今はまだ、わからないけれど
「嫌、というより、いけないことであります」
――どうして?
「軍人は、民間人を保護する義務があります。断じてその逆であってはならない」
その答えに、シャーリィは少し考え込んだようだった。
――オブスキュア王国の貴族のひとたちもね、それに似た考えを持ってるの。民を守るために命を懸けることに、躊躇いがない。
「では……」
――でもね。
フィンの言葉に、囁き声が被さった。
――彼らは日がな一日武術の鍛錬と、哨戒と、国政の合議を行っている。じゃあ、彼らの食べるものや、着る服は、誰が用意していると思う?
「国民の方々、でありますか?」
――そう。貴族は民を守るけど、民に守られてもいる。一方通行じゃないの。互いが互いを守ってる。だからオブスキュア王国は一万年も続いたんだと思う。
一万年。途方もない期間だ。フィンの歴史の知識に照らし合わせても、そこまで長く続いた政体は一つもない。
――わたしはね、守られるのが嫌じゃないの。それだけ大事に思われてるってことだし、わたしにしかできない方法で、みんなを守りたいって、強く思えるから。
――フィンくんは、見ず知らずのわたしたちを、守るって言ってくれた。とてもうれしかった。でも、でもね……
――わたしは、フィンくんを守っちゃ、だめ?
「そ、れは……」
眉尻が下がる。困った。どう答えればいいんだろう。
くす、とかすかな笑いが顔の横で漏れた。
――困り顔、かわいい。
ぷに、と頬を指先で突かれる。
なんだか気恥ずかしくなって、フィンは俯いた。
――ともかく、わたしの気持ちはそんな感じ。覚えててくれると、うれしいな。
「しょ、小官は……」
言いかけた唇に、人差し指が当てられる。
――難しいお話はおしまいっ。ね、フィンくんのこと、もっと知りたいな。
「小官のこと、でありますか?」
――んー、たとえば、好きな食べ物とか?
好きな食べ物、といっても、フィンの主食は錬成レーションである。好きとか嫌いとか、そういうものではないのだ。残さず食べて肉体を維持することは軍人の責務のひとつである。
だが稀に、嗜好品を食べられる機会もあった。チョコレートは高カロリーな携帯食として連隊に少数支給されるが、古参兵の中にはどう考えても支給分より多い数のチョコレートを通貨代わりとして賭け事に熱中する者もいた。「オヤジにゃ内緒だぜ」と少し分けてもらったものだが、いったいなぜ内緒にしなければならないのかは謎である。大人にはいろいろあるのだろう。
「チョコレート、おいしかったであります」
――ちょこれーと?
「えっと、茶色くて、硬くて、甘くて、ちょっと苦い食べ物であります」
――うーん、想像がつかないな。他には?
「えっとえっと、プリン! プリンは一番好きであります!」
――どんな食べ物?
「ぷるぷるしてて、柔らかくて、甘いでありますっ」
くす、と微かな笑い。
――フィンくんは甘いものが好きなのね。
たった一度だけプリンを食した時の衝撃と感動は、今でも鮮明に思い出せる。食事に対する考え方が一新される出来事であった。
――ひと段落着いたら、この世界の甘いもの、ごちそうしてあげる。
「ほんとでありますかっ?」
――うんっ、やくそく。
フィンは胸を高鳴らせた。
どうしたことか、この世界に来てから楽しいことや嬉しいことが多すぎる。こんなの変だ。どう考えてもおかしい。
だけど、抱き寄せる腕や体や膝の感触が優しくて、フィンはほんのひとときだけ、包まれて守られる自分を許した。
――少しだけ。ほんの数分だけ。
この人の腕の中でなら、哀しいことや、苦しいことを、束の間忘れられそうだった。
ははうえに抱き締めてもらった時の温もりを思い出す。
ずいぶん長いこと、会えていない。
そして、これから会えるのかも、もうわからない。
元の世界に帰れるかどうか、ではなく、帰った後で会う余裕などフィンの世界にあるのかという問題だ。
制空権と遠距離通信手段を独占し、銃弾のごとき速度で動くカイン人の脅威を前に、セツ人の存続への希望は、ほぼ潰えようとしていた。それほど詳しく情勢を教えてもらっていたわけではないが、破滅の時が近いことは、大人たちの雰囲気からなんとなく感じ取っていた。
カイン人のねじくれた刃が、ははうえの胸を貫くさまを思い浮かべてしまい、フィンは身を固くする。そんなことになったら、もう自分は戦えないだろう。生きていけないだろう。立ち上がれないだろう。
ぶにぃー、と。
「ふぁっ?」
ほっぺが左右に引っ張られた。
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