すべては、我がために
「しめ縄が……千切れ始めておる。」
王城と森を隔てる境界に、総十郎とリーネと烈火は足を進めていた。
まるで凄まじい負荷のかかった鉄索が、ゆっくりと針金の一本ずつ断裂してゆくかのようだった。
「そ、それは……つまり放っておくといつかは破られる、ということでしょうか?」
リーネは戦慄を込めた目で、それを見ていた。
「オタついてんじゃねーよ今から俺らがラスボスブッ飛ばせば万事解決だっつーの!!!!」
「ぶっ飛ばすという形になるかはわからぬが、まぁ概ねそういうことであるな。そしてリーネどの。最後の戦いにはあなたにもついてきて頂きたいと考えておるが、いかに?」
「わ、わたしですか? その、お役に立てるのでしょうか?」
「あなたの武勇は誰もが認めるところだ。それどころか――恐らく勝利の鍵は、リーネどのであると小生は考えてゐる。」
ぱちくりと眼をしばたかせるリーネ。あまりにも意外な言葉だったようだ。
女王シャラウはすでに札に変えて総十郎の懐に収まっていた。対〈道化師〉の切り札となってもらう。
そして、敵の戦力の詳細を加味して作戦を立てた。
――勝てる。
静かな確信。そこはもはや疑っていない。
問題があるとするならば――殺さずに無力化することが不可能であるという点だ。
「では、レッカどのにソーチャンどの。そしてシュネービッチェン卿。陛下と王国の命運、お預けいたす」
「三人とも、無事に帰ってこなかったら承知しないんだからね!」
ケリオスとシャイファが、全エルフを代表して言った。
二人の後ろには、騎士、平民問わず、大勢のエルフたちがひしめき、固唾を呑んでこちらを見ていた。
「シャイファ殿下……御父君はシャラウ陛下に説得に当たって頂くつもりであるが……十中八九、交渉は決裂すると考えておる。その場合、もはや滅するより他にない。」
「う……」
オブスキュア第二王女の巨きな翡翠の瞳に涙が溜まる。
「何か伝えておきたいことはあるかな? それすら言う暇があるかどうか保証しかねるが……。」
「わ、わたしも……ついていっちゃ、だめ、かな……」
「ならぬ。あなたに万一のことがあった場合、最悪オブスキュア王家は断絶する恐れがある。」
「うぅ……」
「いや別に大丈夫じゃね?」
烈火が耳の穴かっぽじりながら言った。
「大丈夫なわけがなかろう。大切なことだ。」
「いやそーじゃなくて、俺天才だからわかるんだけどさ、中二剣士とスカしたガキがそいつを攻撃するわけねーだろぶっちゃけ。後ろに引っ込んでりゃ邪魔にゃなんねーよ。むしろ中二剣士を揺さぶれる!!!! っべー天才の発想だわ」
「わ、わたしからもお願いしますソーチャンどの。きちんとお別れもできないなんて、哀しすぎる……シャイファ殿下も御父君のことが大好きでしたから……」
「なっ、ばっ、リーネ!!」
「……ケリオスどの。あなたはどう思われる。」
「シャイファ殿下がどこに向かわれようと、拙者は身を挺してお守りする所存である」
総十郎は深く息を吐き、眉間を揉み解した。
「必ず、ご自身の安全を第一に考えること。仮に我らが追い詰められようと、決して助けには入らぬこと。これには弓で攻撃することも含まれる。……守れますかな?」
「わかったわ。これでも王族の責務は理解しているつもりよ」
「……致し方なし。気は進まぬがついてきて頂こう。」
かくして――六名は紅蓮の魔城と化した王都シュペールヴァルクへと向かうのであった。
●
それは、ゆっくりと眼を開けた。
四千年の永きにわたって頭上に蓋をし続けてきた忌々しい森の歪律領域が、今はきれいに消え去っていることを悟った。
――我が使徒は、ことを成したようだ。
絶望と悲嘆をこよなく愛するそれが、思わず最上級の祝福を賜わしてしまうほどに、あの男の魂は甘美な色彩を放っていた。
死と終焉を望む嘆きに目をつけ、これは利用できると確信してから何年経ったか。
それの感覚からすれば、まさしくあっという間の成果である。
――愛いぞ、ギデオン・ダーバーヴィルズ。お前は実に使える奴隷だ。我が寵愛に値する。
嫣然と頬を歪め、棺の蓋に手をかける。絡み付いていた幽骨索は、朽ちた土塊のごとく崩れていった。
水底に巨石が擦れる音が響き渡り、暗黒の太古より封印されてきた深淵の亡者が身をもたげる。
ギデオンのそれに百倍する濃度の瘴気が周囲に広がり、澄んでいた水を瞬時に腐らせた。
ヴォルダガッダの煉獄滅理によって凶暴に変異させられていた水棲生物たちが、あっという間に身を腐らせ、不死者の眷属と化す。
だが、四千年ぶりの自由。もはや体の動かし方など忘れて久しい。
――まぁよい。時間はいくらでもある。
うとましきアウラリスの縛鎖はもうないのだ。ゆっくりと現の肉体の具合を思い出すとしよう。
あの忌々しい女はさすがにこの世にはおるまい。だが、その末裔どもは相も変わらずこの森が何なのかも理解せずに寄生しつづけているようだ。
当然、鏖である。眷属にもしない。最悪の苦痛と絶望をもってアウラリスの継嗣はこの世から抹殺する。
それは腐れて変異した舌で、二つに分かたれた顎をぞろりとなめずった。
――生きるために殺し合う生者どもよ。その執着と苦しみは、ついに終わる。今宵より闇の静寂がこの世を覆うのだ。
声もなく、嗤った。その余波だけで、アンデッド化した魚たちが次々と腐肉を破裂させていった。
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