすらわからなかった。
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