また、会おう
引力すら感じなかった。
総十郎は、何も意識することなく、ただあるがまま前に踏み出し、ただあるがまま〈終末の咆哮〉の刃に身を捧げようとしている自分に気づいた。
精神を支配されているわけではない。ここで敗れるわけにはいかぬという意志に一片の変化もない。
肉体を支配されているわけではない。四肢は動く。きちんと総十郎の命令に従い続けている。動作に遅滞を感じない。
だが、ここからどう動こうとも最終的にはあの鎌に引き裂かれ、散華する。その確信がある。
軽い足取りで、一歩前に出る。殺されるために。バラバラにされるために。腹から零れだす腸にも構わず。
――図らずも、理外の怪物を生み出してしまったというわけか。
ゆえに総十郎は、この技の本質を即座に推察する。
仏門の救いを曲解し、それを煉獄滅理に乗せて拡げ、万象鏖殺という結果へ至る形而上的引力場を形成する。
正しい意味での「外道」。
そこではあらゆる事象・あらゆる動きが、すべての命を殺し尽くす方向に作用する。自らが行うほんのわずかな体重移動すら、複雑怪奇な因果の果てに総十郎を殺す結果を手繰り寄せる縁起となる。
――だが、まだだ。
縁起とはすなわち仏教の根本原理である。
人は必ず死ぬ。それは確かに真理だが、しかしいつ死ぬか、ということについてこの原理は極めて曖昧である。なにひとつ断言をしない。死ぬまでに百年かかるかもしれないし、十年かかるかもしれないし、一秒かもしれない。
己が判断によって、一秒先の死を回避することとであるだろう。いずれは死に追いつかれるにせよ、その時期を引き延ばすことは通常の体術の範疇で可能である。
――六振りの神統器から繰り出される六手の閃撃は、うち五手が総十郎の回避機動を塞ぐ「檻」で、残る一手が必殺の本命。そのすべてが濃密な鏖殺縁起を帯び、ふらりと当たりに行きそうになる。
これは精神力で抗えるたぐいの引力ではない。恒星の重力を気合で耐えようとするようなものだ。端的に言って無駄である。ゆえに総十郎は自らに許された自由意志の範疇でことを起こした。
「神籟孤影流斬魔剣・龍式参伝――〈心〉。」
するり、と。己の身を光に変換し、機動する絶技。
斬撃の包囲網を、こともなげにやり過ごす。
あり得ざる理不尽に、ヴォルダガッダの目が真円に見開かれる。たとえ光速であろうと、特異点と化すほどの重力から逃れられる道理がない。ヴォルダガッダの放った鏖義は、総十郎ですら生まれて初めて目の当たりにする、真正の、空前絶後の、字義通りの「必殺技」である。煉獄滅理までもが乗る刃は、恐らく烈火にすら致命打を与えうる。
本来であれば、だ。
――やはり、腹を切って良かった。
六振りの刃すべてに、鏖殺縁起が宿っている。六つ、すべてに。
引力の発生源が、複数存在している。
ならば成すべきことはひとつ。それぞれの引力が拮抗する軌道を瞬時に判断し、光の速度で駆け抜けるまでである。
本来ならばこのような僥倖は決してあり得ない。もし総十郎が腹を切らず、ヴォルダガッダが冷静なままこの技を放っていれば、彼は己の手管の性質を正しく理解し、粛々と、ただ一振りのみを繰り出すことで確実なる勝利を収めていたはずだった。
「やれ/\、人気者は辛いな。」
かすかな微笑みを頬に乗せる。
この殺戮の明王にとって、自分がどれほど重い存在であるかを完全に見切り、自殺の挙に出る。極端に動揺したヴォルダガッダは、自らの最強手を、成しうる上限まで叩き込んだ。叩き込んでしまった。
「丹津日子神、法太之川底欲越雲潤之方――。」
ゆえに、付け込ませてもらう。
腹を切ったのは、敵手の平静を奪うことだけが目的ではない。
命に関わるほどの出血量。それが、〈心〉を経て周囲一帯に撒き散らされている。
供物であり、生贄であった。
神韻軍刀を、高らかに掲げる。
これが初めてではなく、総十郎にとっては慣れたことであったから。
「云爾之時、在於彼村、大水神辞云吾以宍血佃故、不欲河水云々。」
――己が最も得意とする分野は何か。
そう自問するとき、総十郎の脳裏に真っ先に浮かび上がるのは、剣技でも推理力でも謀略でも呪術でもなく、他者と絆を結ぶことそのものである。
相手が人だろうと神だろうと妖だろうと変わらない。手を握り、あるいは他者同士の手を取り持ち、総十郎はあらゆる問題を解決に導いてきた。その中には世界の命運に関わるものもある。
神をもたらし込む総十郎の対話能力は、血の代償を捧ぐことで、この瞬間にチャンネルを確立した。エルフたちが魔力を少しずつ捧げて行うことを、この一瞬で成した。
――掛けまくも畏き 森羅大神 御身の依代たる王都が中枢に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 黒き明王の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す。
瞬間、撒き散らされた血から、清浄なる碧白色の幽骨が伸長し、本流となって神韻軍刀へと殺到した。局所的に、煉獄滅理の汚染を祓ったのだ。幾多の神格とマブダチとなり、無数の加護を授かった総十郎の血には、それだけの価値がある。
幽骨は神韻軍刀を包み込み、巨大な金象嵌両添刃鉄鉾を形成。内部で総十郎の血潮が渦巻き、共感効果を喚起する。神威をそこに降ろす御霊代として最適な形状へと。
鏖殺縁起・滅尽収束環を振り抜き、その勢いを殺して振り返ろうとするその瞬間に、
「渾沌を分かて――天魔反戈。」
過たず、繰り出した。光を一切反射せぬ胸板を、光速の刺突が貫いた。
それは天地を開闢し、国産みの神威を成したる天沼矛の別の側面。形成ではなく分解。解き放たれた神域の霊力は、闇と罪と穢れを祓い、禊ぎ、葬送する。
「おぬしの気持ちだけ受け取っておこう。」
『……ヤビソー……』
正面から、睨み合う。
「老いを楽しめぬようでは、一人前の男とは言えぬよ。」
『永遠を知らねえクセによく言うぜ……』
「これは一本取られたな。では先に永遠を経験してきてほしい。そして小生に語ってほしい。」
『その頃にゃ、テメーはもう死んでんだろ』
「たとえそうだとしても、時間は無限であるのに対し、空間は有限である。ならばいつか必ずまた会えるとも。そのときを、待ってゐる。那由多の果てで。」
『……しゃーねえな……』
闇の巨躯が、大気に溶けてゆく。
ともなって、周囲の汚染幽骨は元の色彩と形状を取り戻し、血の神の偶像は罅割れて砕け散っていった。
大気が鳴動し、深紅の破片が雪のように落下してゆく。それらは空中を舞ううちに汚染が祓われ、蒼き微光を放ち始める。
総十郎は、ふわりと微笑んだ。
「逆に問おう。おぬしにとって有限は、どうであったか。」
『あァ……まァ……』
ヴォルダガッダはすでに胴まで分解され、首だけになる。
どこか、ばつが悪そうに。
『悪かぁ、なかったよ……』
ふて腐れたような表情のまま、完全に消えていった。
その黒い残滓が、風と精霊力に紛れ、胡散霧消してゆくのを見届けながら、
「早馳風の神、取次ぎたまへ。」
厳かに、唱えた。
「そ、ソーチャンどのーっ!」
それから、慌てた様子で駆け寄ってくるフィンの声を聞きながら、総十郎はふと体から力が抜けるのを感じ、その場に崩れ落ちた。
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